第105話【挨拶】

「こんにちわ先輩」


昼休み、いつも通り部室に居ると凛華が入ってきた。


「おう」


「私を待っててくれたんですね」


「そうだな」


昨日の帰り際に『明日は先輩の分も私がお昼作ります』と言われていたため、結構楽しみにしていた。


「では、どうぞ」


凛華はバッグからお弁当を取り出すと涼介に渡した。


「ありがとな」


素直に礼を言いながら受け取る。


「なんかいいですねこういうの」


「そうか?」


「はい、会社に行く旦那さんにお弁当を渡してるって感じがします」


凛華は照れながらもそう言った。


「そ、そうか……

ま、まぁ、せっかく凛華が作ってくれたんだし食べるか」


「そうですね」


凛華はえへへと笑っていた。


◇◆◇◆◇◆


2人は向かい合って座る。


「あっ、飲み物を用意してなかったですね

先輩は何飲みますか?」


凛華は立ち上がりそう言った。


「温かいお茶がいいな」


「分かりました」


凛華はポットに水を入れそれでお湯を沸かす。

その間に急須に茶葉を入れたりと用意していく。


なんか落ち着くな。


そんな凛華の後ろ姿を見て、涼介はほっこりとした気持ちになる。


妻が台所に立つ後ろ姿を見ている夫とはこういう気分なのか。


さっき凛華が言っていたことに当てはめるとそうなる。


涼介は自分の腕をつねってその考えを無理やり消す。


俺はまだ凛華と正式には付き合っていないんだ。

落ち着け。


まだまだ先のことを考えていた自分を咎める。


落ち着いたところでピーと電気ポットのお湯が湧く音がした。


「俺も手伝うぞ」


さすがに急須とコップ2つと電気ポットを一気には持てないだろう。


「ありがとうございます」


「気にするな」


◇◆◇◆◇◆


涼介は満足そうにお腹を摩っていた。

凛華のお弁当は色合いがよく、量もちょうど良かった。


「美味しかった

ありがとな」


「いえいえ、先輩の胃袋を掴めたなら良かったです」


凛華は笑顔でそう言う。


可愛い。


涼介は完全に凛華の虜になっていた。


そう思った時涼介は今この空間で二人きり、そしてこの時間にここを通る人は滅多にいないということを思い出した。


前までは意識していなかったが今は付き合っている。

だからだろうか余計に意識してしまった。


「お、俺が使ったもの洗うぞ」


「いえ、私がやるから大丈夫ですよ」


「俺にやらせてくれ」


この教室は会議に使うために作られていたため、小さいながらもキッチンが用意されている。

それが今は好都合だった。

水道の冷たい水に当たることで我慢しようと思ったのだ。


◇◆◇◆◇◆


先輩がお弁当箱などを洗っているので私は暇になりました。

別に家でも洗うことが出来るので、気にしなくてよかったのに。

せっかくの二人きりなんですからもっと構ってくれてもいいと思うんです。


凛華は涼介の後ろ姿を見ながらそう思う。


んー、構って欲しいです。

せっかくの二人だけの時間を大切にして欲しいです。


凛華は顔を膨らませていた。


そうです。

いいことを思いつきました。

前の方は塞がっているので先輩の背中で遊びましょう。


◇◆◇◆◇◆


汚れを落としていると何だか落ち着くな。


涼介は一つ一つ念入りに洗っていく。


そう言えばさっき椅子の音がしたが凛華は何やってるんだろうか。


さっきの涼介もそうだったが相手がここにいるとやることがないのだ。


凛華が何をやっているか見るために振り向こうとした時後ろから人の気配を感じた。


その気配はそのまま涼介の背中のほとんどを覆った。

凛華が後ろから抱きついているのだ。

手はお腹の方まで回しぎゅっと離れないようにロックする。


「おい……」


「気にしないでください」


そう言われたが、否が応でも意識してしまう。


「スキンシップはダメなんじゃないのか?」


「抱擁は挨拶と同じです

だからこれはスキンシップではなく、挨拶です

それにスキンシップがダメなだけで普通のスキンシップはいいんです」


いじけたような声の凛華はいつも以上に可愛く、虐めたくなった。


「挨拶なら誰にでもするのか?」


「……しないですよ

これはせっかくの2人きりの時間なのに構ってくれない彼氏だけにします」


声にならない嬉しさが込み上げてくる。

恥ずかしいがそれ以上に凛華が可愛かった。


「ならその時以外はしないのか?」


もっとこの凛華を味わいたい


自分の理性を抑えながらそう思った。


「……私のしたい時もします

ていうか、こんな恥ずかしいこと言わせないでくださいよ……先輩のばか」


「すまん、ついな……」


正面を向いていたら絶対にこんなことできなかったが、後ろを向いている今だからこそ出来た。


粗方洗い終えているが、凛華が抱きついた状態では洗いにくい。

しかし、凛華はくっついて離れようとしない。

そんな状態でしばらくして全て洗い終える。


「洗い終わったから離してくれないか?」


「なら次は前向いてください」


「わかった」


これは凛華のご機嫌を取るためだ。


そう自分に言い聞かせ涼介は荒らげそうになる呼吸を必死に我慢して前を向く。

すると凛華は直ぐに抱きついてきた。

顔まで埋めてくる。


「先輩すごくドキドキしてますね」


「当たり前だろ……」


好きな人に甘えられ、その上抱きつかれてドキドキしない人なんていないだろう。


「先輩の心臓の音聞いてると落ち着きます」


「そうか」


「先輩も私の心臓の音聞いてみますか?」


凛華は顔を上げそう言った。

顔全体、耳まで赤くなった少女の大きく膨らんだ胸に顔を埋めるということだ。

否定する意味がわからない。


「いいのか?」


「いいですよ

それに私たちはただ挨拶の練習をしているだけです」


「そうだな、これは挨拶だよな……」


自分で言ったならまだしも凛華が言ったのならそうなのだろう。

涼介恐る恐る凛華に手を回そうとする。


そんな涼介を邪魔するかのようにスマホのアラーム音が教室に鳴り響いた。


「もう時間ですね、先輩」


「……そうだな」


凛華は我に返ったようにいつも通りに戻っていた。

しかし、涼介は切り替えることが出来ず、未だに悶々としていた。

その調子で授業を受けたため、集中できるわけがなかった。

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