18 刻世が目覚めたきっかけ
昼休み。移動教室から戻って来た
「
父・
今日の弁当は、白ごはんに冷凍食品ばかりのおかず。一緒に、小袋のふりかけも入っていた。
「そうだ」
母のことを考えていた渡は、あることを思いつく。
「今日の帰り、図書館寄って行こうかな」
もう6月の半ば。再来週には、前期中間試験が控えている。この時期になると彼は、よく図書館へ行って試験勉強をしている。それに、あそこに行けば、きっとあの人にも会える。あの人と過ごす時間が、渡にとって数少ない楽しみだった。
色々妄想に浸っていた、その瞬間。
「
教室の入り口から、そよ風のような声が聞こえた。
「風科くん。呼んでるよ」
扉の近くにいた女子が、改めて呼んでくれる。渡は慌てて弁当箱を片づけ、自分を呼んだ主の所へ向かった。
「どうかしたの、
ややうつむき気味な刻世が、何かを差し出してくる。それは、風呂敷に包まれた弁当箱だった。上目使いで彼女は、
「良かったら、一緒に食べませんか。お昼」
そう言われ渡は、自分の弁当を取ってくると、彼女に案内されるがままに、ついて行った。
遥か後方から冷やかしの声が聞こえた気がするが、無視だ。
刻世に連れて来られたのは、体育館や挌技場への連絡通路だった。廊下に置いてある体操部のマットに腰かけた彼女は、自分の膝の上で風呂敷をほどいていく。
こんな所で食べてもいいのかな? と少し不安に思いつつ、渡は彼女の隣に座り、同じように弁当箱を開く。
「風科先輩と、お話がしたくて」
やはり、どこか保護欲をそそるような声色だ。憧れの女性がいる渡であるが、僅かに心を揺さぶられる。
「でもどうして。話なら、あのチャットルームみたいな奴でやってもいいじゃないか」
それが少し疑問に思えた。確かに、学校で通信魔法を使って意識を失ってしまったら、問題になるかもしれない。だが放課後、帰宅後に用いれば、それでも大丈夫なはずだ。わざわざこんな所に呼び出す必要はない。
けれど刻世はここを選んだ。彼女はさっきから、渡の方を見ない。照れているのか、目を合わせたくないのか、分からない態度だ。
僅かに彼女へ疑いの心を向けていたが、それも一瞬で吹っ飛んだ。
「それは……風科先輩と、直接お話ししたかったから……」
顔面を殴られたような気がした。何だろう、この気分は。異性にこんな仕草をされると、こんなにも心にくるものなのか。渡はさっきから自分の心臓が早くなっているのに気づいていた。動悸が上がっている。顔が真っ赤に染まるのも分かる。年上好きだったはずなのに、何だろう。
もう、「何だろう」しか言葉が思い浮かばない。
違う。これは浮気ではない。渡は繰り返し、己に言い聞かせる。俺は先輩が好きなんだ。こんな、ぽっと出の後輩なんて――。
とは思えなかった。どうも調子を狂わされてしまう。
「……それで、俺と話したいことって?」
とりあえずはまず、話の主導権を握ることだ。彼女のペースに飲まれてはいけない。
自分から色々切り出していこう。そう決意した。
「風科先輩って、いつ魔法使いに覚醒したんですか?」
「……………………………………………………………」
いきなり、重たい話題に入ってしまった。だが、これはこれで、よかったのかもしれない。あまり刻世の仕草ばかり見ていては、変な気持ちが芽生えかねなかった。
そうだ。まずはそこからだ。自分たちは、ただの先輩後輩の間柄な訳ではない。
魔法使いの転生者。そんな、世間から浮いた不思議な立場にいるのだ。
「俺は、つい半月前だ」
「半月前――――まさか、西緩百貨店倒壊事件が、きっかけじゃないですよね」
図星を突かれ、息を飲む渡。
「その通りだよ……」
それを聞いた刻世は、何かに納得したような表情を浮かべた。
「やっぱり。それじゃあ、あれも――」しばし口ごもってから「わたしは、もっとずっと、長い間。独りで戦っていました」
「朽木さんは、いつ目覚めたの?」
帰って来た答えは、想像を絶するものだった。
「半年前です」
今度こそ、渡は言葉を失う。
半年前。言葉でいうのは簡単だ。これだけあっさりと言い切ってしまえば、つい最近のようにも思える。だがそうではない。つまり刻世は、まだ中学生だった時から。受験やら何やらで忙しい時期に、あんな過酷な戦いの中に放り込まれたというのか。
「丁度、年明けくらいです。ほら、凄い大雪で、道路や鉄道がたくさん麻痺した日があったじゃないですか」
「そう言えば、あったような……」
苦いものを無理に飲み込んで、さらにそれを吐き出すように、刻世の顔は歪んでいく。
「わたしその日、バイトで。夜遅くに帰路についたんですが、途中で事故にあったんです」
「えっ。大丈夫だったの?」
「はい。車4台が巻き込まれた、玉突き事故でした。わたし、その内の2台の間で押しつぶされたんです」
思わず、渡は弁当を地面に落としていた。だが彼はそれに気が付かない。刻世が何でもないように語るそれは、気易く言えるようなものではなかった。
絶句しながらも、渡は必死に記憶を辿る。たしかに、今年の冬は車の事故が多発していた。だがそれに、女の子が巻き込まれたなんて話は聞いていない。
「どうして、話題になっていないんだ? そんな事故があったなら」
「話題にはなっていましたよ。ただ、その中にわたしが登場していないだけです」
刻世は渡を睨みつけるようにして続ける。
「あなたと同じですよ。今回の倒壊事件でも、あなたの存在は話題になっていない」
その通りだった。ニュースで取り上げられた生存者は、
「事故の原因は、吹雪による視界の不明瞭。それで車も、わたしも、互いの存在に気が付かずに、事態は起こってしまった。そこでわたしの身体はぐちゃぐちゃになって、わたしは死んでいるはずだった」
でもどうして、ここに五体満足で存在しているのか。似たことを経た渡になら理解できる。
「魔法使いとしての前世の人格が覚醒し、肉体を直した……」
「はい。前世の姿になるとき、わたしたちの肉体は筋肉、骨格など、根本から作り替えられます。同様に、彼らの魔法は、わたしたち転生者の肉体の再構築や変形ができる」
「だから怪我もなかったことにできた……」
飾と初めて出会った、闇の海のような空間を思い出す。自分が水中へ沈み、居なくなってしまうような、恐ろしい感覚。けれど、彼はそのお蔭で助かったのだ。転生者でなければ、今頃ここにはいない。瓦礫の中に閉じ込められて、意識も戻らなかったはずだ。
改めて、飾に感謝した。
「俺たちって、どうすればいいんだろうな」
魔法使いの器として、肉体を提供する。それ以外に何かできることは?
飾は「それだけでいい」と言うが、本当に役に立っているのか、自信を持てずにいる渡。
だが、そんな彼に刻世は、
「何もしなくていいんじゃないですか」
そう吐き捨てた。
「何でだよ! そんな簡単に……」
「強いのはわたしたち転生者ではありません。力を持っているのは、魔法使いたちだけ……。わたしたちにできるのは、彼らが災禍の化身と闘うための身体になること。それ以上を望んではいけない」
彼女の瞳は、まるで何かを知っているかのような、怪しい光を宿していた。それが何なのかは、渡には分からない。けれど刻世には何か裏がある。そう直感が告げるのだった。
いつの間にか中身を全て平らげられていた弁当箱を片づけ、刻世は立ち上がる。そして渡の方には視線を向けず、何も言わず、立ち去って行った。
「可愛いのか可愛くないのか、はっきりしない奴だな……」
『
今まで空気を読んで黙っていたのか、急に現れる飾。彼はそんなこともう慣れっこだった。
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