第10話 信長の夢

 信長は今川義元を桶狭間で倒した。それ以来悪夢に魘されるようになった。

 桶狭間の戦いの後、今川氏は三河国の松平氏の離反等により、その勢力を急激に衰退させる。これを機に信長は今川氏の支配から独立した徳川家康(この頃、松平元康より改名)と手を結ぶことになる。両者は同盟を結んで互いに背後を固めた(いわゆる清洲同盟)。永禄6年(1563年)、美濃攻略のため本拠を小牧山城に移す。

 この頃、信長は悪夢を見るようになった。

 陰鬱な雨の降る戦場にイマガワヨシモトの亡霊が現れるのだ。首のない姿で現れ、「オホホホ!オホホホ!」と不気味な声で笑ってる。夢の中にはオダノブキヨも現れる。ノブキヨが首無し怪物に腰を抜かすと、木の上から義元の首が降ってきてノブキヨを喰い殺した。

 

 釣瓶落としって妖怪が尾張や近江などに伝わってる。木の上から落ちて来て、人間を襲う、人間を食べるなどといわれる。


 大正時代の郷土研究資料『口丹波口碑集』にある口丹波(京都府丹波地方南部)の口承によれば、京都府曽我部村字法貴(現・亀岡市曽我部町)では、釣瓶下ろしはカヤの木の上から突然落ちてきてゲラゲラと笑い出し、「夜業すんだか、釣瓶下ろそか、ぎいぎい」と言って再び木の上に上がっていくといわれる。また曽我部村の字寺でいう釣瓶下ろしは、古い松の木から生首が降りてきて人を喰らい、飽食するのか当分は現れず、2、3日経つとまた現れるという。同じく京都の船井郡富本村(現・南丹市八木町)では、ツタが巻きついて不気味な松の木があり、そこに釣瓶下ろしが出るとして恐れられた。大井村字土田(現・亀岡市大井町)でも、やはり釣瓶下ろしが人を食うといわれた。


 岐阜県久瀬村(現・揖斐川町)津汲では、昼でも薄暗いところにある大木の上に釣瓶下ろしがおり、釣瓶を落としてくるといい、滋賀の彦根市でも同様、木の枝にいる釣瓶下ろしが通行人目がけて釣瓶を落とすといわれた。


 和歌山県海南市黒江に伝わる元禄年間の妖怪譚では、古い松の大木の根元にある釣瓶を通行人が覗くと光る物があり、小判かと思って手を伸ばすと釣瓶の中へ引き込まれて木の上へ引き上げられ、木の上に住む釣瓶落としに脅かされたり、そのまま食い殺されたり、地面に叩きつけられて命を落としたという。

 

 永禄8年(1565年)、信長は、犬山城の織田信清を下し、ついに尾張統一を達成した。さらに、甲斐国の戦国大名・武田信玄と領国の境界を接することになったため、同盟を結ぶこととし、同年11月に信玄の四男・勝頼に対して信長の養女(龍勝寺殿)を娶らせた。


 信清は織田信康の子として誕生した。父・信康が「織田伊勢守家」当主の織田信安の後見人となっていたことからその配下となっていたが、伯父信秀死亡後は、犬山城で独自勢力として行動する。


 信清が領地を押領したため険悪な状態となっていた従兄弟の信長より姉(犬山殿)を貰い受けると、弟の広良同様信長に仕える身になった。


 永禄元年(1558年)7月12日、浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援したが、追放された織田信賢の旧領地の分与を巡って信長と諍いを起こし、永禄5年(1562年)反旗を翻し、楽田城を奪う。しかし、攻勢を強めた信長軍によって支城を次々に攻め落とされ、永禄7年(1564年)5月には居城の犬山城も陥落し、遂に信清は甲斐国へと逃亡、甲斐武田氏の許で犬山鉄斎と称した。

 史実では信長との戦いでは死なないが、『炎』の玉が奪われたことで歴史が変わり、信清は信長配下の毛利新介の弓矢に射貫かれて絶命した。


 毛利新介は尾張国の出身というが、出自については不明。織田信長に馬廻として仕えた。小姓であったとする説もある。


 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでは負傷した服部一忠を助け、今川義元の首を取り名を上げた。この際、指を噛み千切られたといわれる。桶狭間以後は諱を良勝と名乗り、通称は新介から新左衛門に改めた。


 母衣衆が選抜されたときに黒母衣衆の一人に名を連ねた。


 信長上洛後は、永禄12年(1569年)に大河内城攻めに参加したが、主に吏僚として活躍。信長の側近として、判物や書状に署名を残した。


 天正10年(1582年)、甲州攻めでも信長に随行して4月の諏訪在陣で興福寺大乗院より贈品を受けている。


 本能寺の変の際も信長に従って京に滞在しており、信長の嫡男・信忠を守って二条御新造に籠り、信忠と共に奮戦の末に討死した。


 浩正は戦国時代にタイムスリップした。タイムマシンなどは使わなかった。

「もうじき、ドウホラ合戦が起きるわ」

 ひょんなことから知り合った椎名多江って女性が教えてくれた。

 堂洞合戦は、永禄8年8月28日(1565年9月22日)に織田信長軍・加治田衆と斎藤龍興方の岸信周との間で行われた堂洞城を中心とした合戦である。

「ムシムシしてるなぁ」

 浩正はうんざりしていた。

 クーラーはおろか冷蔵庫すらない。

 蝉時雨。

 

 戦国時代にタイムスリップしたのは浩正や多江だけじゃなかった。名古屋署の木村智充と平井も戦国時代にやって来た。

「どこなんですか?ここ」

 平井は掌で汗を拭った。

 不審な男がいるとの通報で木村と平井は犬山にやって来た。犬山城の辺りだった。犬山城は織田信長の父親、織田信秀の居城になったところだ。真っ昼間だったが、一瞬闇になり、気づくと見知らぬ世界に来ていた。

 櫓や土塁などがあり、ボロボロな布の服を着た住民たちがいる。犬山には明治村というテーマパークがある。明治時代の暮らしを体感できるが……「これはどう見ても明治じゃないな?」と木村は唖然としている。

 ヒヒィン!🐎

「馬がいる」と、平井。

「江戸?」と、木村。

「さっ、さぁ?」と、平井。


 数日後、浩正と多江は織田氏、木村と平井は斎藤氏にそれぞれ士官していた。


 信長の美濃侵攻に備え、関城長井道利、加治田城佐藤忠能、堂洞城岸信周の盟約が結ばれ(中濃三城盟約)、道利の勧めで忠能の娘八重緑を岸方の養女(人質)として結束が固められた。

 だが、忠能は加治田城下の住人、木村を信長方の犬山に遣わし、丹羽長秀を介して内応。


 信長の夢の中にナガイ・ミチトシが現れた。寺にやって来たナガイは怪物によって殺された。怪物は身に鎧を着て、四つの手にはそれぞれ鉾・錫杖・斧・八角檜杖を持っていた。怪物は斧でナガイをなぶり殺しにした。

 夢から覚め、丹羽長秀にその話をした。

「リョウメンスクナやも知れませぬな?」

 両面宿儺、その存在は救国の英雄だとされる。また至高神は双面神であるとする説があり、中国の武神である蚩尤(シユウ)に通じる。

 両面宿儺は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。『日本書紀』において武振熊命に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの逸話ものこされている。


 驚くべきことに長井の遺体が関城の近くで見つかった。顔面が斧で刻まれていた。

「巨大な化け物が近くで目撃されてる」

 八重緑は父の話を聞いて震え上がった。

 鵜沼城、猿啄城が織田軍によって落城し、猿啄城将の多治見修理亮が甲斐へ逃走すると、敗兵は堂洞城に入って岸勢と合流した。


 信長の夢の中に堂洞城下で見かけた美少年が現れた。信長は虚無僧に化けて視察していた。美少年はリョウメンスクナの鉾でなぶり殺しにされた。

 

 信長は金森長近を使者として堂洞城へ派遣し投降を勧めるが岸信周は受け入れず、嫡男岸信房は長近の目の前で自分の子(岸信近)の首を斬り落として覚悟を示したため、長近は引き下がった。

 長近は浩正によって憑依されていた。

 首実験を視察した信長は、生首が夢で見た青年そっくりだったので驚いた。


 信長の夢の中にヤエミドリが現れた。荒野に現れたヤエミドリはリョウメンスクナの4つの巨大な手に体を掴まれ、引きちぎられた。

「イギヤァァァァァ!」

 断末魔が目が覚めたあと、耳の奥で鳴り響いていた。


 岸方が合戦の準備をする中、人質の八重緑は堂洞城に面した長尾丸山で磔にされた。その夜、忠能の家臣西村治郎兵衛が忍び、八重緑の亡骸を岸方から奪い取って加治田の龍福寺へ葬った。

 

 信長は夢の中で己がリョウメンスクナの斧に切り刻まれる夢を見た。翌朝、金森長近に背後から短刀で頸動脈を切られ絶命した。


  

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