元召喚士の帰還

とおりすがり

序章

第0話 不足の兵士



「――いつかこうなると、分かっていただろう?」




● ● ● ● ●




 夜明け前。


 間もなくすれば温かな光に満ちる丘の上に一つ、大きな砦があった。


 中央に見張りのための高塔を持つそれは、四方を石造りの壁に囲まれている。


 塔の先端には剣と鷲を掲げる国旗――アルジオ帝国の国旗がたなびいていた。



 その砦の中からは多くの音が聞こえる。


 大きな木箱を抱えた屈強な男が広場を走り回る音。


 隊列を組んだ行進が1歩進むごとに響く鋼の装備の音。


 髭を生やした壮年の男が声変わりを終えたばかりの少年たちを鼓舞する声。



 それらが意味することは1つ。


 戦争の準備だ。


 もういつ誰が何故始めたかも覚えていない戦争の一つとしての戦端が、夜明けとともに開かれようとしていた。



 兵士たちの士気は悪くない。


 ピカピカの装備を揃えた新兵は互いの拳を合わせ、これからの無事と奮闘を約束する。


 机の上に地図を広げた指揮官たちは高揚しながらも最後の軍議を行う。


 今回の作戦は西方にある砦の奪還。


 作戦通りに事が進めば、最小限の被害で終わるという試算が出ている。


 死ぬかもしれない、という不安を隠すには十分だった。



 その中に一つ、異質な集まりがあった。


 追いやられるように、隠されるように、砦の片隅に30人に満たない集団があった。


 角の意匠をあしらった兜を被った120cm程の武骨な男、木でできた弓を携えた金髪の優男、最低限隠すべきところを隠しただけの赤肌の大女……。


 統一性のない、いかにもな『寄せ集め感』のある集団だった。



「本当に、すまない」



 その集団に頭を深く下げる、若い青年の姿があった。


 短く切りそろえられた黒髪を持つ頭は90度に傾き、銀色の瞳は憎々しげに赤土の地面を見ていた。


 男の怒りの対象は、自分自身だった。



「今回の作戦。こんなクソみたいな作戦を通してしまって本当にすまない」



 男の発言は上命下服という原則の働く軍隊においてはあり得ないものだった。


 例え、この男がこの集団を纏める隊長という立場を持っていようと、そのことは変わりない。


 上官の決めた作戦内容に、かろうじて軍議に加わることが許されている程度の者が異議を述べるなど、下手をしなくても懲罰ものだ。



「気にすんじゃないよ、隊長」



 これ以上ヒートアップさせると作戦本部に殴り込みかねない。


 そう思った赤肌の大女は、薄く笑みを浮かべながら言う。



「そもそもアタシ達は使い捨てのつもりで喚ばれたんだろ?


 それを今までアンタが色んな手ぇ使ったおかげで何とかなってたってことは、ここにいる全員が分かってるさね。


 少なくとも、ここにいる奴でアンタを恨んでいるやつはいないよ」



 周囲が確かにうなずくのを感じながら、女はここに来て初めて見たものを思い出す。


 世界を割る銀色の魔法陣。


 その前で全身から汗を噴き出す、その時は少年というべきだった男。


 そして、その少年の、絶望に満ちた表情。



 ……そう。こうなっちまうことは、決まってたんだよ。


 目の前で頭を下げる男――隊長の、この世界でない存在を喚び出す特異な力。


 それに気づいた作戦本部は、その力を、『好きな時に使い潰しても構わない人員を好きなだけ補充できる力』と認識したのだろう。


 そうして出来上がったのが、この異世界人の寄せ集めである部隊だ。


 そして今。


 予定通り、自分たちは作戦遂行のための囮として、帰ることが予定されていない危険地帯に放り込まれることになった。


 作戦通り進めば生じるであろう最小限の被害とやらになるのが、自分たちというわけだ。



 もう少し賢かったらこんな苦しまなくてもよかったろうにねえ、とオーガの大女は思い、すぐにそれを笑みと共に否定する。


 もし、隊長も自分が喚び出したものは好きに使えるなどと思うような人間であれば、間違いなく喚ばれてすぐに、自慢の大槌で叩き潰していた。


 そうならなかったのは、間違いなく隊長の人徳によるものだ。


 喚ばれてから今まで、幾度も使い捨てにされかけたところを、この若い隊長はどうにかしてくれた。


 それは軍人としての不足なのだろうが、間違いだとは思わなかった。



「隊長。アンタにはまだできることがある。


 それが作戦本部をドカンとやることじゃないってのは分かってるね?」



 こちらの言葉に隊長はゆっくりと頭をあげ、横を見る。


 その視線の先には、10歳ほどの子供が2人いた。


 彼の召喚術は、喚ぶ対象を選べるわけでもなく、ただ偶然繋がったものを喚びよせるだけだ。


 だからこそ、子供2人という誰も喜ばない結果となることもあった。



「アンタはその子たちが今回の作戦に入れられちまうことは止められたんだ。


 ――だったら守りな。


 アンタがこれまでアタシ達のために費やしてくれた努力を、これからはその子たちを守ることに向けるんだ」



 恐らく自分たちは帰ってこられない。


 それは自分も、隊長も分かっている。


 だからこその、この別れであり、隊長の怒りだ。


 できるね? というこちらの問いに、隊長はしっかりと、



「ああ。約束する」



 銀色の瞳に怒りではない意思を宿し、頷いた。



 その頷きと同時。


 太陽が山の向こうから顔を出し、砦内に甲高い鐘の音が響いた。


 作戦開始の合図だ。




● ● ● ● ●




 時間だね、の声と共に召喚された者たちが西方の門へ歩を進めるのを、隊長の青年は見送る。


 こちらの横を通り過ぎる際、子供を優しく抱きしめていく者、己の肩を託すように叩いていく者、反応は様々だ。


 その全員と、目を合わせていく。


 言葉はなかった。


 恨み事も言わず、ただ意志を持って歩いていく彼らを己は見送る。



 もっと力があれば、という後悔が胸を占める。


 もっと上手くやれば、もっと時間があれば、もっと工夫を凝らせば。


 そうすれば、こんな今を迎えることはなかったのではないか。


 己の不足を責めるように固く握った拳から、血が流れる。



「……」



 そんな己の両手の拳を小さな手が包む。


 ハッとしてそちらを見れば、自分と共に残された子供たちがこちらを見上げている。


 いけない、と思う。


 この子たちは賢い。去っていった彼らの抱擁の意味も、きっと理解している。


 その上で、己の不足への焦りを慮ってくれている。


 優しい子たちだ、と思う。同時に、守らなければ、とも。


 ……それが、今の俺がやるべきことだ。


 ふ、と息を吐いて、小さな手をしっかりと握る。



「オルテライナ、シルードルム、行こう。すぐ近くが戦場になる。


 大丈夫だとは思うが、それでも中に入っていた方がいいだろう」



 2人の名を呼び、手を引いて歩き始める。


 灰色の髪を持つ少女オルテライナと、黄緑の髪を持つ少年シルードルム。


 そこにいつもの活発な子供らしさはない。


 そのことにまた己の不足を感じつつ、簡素な木の扉をくぐる。


 俺はこの子たちを守れるのだろうか。不足だらけの俺に。


 手に伝わる、自分よりも高い体温を感じながら、そう思った。




● ● ● ● ●




 砦の中はいつもよりも人も物も少なく、静かだ。


 いつもここにいる人の大半が出払っているのだから当然だ。


 そのことに、隊長の青年は軽い安堵の息を吐く。


 今は自分たちを役立たず、穀潰しなどと詰ってくる嫌味な者はいない。


 今、そのようなことを言われたなら手が出ない自信がない。



 足早に目的地に向かって歩を進める。


 着いたのは砦の中でも最も下層の、それでいてアクセスの悪い場所にある小さな扉。


 己が隊長に就任された時に、渋々与えられた、日当たりの悪い個室だ。


 ……地下じゃないだけマシだな。


 中に入れば山のように書類が詰まれたボロボロのテーブルと椅子、同じくボロボロのベッドだけがある。


 子供たちをベッドに腰かけさせ、己は椅子に座る。


 使うたびに嫌な予感をさせる軋み音を響かせるのにも、いつの間にか慣れてしまっていた。



「……」


「……」


「……あー」



 気まずい沈黙が流れる。


 こういう時、どういう話をすればいいのだろうか。


 この前上官がうっかり手紙を落としてその中身がぶちまけられて、文通相手の女性と赤ちゃん言葉でやり取りしていたのが発覚した時の話がいいか?


 あの時は大変だったな。窓の外を見ていて何も気づいていない振りをするのが。


 その後慌てた上官が口を滑らせて、文通相手が浮気相手と発覚した時は本当にどうしようかと思った。



「いや駄目だろ教育上」


「?」



 思わず口に出たツッコミに首を傾げる子供たち。


 大丈夫大丈夫、と手を振りながら、そういえばいくつかこの部屋には保存食を置いていたな、と思い出す。


 普段の仕事の傍ら、余った補給品を加工して保存がきくようにしたものを箱に入れておいたはずだ。


 書類の山に埋もれているであろうそれを探すために腰を上げた時。



 砦全体を揺らすような衝撃と、音が響いた。



「……襲撃か!?」



 考えるよりも先に体が動き、子供たちに覆いかぶさる。


 天井からパラパラと破片が零れ落ち、背中に当たるのが分かる。


 この砦の外壁表面には防御魔術が施されているから、今すぐ崩れ落ちることはない、と判断する。


 子供たちにその場にいるように手で制し、部屋に備え付けの窓から外の様子をうかがう。


 そこに見えたのは、10人ほどの、



「深蒼の隊衣に『四海杖会ヨモヅエ』ブランドの短杖――。


 王国の独立小隊か!」



 王国――現在こちらが攻めている西方の砦の持ち主であり、要は敵国だ。


 その国の小隊がすでに侵入まで済ませ、魔術による攻撃を開始している。


 それが意味することは、敵は今回の作戦が始まる前から周辺に潜んでいたということだ。


 ……だからもっと周辺調査をすべきだと言ったのに!


 本隊の出発直後に本部が攻められるなど本来あり得ない。


 あまりのタイミングの良さにこちらの情報が漏洩していた可能性すら疑われる。



「……っ。今はそれを考えている場合じゃない。……どうする?」



 すなわち、ここから逃げるか、このまま隠れるか。


 戦うという選択肢は初めから無い。


 相手は独立しての作戦行動が許されたエリート集団。


 こちらは非戦闘員の子供2人と、不足だらけの兵士1人。


 かち合った時、行われるのは戦闘ではなく蹂躙だ。



「まだ見つかってはいないはずだ。何とかやり過ごせるか……?」



 この部屋が砦内でも見つけづらい場所にあるのが良い方向に働くかもしれない。


 隙を見て脱出すれば、まだ助かる見込みもある。


 その後は……。



「その後のことは、その時考えるしかない。


 今はとにかく生き延びることを……」



 再び窓から外の様子をうかがう。


 小隊はまだそこにいた。


 砦の上階に残っていた味方からの反撃を受けて、魔術の撃ち合い戦に移行していた。


 その小隊の後ろ。ゴーグル型の装置を付け、砦の外壁を隅から隅までなぞるように見ている者がいる。


 何をしている、と思い、じっと目を細めると、不意にそのゴーグルをつけた兵士が。



 こちらをまっすぐ指さした。



「……っ!」



 窓に背を向け、ベッドの方へ駆ける。


 不安の表情を浮かべる子供たちの腕を掴み、一目散へ部屋の扉へ走る。


 兵士がつけていたゴーグル。あれは魔力を識別するための魔術具だ。


 物に付与された魔力を視るために使われるそれを使えば、砦の外壁のうち、どの部分の防御が薄いかが一目瞭然となる。


 ……あの××××が!


 心の中で全力で罵るのは、この砦の防御全般の責任者である、嫌味な上官だ。


 大方、コスト削減などとぬかして、自分の部屋だけ防御を薄くしていたのだろう。



 部屋から出て、扉を閉めなおす余裕もなく、狭い廊下を全力で突っ走る。


 その直後。


 先程までいた部屋の外壁が破壊される音が背後から聞こえた。




● ● ● ● ●




「敵襲! 敵襲ーー!」


「な、なんでここに……。ぎゃっ!」



 砦の内部は阿鼻叫喚となっていた。


 己の部屋から内部への侵入を果たした王国の小隊は、散開して目についた者を排除していく。


 廊下に積まれた補給箱だったものが散らばり、赤煉瓦の壁がより鮮やかな赤に色を変えていく。



 その中で、銀眼の隊長は、2人の子供の手を引いて逃げ続けていた。


 砦内部の構造を熟知していたこと、侵入者にとってより危険と判断される存在が他にいたこともあって、まだ捕まってはいないが、その一番の理由は、


 ……俺たちごとき、いつでもやれると思っているからだろうな!


 その証拠に、後ろを振り返ればいつでも深蒼の隊衣が視界に入る。


 今の所、短状の先は侵入者を迎撃しようと襲い掛かる帝国兵を向いている。


 帝国兵が全ていなくなったとき、そうでなくても、ふと気が向いた時だけで終わるかもしれない。



「――――。」



 そして今、侵入者の杖の先に魔法陣が生まれ、陣から放たれた光が迎撃のために現れた赤髪の帝国兵に当たった。


 ぎ、とか、が、という苦悶の声を漏らし、帝国兵が一瞬炎に包まれたかと思えば、次の瞬間、爆散する。



「熱っ! 暴走魔術まで使ってくるのかよ!」



 思わず愚痴が声から漏れる。


 暴走魔術。


 生命力を強制的に魔力に変換させ、対象者の魔力属性に応じた暴走現象を起こす魔術だ。


 対象者となった魔術師は限界を超えて魔術を行使させられるも同然となり、周囲に被害をまき散らしながら死亡する。


 その非人道的な効果から、過去に何度も禁忌指定の候補に挙がっている。


 ……悪趣味な!


 別にそれ以外の魔術だっていくらでも使えるだろうに。


 嫌悪感を感じながら侵入者を見れば、口が笑みの形になっているのが見えた。



「××××!」



 遂に口から罵倒が漏れる。


 その声が聞こえたのか、侵入者の短杖が、こちらに向けられる。


 く、と声が漏れる。余計なことを言ったか、と。


 しかし、こちらを認めた侵入者は、笑みをさらに深め、短杖の先を横にずらす。


 杖は、ピタリと少女――オルテライナを狙いをつけた。



「……っ!」



 死から精一杯逃げるオルテライナに後ろを振り返る余裕はない。


 彼女に死が近づいていることを知っているのは、自分だけだ。


 どうにかしなければ、と焦る視界に横に入る道が映る。


 暴走魔術は直線に進む。


 ならば右折左折を繰り返すように逃げれば、魔術が当たる確率はぐっと減る。


 そうと決まれば後は行動のみ。


 子供たちの手を握る手に力を加えたところで、



「――あっ」



 オルテライナが小さな声と共に失速した。


 飛び散った補給箱の破片につまずいて転び、その勢いでつながれていた手が離れる。


 思わず足を止めてしまったこちらに、遂に侵入者が追い付く。


 杖は今も少女の方を向き、口に張り付いた笑みはより深くなる。



 杖の先に魔法陣が生まれた瞬間。


 少し前にしたばかりの約束が頭をよぎった。



「やめろおおお!」



 杖と少女の間に身を割り込ませるように飛び込む。


 魔法陣から放たれた光は、まっすぐと進み、正しく己の胸を穿った。



「~~~~!」



 全身を流れる魔力管に灼けた鉄を流し込まれているような感覚。


 同時に体の奥から冷たい何かが沸き上がってくる。


 そんな己の身からは、どこから湧き出ているのか分からないほどの、銀色の魔力が噴き出るようにあふれ出す。



「たいちょうさん!」


「にいちゃん!」



 2人の子供がこちらの身を揺さぶる。


 逃げろ、と辛うじて口から声を漏らすが、2人はいやだ、というように首を振るだけだ。


 熱はだんだんと小さくなっていき、一方で冷たさは1秒ごとに大きくなっていく。


 侵入者は何もしてこない。


 それが慈悲によるものか、悪趣味から来るものなのか、顔を上げることすらできない自分にはもう確かめられない。



「……く」



 冷たさの中、ふと自分は思う。


 暴走魔術は対象者の魔力属性に応じた被害をまき散らす。


 火属性なら爆発を。水属性なら洪水を。


 ならば、召喚属性である己は、どうなる?


 最後の意地を込めて、顔を上げる。


 己の傍ら。そこには、身から溢れ出た銀色の魔力が世界にひびを作っていた。


 これは、とひどく冷たくなった頭で思う。


 これは、いつも自分が何かを召喚するときにできるひびだ。



 ならば、何かが、何者かが、召喚されようとしている?


 己の生命の全てをかけて召喚される何か。


 それは、きっと、今まで一番強大な何か。



「たの、む。なんでも、いい。だれで、もいい。


 このこ、たちを。たすけて、くれ」



 凍り付いていく頭の中。


 ブチっという何かがちぎれる音と共に、銀色の青年は死んだ。


 ……結局、約束を果たせなかった。


 そんな後悔を抱えて。

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