第2話 たとえこの身が燃え尽きようとも

少女がまだ十にも満たない歳だった。


彼女は掃きだめのような街で産まれ育った。


物心ついた頃には両親はいなかった。


彼女を拾い育てた『親』は満足な食事すら与えず、苛立つことがあれば景気づけに彼女を殴りつけた。


『親』に言われた通りに盗みを働こうが褒められることはなく、それが当然だというように盗品を奪い取り少女にはなにも与えず。


なにかヘマをやらかせば『親』の知己に甚振られ、あるいは慰み者にされ。


初めは、自分でもこの環境は異常だと思っていた。


だが、慣れというものは恐ろしい。


苦痛に思っていた行為も、繰り返すうちに、『耐えられる』ように心は閉ざされ、脳髄も思考を停止し。

最低限、生きるための食事と『親』の命令に従う以外はなにもできない存在になっていた。


そんな彼女にも手を差し伸べる者がいた。


少女がとある金持ちの家に盗みに入った夜。

少女が持ち帰ってきた金額が思ったよりも少なかったことに腹を立てた『親』は少女の髪を引っ張りながら大勢の知己の前に投げ出した。

『金すらロクに稼げないならせめてそいつらを満足させな』。

『親』のその言葉にも、群がるたくましい腕に剥がされる衣にも、少女は別段と絶望を感じることはなかった。

たまに相手にする棒が一本から十本に変わるだけ。にじり寄るソレも、少女にとってはそんな程度のものだった。


「あの、もし。私の家からお金を盗んだのはそちらの方ですか?」


彼女たちに、出会うまでは。







プッ。


短いクラクションに反応し、女はそちらへ首を向ける。


「ごきげんよう、ハルナ」

「婦長さん!」


運転席を開け車から降りてきた『婦長』と呼ばれた老婆は微笑みと共に一礼し、ハルナと呼ばれた少女は子犬のように駆け寄った。


「わざわざ迎えに来なくてもこっちから伺ったのに」

「ごめんなさい。いてもたってもいられなくて。早速だけど例の件...順調かしら」

「ええ。バッチリ!」


自信満々に胸を張るハルナだが、少し間を置き態度は一転。キョロキョロと辺りを見回し、婦長の耳元にそっと顔を寄せる。


「...誰かに見られるかもしれません。ひとまず車に乗りましょう」


婦長は小さく頷き運転席に座り、ハルナもまた助手席に乗り込んだ。


エンジン音を響かせ発進する車。

婦長は運転しながら、ハルナは先ほどまでとは打って変わって沈んだ面持ちで前方を見つめている。



「これ、候補の三人です」


ハルナがピラピラと揺らす三枚の写真。

一枚は学生の女子

一枚は厳つい顔の青年

一枚は微笑みを浮かべる爽やかな印象を受ける青年。


その三人を見た婦長は顔をしかめた。


「驚きましたよ。まさかお嬢が襲われた上に意識昏倒なんて...命に別状はなかったのは幸いだけど」

「ええ。...私が駆け付けた時には既に全てが終わっていました」


婦長は下唇を小さく嚙み、それを見たハルナは眉根を下げ目を逸らした。


「...この三人のお嬢様との接点は」

「アカネ...女の子はお嬢のクラスメイトです。成績がトップじゃないと気が済まないそうで、この前のテストでお嬢に順位を抜かれたとき、『あいつさえいなければ』って知り合いに愚痴ってたそうです。

この厳ついのはトドロキ。ここら一帯の不良の番を張ってる奴でしたが、お嬢をカツアゲしようとして返り討ちに。以降、不良たちからの求心力が減ってるようです。

最後のはハチヤ。まあ、端的に言えばナンパ野郎です。お嬢に言い寄って見事に玉砕...ってところです」

「どれもくだらない...そんな理由でお嬢様を襲うかしら」

「人間の動機なんてくだらないものから始まるのが常ですよ。くだらないものが積み重なって爆発し暴走する...ソイツが『事件』ってヤツなんですから」

「そういうもの、なのね」


信号が赤になり、婦長はブレーキをゆっくりと踏み車を止める。


「...ハルナ。この短期間でよくこれだけ情報を集められましたね」

「そりゃあ私だって事件の犯人を許せないから全力をだしたまでですよ」

「ええ。本当に助かるわ。恐らく侵入経路であるあの通路から、三人の指紋と足跡が見つかったのよ。歩幅からして女が一人に男が二人...あなたが挙げてくれた候補と見事に同じね」


端から聞けば褒めている婦長の言葉に、しかしハルナは引っ掛かりを感じる。

その正体がわからず、ハルナは率直に婦長に尋ねた。


「婦長さん?あたしの調査になんか気になることでもありましたか?」

「...いえ、特に」


信号が青に変わり、婦長はアクセルを踏み車を発進させる。


「...ハルナ。あなたにとってお嬢様は如何な存在ですか?」

「なんですいきなり」

「大事なことなんです。返答次第では、あなたを巻き込むことになりかねません」


ォ ォ ォ

エンジンの音がハルナの耳に静かに染み渡る。


「...お嬢は友達ですよ。あのクソみたいな環境で育ったあたしを救ってくれた恩人で、大切な友達です。お嬢を守るためならあたしはなんだってできます」

「それは本当ですか?」

「じゃなきゃあここまで婦長さんに協力しませんよ。例えこの先、またあたしの手が血に濡れることになっても、あたしは必ずお嬢を傷つけた奴にケジメ着けさせます」

「...そうですか。お嬢様が聞いたら、きっとお喜びになられますよ」

「いやあ、どうかなあ。お嬢のことだから、『そんなことしなくていいよ』って心底心配するかも」

「かもしれませんね」


お嬢は心配性だからな~、とぼやき腕を組むハルナ。

それを婦長は横目で見ながら口を開く。



「最後にもう一度聞きます。あなたは私の仇討に命を賭ける覚悟はございますか?」

「構わない。あの子の為なら地獄も怖くないよ」

「それを聞いて安心しました」


婦長の頬が微かに緩む。


「これで心置きなくあなたをあの世に送れます」


そして、ハルナの首元に冷たい感触が押し当てられた。


「...婦長さん、コレ、なんの冗談?」


ハルナは問う。この首に押し当てられたナイフの真意を。


「ええ、冗談ですよ。あの三人の侵入口は、普通に探しては見つからない場所です。

そんな道をあの三人が知っていたのは、お嬢様の友人であるあなたの手引きがあったからなどと、そのようなことがあるはずがございませんもの。

だからこれはちょっとした冗談です。下手な言い訳をすればこのまま首を突きますし、妙な動きをしてもやはり突きます。このままだんまりでも突きます。

そんな冗談で人が死ぬのなんて世界的に見れば日常茶飯事ですからねえ」


バックミラー越しにハルナと婦長の視線がかちあい、ハルナは確信する。

婦長の言葉は決して嘘でも脅しでもない。確実に、自分を刺すつもりでいる。

ゴクリ、と唾を飲み込みハルナは口を開いた。


「婦長さん。それを言うならあなたも容疑者でしょ。調べた時から薄々おかしいと思ってた。あの通路はあたしと婦長とお嬢くらいしか知らないし、そもそもあの三人が侵入したのにあんたが気づくまでに時間がかかりすぎてる。

あたしからしてみれば、お嬢の財産目当てにあいつらを侵入させたのは婦長さんで、その罪をあたしに押し付けようとしてるようにしか思えないんだけど」

「私を疑いますか。まあそういう考えもあるにはありますがね」

「...婦長さん。一旦、どこかに降りてアタマ冷やそうよ。これからあいつらをツルすのに、あたしらがいがみ合ってどうすんのさ」

「ごもっともですね」


婦長の手に握られたナイフにグッ、と力が込められる。

ナイフの刃先がハルカの首に微かに食い込むと同時、婦長はゆっくりとブレーキペダルを踏みこむ。

赤信号。

乗っているのが車である以上、これに逆らうことはできない。


「ねえ、ここの信号さ、青に変わるまで1分くらいあるんだ」


首筋に刺さりかけるナイフにも動じず、ハルナは言った。


「やっぱ話し合いはここで済まそう」


それが合図だった。

首に食い込みかけたナイフは、下からの衝撃で弾かれ、微かにハルカの皮膚を切り裂く程度に収まる。

ハルナが組んでいた腕の隙間から指で弾いたパチンコ玉、婦長のナイフを狂わせたのだ。


婦長は咄嗟にサイドブレーキを入れ、ナイフを掌から落とし改めて拳を握りしめる。

ハルナもそれに対応し、拳を握りしめ突き出した。


衝突する婦長とハルナの拳。

ミシミシと互いの骨が軋む。

微かに仰け反った婦長の隙をつき、ハルナは下半身を振り上げヘッドレストを足で掴み、身体を捩じらせヘッドレストを婦長に放つ。


顔面に迫るヘッドレストを首を傾け躱す婦長にハルナは追撃の拳を放った。


手ごたえを確信するハルナ。しかし、その拳に婦長を砕いた感触はない。

腕だ。ハルカの伸ばした腕の上に、婦長は屈みながらつま先で立っていた。


眼前の光景にハルナは驚き、婦長はその微かな隙をつき右の裏拳を放った。


ミシリ。


ハルナの鼻を中心に顔は潰れ、後部座席にまで血は飛び散り、婦長の拳はドロリとした赤い液体に塗れた。

ピクピクと痙攣するハルナを見下ろし、婦長はポツリと呟いた。


「...残念ですよ、本当に。あなたはずっとお嬢様の友達でいてくれると思っていたのに」


信号は青に変わり、婦長はサイドブレーキを外し車を発進させた。


薄れゆく意識の中、ハルナは婦長のつぶやきを脳内で反芻する。


『お嬢は友達ですよ。あのクソみたいな環境で育ったあたしを救ってくれた恩人で、大切な友達です。お嬢を守るためならあたしはなんだってできます』


その言葉に嘘偽りはない。

ハルナにとってのお嬢は自分を救い出してくれた恩人であり、かけがえのない友達であり、なにをおいても守りたい存在だった。

けれど、いつだってハルナの瞼に焼き付いているのは一人の女だった。


ハルナがお嬢と出会ったあの日。腕の立つ暴漢たちに囲まれていたあの日。

お嬢の頼みで自分と暴漢たちの間に降り立った一人の老兵。

その凛とした背中が、百の暴漢相手に怪我ひとつ負うことなく、負わせることなく制圧し敵対者の心を折ってみせた圧倒的な『暴』。


ハルナはその力に魅入られていた。

自分もあのようになれたら。あんなふうに力を振るえたら。あの力に勝利することができたら!


お嬢との日々がかけがえのないものだったのは事実。しかし、あの圧倒的な力を焦がれていたのも事実。

時間は有限だ。焦がれた女は寿命が近く、かといって、自分がただ正面から挑んでも彼女の本気はぶつけてもらうことはできなかっただろう。

ハルナは考えた。どうすれば老兵は自分に本気で向き合ってくれるのか。


その結果がコレだ。


他者を利用し、大切な者たちを裏切り、為す術もなく敗北する。

なんともまあ惨めで滑稽な有様だと自嘲する。


(でも...あたしはこれでよかったんだ。本気を見せてくれてありがとう、婦長。ごめんね、お嬢)


関わった愛しき者たちに感謝と謝罪を述べて。

ハルナの意識は静かに落ちていった。





数日後。


婦長が主の部屋を開けると、長らくベッドで眠っていたはずの主が目を覚まし虚空を見つめていた。


「お嬢様!」


歓喜のあまり婦長は駆け出し、主へと抱きつく。


「ばぁば...心配、かけたみたいだね。ごめんね」

「謝るのは私の方です。私がふがいないばかりに!」


泣きつく婦長の頭を撫でながら、主は老婆を愛おし気に見つめる。

婦長が泣き止む頃合いで、彼女は口を開いた。


「...夢を見たの」

「夢?」

「ハルちゃんの夢」


主は、婦長の頬をそっと撫でながら話を続ける。


「ハルちゃんがね、動けない私の顔をこうやって撫でながら、悲しそうな顔で言ったの。『裏切ってごめん。傷つけてごめん。あたしはもうお嬢の傍にはいられない』って。

私にはなんのことかわからなかった。なにを言えばいいかわからなかった。でも、ハルちゃんが背中を向けた時に、ようやく私が言いたいことがわかったの。

なにを裏切ったとか関係ない。どれだけ傷つけたって仲直りはできるんだよ。ハルちゃんはずっと私の友達だって。でも、そう言った時には、ハルちゃんはもう...」


婦長の頬を撫でていた主の手は止まり、代わりにプルプルと震えだした。


「ばぁば...ハルちゃん、また会えるよね?このままずっとお別れだなんて、わたし嫌だよ...!」


婦長に代わり、今度は主が泣き出し、再び部屋の中は泣き声で満たされる。

困ったような笑みを浮かべながら、今度は、婦長が泣きわめく主をなだめるのだった。


「大丈夫ですよ。あの子は必ず帰ってきます。なにを裏切ったかは知りませんが、もっと大きくなって、色んな経験を積んで、自分で自分を許せるようになったら、必ずここに戻ってきます」


だから、と言葉を切り、婦長は主を励ますように微笑みを向けた。


「あの子が帰ってきた時に『お嬢の泣き虫は変わってないなー』なんて馬鹿にされないように、お嬢様も頑張らないと!」

「うん...うん、そうだね。私、頑張る。もう泣くのはおしまい!」

「その意気です。ファイトでございます!」

「ファイトー!オー!」


元気を取り戻した主に食事を用意します、と軽く会釈をし、婦長は部屋を離れる。


(血は争えないというか...ますますあなたに似てきましたね、先代様)


かつて生きた人形だったころを思い出す。

当時の『お嬢様』も、いまの主のように、純粋で誰にもわけへだてなく優しかった。

それこそ、見ているこちらから危険だと思えるほどに。

その予感は当たってしまった。

彼女は、その優しさに付け込まれ、数多の人間に騙され多くのものを奪われた。


優しさも度が過ぎれば破滅してしまう。故に、誰かが調整しなければならない。

その為に彼女は力を手に入れた。己の生を、如何な害にも負けぬ為の鍛錬を積んだ。

例えその手を赤く染めても。振り返れば数多の屍が重なっていたとしても。

あの優しさを守りたい。己が憧れたあの光を守りたい。

それが『婦長』の生きるすべてだった。


(私はなにを敵に回してでも、誰を排除しようとも、お嬢様に尽くします。この命が消えるその時まで)


そして、婦長はその赤く染まった手を隠しながら、今まで通りに家事に励むのだった。



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