第1話・雪の街
白銀というよりも、鈍い灰色に近い景色が続いていた。その違いは恐らく日光の有無によるものだろう。空は厚い雲に覆われ、太陽が昇ろうと落ちようとお構いなしの薄暗さを演出している。そのため純白の雪に覆われてなお、大地は空の陰気をそのまま映した暗灰色だった。
この辺りの土地は特異な気候らしく、緯度のわりに一年を通して根雪が途絶えることがない。隣町で聞くことには寒さを好むミトラが大地の下に住んでいるとかで、そのミトラが寒さを求めて見た冬の夢が、雪として降り積もっているのだという。
話の真偽はともかく、現実問題として寒かった。
旅をしていれば寒い土地を通過することなどいくらでもあるが、それにしてもこの寒さは唐突過ぎた。徐々に寒くなるのならば装備の整えようもあるが、こうも急に寒くなられると対策が難しい。雪深い道を行くために柳でかんじきはこしらえたが、問題は防寒面だった。
零夜たちはヒグイを入れたフラスクボトルを懐に入れ、なんとか暖を取りながら街へ向けて歩いていた。ヒグイは灰の中に住み火を好むミトラで、少しの燃料でもかなりの時間、火をもたせてくれる。ヒグイには火傷をしない程度の火力に抑えるよう頼んでおいたため、布でくるんだボトルは良い懐炉として機能していた。
「それにしても寒ィな……」
歩きながら、キヤが呟いた。喋ると口腔から放熱されてしまうため、みな言葉少なになっている。それでも雪が音を吸う静寂に耐えられなくなるのか、時おり誰かがぽつりと口を開く。そして誰も返事をしない。
規則的に雪を踏む音が三人分、ささやかに湿っぽく響く。それは音ではあるものの、かえって静寂を際立たせてしまうように思えた。
雪はちらつく程度でひどくはないが、とかく気温が低い。灰色にくすんだ景色の先に、わずかに見える橙色の街の灯りだけが、なんとか足を動かす原動力となる。
さく、さく、さく。ふとティエラが足を止めた。しんがりを歩く零夜も立ち止まり、「どうしたんだ?」と訊ねる。ティエラは「あれ、なんだろ」と雪を指差した。彼女の指す先、枝先を空へと伸ばすイトスギの根本には、僅かではあるが確かに盛り上がった雪の小山がある。零夜は先頭のキヤを呼び止め、小山に近寄る。何かが雪に埋もれている。
手袋をはめた手で雪を払うと、「あっ」と思わず声が出た。真新しい雪の下にあったのは、ほのかな紅のにじむ人の頬だった。
「人だ!」
慌てて雪を掻き分ける。キヤとティエラも手伝い、雪の小山の下にある人を掘り起こす。衣服はとてもこの極寒の地に釣り合うようなものではなく、薄い絹のドレスに銀製の宝飾品が美しい。その人は雪のごとき白銀の髪を長く波打たせ、まるで眠っているように冷たく横たわっていた。
「……生きてるわ」
女性の口元に手をあてて、ティエラが言う。確かによく見れば、彼女の紅の唇から規則的に蒸気が立ち上っている。生きていると分かり零夜は安堵するが、言語化できない違和感は拭えなかった。雪は随分積もって、それこそ小山のようになっていた。そうなるほど長く横たわっていた人が、唇をチアノーゼに青く染めることもなく生きていられるものだろうか?
同じことを考えていたらしいキヤが、女性の頬に手を添える。「こら、女の人に!」とティエラは目尻を釣り上げるが、キヤは気にする様子もない。
「……人間だよな」
「人間、だと思う」
人間を捕食するミトラが人間をおびき寄せるため、人間に擬態しようとすることはままある。しかし原則としてミトラは「人間の姿を模倣することは不可能」であり、擬態は声や動作のみにとどまることが常だ。そのことをキヤも零夜もよく知っているため、この女性が擬態したミトラだという可能性は排除できるはずだった。しかし警戒を解けないのは、やはり女性があまりにも異様だからだ。
ティエラもその異様さに気付いてはいるが、それよりも女性の身体を気遣っているようだった。
「とにかく街まで連れて行こうよ。置いていくなんてできないでしょう」
いささか気後れはするものの、ティエラの言うことももっともだった。ここに彼女を置き去りにするのは、さすがに罪悪感に苛まれる。
話し合った結果、零夜の荷物をティエラとキヤが分担して持ち、零夜が女性を背負うこととなった。ミトラ共生植物であるウキヅルから編んだ縄で縛れば、荷物の重さはかなり軽減される。零夜は女性を背負い、ずり落ちないように肩の部分をウキヅルの縄で縛った。元々かなり小柄な女性は体重もさほどではないようで、思ったより負担にはならなかった。
一行は再び街へと進む。暖かい場所でゆっくり休む以外の切迫した目的が出来たためか、心なしか歩調も速くなっていた。
街はやはり雪に覆われ灰色で、まるで街全体が冷たいブリキで出来ているような気すらする。小さな街の関所はあってないようなもので、一行は何の問題もなく街へと入ることができた。しかし問題はそのあとだった。
「病人かい?」
零夜のおぶっている女性を見て、宿の主人は露骨に顔をしかめた。「寝てるだけだ」と言っても、旅の途中で眠り、あまつさえ同行人に担がせるような女が果たしているだろうか? 病人じゃなくても何かしらの事情を抱えていることは一目瞭然であり、問題事を持ち込みたくないのか、宿の主人はにべもなく「部屋は満室だよ」と言った。食い下がっても、「満室なんだから、泊めたくても泊めてやれないねえ」と取り付く島もない。引き下がるしかなかった。
宿を追い出され、一行は寒空の下に立ち尽くす。野営の準備はあるものの、街に入っておりあまつさえ屋根のある宿を目の前にして野宿というのはあんまりだった。それも、一向に目を覚ます気配を見せない女性を抱えたままで。
どうする。どうしよう。顔を見合わせて困り果てている三人の傍らに、立ち止まる者があった。
「もし、旅の人かな」
かなり高齢の男性は、歳の割にしっかりとした足腰と声をしている。どこの土地にも情のない人間がいるものだが、人の好い人間も同じ程度にいる。今夜の宿がないと説明すると、彼は「それは気の毒にねえ」と眉をひそめる。
「うちに来るかい。幸い部屋なら余っているし、独り身の年寄りには人の声というのは薬になるものだ」
「ありがとうございます。でも……」
零夜は視線をさまよわせる。零夜の言いたいことを察したのか、キヤとティエラも意味深な視線を交わす。零夜の背に負われた女性は、身体が冷えないように予備の上着をかぶせてあって老人からは見えないようだ。目を覚まさない正体不明の女が同行しているとなれば、老人も間貸しを渋るだろう。
せめて医者でも紹介してもらえないかと零夜が顔を上げたとき、女性にかぶせていた上着がずりおちた。白銀の髪、真っ白な中にほんのりと生気の宿る頬が街灯に照らされる。老人が「あ」と小さな声を上げた。
「せっかくですけど、やっぱり遠慮します。見ての通りわけありで……」
零夜の言葉は、老人には届いていないようだった。彼は目を大きく見開き、シワの刻まれた節くれだった手を伸ばす。
「ハーヴ?」
老人が呟く。その声の響きが空気を震わせ、形の良い小さな耳へと届いたとき――白銀の彼女のまぶたは、ふいに開かれた。
「……ゲルト?」
鈴のような声が唇からこぼれる。状況を把握できていない三人を置いてきぼりに、彼女は目覚めのぼんやりとした表情を老人へ向けると「ゲルト」ともう一度呟いた。
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