音楽の方向オンチ

 カオルはいわゆる女優ライトの施された洗面台で笑顔の練習をする。ノーメイクなので眼の下の隈が目立つ。ひどい顔を見て目線を下ろす。排水口には抜け毛が詰まっている。

 カオルはクルミとアイドルユニットとして活動している。ユニット名はツインK。テレビにはおろか雑誌にすら取り沙汰されたことのないアングラアイドルだ。ファンも少なくて専属で推してくれているファンはいない。

 カオルは洗面台を掃除した。なんとなく惨めになって涙をこぼす。



 カオルは幼い頃にピアノを習っていた。クルミと会う前は友人を集めてバンドを組んでいた。担当はキーボード。セッションが面白くて時間を忘れて取り組んだこともあった。しかし、時間が立つに連れてメンバーが一人、また一人と抜けてついにはボーカルとカオルだけになってしまった。 その折にカオルとクルミはライブイベントで知り合った。ボーカルとキーボードだけではバンドとは言えず、バンドメンバーを探していた時のことだ。

 クルミは幼少の頃、たまたまインターネットニュースになっていた弾き語りのシンガーソングライターを見て、自分の将来はこれをやる人間になる、と思ったらしくその頃からずっとギターを練習していたらしい。ある程度メジャーなポップソングであれば弾き語りができるほどの技術があった。音楽が好きなクルミには足繁くライブイベントや路上ライブなどを回る習慣があったのだ。

 出会ってすぐに、近くのスタジオを借りて音合わせをした。カオルとクルミはセッションを通してお互いにお互いが必要な存在である、と静かに閃いた。

 しばらくスリーピースバンドとして活動していたが、もとからカオルと組んでいたボーカルも、バンドのための時間が徐々に取れなくなり、連絡が付きづらくなり、フェードアウトしてしまった。

 二人残ったカオルとクルミはキーボードとギターのツーピースでバンドを続けた。歌についてはクルミの弾き語りだけでは厚みが足りなかったので、二人で歌うようになった。 ある時、カオルはいつものように路上ライブをしようと準備していると、クルミが何やらもじもじとボストンバッグをいじっていた。 カオルがどうかしたのかと尋ねると、ボストンバッグを開いて派手な衣装を取り出した。

「これ着てやらない?」

 ニチアサアニメキャラクターの着ているようなドレスだった。ドレスと言うにはお粗末かもしれない。ジョークグッズとして百貨店で売られているようなものだ。カオルは珍しく悪ノリして着替えた。

 路上ライブは大盛況だった。特に盛り上がったのはこの日のために作ったオリジナルソング「灰色の気持ち」だ。カオルの作った歌だった。ハイテンポでノリやすい音楽は抜群にハマった。徐々にすり減る、夢を追う仲間への思いを上手く歌にできたと、カオルは思っていた。

 ライブの後に複数の自称プロデューサーから名刺をもらった。

 有頂天になり、大した吟味もせずに一番条件のいいプロデューサーと契約した。

「音楽だけで生活できます」

 その一言が決め手だった。

 それからカオルとクルミの関係は狂い始めた。

 カオルとクルミは自分たちで演奏をしなくなった。

 デジタルに作られた音楽を歌い、扇情的かつ挑発的なダンスを練習した。

 最初は新しいアイドルとして、歌も悪くないので関連グッズの売れ行きはよかった。

 しかし、目新しさがなくなると、途端に売れなくなった。

 アイドル活動のために投資した金額は馬鹿にならない。プロデューサーに対して自身を担保にした借金は徐々に膨れ上がっていった。

 カオルは無感情に貼り付けた笑顔の仮面でファンと交流を繰り返す。時にはクルミと過剰に絡む。いわゆる百合営業である。

 それもこれも売れるため。

 いつしか魂は音楽から金に乗り換えてしまっていた。



 夢で食ってはいけないものだ。湿気た薄い布団で寝息を立てるクルミを見やる。

 クルミは完全にアイドルとして成功する輝かしい人生を夢見てしまっている。

 大切にしていたキーボードとギターは売り払ってしまい、数段ランクの劣る楽器、とは呼べないようなものをあてがわれた。

 当時の夢はハリボテに成り果てた。

 カオルはもう一度、鏡を見て笑顔を作る。自分がやりたかったのはこういうことだったのだろうか。一瞬で表情は曇る。

 カオルは衝動的にゴミ同然のキーボードを引っ張り出して、キーを叩く。電源につながっていない電子楽器は音が出ない。それでもいい、とカオルは歌い出した。 灰色の気持ち、狂い始めたその日に歌った歌だった。

 突然の歌声にクルミは目を覚ましてカオルの事を見る。

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら音の鳴らないキーボードを叩き歌うカオル。

 のっそりと起き上がったクルミは、ギターをケースから出した。弦も錆びたチューニングの合わないギター。アンプにもつながっていないギターは虚しく空気を混ぜるだけだが、クルミは確かにコードをかき鳴らし始めた。もちろん音は響かない。 ほぼアカペラの二人の歌に、隣人が壁を打ち鳴らしてきた。

 一瞬怯むも、感情の溢れたカオルは歌い続ける。サビになる頃にはもう嘘のではない笑顔が見え始める。クルミもなんとなく、寂しそうに笑っている。

 その日に、ツインKは解散した。

 曇天に雨の落ちる夏のことだった。

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安藤もゆり掌編集「つながり」 安藤もゆり @AndoMoyuri

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