第6話 『ガールズトーク』

 極東第壱人妖特区楓町。その東地区の一角、もみじ保育園に私達は今居ます。

 行くところがある、なんて何処かに寄ってからここに来た澄人くんですが、その様子は何処か浮かなくて。目の前では叫びをあげながら園児達と追いかけっこを繰り広げているところですが、少し空回りしているというか……空元気感が否めません。


「……何かあったんでしょうか」


 何気なく漏らしたその呟きが澄人くんに聞こえるわけはなく、なんとも言えない感覚に耐えかねて空を仰ぎました。

 今私が座っているのは、樫の木の木陰に設けられたベンチです。その片手には園児達が作ったコンポタージュ────とされる泥団子の集合体が入ったカップ────が握られており、やんわりと重量を私の腕に返してくれています。こんな暑い日に何故コンポタージュ、だとかこんなに丸いコンポタージュとは……なんて問いは出て来ますが、それを小さな子に投げかけるのは野暮というものでしょう。


「誰に何があったって?」

「ゔぁぁ、」


 そんな行き先が決まっていないぼんやりとした思考を回していると、突然背後から声がしました。

 大きく跳ねる肩と、飛び出す情けない悲鳴。当然右手のカップも大きく跳ねて、中に入っていた泥団子達がぼとぼとと音を立てて地面に落ちていきます。


「ふふ、そんなに驚かなくても良いじゃないですか」

「驚きもしますよ、恵先生。急に背後に、しかも気配を消して現れるのはやめてください」


 ……もしかしたら恵先生は忍者の末裔か何かなのかもしれません。怖い話です。

 恵先生はベンチの背もたれから身を乗り出す形で私の顔を覗き込んだ後、ゆったりとした足取りで回り込んで私の隣に腰を下ろしました。


「で、何かあったって……澄人くんの話ですか?」

「え、ええ。まあ。そんなところです」


 ……図星を突かれるのが少し悔しい。思わず、なんでもないことなのにハッキリしない返事を返してしまいます。


「……確かに、言われてみれば澄人くん、昨日に比べて元気がない気がしますね。空回りというか」

「…………、よく見てるんですね恵先生」

「まあ、職業柄ね。でもそれは天音ちゃんもでしょう?」


 職業柄。だとしても、すぐに誰かのほんの少しの不調を見抜くだとか、よく見てるなって感じがします。保育園の先生が成せる観察眼でしょうか。

 そしてほんの少しの沈黙。二人して、ぼんやりと、園児に追いかけられる澄人くんを眺めるだけの時間が続きます。……あ、澄人くん転んだ。

 そんなゆったりした沈黙を割いたのは、


「ねえ、天音ちゃん。澄人くんのこと好きなの?」


 すっかり『先生モード』が解けて『乙女モード』へとシフトチェンジした、恵先生の揶揄うようなひと言でした。


「………………は???」


 すぐに言葉が出て来ません。思わず勢いよく向けた視線の先では、恵先生がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのが見え、的確かつ豪快に私の正気度を割いて行く。ああ、もう、顔が熱い。


「ば、な、っ、……そんなわけないでしょう、私と澄人くんはそんなのでは」

「違うの?」

「違います!!」


 思わず声を荒げてしまった。みっともない。らしくない。

 ……とりあえず、自分を落ち着けるために大きく呼吸を繰り返して。再び視線は澄人くんへ。未だに真横から恵先生から視線は感じますが、この際それは無視していきましょう。


「……私と澄人くんはただのチームです。私は、」


 私は。

 区切られる言葉。思考は少し昔に────他ならぬ私が生み出した地獄へと回帰する。


「……私はきっと、澄人くんに恩返しがしたいだけ」


『俺の手を取れ、天野!!』


 泣きそうな顔で差し伸ばされた右腕。震えた叫びを、今でも思い出す。


「澄人くんは優しいんです。とても。誰も彼もに優しくて、困っている人になら簡単に手を差し伸べてしまう」


 だからこそ、あの人は誰にでも好かれるんだと思う。彼はいつも、みんなの中心で笑っている。

 その姿がとても眩しくて。羨ましくて。極たまに、嫉妬する。


「私にもその優しさを差し伸べてくれた。誰もが諦めるような地獄の中で────私すらも、もう私は助からないんだな、なんてぼんやりと思っていた中で、彼だけは諦めないでくれた」


 だからきっと、この気持ちに名前をつけるとすれば憧れとか、感謝とか。そういった、恋心とは程遠い存在。


「彼の優しさは私だけに向けられるものじゃない。みんなに向けられるもの。だからそう、私が彼に恋心を抱いていたとしても……ほんの少しの勘違いから生まれた、大きな間違いなんです」


 別に私が特別ってわけじゃない。だから、私が彼にそういう感情を抱くのは少し違うと思うんです。烏滸がましいとか、そんな感じの。


「その優しさの中で、澄人くんは────はいどうぞ、なんて簡単に自分の命すらも明け渡してしまいそうで。だから私が、見ていなくちゃって。そう思うんです。だから、」


 だから、


「……恋心は、違います」


 放たれた言葉に、恵先生は何も応えない。代わりに漏れたのは、大きなため息でした。


「な、なんですか……!」

「いや? 青春だなーって思って」


 今の会話の何処から青春要素を汲み取ったんでしょうか。よくわからない。

 恵先生は何やら満足したような笑みを浮かべ、大きく頷くと立ち上がり、


「うん、これはキミたちの問題でしょう。先生が口を出すのは少し違うかな」

「は、はあ……」


 返す言葉は思わずぼんやりと。ハッキリしない返事でも、恵先生は私に笑顔を向けてくれます。


「頑張ってね」

「依頼を、ですか?」

「そうじゃなくて……というか以来に関しては、頑張ってなんて言う権利はないし」


 そんな言葉を最後に、恵先生は片手をヒラヒラ振りながら。園児の群れに襲われている澄人くんへと駆け寄って行きました。


 何だったんでしょう。いったい。


 ◇◆◇


 園児たちは絶賛昼寝中。ようやく解放された俺と天音は、園庭のベンチに腰掛けていた。


「……しこたま疲れた」

「しこたま遊んでましたもんね。楽しそうでしたね。ホント」

「……あ、あれ? 天音さんなんか機嫌悪い?」


 何処かツンケンした雰囲気を天音から受ける。視線は俺に向けられることはなく、遥か遠くで風に揺れる御神木の一本────東楓とうふうに向けられていた。

 ……正直、俺が天音に何かした覚えはない。園児に追いかけられてる途中、なんか恵先生に絡まれてるのを見たけど。それが原因だろうか。いやわからんけど。


「で、だ。とりあえず情報共有しよう」

「……ちゃんと仕事してたんですね、澄人くん」


 心底以外って顔をされると傷つくところだがそれはそれ。天音の視線はようやく俺に向き、話を聞く姿勢になってくれた。


「とりあえず、他の先生たちに聞いた話だけど……やっぱ攫われた園児は一貫して、妖怪の────しかも変幻もまともに使えない子たちだけらしい」


 産まれたての妖怪の子供は妖力の操作が上手くいかない。

 この街で生活するには必須────人の姿をしていないと入ることすらできない施設もあるため────とはいえ、仕方がない話だ。得意不得意はあるし、個人差だってあるだろう。


「……やっぱりそうですか。今園に残ってる子達妖怪は変幻がしっかり出来る子達に偏ってますもんね」

「ああ。そこで、なんでそんな変幻も使えない子達ばっか連れてくのかって話なんだけど────」


 何故人の形へと変わることができる園児が無事で、妖怪の片鱗が見える子供ばかり攫われているのか。

 そして、何故疑似妖力生成剤を服用しなければならないのか────その理由は至って簡単だ。


「相手は────弟さんは魔術を使えず、妖怪を察知する術を持ってない。そこで、俺の考えた作戦なんだが……」

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