中編

 そんな彼は私と出会ってから付き合うのもだいぶ早くて、私は少しだけ彼と付き合うのを躊躇した。けれど彼の歩みに身を任せようと私は彼に流された。そのせいで私は抗うことをいつの間にか忘れたようだ。


 今も私は彼についていこうと必死に足を動かしている。いつからこんなにも従順な人間になってしまったのだろう。前はもっと意思を持ち自分の人生は明るく楽しいものだと胸を張って言えるほど、自分の人生に責任と親愛を持っていた。


「美羽の家にあるチョコレートは何味なの? それに合わせてお酒買っていこうよ」


 凄く甘いミルクチョコレート、だけど1粒だけとても苦かった。包装紙の色が一つだけ青くて、きっと一番美味しいんだろうなと私は思った。その期待のせいで私はその青の包装紙に包まれたチョコレートを最後の1個に残しておくことも出来ず食べてしまった。でも苦かった。苦くて少しだけ涙が出た。とくに中に入っていた液体が苦くて、喉の奥が焼けそうだった。


 忘れていた苦みを思い出すと、なんだか泣きそうになった。そうだ、私はそのたった一個の苦いチョコレートのせいでそのチョコレートを食べることを止めたのだ。思い出してしまうと、もう今までの甘いチョコレートのイメージは消え去り一気に吐き出してしまいたいほど苦いイメージに変わった。


「苦いよ」

「じゃあブランデーがいいかな」


 家に帰ってチョコレートを食べた彼はきっとチョコレートを「なんだ、甘いじゃん」と、きっとそう言う。だってもう家には青い包装紙に包まれたチョコレートはない。


 私は嘘を付いた。流石の彼でも見破れなかったこの嘘も数時間後には明るみになる。彼の歩みが止まった。急すぎて私の額と彼の背中が軽くぶつかってしまった。大きい彼の背中、私の前に聳え立つ一生超えられない障壁。かすかに彼の白いシャツの背中に私のピンク色のリップが付いてしまった。


「着いたよ」


 振り返って笑顔で言った彼に、私は謝罪が出来なかった。年齢的につけることで社会の目から逃れられなくなってきたリップのこの色。元々ピンク色のリップは私好みではない。


 けれど彼に褒められてから、この色が好きになったような気がしていた。私の好みの紅い口紅はもっと大人っぽい顔で身長が高く魅力的な人が付けるものだ、と彼は豪語していた。


 私の好きを否定する彼を私は好きなのだ。


 彼が連れて来てくれたお店は洒落た外観を持ち少しの列ができていた。彼はその列に並んだ。私も後を追う。列に沿って、お店の花壇に青いアジサイが咲いていた。


「れいちゃんが、咲いているよ」


 私はその青いアジサイを指さした。彼はそのアジサイを見るなり


「俺こんな可憐か?」


 と言いながら苦笑いをした。


 すると私たちの一つ前に並んでいたカップルの女性が私を不思議な顔で見て、そしてひそひそと自分の彼氏に何かを話していた。そんな雰囲気に気が付いて彼は目を細めた。


 私が何か変なことを言ったりやったりすると、彼は自分の社会的体裁をとても気にする。自分が恥ずかしい思いをすることが彼は嫌いで、私は自分のどんな行動や発言が世間離れをしているのか分からない。


 今のように私のせいで彼が変な目で見られると、彼は私に怒涛の刃を振りかざし私はすっかり委縮してしまう。私と彼の相性ははっきり言って最悪だ。


 私は気まずさを感じて彼から目線をそらした。するとこの店と道路を挟んだ向かい側に洒落な洋菓子屋さんがあった。きっと待っている人の人数から考えて当分順番は来ない。気まずさから私は少しの間だけこの場から離れたかった。


「れいちゃん、私お向かいのお店見てくるね」

「うん」


 彼は少しだけ顔つきを穏やかにして私に返答した。


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