最後の魔王

逆塔ボマー

最後の勇者


 四度目の対決の場は、天空に浮かぶ真・魔王城、第三形態。

 地上の人類すべての希望を背負い、『最後の勇者ラストブレイブ』アキネスは無人の城を単身進む。


「なんちゅう瘴気オーラだ。あのアマ、さらに魔力上がってやがる……何食ったらこんなんになるんだ」


 常人どころか並大抵の英雄程度ならば触れただけで狂い死ぬ、もやのように漂う漆黒の魔力塊を片手で払いながら、アキネスはぼやく。

 ほとんど刈り上げるくらいに短く切られた金髪。頬に刻まれた傷跡。豊かな胸は右側だけ不自然に形が歪んで凹んでいる。防具は思いのほか軽装で、武器らしい武器は持っていない。

 しかし歩く姿ひとつとっても武を極め尽くした達人の佇まいであり、その身はほんのりと神聖なオーラを纏っている。

 衛兵一人、魔物一匹いない城内をまっすぐ進み、いかにも、といった風の大扉を両手で開く。


「あら、早かったのね」

「おめぇに人望がねェのは分かってるけどよ、面倒だからドアマンくらい置いとけ」

「居たら居たで、貴女、殺しているでしょう? 私の可愛い『三災厄』トライディザスターみたいに」

「違ぇねェ」


 真魔王城最奥、玉座の間。

 美しい姿をした闇そのものと、粗暴ながらも聖なる力に満ち溢れた光の化身とが視線を交わす。


 長く艶やかな黒髪。薄手の純白のドレス。それと比べてもなお白く透き通るかのような傷ひとつない肌。

 どこかの貴族令嬢と言われても納得してしまいそうな容姿に、もはや可視化できるほどの密度の悪意と魔力。

 『最後の魔王ラストサタン』シロキはゆるりと玉座から立ち上がる。


 ★


 魔王サタンと呼ばれる絶大な魔力を持った魔族と、勇者ブレイブと呼ばれる絶大な祝福を受けた人の子。

 それはこの世が始まって以来、それぞれ何人何十人と現れ、相争ってきた。

 神話によれば、創世の後、我が身を切り分けて『創世者ジ・クリエイター』が七つの光の神々を生み出した時、零れ落ちた血が抱いた神の身になれぬ恨みが魔を生んだという。

 ある時には魔王サタンが大陸ひとつを支配したことがある。

 ある時には勇者ブレイブ魔王サタンを次々と討ち果たしたことがある。

 ある時には、同じ時代に並び立った魔王サタン同士が戦争をしたこともあったし、複数の勇者ブレイブが手を結んで強大な魔王サタンに立ち向かうこともあった。

 一進一退の争いを続けていた魔と人、しかし……その魔王サタンは、これまでのどんな魔王サタンよりも強かった。

 否、生まれついた時には凡庸な女魔王サタンであったそれは、激しい戦いのうちに強く強く成長していった。


 ★


「うらァっ!」

「せっかちなのね、貴女ったらいつもそう」


 右の拳を振りかぶり、女勇者ブレイブアキネスはとびかかる。

 一見すると場末の酒場のケンカのような初撃、しかし、速度・破壊力ともに文字通りに桁違い、三つも四つも、あるいはそれ以上に桁の違うものに対して。

 魔王サタンシロキの背後に揺らぐ闇の中から、無数の触手が飛び出して迎撃せんとする。


 見る者の目がおかしくなるような幾何学的な紋様が浮かぶ触手は、1本1本がそれぞれ異なる致死の属性を複数備えた複合攻撃だ。

 真っ先にアキネスの肌に触れんとした1本は、対毒耐性無効の猛毒を注ぎ込む能力、時間を急速に巻き戻して相手がこの世に生まれなかったことにする歴史改竄を起こす存在抹消能力、単純明快にして対応困難な超速度超威力超硬度の物理攻撃能力を備えていたが……

 アキネスは回避もせずにその身で受ける。

 受けつつ、瞬時に攻撃に対応している。

 せっかくの完全対毒耐性を抜けてきた猛毒には自動発動の解毒の特級の祝福ブレスが。歴史改竄狙いの時間操作には時の神クロノクロウスの祝福ブレスによる同分量逆方向の時間操作による完全相殺が。山脈すら軽く打ち抜く物理攻撃には……ただ、人の限界を超えて鍛え上げた腹筋の強さで。

 起きた現象は地味で単純、逆に触手の方が砕け散って終わる。

 二本、三本、四本五本六本七本。全く異質ながら同程度の厄介さの攻撃を、アキネスは全て無効化して……


 アキネスの拳は、逆に単純明快な見た目通りの物理攻撃だ。

 しかし、回避不能。防御不能。カウンター不能。幻惑不能。身代わり不能。ありとあらゆる、全ての対応を予め潰した一撃である。

 極限の技と、極限の身体能力と、極限の直観力と、光の神々の全ての力を乗せた、究極のである。

 魔王サタンには他に方法はない。ただその身体の頑丈さHPの高さだけで耐える。大地すら叩き割る威力の攻撃に、それ相応の損害を受けながら、ただ耐える。


「痛ぁい」

「ワザとらしい声出すんじゃねェよ! 全然効いてねェくせによ!」


 拳と触手が交錯する。もはやヒトの目には映らぬ超高速の攻防。

 その最中に……


「……捕まえたぁ」

「……ッ!」


 空間すらも無視して、虚空から抜き出した魔王サタンの手の上には……脈打つ心臓が。

 魔王サタン側も少なからぬ損害を払って成し遂げた、心臓抜きハートブレイクの一撃。

 そのまま彼女は、その可憐にも見える手で、手の中の肉塊を握りつぶして――


 ★


 最初の一戦目は、名乗りを上げたばかりの魔王サタンと、熟練の、しかし分不相応な栄誉を夢見た冒険者の群れの戦いだった。

 魔王サタン魔王サタンの名に相応しく順当に勝利したが、迂闊にも一人だけトドメを刺せずに逃がしてしまった。後にも先にもない失態だった。


 二戦目は、魔の領域を全て統べた魔王サタンと、世界各地から集められた世界最強の七十六人の勇士たちの戦いだった。

 七十六人の精鋭はそのほとんどが命を落としたが、魔王サタンを世界と世界の狭間、果てしなき虚無の虚空に放逐することに成功した。


 三戦目は、誰も戻ったことのない虚無の虚空から初めて戻ってきた存在である魔王サタンと、たった一人生き残った勇者ブレイブとの戦いだった。

 勇者ブレイブ三災厄トライディザスターと呼ばれた絶大な力を持つ眷属を討ち果たし魔王サタンに迫ったが、僅かに力及ばず伝説の聖剣も折られ、敗退した。


 四戦目は――世界をほぼ手中に収めた魔王サタンと。残存する人類と神々の力を全て結集させた勇者ブレイブとの。


 ★


 違和感は、握りつぶした瞬間に分かった。


「アキネスの心臓じゃ……ない?!」

「御名答ぉッ!」


 既に両者ギリギリの戦いであったのだ、その一瞬の動揺は、手刀にて魔王サタンを頭から一刀両断にするに足るだけのものであった。

 均衡が破れれば魔王サタンの側も致命傷を負うのは必然で……しかし、同じく違和感を感じた勇者ブレイブは、飛びのいて攻防を仕切りなおす。

 確実な手ごたえはあった、しかし、魔王サタンはまるで今の攻撃がなかったかのように変わらぬ姿でそこにいる。


「……何しやがったんだ?」

「それはこっちの台詞です。鬱陶しい神々の祝福ブレス、こないだのでもうやり尽くしたカンストしたはずだけど」

祝福ブレスで足りないのは分かっていたからな。さらにこの上にかけられるもの、と思って、呪いカースを用意した」

「呪い……なるほど。すごいね、ヒトって」


 魔王サタンは即座に理解した。身代わりの呪いスケープゴート勇者ブレイブ側も魔王サタンが使うことを想定した、単純だが対応しづらい呪詛である。

 術者側が死に至るような怪我を受けたなら、呪いをかけられた側がそのダメージを代わりに受ける。他人の命で自分の命を補う。

 単純な分、拒む意思があれば抵抗に成功する率は高い。勇者ブレイブの魔法適性を考えたら、犠牲者側がカケラでもイヤだと思えば一般人でも拒否可能なはずだ。


「残存する人類で接触が可能だったもの、15万7千とんで23人。全ての命を預かって借りてきている。そういうお前は……さては『喰った』な、部下どもを。三災厄トライディザスターの一つ、何ていったか……そう、貪食の権能を持つヒキガエルの能力だ」

「正解。でもヒキガエルは酷いな、私がわざわざこのお腹を痛めて生んだ子に対して。ギャピエルメルグって名前が覚えにくいのは分かるけど」


 勇者ブレイブが外付けの命のストックを背負ってこの場に臨んでいるのなら、魔王サタンもまた、その身の内に数多の命のストックを溜め込んでこの場に臨んでいる。

 かつて魔王サタンがその身から生み出し、勇者ブレイブが打ち取った三災厄トライディザスターのうちの一柱。貪食のギャピエルメルグという、蛙に似た姿の、ドラゴンすら捕食する魔物が同じ能力を用いていた。

 魔王城が無人であったのは、つまり全てを……


 相互に納得した2人は、さらに攻防の速度を上げる。守備の比率を下げて前のめりな攻撃を選択する。

 次々と命のストックが消えていく。はるか遠くの町で一般庶民が「勇者万歳!」と叫んで爆散する。

 2人の攻撃の余波で、やがて魔王城の建物そのものが崩壊を始めた。


 ★


 なんの手掛かりも目印もない、空間と時間だけが無限に広がっている虚無の虚空……

 世界と世界を渡る狭間に広がる、超越者たちでもどうしようもない空間。

 そこから、何をどうやったのか戻ってきた魔王サタンは、前よりも数段上の力をつけていた。戻ることさえ出来るのであれば、その前代未聞の経験EXPはそれだけの強化をもたらすのも道理だった。


 世界中から今の時代で最強の勇士を七十六人も集めて討ちきれず、放逐するのが精いっぱいだった相手が、さらに強くなったのである。

 人類は、そして人類を守護する光の神々は、全ての力をたった1人の勇士の生き残りに結集した。


 神々はその身を削って過去最強の祝福チートレベルのブレスを施した。

 人々は最強の剣と最強の鎧を用意した。その他あらゆる装備を持たせた。

 勇士自身もまた、ヒトの限界を超えて自らを鍛え上げた。


 歴史上明らかに最強となった勇者ブレイブ、『最後の勇者ラストブレイブ』は、しかし……帰ってきた魔王サタンに敗れた。

 聖剣は折れ、聖なる盾は割れ、聖なる鎧は砕け散った。

 とっくの昔に、勇者ブレイブの強さも魔王サタンの強さも、そんなアイテムを遥かに超える域に達していた。

 『最後の魔王ラストサタン』の脅威と『最後の勇者ラストブレイブ』の危機を前に、神々は神々の掟ルールを破って人界への直接介入を果たし……勇者ブレイブを救い出し、勇者ブレイブを移動させ、勇者ブレイブの傷を癒した。

 禁忌の代償は、神々の存在そのもの。

 もはやこの世には、人を救う神は残っていない……その祝福ブレスを一身に宿した勇者ブレイブひとり残されているだけだ。


 ★


 建物が全て吹き飛び、ただ浮遊する岩場と化した真・魔王城第三形態の残骸の上で、魔王サタン勇者ブレイブの戦いはなおも続いていた。

 攻撃の余波で山が吹き飛ぶ。湖が蒸発する。

 やってること自体は単純だ……ただ殴る、蹴る。魔王サタンもいつしか多彩な特性を持つ触手を使わなくなっていた。

 世界最高の聖剣すら耐えきれずに折れ飛ぶ次元の戦いである。どんな剣よりも鋭い拳、どんな鎧よりも硬い身体で戦うしかない。


 世界と世界の狭間で、永遠の迷子になりながらも、時空間を辿って帰ってきた『最後の魔王ラストサタン』シロキ。

 全ての仲間を失い、守護する神々の存在すら失いながら、全てを背負って立つ『最後の勇者ラストブレイブ』アキネス。

 戦い始めてから、幾度太陽が巡ったのか。時間の感覚すらも失せて久しい。


「なあ……そろそろ打ち止めだろ、シロキ」

「貴女もそうでしょう、アキネス」


 残された命のストックは少ない。もはや人も魔も死に絶えた。もう次の魔王サタン勇者ブレイブも出ることはないだろう。

 どちらの陣営も頑張り過ぎた。どちらの陣営もすべてを注ぎ込まざるを得なかった。それだけの恨みと憎しみがあった。

 放逐された魔王サタンが帰ってこなければ、あるいは。

 勇者ブレイブが倒れた時に再び立ち上がらなければ、あるいは。

 いずれももう言っても意味のないことである。互いにそんなことは分かっている。

 勇者ブレイブは仲間を、故郷を、全て魔王サタンに滅ぼし尽くされた。

 魔王サタンは我が子を、部下たちを、勇者ブレイブに殺され続けた。

 とっくにやめるタイミングなど、逸している。


「ただひとつ、分からねぇんだ……」

「何が、かしら」


 互いに残されたものはあとわずか。最後に勇者ブレイブは、ふらつく足のまま問いかける。


「お前、あそこからどうやって帰ってきたんだ。どんな手品を使いやがったんだ。それだけが分からねェ」

「あら、そんなことも分からないの?」


 ボロボロのドレス姿で、魔王サタンは律儀に最後の問いに答えた。


の気配を辿ったに決まっているじゃない」

「へっ」


 そうして、無様な酒場のケンカの最後のように、2つの究極の力は交差した。









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