第5話・家族


 家族というのは、なにをもって家族になるんだと思う?


 キヤの問いかけに、零夜は考え込む。ゲルトの屋敷の客間にて、明々と炎の燃える暖炉に身を温めながら夜を過ごす。

「どう、だろう。血縁だけじゃないとは思うけど」

「そうだな。俺も今日、それを確信した」

 キヤは、少しだけ目を細めてじっと暖炉の火を見つめる。彼の紅い瞳に、踊る火の揺らめきが反射している。

「ハーヴとメイディは、血の繋がりどころか種族すら違うが、あれは間違いなく親子だったし、家族だったろ」

「うん」

「俺はあれほどの愛を、親に対してすらいだいたことがない」

 その言葉の先に、「お前はどうだ」と問われている気がした。零夜は考える。

 零夜の親は、多少の問題はあれど標準的に子を愛する親だったと言える。零夜もまた、標準的に親を尊重する子だった。零夜の両親が零夜をどれほど愛していたのかは推測することしかできないが、少なくとも零夜から両親に向かう感情は、愛などという大仰な言葉にするのが憚られるような、ごく平凡な親愛だ。それでも、零夜と零夜の両親は間違いなく親子だった。愛だけでなく、解消できない後悔や確執も含めて、どうしようもなく親子で、家族だった。


「愛はどこに生まれるんだろうな」

 それは問いかけではなく、キヤの独り言だった。愛はどこに生まれるのか。血縁か、過ごした時の長さか。「親子」はどこに生まれるのか。「家族」はどこに生まれるのか。生活を共にすれば家族と言えるのならば、旅路を同じくする零夜とキヤ、ティエラは家族だと言えるのか。それとも所詮、独立した個々の「ひとり」でしかないのか。

 考えると急に心細くなり、零夜は感傷に身をこごめる。寒い夜というものは、人間を必要以上にセンチメンタルにしてしまうらしい。

 なるほどこういう時に人は人を求めるのだろう。しかし零夜が横目に見るのは、悲しいかなキヤひとりである。広い屋敷に客間がひとつだけということはなく、ティエラは別室に泊まっている。そも、ティエラがいたとして、感傷を紛らわせるためにぬくもりを求めに行くほど親しい間柄ではないが――。

「ん? 寂しいなら抱きしめてやろうか?」

 普段は零夜が呆れるほど他人の感情に鈍感なくせに、こういう時だけ妙に勘の冴え渡るキヤが、にやにや笑いながら両腕を広げる。

「遠慮すんなよ」「してないって。馬鹿、やめろ」「ははは、逃げられまい」

 ふざけ合いながらベッドに倒れ込みもみくちゃになっていると、「何やってんの」と呆れた声が頭上から振ってくる。小さな鉱石灯を手に持ったティエラが、もう寝る前かという軽装で部屋のドアを開けたところだった。どうしたのかと問えば、ティエラは少し気恥ずかしげに視線を泳がせたあと「なんだか寂しくなっちゃって」と言った。それを聞いて、零夜とキヤは目を合わせて含み笑う。

「なによ。だって寒いし、夜だから暗いし静かだし」

「いや、笑って悪い。俺たちもそういう話をしてたんだ」

「そういう話からどうやって、さっきの取っ組み合いになるの?」

 ティエラは、ゲルトから借りたらしい柔らかな毛布を被衣かつぎのようにかぶり、暖炉の前に座る。

「眠くなるまでお喋りしない?」

 そうして、寂しさを忘れるために三人は寄り添う。炎の前で、次の目的地に着いたらやりたいこと、食べたいものなど取り留めのないことを話しながら。

 窓の外は夜。雪は降っていないようで、全ては凍りついたように静止している。酷く寒いだろうに、厚い壁一枚を隔てて暖炉を内包した室内は穏やかに暖かい。


 この屋敷の壁のような、暖炉の熱のような、人間の繋がりのような――つまりは、世界の厳しさからの隔たりこそが、或いは家族という区分なのかもしれない。火かき棒で灰を混ぜながら、零夜は思う。

 世界は冷酷で、個人では抗いようのない徹底した合理で成り立っている。その冷淡さに疲れたとき身を休め、再び外界へ赴く英気を養える場を、人は「家族」という分類にくくるのかもしれない。恐らく、名前は何だっていい。家族でも、友達でも、仲間でも。

 名前は何だっていい。零夜はもう一度、頭の中で反芻した。頭から毛布をかぶって丸くなっているティエラも、三杯目のお茶に味の変化を加えようと蜂蜜を持ち出したキヤも、彼らが零夜にとって「何」であるか、名前は何だっていいのだ。彼らは確かに、外界の寒さから零夜を守る壁であり暖炉である。そして零夜も、恐らく零夜の傲慢でなければ、彼らにとっての壁であり暖炉なのだ。

 突風が冷気を鳴らし、窓が一瞬がたりと軋んだ。しかし暖炉の火は揺らぎもせず、温和な橙色の光と熱とを放ち続けていた。



 放射冷却によりいっそう冷えた翌朝、世話になった礼を言い、三人はゲルト邸をあとにした。

「結婚しようと思うんだ。あの日できなかった結婚式をきちんと挙げて……こんなじじいが、おかしな話だけれどね」

 どこか照れたようにはにかみ、ゲルトはハーヴの細い肩を抱いた。後ろ髪を引くものは多くあれど、寄り添う二人を見ていると、不思議と安心するのだった。きっとこの二人ならば、冬の寒さにも耐えうる「家族」になるだろう。


 どうか、お幸せに。

 祝福の言葉を贈り、三人はまた雪を踏みしめ歩き始める。一度だけ零夜が後ろを振り向くと、ゲルトとハーヴはまだ零夜たちを見送り佇んでいた。ハーヴがたおやかに手を振る。さよなら。零夜も手を振り返して、また歩き始める。

 それからは、もう一度も振り向きはしなかった。


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