第2話 絵

 


「待ってほしい」



 どういうことだ。


 青年は2度目となる、木の幹を内側から蹴り砕くという貴重な経験をしながら考える。


 ……さっき、死んだよな? しっかりと上半身と下半身分離してたし。あそこから完璧に治るとなったならそれはもう人間じゃないと思う。



 幹からの脱出を終え、服についた木屑を払うついでに先ほど千切れた腰の辺りに触れて具合を確かめる。


 ……何ともない。傷跡も、治療跡も、何もない。


 それでも身の内から鈍く、重い痛みを感じるのは気のせいなのだろうか。



「分からないことばかりだ……」



 疑問ばかり増えていく状況を前に、焦りは既に通り越し、乾いた笑いすら出てくる。


 崩れた玉座の横に座り、顔を手で覆う。


 そこまでやって、ふと気づく。



「あの少女はどこに行った?」



 周囲を見渡すと、あの少女の姿はない。


 自分が死んだ後、どうなった? あの魔獣に目をつけられて襲われてしまったのだろうか。……それなら申し訳がない。状況的に考えて巻き添えを食らわせたことになる。それなのに、助ける手段もない。


 本当、何もかもうまくいかないな、と顔を覆う手がますます動かせなくなる。


 そんな青年の耳にガサリ、と草をかき分ける音が聞こえたのは、考えるのも嫌になったころだった。



「……は」



 青年は、手を顔から動かすことなく、小さく笑いを漏らす。


 あの魔獣がまた来たのだろうか。縄張りの巡回、ご苦労なことだ。


 あの少女が無事に逃げ切れたことだけを願う。自分は逃げられそうにない。


 ……今度こそ、ちゃんと死ねるかな。


 1歩ずつ、足音が近づいてくるのを感じつつも、顔を上げることができない。



「――? ちょっと おきて もらっても いいですか?」


「!?」



 予想に反して耳に聞こえたのは、たどたどしく、一言ずつ確かめるような言葉。


 ハッとして顔を上げる。


 目の前には、首を傾げた状態であの少女が立っていた。



「おこして すまない?」


「……」


「……ちがう?」



 唖然としたままのこちらに少女は眉を下げて言葉を続ける。


 何か間違えているのだろうか、という不安そうな表情だ。



「あ、いや、大丈夫だ。間違ってない。ちょっと驚いただけだ。


 まさか話しかけられるとは思ってもいなかったから」



 手を振りながら少女をよく見れば、その腕にはいっぱいの果物を抱えている。


 どうやら収穫に行って、帰ってきたらしい。


 ……え、これ、全部食うの? 常識的に考えて3日分はありそうなんだけど。


 話しかけられた衝撃を上回る衝撃に襲われる。


 少女は果物に釘付けになっているこちらの視線に気づいたのか、



「――む」



 体で果物を隠すように半回転する。


 威嚇するように、ジト目だけをこちらに向けている。


 取ったりしないから、と両手をあげても毛を立たせてこちらを見つめる。猫かよ。


 そのまま、数秒見つめ合った後、少女は渋々といった感じで腕の中から1つを選び取り、こちらに放る。



「――ふっ」


「ありがとう。うわすごいドヤ顔。


 ……って何このドギツい色!? しかも発光してるし!


 これ衛生的に食べても大丈夫なやつなんだろうなあ!? あ、目を逸らすな!」



 こいつ俺で毒見させようとしていないか。


 こっちをチラチラ見ながら早く食べないかなー、みたいな顔をするんじゃない。


 脇にそっと果物(?)を置くと残念そうな顔をされた。


 ……なんだろうな、この罪悪感。全体的に俺悪くないと思うんだけど。



 少女はその場でぺたんと座り、腕の中の果物を食べ始める。


 その様子を見ながら、青年は考える。


 ……いきなり言葉が通じた、ってわけじゃなさそうだな。


 少女が使う言葉はどれも以前自分がかけた言葉だ。


 聞いた言葉をそのまま覚えているだけあって耳は良いようだが、意味まで正確に理解しているわけではないだろう。



「それでも会話する意思があるのなら、やりようはある、か」



 ものすごい勢いで果物を消費していきながらも、こちらをチラチラと見る少女の様子から会話する意思ありと判断する。


 立ち上がり、目的の物を探すために開けた場所を歩き回る。


 立ち上がる際、獲物を取られると思った少女に睨まれたが、そこは手を振って適当にやり過ごした。



「今を見て、原因を見抜き、策を見出す……。そのために正確な情報は不可欠……。お、あった」



 呟きながら青年は目的の物を発見する。


 それを拾い上げ、元の座っていた場所に戻る。



「さて、食べながらで構わないから――」


「――む?」


「ちょっと、お話しようか」



 その手には、木の枝が握られていた。




● ● ● ● ●




 木製のテーブルが数列並ぶ部屋がある。


 部屋の奥には一人が辛うじて入る小さな厨房がある。


 この部屋を管理する者はマメなのか、部屋の清潔感は保たれている。


 しかし、所々欠けたテーブルや脚の折れかけた椅子など、全体的なボロさが目に付く部屋だった。


 アルジオ帝国の、とある特殊な部隊のために用意された食堂だ。



 その食堂に、赤肌の大女が入ってくる。シィルという名を持つ、オーガと呼ばれる種族の女性だった。


 他の者より多くの食事量を必要とする彼女は夜食を食べに食堂を訪れていた。


 この食堂には、彼女のような者のために、隊長の料理の作り置きがいつも置かれている。


 決して良質とは言えない材料ではあるが、それが却って隊長の工夫を感じる出来上がりだ。



 食堂に入ったシィルは、先客の姿を認める。


 部屋の奥。魔術ではない、蝋燭の光の明かりで手元を照らし、ペンを片手に何かを書いている。


 シィルは、がしがしと頭を搔いてその影に近づき、



「なぁにやってんだい、隊長。


 もう日付もとっくの前に変わったっていう時間にこんなところで」


「……ん、あぁ、シィルさんでしたか」



 シィルでいいよ、と言いながらシィルは隊長と呼んだ青年の向かいの席に座る。


 自分がこの世界にいきなり喚ばれておよそ3ヶ月。


 今は、少しずつお互いの距離感を掴みつつある時期だ。


 ……まだちょっと緊張、いや、罪悪感か。持たれてるねえ。


 こちらを窺うように見る青年の視線には恐る恐るが含まれている。


 まだ16,7のガキの分際で一丁前に、と思いながらもシィルは促しの視線を送る。



「で? 何してるんだい?」


「……先日、また新しく俺が召喚した人がいるじゃないですか」


「あ? ああ、なんか珍妙な格好をした女だったね。


 その後、また魔力切れでぶっ倒れたって聞いてたけど、大丈夫なのかい?」


「え? はい、大丈夫です。


 まあ、それはどうでもいいんですけど」



 良かないだろ、と内心ため息をつく。


 魔術は魂の力だ。魔力切れは下手すれば死に繋がる。


 どうもこの隊長は自分の優先順位が低すぎる。



「目が覚めた後に少し話してみようとしたんですけど、どうも言語体系が全く違う遠い世界の人のようで。


 それで、“これ”で暫定的にでも会話できないかと思ったんです」



 そう言って隊長が指し示した先には、1枚の大きな紙だ。


 そこには人や建物など、様々な絵が描かれている。



「なるほどね。絵を使えば言葉が通じなくても多少はマシになるだろうね。


 ……今描いてたこれはこの近くに出るっていう危険動物かい?」


「いえ、今自分たちがいる砦……」



 ……やばい、やっちまった。


 とりあえず咳払いして立ち上がり、厨房から食べようと思っていた料理をよそって元の位置に座る。


 先程示した絵の隣を指し、



「……裏の畑で育ててる野菜!」


「ドワーフのゲルド爺ですね」


「この前すれ違ったクソ上官!」


「さっき言ってた危険動物……」


「こ、これは確実にわかる! 隊長、アンタだろ!?」


「砦1階の簡単な地図……」


「えぇーーっ!?」



 嘘だろ!?


 紙を180度回転させて正しい方向から見てもさっぱりわからん。


 ……うん、これは。



「ヘッタくそだねえ!」


「は、はっきり言いやがった!」


「いやヘタだろこれ! これとかどこがどうなってんのさ!?」


「見たらわかるでしょ、これが目で……」


「はぁーー!? 何で目が左右同じ高さにないんだい!?


 貸しな! 私がもっと上手いの描いてやるさね!」


「……いや同レベルだろこれ!? 何描いたんだよ!?」


「ああん!? 一緒にすんじゃないよ!」



 後日。


 その日に描いた絵を他の人に見せたところ、全員引きつった笑顔を浮かべ、“まだシィルの方がまし”と言っていた。


 その更に後日、エルフの男に絵の描き方を教えてもらう隊長の姿があったらしい。




● ● ● ● ●




「……なるほどな。俺を殺した後、魔獣は君を無視して何処かへ行った、と」


「む」



 森の中心の開けた場所。


 青年と少女は、頭を突き合わせ、お互いに地面に絵を描きながら情報交換をしていた。


 その際、絵の内容を言語化することを忘れない。そうすることで、少女に言葉を教えるためだ。


 その成果として、



「君はあの魔獣を見たことはあるのか?」


「ある 4,5かい」


「その時、襲われたりは?」


「なかった」



 短くはあるが、はっきりとした答えが返ってくるようになっていた。


 いい感じだな、と顎に手を当てながら青年は考える。


 彼女から情報が集められるようになったのは大きな1歩だ。


 彼女からも、短くはあるが、



「あれ ころす?」



 質問が飛んでくることも増えてきた。


 先の質問に対しては、自分は首を横に振る。



「今はこの森を出られれば十分だ。


 あれを殺さずに出られるのなら、それに越したことはない。


 それで、聞きたいんだが……」



 青年は地面に人の絵を3つ描く。


 そして描いた3人目を木の棒でトントンと叩きながら、



「俺と君以外。


 誰かがこの森に来たことはないか? 


 その人はどっちから来たか分かるか?」



 問う。


 少女は、ふむ、と顎に手を当てて考える素振りを見せる。自分の真似だろうか。


 その姿勢のまま、右に、左に、ユラユラと揺れ、



「あっち」



 一つの方向を指さした。


 それは、崩れた玉座に座った時に正面となる位置だった。



「ずっとまえ たくさん きた あっちから」


「ずっと前、ってどれくらい?」


「わからない」



 そうか、という頷きと共に確実に前進していることを実感する。


 ……ようやくどこへ向かうべきかが決まったな。


 少女が指す方向は、太陽の位置から、方角的に北東の方向だ。


 何度か空を見ながら移動すれば、大きく外れることはなさそうだ。



「そっち いく?」



 少女の問いに、大きく頷く。


 分からないことは山ほどあるが、森を出て、話を聞けば案外簡単にわかったりするかもしれない。


 ……実はこの森自体が死者を復活させる特殊な場所だったりしてな。



「じゃあ、行くか」



 随分と軽くなった気持ちと共に、少女が示した方向へ第1歩を踏み出す。


 その少し後ろから、少女が小さな歩幅で付いてくるのを感じる。


 その腕にはまだ果物の食べ残しがあり、食べながら付いてくるつもりらしい。


 ……気楽なもんだな。ま、音をたてないように静かに動けば見つかることもないだろう。




 数時間後。


 本当に気楽だったのは誰か、何もかも甘く考えていたのは誰か、思い知ることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る