11 両親の安堵
夜10時。自室にて、机に向かって学校の課題と格闘していた
『今、こっちへ来られるかい?』
「ああ。行けますよ」
目をつむり、意識を集中させる。深い海の奥へ奥へ、潜って行く感じ。
やがてあの喫茶店に辿り着いた。扉を開くと、ベルが鳴り、何なのか分からない花の香りが鼻孔を衝いた。
昼間ここに来た時と同じ場所に座って、飾はコーヒーを飲んでいた。
「良い人じゃないか。君のお母さん」
「歳の割に幼いっすけどね」
わざわざそんなことを言うために呼んだのだろうか?
だが飾の寂しそうな顔。まだ何かある。
「どうかしたんですか?」
「羨ましくなっただけさ。君が愛されている姿に」
「愛されてるって……そんなたいそうなことじゃ」
「十分なことだろう。さっきも言ったが、私は両親を知らないんだ。家族は姉と祖母だけだった。母に抱き締めてもらったことがないからね」
何だか申し訳ない気分になる渡。
あれも他人にはない運命の1つなのかもしれない。
彼女の隣に座り、気づけばテーブルに置かれていたカップに口つける。
「だがこれだけは忠告させてくれ」
重いトーンの声だった。
「君が私の転生者であり、魔法使いであることは、家族にも秘密だ」
「やっぱり、すか」
「優しい家族の光景を奪いかねないからね。決して私になろうとするな。他人の姿を演じちゃいけない。君のままでいればいい」
難しい話だった。誰かの代わりでありながら、自分を保ち続ける。渡は、自分は風科渡だと思っている。それ以外の何者でもない。
けれど飾に言わせれば、彼は風科渡であると同時に双葉椿飾でもある。前世だの現世だの、魂だの肉体だの、話が壮大過ぎた。
「私は君の力を借りたいと言った。けれどそれは災禍の化身と闘うためであって、決して君の存在を乗っ取りたいとか、そういう意味ではないんだ」
「分かってますよ。飾さんのこと、信用していますから」
「そう言ってもらえると、嬉しい」
照れ隠しなのか、椅子を回してそっぽを向き、再びコーヒーに口つける飾。
彼女の後姿を眺めていると、渡はどこかからか、自分を呼ぶ声を聞いた。
『渡くん~、降りておいで~』
母の声だ。階段の下から呼びかけているようだ。
「すみません。俺ちょっと行ってきます」
「ああ。いってらっしゃい」
慌てて店を飛び出す渡。部屋を出て階段を下りると、リビングには父がいた。
「お帰り、
「大変だったみたいだな、渡」
ジャンパーを脱いでから渡に歩み寄り、その頭に手を置く父。
一応、渡は身長170センチと少しあるのだが、それも小さく見える長身の父は、手も大きい。頭がバスケットボールのようにしっかりと鷲掴みにされてしまった。
「すみません。せっかく出張の道具買いに行ったのに、全部無駄になっちゃって……」
「謝るな。お前が無事に帰って来てくれたんだ。雑貨なんかどうだっていいさ」
それから数拍置いて、
「ありがとう」
蛍光灯の光が眼鏡に反射したからなのか、それとも――。秀弘の瞳が光ったように見えた。
「痛い、頭」
何だかむず痒くなり、渡は父の手を退ける。父も「ああ、すまない」と笑っていた。
それから秀弘は浴室へと向かった。その隙に詩穂が耳打ちしてくる。
「あの人、来週からの出張取り止めにしたの」
「へっ!? どうして。どっかの偉い教授の集まりに呼ばれたんだろ? やめる理由なんか――」
「君が心配なんだよ。落ち着いて見えるけど、私が一度連絡した時、信じられないくらい取り乱してた。講演会とかも、欠席だってさ」
大学教授である秀弘にとっては、今回の出張は重大なことだったはずだ。それなのに、止めるだなんて……。自分のせいでこんなことにと、渡は申し訳なくなる。
「渡くんは気に病まなくていいんだよ。秀くんにとって、家族は仕事よりもずっと大事なものだった。それだけだよ」
部屋に戻るとベッドに仰向けになり、枕元に置いてあった漫画を適当にめくり始める。
父と母の笑顔が、渡の中でぐるぐると映し出される。本の内容は一切頭に入って来なかった。
「(俺……愛されてるんだな)」
普段は意識しないことだった。楽天家の詩穂の、泣き顔。厳格な秀弘の、柔らかい顔。どちらも初めて見たように思う。自分が心配をかけたせいで、両親は胸を痛めた。自分が生還したお蔭で、両親は笑顔を取り戻した。
『これからは君が守るんだ』
渡の考えていることは、全て飾には御見通しだった。
『傷ついた人。傷つけられる人。そんな人々を君と私が守る』
「魔法使いとして――ですね」
『早くも分かってきているみたいじゃないか』
嬉しそうに呵呵大笑する飾。それを聞いていると、渡もようやく、気楽になった。漫画に目を向けて、その内容が入ってくる。
読みながら彼は「はぁ」とため息を漏らした。
『随分と乙女チックなものを読んでいるね』
「良いでしょ…………好きなんだから」
常に誰かと意識を共有していて、常時頭の中で茶々が入るのも鬱陶しい、と思い始めた渡。
ちなみに、今彼が読んでいるのは『大好きな人の殺し方』という少女漫画だった。
「俺が応援している少女漫画家の新作です。主人公のは女子高生に扮して学校に通っているが、その正体は政府の裏組織に所属する暗殺者。表沙汰にはできない事件の関係者を処理して回っている。だが任務の途中で怪我を負ってしまう。そしてそんな彼女を救ったのが、1つ上の学年の先輩。主人公は自分の命を救ってくれた先輩に恋をしてしまうが――――」
『その先輩が、暗殺対象だった、ってオチかい?』
渡は呆れ顔になって黙り込む。
「どうして先に言っちゃうかなぁ……」
『タイトルで大体察しはつくよ。そのまんまの名前じゃないか』
「そのまんまなのが良いんすよ。下手に長ったらしいヤツよりも、このくらい簡潔で内容が分かるのが、この作者の良い所なんす」
『それで、どんな結末になるんだい?』
「そこまでは俺も分からない……。言ったじゃないすか、新作だって。まだまだ連載は続いているから。これはまだ1巻。一応、来月には2巻がでますけど、完結はまだまだ先っすよ」
少女漫画について力説する渡。そんな彼を楽しそうに見ている飾。
早くも2人は、姉弟のような関係になりつつあった。
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