第3話 アリア

「ふう」


 一通り体を動かしたところで一息つき、空へと視線を上げる。

 どうやら完全に夜は明けてしまったようで木々の隙間から陽光が広場へと差し込んでいた。


「・・・・・・思ったより熱中しちゃったな。起きて僕がいないことに気付いて、心配かけてなきゃ良いけど・・・・・・」


 軽く額に浮かぶ汗を拭いながら、僕は先程出て来たナナリーさんの屋敷に視線を向けながら誰に告げるとも無く小声で呟く。


「大丈夫。ナナリーは朝弱いからまだ起きて来ない」


 そのため、返事が返ってくると思っていなかった独り言に予想外の返答が帰って来た事に驚き、手に持っていた木の棒を構えて慌てて声の方向へ視線を向けた。


 するとそこには、先日あった黒髪の少女、アリアの姿があった。


「なっ! いつからそこに!?」


「結構前」


 アリアはそう簡潔に答えると、今まで腰掛けていた水桶から腰を上げた。


「やっぱり体を動かさないと落ち着かない?」


「え?」


 表情を変えず淡々とした口調で尋ねる彼女に、何と言葉を返せば良いか迷っていると、「まあ、記憶が無いんじゃ解んないか」と、一人納得したように呟くと水桶を片手に泉の方へと歩いて行く。


「あっ、待って! 君と僕はどんな関係なんだ!? それに君は僕の事をどれだけ――」


「アリア」


「へ?」


「君、じゃない。ボクの名前はアリア。だから名前で呼んで」


 振り返りもせず、若干不満の色を含んだ声色で抗議の声を上げる彼女に、しばらく思考が追い付かずに呆然としてしまう。

 しかし、なかなか次の反応が無い僕に痺れを切らしたのか、彼女は振り返ると非難するような不機嫌な視線を向けてきた。


「へ?? え・・・ああ、ごめん。・・・・・・えっと、それでアリア、記憶を失う前の僕達はどんな関係だったんだ?」


「アレンはボクのことを助けてくれた。多分その時の影響で記憶も無くしてる。」


「いったい何が――」


「それはたとえアレン本人でも教えられない」


「どうして!」


「・・・・・・忘れてるなら思い出さない方が良い。思い出してもアレンが傷つくだけ。だからお願い、これ以上この話は聞かないでほしい」


 その無責任な言い分に、さらに強い抗議の声を上げようと口を開きかけたが、目の前の少女のそのあまりに悲しい眼と苦しそうな表情に、思わず出かかっていた言葉を飲み込んでしまう。


 確かに、自分の事なのだから何があったのかを知りたいし、当然知る権利があるはずだ。

 しかし、このような表情を浮かべるほどに苦しみながらも何があったのかを語ろうとしない、その決意はどのような言葉を並べようと崩せないと言う確信があった。


「・・・・・・わかった。そこまで言うのなら僕はアリアの言葉を信じるよ」


「ありがとう」


「ただ、それ以外で僕の事について知っていること、話せることは全て話して欲しい」


「わかった。でもボクもアレンとは数日を共にしただけ。だからあまり話せることは無いかも」


 そう前置きをした上で、彼女は知っている僕の情報を話してくれる。

 僕の名前や年齢、年の離れた兄がいるらしいことや幼い頃に母親を亡くしたこと、王都に住んでいたことなど、どれも詳しい内容までは聞いていないようで、全てがはっきりとしない断片的な情報だったが、それでも記憶を無くす前の僕から聞いていたらしい情報の全てを丁寧に話してくれた。


「ボクが知ってるのはこれだけ」


 そう言うと彼女は口を噤むと僕に『何か質問は?』と言いたげな視線を送る。


「ありがとう、これだけ聞ければ十分だよ」


「そう」


 アリアは、そう短く言葉を返すと僕から視線を外し、泉から水を汲むと水桶を抱えて歩き出す。


「持つよ」


「ありがとう」


 そんな彼女から水桶を受け取ると僕は並んで家に向かって歩を進める。


「最後に、これだけは聞かせてくれるかい?」


「なに?」


「僕がアリアと最初に会った・・・ああ、記憶にある最初の出会いの時ね。あの時、僕が気を失う直前に僕に何か言って無かったかい?」


「・・・・・・あれはなんでも無い。ただ、助けられたお礼を必ずしたい、って感じの事を思わず呟いただけ」


「そうか」


 その後、特に会話を続けることは無く僕とアリアは肩を並べ、家までの道を歩いて行ったのだった。

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