第1章 時の森

第1話 森



「――初めまして、私の運命の人」




● ● ● ● ●




 陽光が差し込む森がある。


 青々とした葉を掲げるように持つ木々と、枝を渡りゆく小動物が生きる豊かな森だ。


 その森を上空を見た時、ちょうど中心には開けた場所がある。


 円形に開け、空からの光がより多く差し込むその場所で、



「ん……」



 銀の瞳を持つ青年は、眼を開けた。



 ……いや待て。おかしいだろう、と青年は思う。


 自分が持つ最後の記憶は、暴走魔術による熱と冷たさ。状況的に考えて、死んだはずだ。死体は残っていただろうが、身に収まりきらなくなった魔力のせいで見るも無残な有様になっているはずだ。



「それなのに、手も足も、感覚がある……」



 目に映るのは木漏れ日の差す森。初めて見る場所だ。


 投射魔術で作戦区域となった森を見たことはあるが、実際にそこへ向かうことが許されたことはない。


 だから、目の前にある緑の暴力に、少々、不安になる。



「……だからって、ここで止まっている訳にはいかないだろう」



 まずなすべきは状況の確認だ。


 そう思い、1歩を前に踏み出そうとして、


 ……ん?


 進まない。膝は上がるが、何かゴツゴツしたものに当たって足を前に進めることができない。


 何かあるのか? 駄目だな、頭がはっきりしない。4徹目の朝みたいだ。あの時は寝落ちしそうになったら水ぶっかけられたんだっけか。でも今水ないしな。



 まとまらない思考のまま、視線を足元まで下げる。


 そこに映るのは、自分の足、ではなく、木の幹。


 ああそうか、と見える情報からわかることをそのまま思う。



 今、自分は木の幹に入れられているのか、と。



「いや、どういうこと……?」



 よし、落ち着こう。そろそろ頭は働け。もう一度状況把握、始め。


 目の前の景色は森。どうやら顔の部分だけ幹がくりぬかれて露出してるっぽい。


 首から下はすっぽりと木の幹の中に納まっている。だが、元が大きい樹なのだろう。身動きが取れないということはなく、わずかながらのスペースはある。


 ならば、



「せえ……の!」



 勢いよく足を振り上げる。膝蹴りを目の前に幹に叩き込む。


 一発。二発。三発。四発目で割れ、五発目で穴が空く。


 その後にも何度か穴を広げるように蹴りを叩きこむ。穴の近くを狙って蹴れば、簡単に穴は広がる。



「……よし」



 十分に広がった穴から、身をねじ込むようにして這い出る。


 出るときに服についた木屑を払いながら、開放感を得る。


 ……何も解決してないんだけどなあ。


 ここ、どこ。何故、俺、生きてる。今、いつ。どうやって、ここに。


 徐々にハッキリとし始めた思考は、真っ先に考えるべき疑問にぶち当たる。



「……あの子たちは!?」



 急いで周囲を見渡す。が、そこに子供たちの姿はない。



「オルテ! シルード!」



 守るべき子供たちの名。それを縮めた愛称を叫ぶ。返事はない。


 く、と後悔の声が漏れる。


 ぼんやりしてる場合じゃなかっただろ!


 死んでいないのならば、やるべきことをやらなければ。



 だが、動こうにも動けない。


 あまりにも情報がなさすぎる。


 踏み出すべき一歩目をどこに向けるべきかが分からない。



 それでも、これ以上止まり続けていることに、耐えられなかった。


 今向いている方へ走り出す。


 明確になったはずの思考を乱し、二人の名を叫びながら。



「……っ!」



 三歩目で転んだ。何たる無様。


 何かにつまずいたようだ。



「何なんだ、もう!」



 苛立ちの思いと共にそれを見る。


 それは積み上げられた石の山だった。


 元は何かを形作っていた石が砕かれ、その残骸が積みあがっていた。


 冷静であれば気付いて避けることができていたはずのそれを見て、大きく息を吐く。


 ……冷静になれ。思うままに動いて、いいことなんて何もない。考えるのが、俺の仕事だ。



 思い、改めて、ゆっくりと周囲を見る。


 石は、今自分が立っている、開けた場所の中心の位置にある。


 土が盛り上がり、わずかに周囲より高くなっていて、一番よく陽が当たる場所だ。


 石の破片を拾って観察すれば、自然にできたものではない、明らかに人の手による彫り込みがある。


 ……玉座?


 根拠はない。しかし、何故だかそう思った。



 手に持った玉座の破片から目を離し、更に手がかりとなるものがないか、視線を下に向ける。


 こちらから見て玉座跡の向こう側。


 柔らかそうな草の上。


 少女が横たわっていた。



「……!?」



 口から悲鳴が漏れそうになるのを咄嗟に手で押さえる。


 今の今まで少女の存在に気付かなかった驚きを、その存在の異様さが遥かに超える。


 年齢は、おそらく14,5歳。


 青々と茂る草の上に、腰ほどまでに伸びた少女の白髪がぶちまけられるように広がっている。


 身にまとう純白のワンピースに皴は一つもない。


 まるで絵画のような光景に畏敬を超えた気持ち悪さと、同じ場所に紛れ込んだ居心地の悪さを感じる。



 ……さっきつまずいたのが石でよかった! この人だったらヤバかった!


 いや、そうじゃないだろう。落ち着け。


 さっきから動揺と冷静を繰り返しすぎだ自分。


 冷静第一。クソ上官が隠し持っていた酒を徴発だなどと抜かして持って行った時も冷静だっただろう。


 そう。あの時も冷静にそいつの奥方に浮気情報リークしてワクワク家族会議まで持ち込めた。


 あの時のことを思い出せ。



 深呼吸をして少女を観察する。


 呼吸に合わせてわずかに体が上下している。どうやら眠っているだけらしい。それはそれでどうなんだ。ここ、森だぞ?



「あのー……」



 すぐ傍に膝をつき、声をかける。


 反応はない。かなり深く眠っているようだ。


 少し躊躇ってから、少女の肩に触れて揺り動かす。


 ……大丈夫だよな? いきなり怖いお兄さんとか出てこないよな?


 そういう疑いを持つくらいに、顔が整っていると一般的に判断される。いわゆる美少女というやつだ。



「ちょっと、起きてもらってもいいですか……?」


「……むう」



 結構強めに揺らしたのち、少女は目を覚ます。


 少女は、とろんとした目で触られている肩を見て、こちらの顔を見て、何かよく分からないが一度頷き、



「……すぅ」


「寝るな! 見知らぬ男が近くに寄ってきているんだ!


 俺が言うのもなんだけど危機感を持て!」



 少女の両肩を掴んで前後にがくがくと揺さぶる。


 ……そういえば、召喚したエルフの男が人妻エルフに夜這い掛けて弓でナニを撃ち抜かれた男の話してくれたっけ。


 今度こそ少女の目が開き、金色の瞳の焦点が合うのを確認。


 素早く距離をとって両手を上に挙げる。念の為、念の為にな?


 両者の間に沈黙が生まれれば、交渉の開始だ。



「起こしてすまない。緊急事態につき、無理をした。


 ……君は、この近くに住んでいるのだろうか?」



 まずはジャブ代わりの質問だ。


 初めは、はいかいいえで答えられる質問。


 友好的に答えてくれるか、それとも沈黙か。沈黙であるとしても、拒絶から来る防御か、威嚇による攻撃か。


 いずれにせよ、相手の出方次第でこちらも対応を考える必要がある。


 質問に対し、少女は無表情にこちらの顔を見た後、



「――――?」



 こてん、と首を横に傾げた。


 その行為は、疑問を意味する動きだ。


 ……俺の声が聞こえていないというわけではないよな。


 少女は間違いなくこちらの質問に対し、首を傾げるという応答を返した。


 ファーストコンタクトとしては悪くない。無視されるのが最悪だからな。



 しかし、と考えを続ける。


 この近くに住んでいるのか、という質問に対し、疑問を返すことの意味を考える。


 迷うような質問ではないはずだ。そうならそう、違うなら違うと言えば終わる。


 考えられる可能性としては2つ。


 1つは、少女も自分と同じようにいつの間にかここに来ていたために、ここがどこだか分かっていない。


 もう1つは、



「俺の言うことが、通じていない?」



 あり得ない話ではない。


 帝国周辺にも、異なる言語を公用語とする国はあった。


 更に自分には異世界人を召喚し、その身元を引受けてきた経験がある。


 言葉が通じることもあれば、全く異なる言語体系を持つ者がいた。


 そういった者とのコミュニケーションをとることも、自分のやるべきことだった。


 ならば、



「=====?」


「~~~~~~?」


「**********?」



 それぞれ異なる言語で、同様の質問を試みる。


 どれも母国語と同じレベル、とは言えないが、片言の会話くらいはできる。


 やっててよかった自主学習。



 しかし、そのいずれに対しても少女の反応は同じだった。


 すなわち、



「――――?」



 首を傾げることにより示される疑問。


 少女との会話は不可能。その結論に肩を落とす。


 少女は今も無表情にこちらを見るばかりで、一言も発する様子はない。


 もしかしたら、思念だけで会話する特殊な種族だったりするのかもしれない。


 そんな種族がいると、召喚した者の中から聞いたことがある。


 生憎とそういった思念をキャッチするアンテナを持ち合わせてはいない。



 ため息をつき、その場にうずくまる。


 ……どちらにせよ、情報は得られそうにないな。


 勝手に期待したのはこちらだが、一瞬でも期待してしまっただけにショックが大きい。


 子供たちのために1秒でも早く動きたいが、何もかもが上手くいかない。


 どこで間違えた?


 そんなものは決まっている。上の命令に従って召喚をするようになった時点で何もかもが間違いだ。既に間違えてしまったからこそ、それ以上の過ちを起こさないようにやってきたのに……。



 どうやら思っている以上に動揺は大きいようだ。


 動かなくては、と思うのに、立ち上がることができない。


 いつまでも地面の緑を見続けているわけにはいかない。この生命力あふれる緑は、今の自分には少し眩し過ぎる。


 だが、もうどうすればいいのか分からない。



「――――」



 そんな自分の頭に優しく触れるものがあった。


 少女の手だ。


 あちらからしてみれば、急にたたき起こしてきて、意味の分からないことを言ってきた挙句にうずくまって動かなくなった男であるというのに、今、少女はこちらに近づいて、心配するような表情でこちらの頭を撫でている。


 そしてそのまま、こちらの頭をその胸の内に抱く。


 安心させるように行われた行為に、青年は薄いワンピース越しの体温と少女の鼓動を聴く。


 暗く落ち込みかけた気持ちがわずかに上に傾きかけた時。



 ガサリ、と何かが草をかき分けて近づいてくる音を聞いた。



「違う! 違いますからね!? 決してやましい気持ちとか一切全く欠片もありませんでしたので! 確かにちょっと泣きそうになったところに何か柔らかいのが来てほっこりしましたけどそういうのではないので! そう、言うなればおふくろの味的な! 俺は孤児なので親とか知りませんけど多分こういうのだろうなって思います! だからセーフ! いいですね!? セーフです! 許して! お金は持っていません!」



 いやそうじゃねえだろ、と思いながらも口は勢いよく回る。


 少女から全力で距離をとり、音がした方に勢いよく指をさす動きも同時だ。


 危機を感じたからか、もしかしたら死んだ日と同じくらいの速さが出た。やればできるじゃねえか、と謎の褒め言葉が頭に浮かぶ。



 ……やっぱりそういう場所だったのかここ!? くそ、変にシチュに拘りやがって。ニッチじゃね!?


 謎の怒りにとらわれながら指した指の先。


 その先にいたのは、人ではなく、四足の獣だった。



 獣は、隆々とした筋肉を覆う美しい黒の毛並みと、2本の大角を頭に持っていた。


 獣は、こちらをまっすぐ睨み、前足で地面を掻き上げる動きを見せる。


 その目は明らかにこちらを敵として認定するものであり、



「……おっとぉ?」



 来た。


 角をこちらに突き立て、こちらの身を抉ろうとする軌道で突進を掛ける。


 大柄な獣だ。角を突き立てるために頭を下げたとしても、なおその高さはこちらの上半身を丸ごと持って行くくらいにはある。



「……っ!」



 受け止める方法はない。


 一瞬で判断を済ませ、右に身を飛ばす。


 数度勢いを消さぬように地面の上で体を転がし、再び立ち上がる。


 狙いは2つ。次の突進に備えることと、少女と距離をとることだ。


 獣の狙いはこちらに引きつけられている。


 目覚めてから今まで、うるさく騒いでいたのは自分だけだ。このまま少女が一言も発しないなら、獣から狙われることもないだろう。



 獲物に交わされた獣は、右側の足2本だけで急制動を掛けることで、勢いを消さぬまま180度のターンを決める。


 そして、2度目の突撃を敢行する。



「……っとぉ!」



 再度回避する。


 1度目でタイミングを掴んだこともあり、先ほどなく危なげなく回避することができる。


 地面に転がることもなく、余裕をもって右側にステップを踏む。


 ……とはいえ、ジリ貧だよな!


 攻撃を避けられるだけで、こちらから反撃する手段はない。


 背を向けて逃げに徹するとしても、直線速度で野生の獣に勝てるわけがない。


 勝機があるとすれば、相手の体力切れか。こちらはステップを踏めば回避できるのに対し、相手は突撃のの溜めや急制動の踏ん張りなど瞬発的な動きが要求されている。


 まさか疲れ果てて動けなくなるまで攻撃することもないだろう。



 持久戦にして耐久戦。


 そう結論付けた青年は、同じ対応をとるために、回避のための構えをとる。



 獣は違った。


 次の突撃に繋げるための動きではなく、4本の足で制動を掛け、一度完全に止まり、獲物と完全に向き合う。


 角を突き立てるために頭を下げるのではなく、逆に角を誇るように頭を大きく上に掲げる。


 ――――!


 甲高い吠声と共に、2本の角の間に淡い緑色の魔法陣が現れる。



「!? まじゅ――」



 魔術だと、という言葉の最後まで言い切ることもできず、青年の言葉が止まる。


 魔術は人間だけの専売特許ではない。


 生まれながらにして魔術を扱う種の獣もいるし、そうでなくてもある程度の知能があれば訓練次第で簡単な魔術なら覚えさせることもできる。


 そういった獣は、通常の獣と区別され、魔術を使う獣『魔獣』と呼ばれる。



 青年の体は、ピクリとも動かない。


 目の前の魔獣の魔術『金縛り』によるものだ。



 回避の可能性は無くなり、魔獣が悠然と突進の準備をする。


 青年は、徐々に速度を上げ、接近した魔獣の角が自分の薄い服を突き破り、肉、次に硬い骨を砕くのを感じる。


 角が刺さったまま魔獣が頭を思いきり振り上げれば、千切れる音と共に上半身と下半身が分離する。


 それら全てを、悲鳴の声をあげることも許されないまま、青年は見ていた。



 宙を舞う、軽くなった自分の体が地面に落ちるまでの間。


 ……まだそこにいるのか。逃げればいいのに。


 全ての音が遠くなっていくのを感じながら、青年は思った。


 少女の金色の瞳と、最期に目が合った気がした。




● ● ● ● ●




 陽光が差し込む森がある。


 青々とした葉を掲げるように持つ木々と、枝を渡りゆく小動物が生きる豊かな森だ。


 その森を上空を見た時、ちょうど中心には開けた場所がある。


 円形に開け、空からの光がより多く差し込むその場所で、



「ん……」



 銀の瞳を持つ青年は、眼を開けた。



 今度は、驚愕の表情を浮かべて。

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