第103話 人形のような

 レイチェルお嬢様とよく似た姿。黒髪を束ねて、赤い瞳に睫毛がかかる。お嬢様よりはほっそりとしていて、儚げなその女性はたしかに奥様で間違いがなかった。

 ただ、記憶の中の奥様はいつだって微笑を浮かべていたが、鏡に映る奥様には表情がなかった。ぼんやりと焦点の定まらない目を空間に向けている。


「お母様――、本当にお母様だったのですね」


 隣にいる私にしか聞こえないくらいの小さな声でお嬢様が呟いた。奥様の姿は、私だけではなく他の人たちにも見えているようだ。


 ゆらりと、旦那様が一歩踏み出す。


「お前が――、アンナを殺して、ライラのことも殺そうとしているのか」


 鏡を掴もうとする旦那様の手を再びジルが制した。


 しかし鏡の中の奥様を見据えるジルの瞳も、冷ややかなものだった。ライラ様の母であるアンナ様が原因不明の病で命を落としたことも、この奥様のせいということになるのだろうか。

 ジルにとっては、アンナ様もライラ様も特別な人のはずだ。もし全ての原因が奥様にあるのだとしたら、彼は今どんな気持ちで奥様を見ているのだろうか。


 奥様はわずかに目線をあげたが、旦那様を見ても反応はなかった。その瞳からはなんの感情も読めない。精巧な人形のようだ。意志が感じられない。


 ディーは顎に手を添えた。


「器をもたぬ者は不安定なのでしょうね。感情までも生前のようには現れない」

「霧散した魂を集めたとはいえ、すべてが集合したわけではないだろうな。そこに映っているのは、魂のほんの片鱗にすぎないのだろう」


 これでは見ることができたとしても、会話すらできないのではないか。そう思ったのは私だけではないようで、旦那様が舌打ちをする。


「それで、どうするというのだ」


 お嬢様がおぼつかない足取りで鏡に近寄った。


「お母様――」


 小さく呟く。ふと、奥様の赤い瞳が揺らいだ気がした。


「声はきっと届いているわ。わたくしの声は、きっと届く」


 奥様とレイチェルお嬢様は、旦那様のいない屋敷で二人寄り添って生きてきたのだ。奥様に届くとしたら、それはお嬢様の声だろうと私も思う。

 お嬢様は息を吐いて、振り返った。


「わたくし、ディーに話を聞いてから、きっとこれはお母様が関わっていることなのだろうと予感していました。だから、お母様の遺品を改めてみたのです」


 奥様の遺品は大部分がすでに処分されていた。ドレスも宝石も家具も。しかし細々としたものはお嬢様が別館に引き取っており、その中には日記もあったという。

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