9 心配の声
こうして風に当たり、サイレンに耳を傾けていると、先程の会話は全て夢だったのではないかと思えてくる。本当は魔法使いなんていない。事故を目撃して混乱していたために見た幻覚だ。一気に現実に引き戻された気分だ。だが襟元に手をやってみると、そんなことはなかったと分かる。左の襟には、凹みのあるピンバッジ。ポケットの中もまさぐってみると、コインもある。
「俺……本当に魔法使いになったんだ」
『これからよろしくと、言ったばかりじゃないか』
「うわっ!?」
突然頭の中に声が響いてくる。
『うむ――――。私たちの会話はこれでよさそうだな。わざわざ意識の深層に潜るのは危険だからね』
「あの店のことですか? そんなに危険はなさそうだったけれど」
むしろ落ち着いて平和な空間だろう。あそこに入れば心が安らぎ、気が楽になると思える。危険など皆無に等しいはずだ。
『平和なのはあくまで、君の意識の奥の雰囲気だ。あの状態はね、夢を見ているのに近いんだ。喫茶店にいる間、君は店の中ならどんなことでもできるが、現実は違う。君の意識が表には出ない奥底に潜っているため、現実では活動ができなくなるのさ』
「つまり、寝てるってこと?」
『その通り。だから喫茶店に入るのは、確実に安全であると確認できた時だけにするといいよ。自分の部屋とかね。道路の真ん中で意識の奥に入って、表の意識を失くしてしまうと、大変なことになるよ』
まあ、車道のど真ん中で突然寝てしまったら、車に飛ばされてお陀仏だろう。喫茶店のことが気に入った渡だが、あそこに行くのは控えよう、と決意する。
『それじゃあ、まずは家に帰るべきじゃないかい? あんな大規模な事故があったんだ、きっと家族が心配しているよ』
「あっ!!」
飾に言われて、渡は慌てて、懐から携帯を取り出す。そこには母からの着信が7件、メールが17通、LINEメッセージが35件。
しまったと、渡はこめかみを押さえた。
『From 母
渡くん、大丈夫ですか? 無事なら返事ください』
『From 母
巻き込まれたりしてない?』
『渡くん?』『ねぇってば』『何か言え』『バカ息子!』
背筋が凍る思いだった。今頃母は、渡が倒壊事故に巻き込まれて死んだと思い込んでいるに違いない。錯乱して泣き崩れているかもしれない。
急いで電話のリダイヤルボタンを押した。
プルルルルルルルルルルルル――――――――。待機音だけが、虚しく鳴り響く。
早く出てくれ。俺は生きている。生きて話がしたい! 焦りが募っていく。今頃ど
れだけ母が心配しているだろうか。きっと想像できないくらい取り乱しているだろ
う。
ピッ。
「!!」
ようやく通じた。だが応答がない。渡は急いで自分が無事であることを伝えようとした。
「
「――――――――――――渡くん?」
か細い、母・
「ごめん、連絡できなくて。その、えっと、色々大変だったから……。でも大丈夫。俺は無事だ。安心してくれ」
しばらくの沈黙の後、
「本当に渡くんなの? 幽霊じゃない?」
「もちろんだ。足もある、透けてもいない。って、電話越しじゃわかんねぇよな」
「悪霊が渡くんのふりをして、私をだましている訳でもない?」
「ああ。風科渡、本人だよ」
よかった――冗談を言えるくらいには落ち着いている。そう、安堵する渡。これで取り乱して、話もできないような状況だったらどうしようかと思う。早く家に帰って、姿を見せて、今以上に安心させてやりたい。
1度通話を切り、携帯をしまうと、彼は今いるビルから出ようとする。だがその時。あることに気が付いた。
「……俺の鞄と、買い物袋は?」
ない。ここに来た時は、飾が表に出ていた。自力で移動した訳ではない。
「なあ、飾さん。俺の荷物って、どうした?」
『ああ、それなら、私が表に出て来た時にはすでに見当たらなかったよ』
頭の中で声が響いた。きちんと聞こえていたらしい。
『あの事故だ。手荷物がそのまま手元にあることの方が難しい。諦めて新しいのを買うのをおすすめするよ』
あの鞄に教科書とか財布とか色々入っていたんだがなぁ、とため息をつく。なくなってしまったものについて考えても仕方がない。ここは飾の言う通り、すっぱりと諦めて新しくそろえた方がいいかもしれない。
結局渡は、手ぶらで帰ることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます