22 水から出し災厄

 事件は翌日、土曜日に起こった。


わたる! ここから北西に2.2キロ! そこに強大な気配がある!』


 自室でぼんやりと漫画を読んで過ごしていた渡は、脳内に響いたかざりの声でハッとした。彼女に言われて急いで近辺の地図を机から探し出す。以前地理の学習でもらった資料が役に立った。


「北西――海だ。海水浴場!」


 自分の家の大まかな位置から、指で辿っていく。そこは夏の盛りには大勢の人でごった返す、ビーチだった。だがまだ今は6月中旬。海開きまでは、まだ1月と少しはある。


「災禍の化身、すか?」


『おそらくね。ここまででかい気配となると……かなりの強敵だぞ』


「大丈夫です。早く行きましょう!」


 渡は部屋を飛び出し、急いで車庫の鍵を開け、自転車を引っ張り出す。ここから現場までは、自転車で飛ばせば、10分くらいで着けるだろう。


 サドルに跨ると、家の小窓から詩穂しほが顔を出して訊ねてきた。


「渡くん~。お出かけ?」


「ああ! すぐに戻る!」


 それだけ言うと、ペダルを回し、道を走る。ギアを調節して早々に最高速度につける。5分も漕げば磯の香りがしてきた。現場までもうすぐだ。


 坂道を下る途中で、渡は何者かの気配を背後に感じた。横目で見るとそこには、自分と同じように自転車に跨った少女がいる。スポーツキャップを目深に被っているので顔が見えづらいが、おそらく――。


朽木くちきさん?」


風科かざしな先輩。やっぱり、こっちに魔力反応、ありますよね」


 刻世ときよだった。2人は並走しながら、海水浴場を目指す。人の声は聞こえない、聞こえるのはウミネコの鳴き声ばかりだ。


 現場と思われる海水浴場に着いた2人は自転車を停め、辺りを探す。人影は見えない。災禍の化身の姿もだ。今さっき何者かがいたような気配もなければ、足場が荒れている様子もない。


「ここじゃないのか――?」


『いいや。この辺だよ。気配を強く感じる…………』


 飾はそう言うが、渡にはさっぱりだった。渡と刻世は海水浴場を離れ、海岸線に沿って創作の範囲を広げていく。岩場に辿り着いたが、足場が悪くて先へ進むのが難しい。迂回しようかと思って、引き返そうとする渡。そんな彼の腕を刻世が掴んだ。


「どうしたの――」


「ッ!」


 唇の前に人差し指を立てて、静かにするよう指示される。


「……何か聞こえた。多分悲鳴」


 なぜ引き留めたのかを教えてくれる刻世。渡には聞こえなかったが、彼女の耳は何かを捉えたようだ。


「この岩場の向こうです! 行きましょう!」


 彼女の指示で岩場を迂回して、この先へ急ぐことに。初めは通り易そうだと思った道も、すぐにごつごつした足場になっていく。渡はふと、立ち入り禁止の看板が倒れているのを見つけた。


「この先、行ってもいいのか?」


「駄目かもしれないけど、入らない訳にはいかないでしょう」


 刻世に手を引かれてさらに進むと、そこには陰惨な光景が広がっていた。おそらく立ち入り禁止区域に悪ふざけで足を踏み入れたのだろう。いかにも遊んでいそうな男たちの姿があった。人数は4人。それぞれのリュックサックがその辺に投げ出されている。持って逃げる暇もなかったようだ。


「酷い……こんなのアリかよ」


 1人は巨大なナイフで引き裂かれたような傷を腹につけ、もう1人はプレス機に押し入れられたようにぺちゃんこにされて内臓も飛び出ている。あとの2人はたった今、泡で融かされている最中だった。


 誰も生きている者はいなかった。


 生物は只1つ。4人を襲った、赤い甲羅の巨大蟹だ。タカアシガニを巨大化したような外見で、身体同様巨大な鋏で泡の中を探っている。


『あれは甲骨蟹コウコツガニ。水の力を持つ災禍の化身だ』


 頭の中に飾の解説が響く。


「まさか……人を溶かして食ってるのか?」


『ああ。奴の好物は骨。あの泡に触れると肉はたちまち融けて、骨だけが残る。奴はそれを食べているんだ』


 渡は思わず吐きそうになった。なぜあんな化け物に殺されなければならないのだ。被害者4人がどんな気持ちで死んでいったのか、想像するだけで嫌な気分になる。


 彼の心の内を読んだように、刻世が発言した。


「立ち入り禁止って書いてあったのに――。決まりを守らないでこんな所に来ちゃうから……」


 それは彼らを憐れんでの言葉なのか、それとも蔑んでのものなのか。だが確かに彼女の瞳には、怒りの感情が宿っていた。

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