第102話 最後の一押し

「もうじゅうぶんだろう。これ以上は付き合っておれん。出ていっていただけますか。こんな妙な鏡など――」


 それまで黙っていた旦那様がしびれを切らしたようにそう言うと、鏡に手を伸ばす。しかし、その手は鏡に触れる前に静止した。その手をジルが掴んだからだ。

 旦那様はジルを睨みつけた。


「なんの真似だ」

「申し訳ございません。ですが、今パッサン卿は思案していらっしゃいます。もうしばらくお待ちいただけませんか」

「こんなふざけたことに、まだ付き合えというのか」

「医者でも治せなかったライラお嬢様の体調を、どうにかできるのかもしれないのです。それに、ライラお嬢様が彼らを信じると言った。ならば私も彼らを信じるだけです」


 ジルに掴まれた腕はぴくりとも動かない。旦那様は舌打ちをして抵抗の意志を弱めた。ジルが手を緩めるとばっと振りほどいて腕組みをする。


 パッサン卿はぶつぶつと呟きながら、部屋を歩き回った。


「あともう一押し――」


 必死に考えを巡らせている。そんなパッサン卿と、ぱちりと視線が交わった。それを境に、足を止めてじっと険しい目がこちらを見つめた。


 すると唐突に、


「お前、鏡に触れてみろ」

「――え、なぜですか」

「ディーテに言わせれば、お前は普通の人間とは違うのだろう。なにか儂たちには起こせぬ反応が起こるやもしれん」


 そんな凄いことが私にできるのだろうか。

 戸惑っていると、お嬢様まで「やってみて」と告げた。そう言われてしまうと従わないわけにはいかない。


 状況が変わらなくても知らないからな、と半ば投げやりに鏡に手を伸ばす。


 指先が鏡面に触れる。冷たい鏡面の感触。


 それと同時に、妙な感じがした。今まで体験したことのない、変な感覚だ。鏡の中に吸い込まれていきそうな、穴に落ちていくような、そんな得体の知れない恐怖。


 視界がぐらぐらと揺れる。


「あ」


 おぼろげな視界の中で、鏡に懐かしい顔が映るのをみた。これは。


「奥様――」

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