第3話 歩



 木々に遮られながらも、燦燦と陽光が降り注ぐ森がある。


 大きく育った木々はその葉を広げ、空からの光を浴びていた。



 その下。


 木の型に切り取られた影を突っ切るように歩く、動きやすい服装をした男の姿があった。


 アルジオ帝国で隊長と呼ばれていた青年だ。


 玉座のある場所を発ってから約1時間。


 青年の足取りは、重かった。



 ……完全に舐めていたな。


 木の幹に手をついて休憩しながら、青年は考える。


 向かう方向が分かれば後はたどり着くだけだなどと考えていた自分を蹴り飛ばしてやりたい。


 水分を多く含み、踏み出す度に足を沈ませる土。逸る気持ちを嗤うように草の中に隠れた木の根。足元に注意して歩いてみれば正面の木に気付かず激突する。


 体力と集中力。これらを確実に奪われていた。



 その一方で、目の前に立つ少女はまるで自分の庭のようにスイスイと前を歩いていた。


 確かに、空の太陽が木々に隠れて見えなくなってから、先導を頼んだのは自分だ。


 動物的感覚なのか、迷うことなく進んでいた彼女は、距離が開いたこちらを振り返っては、



「――ふふん」



 ドヤ顔と共に笑う。


 ……腹立つわあ。


 いかんいかん、と首を振ってその思いを振り払う。


 余計なことを考えているとまた木の根につまずくことになる。


 全身の空気を入れ替えるように深呼吸をして、下げていた視線を前に戻す。



「……よし、休憩終わり。まだしばらく先導を頼むことになりそうだが、よろしく頼む」


「たのまれたー」



 目の前で、少女が軽やかに歩みを再開するのを見る。


 視線を更に上に挙げれば木の緑の隙間に青空が見える。


 色々なものを遠くに感じながら、青年は歩を進める。




● ● ● ● ●




 少女を先導として、青年は森の中を往く。


 少女は青年の数歩先を行き、二人は同じ方向を見ていたが、会話によるやり取りがあった。


 青年が、移動中にも少女からの情報収集を望んだからだ。


 その内容は、森のこと、少女のことと、次々に変わっていく。



「――それなら、君はこの森から出たことはないのか?」


「うん ない」


「……御両親とこの森に住んでいたとか?」


「ごりょうしん?」


「ん。御両親っていうのは、親……。君を産み育てた人。父親と母親だ」


「――?」



 少女は分からない、と言いたげに首を傾げる。


 どういうことだ、と青年は思う。


 言葉が通じなかったことから少女に教育が施されていないとは思っていたが、それでも親、またはそれに準じる者の庇護下にいたものと思っていた。


 でなければこの少女は魔獣が住むこの森でたった一人でここまで育ったことになる。



「不可能だ。有り得ない」


「む?」


「質問を変えよう。君が着ている服はどうやって手に入れた?」



 青年が有り得ない、と判断した理由の1つが少女の着る純白のワンピースだ。


 どう見ても既製品のそれはこの森で入手し得ない。ならば、誰かがそこにいたはずだ。



「もってた」


「持ってた、って……。初めから?」


「むん」



 肯定の頷きを返す少女に青年はいよいよ頭を抱える。


 疑問が解消されたと思ったら次の疑問が湧いて出てくる。


 いつかどこかで何が分かっていないのかまとめた方がいいのかもしれない。



「どうしたもんかなー……」


「わからないことは しかたない」


「それで何とかできるならそれでもいいんだけどさー」



 ため息を一つ吐いて、青年は歩き続ける。


 さて、次は何を聞こうか、と考えながら。


 ふと、下がりかけていた視線を前に戻す。



「……?」


「む どうした?」


「……」


「ねえ」


「……いや、何でもない。気のせいだろう」



 あんな所に、木なんてあったっけ?




● ● ● ● ●




 森は続く。


 しかし、足元の草の丈は低くなり、空を見上げれば青空の面積が確実に広くなっている。ここまで来れば自分でも方角の把握ができそうだ、と青年は考える。


 格段に歩きやすくなった青年は、少女の横に並んで歩く。



「状況的にあと少し、と考えてもいいんだろうか」


「たぶん」


「やっとだな。もうどれだけ歩いたのか考えたくもない……。


 あの魔獣に見つからないように気を張ってきたからな……。


 この森を出たら、肉を食べたい……」


「すききらい よくない」


「渡される果物のことごとくがゲテモノ系じゃなかったら別の感想もあったんだろうけどな」


「……」


「目を逸らすんじゃない」



 早々に見切りをつけた青年は自らの手による採集を選択していた。


 もとから空腹に慣れさせられていた青年からすれば少量の収穫があれば十分だったが、少女はそれでは足りないだろうと考えたのか、どこからか採ってきた果物(?)を青年に差し出していた。


 牙を生やして奇声をあげるもの、モフモフの毛皮に覆われたもの、コロコロと色を変えるもの……。


 何で全部見た目ヤバいやつなんだよ。逆によく見つけてくるなあ。


 ……毎回期待に満ちた目を向けてくるのやめてくんないかなあ。


 一応毛皮のものはギリ行けるかも判定で試しに割ってみたが、中身が肉色としかいえない鮮やかなピンクだったのでそっと閉じた。



「まさに これこそ か“にく”ってやつか」


「やかましいわ」



 そんな会話もしながら足元の草をかき分けて行く。


 歩きやすくなったこともあり、青年の気持ちも軽くなっていた。


 もはや立ち位置は変わり、青年が前に立って歩いていた。


 ……あと少しだ。


 そう思うと、足は疲れを忘れたように早く回る。


 逸る気持ちを抑えられず、体が前へ前へと進みたがる。


 この森を出れば。ここさえ出れば、今以上に情報が集まる。


 そうすれば、あの後悔の残る場所へ帰ることができる!



「だめ」


「!?」



 遂に走る、という動作になりつつあった自分の服を、少女が掴む。


 少女の言葉と、強い力で後ろに引かれたことの両方に驚いて、前につんのめる。


 左後ろに立った少女は、足を止め、服を掴んだままこちらをじっと見つめて、言う。



「だめ」



 何が、という思いと共に、少女の方を見る。


 服を掴む力は強く、離してくれなければこれ以上前に進めない。


 しばらく見つめ合った後、少女は真剣な顔で続ける。



「そっちは あぶない」


「……何がだ? これから向かう先に何がある?」



 つと、少女の視線がこれから進もうとした先を見る。


 その視線につられるようにして、同じ方向を向く。


 ……何もない。



「何もないじゃない――」



 か、という最後の一音を吐き出す直前。


 爪先の地面が割れた。



「!?」



 地面を割ったものは、真っ直ぐと、己の存在を示すようにその背を伸ばす。


 僅か数秒の間にそれは太く、高く立ち上がり、十分に伸びればその先端を横に広げる。


 太くなった身に応えるように、その足元はより広がり、それに合わせて地面の割れが大きくなる。



「……どういうことなんだ、これは」



 立ち上がったものは動かず、ただこちらの行方を塞ぐように立ちはだかる。


 それは、一本の大樹だった。


 周囲とも比較にならない程成長したそれは、まるで意思をもって警告しているようだ。


 これ以上進むな、と。



「……」



 一瞬の出来事に思考に空白が生まれているのを実感しつつも青年は考える。


 ……やっぱりあれは錯覚なんかじゃなかったのか!


 ここに来るまでの間にも、似たようなことはあった。


 いつの間にか木が増えていたような、逆に減っていたような感覚。



「疲れているから、慣れない環境だからと、適当に誤魔化してきたが、気のせいでも何でもなかったということだ……!」



 一切の常識を捨てよ、と魔術を教わり始めたその日に言われたことを思い出す。


 ――魔術という未解明を前に、私たちの経験など塵芥に等しい。あらゆる事象は魔術によって発生し得るものであるがゆえに、この世界では“何でも”起きる。だから無駄なのだよ。“こんなこと起きるはずがない”などと考えることなど。


 幼い頃、そう言った灰髪の魔術師がいた。


 ふらりと現れ、またどこかへと消えていったその魔術師の言葉は、なぜか今でもよく覚えている。



 どうする、と青年は思う。


 目の前で起きた現象に魔術が絡んでいることは間違いない。恐らくは、いや間違いなく、自分の蘇生に関しても、だ。


 ……だが今、その内容を分析すべきなのか?


 今はとにかくこの森を出てしまうべきなのではないか? いや、この森を出ればこの不可思議な現象から逃れられるという保障もない。いやしかし……。



「だいじょうぶ?」



 顎に手を当てたまま固まったこちらを心配する少女の声が聞こえる。


 しかし思考はまとまらず、今までの光景がフラッシュパックするばかりだ。


 ……どうすべきなんだ? 今自分は、何をやるべきなんだ?



「……っ!」



 そこまで考えて、ある一つの疑念に気が付く。


 そのことを確かめるために、急成長を遂げた樹から離れ、青空を仰ぐ。


 見上げる位置にあるのは、頂点にて輝く太陽。



「……はは。何で――」



 青年は乾いた笑いを漏らす。


 脳裏に浮かんでいるのは、玉座のある場所から空を見上げた時の光景だ。



「何で、



 ここまでたどり着くのに数時間。


 日は傾かず、今も燦燦と光を放っている。



「……え」



 いいだろう。目の前で苗木が大樹になるのも、死者が生き返るのも、太陽が動かないのも、全部魔術のせいだ。だがそれはどういう原理だ? 何もかも考えることを放棄してこの森から出ることが正解なのか?



「……えってば」



 いや違う。これが魔術によるものなら、魔術を使っている誰かがいるはずだ。ならばそれは誰だ。あの魔獣か? それともこの森にまだ隠れた何かがいるのか? それとも――



「ねえってば!」


「!?」



 ハッとして前を見れば少女がこちらの胸ぐらを掴んで揺すっている。


 目の前で起きたことの処理で頭がパンクしていたことを自覚する。


 少女の目は、何かを訴えかけるような必死さを持っている。



「あれが きた! にげて!」


「……あれ?」



 少女が指し示すのはこちらの背後。


 そこには、大角を携えた魔獣がいた。


 すでに魔獣はこちらの姿を捉え、突進の構えに入っている。



「っ! 逃げるぞ!」


「さっきから そう いってる!」



 二人揃って当初向かうことにしていた方向、森の出口へ向かって走る。


 ……逃げ切れるか!?


 こちらと魔獣の距離はおよそ40メートル。こちらの逃走と同時にスタートした魔獣の方が当然速度で勝る。


 来る。


 背に迫る圧を感じながらも、一方でその到来を想像より遅く感じる自分がいる。



「前回との違い……。木か!」



 最初に遭遇したのは木の生えていない開けた場所。今は密集とはいかないまでも、まばらに行く手を塞ぐように木が生えている。


 突進という直線運動には向かない環境が、魔獣の動きを阻害する。



「これなら……!」


「まえ!」



 声のままに前を向けば、視界に入るのは森の終わりとその先に見える光。


 無色の壁のように見える光こそが、今まで目指してきたゴールだ。


 最後に見える二本の木がそのゴールへと至る門のように見える。



「あと少し……!」



 背後の圧は少しずつ、しかし確かにこちらに迫りつつある。


 それでも、この調子なら、追いつかれる前に森を出ることができる。


 そうすれば、魔獣の縄張りの外だ。



 光まで残り30メートル。


 後ろを振り返ることもなく、ただ全力で疾走する。


 20メートル。


 背後から気をなぎ倒す音が響く。それでも足は緩めない。


 10メートル。


 もう光は手を伸ばせば届くような距離だ。ラストスパートのために今までより強く踏み込む。



「!?」



 しかし。


 横で今まで並走していた少女が突如としてその走りを緩める。


 ちょうど森の出口で立ち止まる動きだ。


 どうして、という疑問はあるが言葉に出す余裕がない。


 加速を始めた足を、すぐに止めることができない。



「……くっ!」



 たった一人で光に飛び込む。


 それと同時に、体を反転させて右足で急制動を掛ける。


 地面は草が刈られ、荒くはあるが確かに人の手が入った道。


 この方角に人の住む世界があるという少女の言は嘘ではなかった。



「何故だ!?」



 森の外から森の内へ向かって声が飛ぶ。


 光の中に立つ青年の目には、影の中に立つ少女とその後ろから迫る魔獣が映っていた。


 少女はこちらに背を向け、魔獣を迎えるように手を広げている。


 青年は少女が自らを囮にしようとしていると判断した。


 返ってこない答えを前に、くそ、と声を漏らした青年は森への1歩を踏み出す。



「もう、誰かを犠牲にするのは、嫌なんだ……!」



 勝算はない。


 それでも、という思いで強く2歩目を踏み出す。


 3歩目は続かなかった。


 かくん、と膝から崩れ落ちるように倒れる。



「!?」



 疑問を浮かべる青年を襲うのは、抗いがたい眠気だ。


 2歩目までの勢いのせいか、全身を地面にこすりつけるように滑るが、その痛みでも目は醒めない。


 ……どういう、ことだ。


 意識が霞み消えていく。



「……どういう、ことなんだよ」



 鉛のように重くなった目蓋が閉じきる前に見た光景。


 それは、甘えるように身を寄せる魔獣と、その背を優しくなでる少女の姿だった。




● ● ● ● ●




 陽光が差し込む森がある。


 青々とした葉を掲げるように持つ木々と、枝を渡りゆく小動物が生きる豊かな森だ。


 その森を上空を見た時、ちょうど中心には開けた場所がある。


 円形に開け、空からの光がより多く差し込むその場所で、



「ん……」



 銀の瞳を持つ青年は、眼を開けた。



 三度目は、確かな意思を携えて。

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