21 車内の会話にも色々ある
金曜日。帰りのバスを待っている
「こんにちは」
彼は少しだけ、視線を下に落とす。そこにはこちらを見ずに、携帯を弄っている
「……こんにちは」
挨拶し返すが、彼女の視線は画面に向いたままだ。声をかけてくれたのは嬉しいが、それ以降が無反応だと、どうすればいいか分からなくなってしまう。
何か話題はないものか、と渡は必死に頭を捻る。そして思いつく。
「俺この後、図書館で勉強する予定なんだけど、よかったら一緒に行かないか?」
…………………………………………。
無視された。だが考えてみれば、おかしな提案だった。1年生と2年生では、学習内容が全く違う。それなのにテスト勉強に誘う方が変だ。
刻世が無視するのも仕方ない、と思ったのだが。
「ごめんなさい。今日はバイトがあるので」
返事が来た。反応があったことに彼はちょっぴり嬉しくなる。
「そっか。それじゃ駄目だな。――この間もバイトだったみたいだけど、忙しいの?」
「3つ掛け持ちしているので。でも働いた分だけ結果はありますから。苦にはならないです」
そこでようやく、刻世は携帯を鞄にしまって、渡の方を向いた。
「ごめんなさい。店長から連絡が入っていたので。失礼なことをしてしまいました」
「ううん。大丈夫だよ」
何だ、そういうことか。てっきり、本当は愛想のない冷たい子なのかと勘繰ってしまった。やっぱり彼女はいい子だ。渡はなんだかほっこりする。
やがてバスが到着し、2人は並んで席に座る。全ての生徒が乗車すると、すぐに発車した。一緒にいるのはいいものの、やはり会話がない。また渡が、うんうん唸りながら話題を探す。
「
まず思いついたのは、それくらいだった。そんなに答え辛いことではないだろうし、話も膨らませやすいかもしれない。
「喫茶店とファミレス、それにコンビニです」
「やっぱりそんなに働いていると大変なのかな」
「ええ。でもこれが、今のわたしの生活ですから」
随分忙しそうなのに、疲れているような素振りは一切見せない。体力があるのか、弱っている姿を見せまいとしているのか。どっちにしろ、非常に強い子だ。
だが、バイトの経験のない渡には疑問に思うこともある。
「どうしてそんなにバイトを? 俺のクラスにもしてる人いるけどさ、みんな1つくらいだよ」
そんな質問をすると、刻世は黙ってしまった。嫌な話題だったのだろうか。
頭の中で飾の声が響く。
『何だか訳あり顔だね』
「ごめん。答えたくなかったら、答えなくてもいいけど……」
慌てて謝罪する渡。俯いてた刻世は顔を起こして、
「いえ。平気です。わたし1人暮らしなんです、今。だから家賃とか光熱費とか、全部自分で払わなくちゃいけなくて……」
なるほど。そういう理由があったのか。毎日のやりくりは、バイトの掛け持ち以上に大変だろう。
だが、そういうことならば国から保険が下りたりするのでは? 学生の1人暮らしに対しての支援なら、何かあった気がする。でもこれ以上踏み込むのは失礼のような気がした。
しばらく会話のないまま、重い空気が2人の間に流れていた。
バスに揺られて十分くらい。
『次は、
車内アナウンスに反応した刻世は、停車ボタンを押す。
「それじゃあ、わたしは次のバス停なので」
「うん。また来週な」
「さようなら」
バス停に着くと、刻世を含めた何人かが降りて行く。
渡が降りるのは、もう3つ先だ。
図書館からの帰り道。この日は再び公共交通機関を利用することはなく、母の車の助手席に乗り、一緒に帰宅した。
「今日も来なかったね、あの子」
「大学の方だって忙しいだろ。毎日毎日、来られる訳じゃない」
信号待ちの際、
「渡くん。最近身の回りで変なことが起きていたりしない?」
車が発進してからも、会話は続く。
「別に…………何もないけど」
これも嘘に当たる。だが自分が魔法使いの転生者で、前世の姿になって人知れず戦っている、なんて言ったところで信じてもらえないだろう。「高2にもなって何言ってるの」と返されるのも嫌だった。
ふと隣に目を向けると、詩穂は深刻そうな表情を浮かべていた。夕日が車内に入ってきて影っているせいもあるかもしれないが、それでも暗い顔だった。
何かあったのだろうか。渡は心配になる。
「秀弘さん、なかなか職場のことは話してくれないじゃない。まぁ、生徒の個人情報なんかもあるし、分かるよ。でもさ……あの人の大学で、変な噂があるんだよね」
「俺は何も聞いてないけど」
「うん。あんまり公にはされていない。今後の学校の評判にも関わるし。でもあの人のこと見てたら、そうとう危うい事態なんだってのが分かる」
「どうかしたのか、南条大学」
一度深く息を吸って、吐いて、ハンドルを握る手に力を籠めてから、母は語った。
「ここ1ヶ月の間に、何人か行方不明者が出ているみたいなの」
渡は絶句した。行方不明? まさか、先輩に会えないのは…………。
そんな渡の心を読んだのか、詩穂は「安心して」と言う。
「彼女は来ているみたいだから。それとなく訊いてみたら、教えてくれた。でも多分、変なことが起きているから不必要な外出は控えているんじゃないかな」
そうか、と彼は納得した。先輩がなかなか姿を現さないのは、その事件のせいだったのか。
まさか、行方不明事件というのは、災禍の化身の仕業ではないか? そんな妄想が頭を過る。それに気づいて、飾がそっと答えた。
『その可能性は低いかな。そもそも災禍の化身は、災害が姿形を得たモノ。人知れずに動くことはまずない。もっと私たちが気づけるような現象が起こっているはず』
「(そうか。それなら、俺らの出番はないのかな)」
もうすぐ家に着く。交差点に入るため、少しだけ車の速度が緩んだ。正面には、真っ赤に沈みゆく夕日。それはまるで、渡の不安をあざ笑うかのように、煌々と燃えていた。
時と場所を移し、23時、刻世の部屋にて。彼女は部屋の隅で膝を抱えて座り、嗚咽を上げていた。かれこれ4時間はこの体勢のままだった。
『刻世……。いい加減に顔を上げたら?』
「黙ってて。話しかけないで」
『先生に言われたことが辛いのは分かる。でも……』
「そうやって、わたしのことを見透かしたように言わないで!! これまでの努力を全て否定されて、泣くなって言う方が無理だよ。独りぼっちになってから、この2年間、私がどれだけ苦労したか、半年前に出会ったあなたには分かるはずないよ!」
部屋に響くソプラノの悲鳴。誰かが傍にいる訳でもないのに、刻世は手に取ったものを四方八方へ放り投げていく。空を切り、落下するさまざまな私物。割れるガラスのコップ。ひびが入る写真盾、折れ曲がるハンガー、濡れたままのシャツ。
それだけやっても、刻世の心は落ち着くことがなかった。
『今日はもう寝よう。明日もバイトがあるだろう?』
「もう無駄なんだよ、そんなもの。行かなくたっていいよ」
『まだそうと決まった訳じゃないだろ! 希望を捨てるなよ!』
チッという舌打ち。それと同時に、刻世は壁に拳を叩き付けた。
「わたしだって………………捨てたくないよ」
喉の奥から絞り出された涙は、真っ黒に輝く光だった。
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