1 崩落
終業のチャイムで目を覚ました
担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。隣の席の
「なぁ、わたちゃん。明日休みだしよぉ、この後カラオケでも行かね? オレ半額クーポン持ってるからさ」
「悪いな。俺、今日は買い物頼まれてるんだ。だから行けねえわ」
やんわりと断るも、三宅は「何だよ、サボっちまえよ」と、冗談めかして誘って来る。そんな彼らに気づいた教師が「そこ黙ってろ」と、乱暴に注意した。
次週の連絡が完了し、ホームルームが終わる。掃除が始まる前に渡は、素早く帰りの支度を整えて、教室を出た。時刻は、午後3時半。これから学校前から出ているバスに乗って駅前の百貨店に行きたいが、バスの時間までまだ10分はある。
購買でジュースを買って、それを飲みながらバス停に並ぶ。まだ本降りにはなっていないので、傘は取り出さなかった。
制服のポケットにしまってあった携帯が震えた。確認すると、そこには母からのメールが。
『From 母
渡くんへ お母さん仕事長引いて帰るの遅くなっちゃうかも。デパ地下で御惣菜でも買って来て(^3^)/』
「年甲斐もなく絵文字なんか使ってんなよオバハン……」
呆れてため息をつく。が、とりあえず『了解』とだけ返信しておいた。
バス到着の予定の時間になったが、一向に来る気配がない。雨のせいで利用客が増えているのだろうか。
後ろに並んでいた生徒たちが傘を差し始めた。渡が空を見上げると、頬に大きな雨粒が降りてきた。そろそろ、傘なしでいるのは厳しいかもしれない。渡は鞄の中にいた、折り畳み傘を引っ張り出す。
予定よりも4分遅れてバスが来た。早めに並んでいたおかげで、すぐに搭乗できた。鞄を前に抱えて、2人がけの座席に座る。次に乗って来た女子生徒が隣に腰かけた。彼女の操作するスマホの画面が一瞬見える。LINEでバイトがどうこう言っていた。プライベートを覗いてしまったような申し訳ない気持ちになり、渡は早くから狸寝入りを始めた。
それから15分ほどバスに揺られ、彼は駅前で下車した。そして、停留所のすぐ近くにある大型百貨店に入り、旅行用品売り場を歩く。来週から出張に行く父親に、携帯日用品を買って来るように頼まれたのだ。メモ帳と売り場に視線を行き来させながら、歯ブラシやタオルなんかを手に取って行く。必要なものを纏め、レジへ向かうが、そこには誰もいなかった。
「すみません、これお願いします」
レジ台へ籠を置いて、店員を呼ぶベルを鳴らす。すると裏から、売り場担当の男性が出て来た。
「申し訳ございません。お待たせしました」
商品をバーコードリーダーに通し、値段を読み上げていく。表示された合計値段を見て、渡は財布の中の残金を数えた。1000円札が1枚、2枚。小銭はそれなりにある。
「合計1630円になります」
渡は、良かった、足りた。と安堵しトレーにお金を置いていく。彼はお釣りをもらうと、店員に一礼して、レジを跡にした
その売り場での用が済んだ後は、地下の食品売り場で母に言われたように、夕飯の惣菜を買っていこうとした。だが、エスカレーターに足を置いた、その瞬間。
ぶつんっ!
「おうわっ!?」
エスカレーターが急停止した。突然のことだったので渡はバランスを崩し、ステップの上に倒れてしまう。止まったのはエスカレーターだけではなかった。店内に流れていた音楽も止まる。さらにはフロアの電気も消えた。見上げても、見下ろしても、真っ暗だ。どうやら、全階の電気が消えているようだ。
「おいおい……停電か? 勘弁してくれよ、とっとと帰ってテレビ見たいのにさ……」
外の雨風が強くなって、電線でも切れたのだろうか? 渡の頭では、それくらい現実的な考えしか浮かばなかった。大人しくしていればすぐに復旧するだろうと、安易なことを思っていた。
携帯の画面を点灯させて、少しでも灯りを得ようとする。他の買い物客も同じことを考えたのか、店内のあちこちで、蛍が飛び始めたように、白い光が現れてきた。そんな時だった。渡は床に違和感を覚える。エスカレーター1段1段の板が、小刻みに震え始めた。天井から吊り下げられている看板の影が、船の遊具を思い起こさせる動きをする。
これってまさか……。考えを口にする前に、あちこちから悲鳴が上がった。
「うわあああぁぁっ!!!」
「ぎゃあっっっっっ!!!」
「ひぃぃぃいいいい!!!」
地震だ。それもかなり大きな。フロアのあちこちから、棚が倒れたり商品が落ちたりする音が聞こえる。渡は焦って、済ませたばかりの買い物で、購入した物が入っている袋を頭の上に持って来た。エスカレーターの上にいるので、頭上から降って来るものはないと思うが、万一に備えてだ。
激しい揺れが続く。まるで建物が上から掴まれ、地面をかき混ぜるためのマドラーとして使われているような、そんな上下左右に振り回されているような揺れ方だった。そんな中を、渡は奥歯を噛み締めて必死に耐える。
が、どう足掻いても無駄な事態が起こった。
「―――――――――――――――――――――へ?」
初めに音が聞こえた。猛獣の唸りのような低くて長い音。その後、周囲を埃が舞い始める。何が起きているのかさっぱり分からず、どう動けばいいかも分からない。ついに渡が状況を理解した時、彼は「知らなければよかった」と後悔した。床が沈み始める。床だけではない。壁、天井、棚、人。皆々が下に向けて引きずり込まれていった。
建物が倒壊を始めた。
「――――うわあああああああああああああああああああああああ――――――――っっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その絶叫が、自分の発したものなのか、それとも他の人が発したものなのか、渡は考えられない。初めはゆっくりと崩れていったが、徐々に速度を増し、どんどん下へと落ちていく。下の階を押し潰しながら、上の階に押し潰されながら、渡は地面へと向かって行った。彼だけではない。商品や棚やレジや広告や買い物客や店員が、あちらこちらで宙を泳いでいた。
やがて渡の目は地獄を捉えた。幾重にも敷き詰められた瓦礫、土、食品、日用品、そして……人。ああ、自分もすぐにあの中の仲間入りだ。渡は絶望の中、これ以上悲惨な景色を見ないように、双眸を閉じた。
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