10 怖がりな人
「おかえりいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!」
帰るなり、玄関に母の絶叫がこだました。
「詩穂ちゃん、痛い」
「返事がなくって、私の胸はもっと痛かった」
それを聞き、渡はちくりとした感触を覚えた。心の中に申し訳なさが広がり、涙が流れそうになる。
肩に乗った母の頭が、小刻みに震えている。また泣き出しているのが分かった。
「ごめんなさい」
渡はそれしか言葉が出てこなかった。他に掛けるべき言葉が見つからなかった。母の返事はない。ただ身体を強張らせ、涙しているのが伝わるだけ。
『…………いいな。心配してくれる肉親がいるのは』
「ごめんなさい、詩穂ちゃん……」
「今日は、許してあげる。こうして帰ってきてくれたから。でも、許さないよ、私よりも先に死んだら」
そう乞う母の目は、まっすぐで、何も言い返せない力強さを持っていた。
渡は、ただ頷くだけだった。
渡と詩穂。2人が落ち着くと、ようやくいつもの雰囲気が戻って来た。平和な、何とも言えない日常。
午後6時。2人はテーブルを挟んで夕食を摂っていた。特に会話はない。その代り、2人の目は、つけっぱなしのテレビの方を向いていた。黒い箱の中には、あの百貨店の倒壊現場の、現在の映像が映し出されている。未だに消防隊による生存者の捜索が行われているようだ。だが、最初に確認された人々を最後に、誰も見つかっていないらしい。
『発見できた生存者は、皆私が外へ誘導しておいたよ』
飾にもニュースが見えているのか、そんなことを言っている。
「(ありがとう。飾さんがいなかったら、きっと皆助かっていなかった)」
口には出さないように気を付けながら、心の中でお礼を言う渡。彼の中にいる飾には、それで届く。
現場のアナウンサーと、スタジオのアナウンサーが、延々と同じような質疑応答を繰り返している。現在の状況は? 救助活動が続いています。生存者は発見されましたか? まだ情報は入っていません。その後、何か動きはありましたか? これまで同様、消防隊による捜索が行われています。動きがあり次第、続報をお願いします。――――こればかりだ。
報道側も辛いだろう。何時間もあんな悲惨な事故現場の様子を眺めさせられて、気が滅入ってしまう。そういう仕事なのだから諦めろ、と一蹴してしまう訳にもいかない。
「あの子大変だよね。まだ新人さんだったでしょう?」
詩穂が、現場の中継をしているアナウンサーを見て呟いた。確かに、まだ若い。20代中盤と言ったところか。あんな災害現場の取材をするのは初めてだろう、それなのにずっと状況説明を続けている。流石はプロだ。
「そう言えば、あの人……」
渡は思い出す。彼が瓦礫の山から抜け出し、近くの雑居ビルの屋上に避難した際、すでに中継をしていた。もうと言うか、まだと言うか、あれから2時間経ったのか。ずっと現場にいるらしい。
「本当、良かった……。渡くんが無事で。もし渡くんが見つからなかったら、私たちどうなってたか……」
再び、詩穂の瞳には涙が溜まっていく。
テレビには、建物倒壊直後の映像が流れていた。中には、野次馬や、テレビ局のスタッフの悲鳴が紛れ込んでいる。見ていて痛々しい映像だった。
『あっ、ヤバい!』
飾の叫び声が聞こえた。思わず反応してしまいそうになるのを、ぐっと堪える渡。そして、なぜ彼女が焦っていたのか、映像を見て理解した。
瓦礫の中から吹き上がる突風。どう見ても、自然に起こったものではない。飾が魔法で起こしたものだ。さらに、崩れた瓦礫を受け止める空気の塊(飾の魔法自体は映像には映っていないが)も放送される。
『まずったな。これじゃ魔法使いがいたのが丸分かりだ』
「(別に大丈夫じゃないすか? この世界には魔法使いはいないんだし、分かる人いないっすよ)」
『いないからこその心配なんだがね……』
「(どうして?)」
『魔法を持たない人々から見れば、魔法は恐ろしい存在だ。もしも、私たちが世間に危険なものとみなされてみろ。災禍の化身同様、我々も駆除するべき対象にされてしまうかもしれない』
「(人間は怖がりですからね……)」
『己の理解の範疇を越えたものを恐れ、遠ざける。それが人間だ。それがもしも味方だったとしても、受け入れる前に逃げ出してしまう。そして話し合おうとはせずに、一方的に押さえつけに行く。どんな人間だろうと、結局は自分が一番可愛いのさ。だから必死に、自分のことを傷つけないものの中に籠ろうとする』
もしかして、過去に何かあったのだろうか。飾の語り方から、何か黒いものを感じた。
「(きっと俺も、そうだったろうな……)」
飾がきちんと説明してくれなかったら、渡も魔法使いについては受け入れられなかっただろう。自分の遠い所、関係ない所でその存在を眺めた時、いい印象は抱かないに違いない。きっと気味悪がっている。
魔法使いのこと。災禍の化身のこと。知らないで生きていたら、どうやって事態を見つめていたのか? 自分の迷い込んだ運命が当たりだったのか外れだったのかは、まだ分からない。
「渡くん? どうしたの、ぼーっとして」
物思いに耽っていると、母が心配そうに尋ねてきた。大丈夫、と伝えてみるも、曇った表情は晴れない。明るくしているように見えたが、やはりまだもやもやした気持ちがあるようだ。
「テレビ消そうか? やっぱりまだ辛いかな……?」
「いや、俺なら、大丈夫だから。それに見ない訳にはいかないよ。俺は……生き残ったんだから」
生きていたかったのに、あんな事故のせいで命を失ってしまった人が大勢いる。自分は数少ない生き残りの側にいるのだ。嫌がってはいけない。事故から目を背けてはいけない。きちんと向き合って、生きていかなければならない。それが自分の責任だ。
渡は自分に言い聞かせた。せっかく命を拾ったのだ。亡くなった人のことも考えて、今日を生きていくのが、それが生き残った者の役目だと。
『よく覚悟を決めたね』
「(あなたが教えてくれたんだ。できない人の分まで背負うって)」
中途半端な覚悟じゃいけない。
渡は、背負ったものの重さを噛み締める。だがそれで少し、楽になったように思えた。何もない自分よりも、確固とした自分がそこにいるように感じる。空っぽの器ではない、生身の人間になれた。そんな風に思う。
「(俺はもう――今までの俺には戻れない)」
引き返せないことは、怖いことではない。新しい自分で、未来を生きる。森の中にいたのが、ようやく道に出たみたいだ。
「詩穂ちゃん」
「ん。どうかした」
「俺――――ちゃんと生きるよ」
母にか、自分にか、飾にか、
「今日は今日を、ちゃんと生きる」
誰に向けての宣言だったのか。
風科渡はここでようやく、生を受けたのかもしれない。
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