5 出会い①
倒壊した百貨店から、3ブロック離れた雑居ビルの屋上に、その人物は降り立った。雪原のように、真っ白な女性だった。髪も肌も。マントにブーツ、グローブ。軍服に似た衣装なんかも、全て白い。そんな純白で、透明感のある彼女の中の、1つの欠落。左腕がない。軍服の袖だけが、風に煽られてなびいている。
「生きていた人は、無事みんな出てこられたみたいだな」
ビルの下方に広がる現場を眺めて、彼女はほっと溜息をつく。そして安心したかのようにその場に腰を下ろすと、襟元につけていたバッジを外した。
直後、女性の身体が歪む。
そして現れたのは、建物の倒壊事故に巻き込まれた少年、
「何だったんだ……今のは」
薄れゆく意識の中で、透明な女性と出会った。そして彼女に包み込まれ、渡の意識は消え失せた。そこまでの記憶しかない。そこから自分がどうなったのか、どうしてここにいるのかは、理解ができない。分かっているのは、無事にあの瓦礫の山から脱出できた、ということだけ。
床に寝転がり、黒雲が覆う空を仰ぐ渡。彼自身も、何か得体の知れないものに覆われてしまっているようだった。
『ごめんなさい。突然、主導権を奪ったりして』
「っっっ!!??」
渡は慌てて身を起こす。今、どこかからか声が聞こえた。死の淵にいた自分に語りかけてきた、あの女の声だ。四方をきょろきょろと探してみても、女性はどこにもいない。彼は立ち上がると、誰もいない周囲に向かって叫んだ。
「誰なんだよお前! 何なんだよ――俺に何をしたんだよ!!」
答える声は、空気中を伝わり、耳の中に入っては来なかった。それは彼の頭の中に、直接響いていた。
『本当にすまないと思っている。目を閉じて、意識を集中してみてくれ』
何が何だか分からない。だが、今の渡にはそうする他なかった。
世界を映すスクリーンにカーテンがかかる。そこに広がっていたのは、彼の知らない、また別の世界だった。瞼の裏にあったのは、喫茶店だった。木製のテーブルとイス。柱には花を生けた花瓶が掛けられている。渡は店の中を見渡す。そして、カウンター席に座っている、女性を見つけた。さっき会った時には全裸だったが、今度はきちんと服を着ている。シックな黒のワンピース。見方によっては、喪服のようにも思える。右手にはコーヒーカップを持っている。が、左腕の袖には中身がなく、ぺちゃんこになっていた。
「なぁ……あんたは、一体何者なんだ!?」
渡は女性の元へ駆け寄った。現実ではなく、意識の中で。けれどそこは現実と錯覚するくらい、形があった。木の床を踏みしめればギシギシと音が立ち、周囲には飾られた花やコーヒーの香りが漂っていた。テーブルを避けながら、カウンター席に向かう渡。彼は勢いよく女性の肩を掴んだ。そこにも人肌の温もりがある。まるで今ここで、生きているみたいに。
女性はゆっくりと、渡の方を向いた。彼女の顔を改めてみて、渡は息を飲む。信じられないくらいの美人だった。モデルや女優と言われれば、簡単に信じてしまうだろう。気軽に声をかけることはできない雰囲気だ。触れるのを躊躇ってしまう、神々しさを持った顔立ち。警戒してしまう鋭さを持った瞳。なかなか近寄りがたい感じではあった。そんな彼女に、渡は思わず怯んでしまう。
「―――――――――――――――――――――」
相手の肩を掴んだまま、硬直する渡。女性はカウンターにコーヒーカップを置き、彼の手を退ける。それから柔和に微笑むと、
「驚かせてしまったな。私の名は
淡々と自己紹介を始める。それでも渡は、頭の中で、状況の処理ができていない。ただ「えっ」とか「おう」と呟くのが精一杯だった。
「突然に君の身体を乗っ取ってしまったことを、まずはお詫びする。すまなかった」
深々と頭を下げる飾。しばらく呆然としていた渡は、そこでようやくはっとした。建物が倒壊し、それに巻き込まれ、死の淵を彷徨っていた時。突然現れた彼女に何かをされ、渡は意識を失ったのだ。彼女は一体何者なのか。なぜ自分はこんなことに巻き込まれたのか。訊きたいことが山ほどある。
「俺の身には、何が起こっているんすか。教えてください!」
「そうかしこまらなくていいよ。君も私も同じ人物なんだ。他人行儀はよそう」
同じ――人間? 謎は深まるばかりだ。
「そうだな……まずはどこから説明しようか」
飾は顎に手を添えて考える。そんなたわいのない仕草も画になる。まるで彫刻のようだ。
「まず第一に。私は魔法使いだ。魔法っていうのは、分かるか?」
首を横に振る渡。魔法なんて、この世に存在しないと思っている。そんなものがあるのは、夢と希望に溢れたファンタジーの中だけ。ゲームや漫画なんかを通してのみ触れられるものだ。しかし飾は自分のことを『魔法使いだ』と言い切っている。その曇りなき眼には、嘘偽りの類は一切現れていない。真面目に言っている。
「うむ。確かに、ここは魔力をほとんど感じられない世界だな。奴め、己の天敵を排除するために、別の文化を歩む世界を構築したのか? それほどのおつむがあったとはな……」
独り語ちる飾だが、その内容を微塵も理解できない渡である。
「そうだな、何で例えたら分かり易いだろうか」
言いながら飾は、渡の頭を鷲掴みにしてきた。
「いっ――――っ、いきなり何を!?」
「まてまて。知りたいなら、こちらが伝えきるまでは落ち着いていろ」
やがて彼女は手を放し、
「車の免許、というのが1番近いな。基礎や発展を習って、習得したと認められ、許可を得れば使えるようになる。まったく同じシステムだ」
飾に押されたこめかみの辺りが痛む。そこを撫でながら渡は、
「その説明と、俺の頭を掴んだ関係は……?」
「君の頭の中を読ませてもらった。正確には、君の持っている知識だ。安心してくれ、記憶は覗いていない。恥ずかしくて隠したいことがあったのなら、別に私は見ていないぞ」
「そんなもんねぇっ!」
ダウトだろ、と飾が笑う。
ともかく、こんな風に遊んでいる暇はない。まだ渡は、自分の置かれている状況が分かっていない。飾もまだまだ説明をしていない。
「魔法について詳しく理解しろ、とは言わない。君の生きてきたこの世界には魔法という技術はなかったようだしな。こればっかりは、実際に見て聞いて覚えてもらうしかないようだ」
「じゃあもういいっすよ。それで……ここは? 目を閉じたはずなのに、突然こんな喫茶店にいて……」
「ここは君と私の心の奥底に広がっている場だ。我々の秘密基地のようなもの、とでも言えばいいかい?」
秘密基地か。渡も何となくだが、イメージができた。渡と飾だけが入ることのできる、共有スペース。
あっ、と飾は思い出したように、隣の椅子を叩いた。
「立ったままも疲れるだろう。座るといいよ」
促されるままに腰かける渡。意識の世界なのに、どこもかしこも、妙に質感がリアルだ。本当に座っているように思える。
「ん?」
気づくと彼の目の前には、コーヒーカップが。中にもしっかり、いい香りを漂わせるコーヒーが注がれている。試しに口づけてみると……。
「うまい」
「本当に飲んでいるみたいだろう?」
「これ、本当に俺の意識の中なのか? どっか変な場所にワープしているわけじゃないだろ」
魔法というものを持ち出されている以上、瞬間移動なんかも思いついてしまった。あまりにもこの場に現実味があり過ぎて、彼は混乱していた。
「一種の催眠術かな。君の脳が『これはコーヒーだ』と、目の前に見えるものを認識している。まぁ簡単に言えば、見せられた映像を、勝手に君の中で解釈しているのさ。だからここには、君の知らないものは決して現れない」
「どこが簡単に言ってるんすか。さっぱりわかんねぇ」
「いずれ慣れるよ」
飾は自分のカップに、新しいコーヒーを注いでいた。
「さて……と。本題に帰ろうか」
「そうだ。そうだよ、どうしてあなたは俺の中にいるんすか。何で俺の身に、こんなことが起きて…………」
「少し説明が長くなるが、いいかな」
「もちろん。全部教えてください。ちゃんと、俺にも分かるように」
そうだな、と飾は前置きしてから、彼女がまだ自身の肉体にいた頃のことを語り始めた。
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