第5話 『駄々』
恵先生が学校を出た頃には、陽は傾き始めていた。
印刷された被害者リストを受け取って、他愛のない会話を何度か繰り返して。最後には、恵先生は笑顔を浮かべて帰ってくれた。
「……にしてもまたクスリ関係か」
「なにかと縁がありますね、私達」
思わずぼやいた独り言に、天音が小さなため息混じりに言葉を返す。
つい今朝熟して来た依頼も、クスリを服用した男の捕獲、なんてモノだった。俺が相手の奥歯を四本くらい折っちゃったヤツ。あれ、六本だったっけか?
まあともあれ過ぎたことを考えていても仕方ない。思考を今回の依頼に移す。
「とりあえず、どんくらいクスリの副作用が進んでるのかは
「そうですね。私達だけでは判断しかねますし……また明日にでも先生の見解を聴きに行きましょうか」
クスリの
……にしても、そうか。
「……殺してしまっても構わない、ね」
恵先生から放たれた言葉。そこにどんな複雑な感情が揺らいでいたのだろうか。
だって自分の肉親だ。家族だぞ。それを、殺してしまっても構わない、だなんて。
迷いのない真っ直ぐな言葉。それと同様に、真っ直ぐに向けられた瞳。それは、まるで。
「……自分の感情を押し殺してるように見えた」
言葉に含まれた真意だとか、恵先生の本当の気持ち。
それをいくら考えたところで解らないのが、悲しい話だけれど。
「…………家族。私達には、少し難しい話です」
つられて、自然と天音の声までもが沈み込む。
なんとも言えない気持ちを胸に抱きながら、俺たちはため息を吐き出すしかなくて。
やり場のない気持ちをどうにかする為に、応接室を後にした。
◇◆◇
時間は過ぎ去り、恵先生から依頼を受けた次の日の朝になりました。
私が今居るのは育成学校の一角、保健室。
私達祓魔師の使用率が一番多いその部屋は、他の部屋と比べて少し広めに設計されています。
カーテンで仕切られ並ぶ三つのベッドと、入り口を背中にして右手側の壁には三つのモニター。それと向かい合うようにローラー付きの椅子があり、私の目的の人物は、そこに腰掛けています。
名前は
陽の光を反射して淡く輝く白い長髪と、無駄に綺麗な顔。それから、髪色と同じく白い白衣が特徴的な女性。
藍蘭先生は、部屋に入ってくるなりいつものニヤニヤとした笑顔を向けて来ました。
「おはようございます、藍蘭先生」
「やー、天音ちゃん。今日はひとり? 澄人くんは一緒じゃないんだー?」
……なんとなく私はこの人が苦手です。思わず苦虫を五、六匹噛み締めたような表情をしてしまうのも仕方ない話。
そんな表情を浮かべても藍蘭先生はカラカラと笑い飛ばして、目の前の席に座るよう掌で勧めてきます。
「……澄人くんはなにやら行くところがある、と。どっか行っちゃいました」
「あらそー? ワタシ、澄人くんと話すの好きなんだけどなぁ」
私ひとりでは不満ですかそうですか。
いや良いですけどね別に。行き先も告げず私が藍蘭先生のこと苦手だとわかっててもひとりで行かせて、その上謝罪すらなかったことも怒ってないんですけどね別に。気にしてませんけど。
とりあえずここのままでは話が前に進みません。勧められた通り椅子に腰かけ、セーラー服のポケットからスマートフォンを取り出して、写真アプリを開きました。
「いきなり本題に入るねー」
「雑談してたら話がいつまで経っても前に進みませんからね、先生は。……この後予定もありますし」
「なぁに、澄人くんとデート?」
「これが今回の依頼対象なんですけど」
サラッと藍蘭先生の揶揄うような言葉はスルーをキメ込み、件の弟さんの写真を表示すると、画面を先生に向けます。
藍蘭先生はほんの少し残念そうに笑うと、画面に視線を向けて。ほんの少し考え込むような間を挟むと、今度は視線が私に向けられました。
「また薬? 前回の依頼も確かそうだったよねー?」
「はい。何かと縁があるみたいで……先生の目から見て、この人はどうでしょうか」
「ん〜……そうねぇ」
顎に指先を添えながら、ふむふむ、なんて何度か頷く藍蘭先生。あざとい。ホント。
しかし頼みごとをしている手前、心の中だとしても文句を言うわけにもいかないですし。大人しく先生が結論を出してくれるのを待ちます。
「……ちなみにこれはいつの写真なのかな?」
「四週間ほど前だそうです。これ以来、毎週子供を攫いに来てるようで」
「ナルホド……じゃあ少なく見積もっても服用回数は四回か五回くらいかぁ」
藍蘭先生はため息混じりにそう呟くと、背凭れに背中を預け、悩ましげに口元を歪めて、
「だとすればあまり状況はよろしくないかもねぇ。彼、薬との適合率が高いみたいだ。もしかしたら『処理』しなくちゃいけないかも」
……予想はしていた返事ですが、改めてこう面と向かって言われるとなかなかクるものがあります。
処理。それは書いて字の如く。私達が、彼を殺さなくてはいけないかもという話。
それ程までにこの薬は強大で、危険で。野放しにしておくわけにはいかないんですから。
「……どうする?
そして投げかけられる問い。
確かに私達には荷が重い。姿形が変貌しているとはいえ、元々人間だということを私達は知っている。
国はソレを正当化してくれます。それでも尚、私達にかかる重圧だとか痛みだとか。そんなのは想像すらできません。けれど、
「……いえ、大丈夫です。なんとかします」
「澄人くんならそう応えると思うから、かな?」
…………思考が読まれているようでした。恥ずかしい。だからこの人苦手なんです。
「まあそうだね、大切なのはキミ達がどうしたいかってトコかなぁ。ワタシたち大人は、子供の背中を押す係。だめだなーってなったら、いつでも連絡してくれていいんだからね」
「はい。ありがとうございます」
その言葉が染みる。ほんの少し甘くて、痛くて。
今まで私達が向けられることはなかった暖かい感情。だからこそ、私は素直に頭を下げて、席を立って。
「服用者は危ないからね。気をつけて」
そんな藍蘭先生の言葉を最後に保健室を出て、次の目的地へと向かいます。
澄人くんもそろそろ着いていると良いんですけど……なんて思いながら、もみじ保育園へと。
◇◆◇
歩道を気持ち早足で歩いていく。
対して不機嫌というわけではないけれど、逸る気持ちがあるからか足音が自然と大きくなって困った。
「ああ、もう。クソ……!」
向かう先は楓町、東区の商店街。妖怪や人間達が集って買い物に訪れる地帯だ。
東区には妖怪に理解のある人間が集まっていて妖怪も生活しやすいんだ、なんて声をよく聞く。
その証拠に、俺とすれ違う姿は妖怪と人間が半々くらい。いや、若干人間の方が多いか。
そんな多種多様な影を過ぎ去り歩みを進めていくと、目的地は見えてくる。
商店街の一角。扉には『丹精込めて準備中!』と書かれた札が掛けられているラーメン屋。
準備中だが遠慮なんてものは一切ない。勢いよく引き戸を開いて、その店内に目を向けた。
丁度厨房には準備中の店主である一反木綿、
「おいおい、どうしたんだ澄人。ンなおっかない形相で。まだ準備中だぞ?」
「おっかなくもなるっつの……アンタなあ」
文句を言いかけた所で潡兵衛さんは鍋の火を止めて、ゆらゆらとこちらに飛んでくる。椅子を引かれたモンだから、そのままの勢いで腰掛けてしまった。
「……まあなに、とりあえず落ち着けや。お冷飲むか?」
「いただく……いやじゃなくて!」
いけない。流されそうになった。今日は真剣な話をしに来たっつーのに。
潡兵衛さんはというと、少し離れた所でコップに水を注ぎながら。背中で話を聞く姿勢だ。
「……恵先生から依頼受けた。被害者リストも見た。潡兵衛さんちの息子……」
被害にあってるだろ。そう言いかけた所で、目の前にこつん、と。乾いた音を立てて、水が入ったコップが置かれる。
「ああ、オレのイチオシだって澄人ンとこに依頼に行くように勧めたからな」
「そりゃ有難い話だけど……相談してくれりゃよかったろ」
潡兵衛さんの息子が拐われたのは二週間前。その間、俺は何度かこの店に通っていた。
でもそんな様子は潡兵衛さんから一切感じなくて。むしろいつも通りの様子で俺に接していた。
不安で仕方なかっただろうに。だって自分の息子が拐われてるんだぞ? 心配で仕方なくて、店だって開いてる暇もなかったはずだ。
「……オレと澄人もだいぶ永い仲になったな」
「そうだな。俺が六歳の時からだから……もう十一年近くになるか」
「食いっぱぐれたおまえさんに飯を恵んでやったりした」
「そうだよ、たくさん世話になってる。だから、」
だからこそ、だからこそなのに。
「だからオレは、おまえさんに言わなかったんだよ」
潡兵衛さんは、俺の言葉を遮った。
「……んでだよ。俺は潡兵衛さんに────いや、街の
受けた恩は数え切れない。返しても返し切れない。だから、少しでもって。
「……澄人は優しいからな。すげー心配することくれェはわかる。妖怪と人間の壁を無くそうって頑張ってんのも知ってる。だからこそ、おまえさんには話したくなかった」
拳を握る。奥歯を噛みしめる。
どうしようもない感情が湧き上がって来た。なんて名前をつけていいかもわならない、モヤモヤしたモノが。
「……ほら、そうやってどうしようもないくらいに怒っちまう。その怒りをどこに向けていいのかもわからないだろうに。おまえさんは妖怪も好きだし、人間も好きで。どっちも恨めないから、その怒りを処理しようがない」
それでも潡兵衛さんの言葉は続く。
「それにな、
「────!! 仕方なくなんかないだろ!! だって、自分の子供が拐われてんだぞ!? そんなのって……」
「仕方ないんだよ。オレたちは人妖戦争でたくさんの人を殺した。だから、恐れられてたって仕方ない」
潡兵衛さんの視線は真っ直ぐに。俺の瞳を覗き込む。
まるで、自分の子供を諭す父親のように。優しく、強い視線で。
「おまえさんは忘れてるみたいだけどな。オレの親父も、人妖戦争でたくさんの人間を殺したんだぞ」
「────、────ッでも」
でも、それでも。
うまく言えないけれど、それは違う。絶対に。
「……違う、違うだろ。本当の平和はそんなんじゃあない。どっちかが我慢するなんてのは間違ってる。俺は、人間も妖怪も心の底から笑いあえる────そんな平和を目指して、必死に」
「……ああ、澄人は優しいな。こんなヤツばっかだったら、人間も妖怪も困らねえのにさ」
自然と声が震える。俺の頭に、潡兵衛さんの優しい掌が触れて撫でてくれる。
みっともない。まるで駄々をこねる子供みたいだ。
「オレたちは依頼するつもりも、大ごとにするつもりもなかった。でも恵先生が依頼しちまったってんなら、おまえさんも無関係じゃない。だから、」
一瞬の間。潡兵衛さんの視線の向こうに、優しさと、ほんの少しの躊躇いが揺らぐのがわかる。
自分がこんなことを言っていいのか、と。妖怪である自分が。そう躊躇っているように、俺には見えた。
「……好きなようにやればいい。おまえさんの、やりたいようにやればいいよ。そんな権利はねーかもしれねェが、オレたちは応援してっからよ」
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