第7話
まだ俺が子供の頃。余りはっきりとは覚えていないが、1人の男が村にやって来て親方と昔話をして盛り上がっていた記憶がある。
「そうだ、紹介するよ。俺の自慢の教え子の桜花だ」
「ほう、お前の弟子か。なるほど、なかなかいい目をしている。ぜひ大きくなったらうちに来て欲しいくらいだ」
「ダメだ、桜花は俺の後を継いでこの村を引っ張ってもらわなきゃならないからな」
「ははは、そうか。では今度ルヘルムに来たときは私の娘を紹介しよう。おどろけ、すでに剣の腕はお前を凌いでおるぞ」
「親バカめ。まだまだ若い奴には負けねーよ。そういえば、アイツにも娘ができたらしいぞ」
「本当か! アイツめ手紙の1つも寄越さないとは。今度直接会いに行こうではないか」
「おいおい、お前が行ったら戦争になるぞ」
親方と話す男は高らかに笑いながら酒を飲み干した。
なんだか懐かしい夢を見ていた気がするが、意識がハッキリとしていくに連れ、夢の記憶は霧のように飛散してく。
目を開けると見たこともない天井が広がっていた。
なんら変哲もない、ただの天井。
顔を横に向けると、もうお昼頃だろうか、窓から暖かな日差しが強く差し込んでいる。
なんとなく、差し込む日差しを目で追っていくと、そこには体を丸めてスヤスヤと気持ちよさそうに寝ているワトスがいた。
俺はいつの間に宿に戻ったのだろうか?
確か昨日は受付嬢のお姉さんの胸……、胸のホクロを見てから宿に向かって……それでクリスに出会って、夕食を食べて寝ようとしたが、なんだか気分が落ち着かず散歩をしたんだったよな……。
まだはっきりと覚醒していないせいか、頭がぼんやりする。
もう一度寝ようとかと考えたが、あまり寝ると夜寝れなくなりそうなのでやめておこう。
しかし……、泊まっていた宿と内装がかなり違う気がすが……気のせいだろうかーー気のせいであろう、なぜならワトスがいる。
昨日は間違いなく、寝ているワトスを部屋に置いて散歩のに出かけたは覚えている。
とりあえずここは、気持ち良さそうに寝ている可愛いワトスを起こすとしよう。
「ワトス、起きてくれ」
声をかけたが反応がない。熟睡しているようだ。
珍し事もあるもんだ。
朝早く起きる事が苦手なワトスだが、お昼頃まで寝るなんて殆どない。
もう一度呼びかけようとしたとき、部屋のドアが開き誰かが入ってきた。
「あれ、目が覚めた?」
見知らぬ女性が部屋に入ってきた。
宿の店員だろうか。
店員にしては何か……雰囲気が。
それに、昨日見たどの店員とも服装が違う。
なんだろう、目が覚めてから感じるこの違和感は……。
その違和感を解決できる人物が今まさに現れたのだ。ならばここは素直に聞いた方が早いだろう。
「えーっと……、すみません、変なことを聞くようですが、ここって西区の宿で、貴方は店員ですか?」
キョトンっとした顔をする店員? の女性だったが、すぐにお腹を抱えて笑い出した。
あれ? そんなに変なこと聞いたかな、俺?
「あははは! 私は店員でもないし、西区でもないよ」
店員と間違われるなんて人生で初めてだよっと、言う女性ーー間違いはしたが、そんなに笑う程なのか。
「ここは一応東区かな。北区にすごく近いけど。貴方覚えてない? 血だらけで私の隠れ……じゃない、家の前に倒れてたのよ」
隠れ? 住んでいる家の説明をするのには、いささか使わない言葉が出てきたが、気にするところは別にある。
まず、どうやらここは宿ではないらし。
そして、俺はどうやら血だらけでこの人の家の前で倒れていたこと。
確かに、体を見ると手当の跡がそこら中にあった。
「すみません。どうやらご迷惑をおかけしたみたいで。もしかして傷の手当てをしてくれたのも貴方ですか?」
「そうよ。でも気にしないで、私が好きでやったんだから」
よかった。どうやら悪い人ではなさそうだーー宿でもなく店員でもないなら、どんな人かと心配したが取り越し苦労のようだ。
「それより、何で獣人を背負って血だらけだったのか聞かせてくれないかしら。そっちにすごく興味あるの。治療のお礼だと思って教えてくれないかしら?」
獣人を背負って……血だらけで……。
血の気が引いていく感じがした。
なぜすぐに思い出せなかったのだろうか。昨日の夜。あれだけの死闘を演じておきながら。
そう、昨日の夜。男たちから獣人を助けるため、戦ったことを。
俺はなんて馬鹿なんだ。
あの獣人の女の子が、他の人に見つかれば同じことをされてしまうかもしれない。
だがもう遅い。獣人の女の子は見えるところにはいない。それにワトスが獣人であることもばれているだろう。
どうすることもできない。俺の体は昨日の戦いでまともに動かないだろうし、それに……。
得体の知れない女が1人。
怪我も治療してくれたし、いい人なんだろうけど……、やはり、獣人を差別するのだろうか。
何も出来ないのならば、せめて今はこの人の機嫌を損ねないようにするのが得策だろう。
俺は昨夜の出来事を彼女に話すことにした。
一通り話し終えると彼女は俺の寝ているベットに腰掛けてきて、
「ごめんね、失礼するわ。この部屋椅子がないのよ」
腰掛けた衝撃で足元に丸まって寝ていたワトスが弾む。
だが、起きる気配はないーーこの状況下で寝れるお前が羨ましいよ。
「ありがとう。話を聞かせてくれて。あなたいい人ね。この街に獣人を助ける人なんていないと思ってたから気になったの。貴方がどんな人なのか。そう……、街の外の人だったのね」
意外な言葉が返ってきた。
あれ? この人もしかして……獣人のこと嫌いじゃないのかも。
足元のワトスが寝返りを打つ。
俺は気になっていたことを彼女に聞いてみた。
「えぇ。鉱石の交換のためにルヘルムに来ました。ところで、ここが泊まっていた宿じゃないなら、何でここにワトスがいるんですか? 確か西区の宿で寝ていたはずなんですけど……」
彼女はワトスの頭を撫でながら言った。
「覚えてないかしら? 貴方が言ったのよ。気を失う前にワトスちゃんと宿のこと。でも、中途半端なところで気絶しちゃうから探すの大変だったんだから」
そう言うと荷物もあそこにあるわよっと、部屋の隅に置かれた荷物を指さした。
なんていい人なのだろうか。
見ず知らずの俺を助けてくれたばかりでは無く、ワトスまで面倒見てくれるとは。感謝しかない。
「本当にありがとうございます。それで、助けておいてもらってこんな事を言うのはあれなんですが……、役人にはこの事を黙っていてもらいたいんです。今は手持ちもありませんが、鉱石を換金すればいくらかはお支払いできると思うので、お願いできませんか?」
なんとか獣人のことを黙っていてもらわなければ、ワトスに身に危害が及ぶことはなんとしても避けたい。
「さっきも言ったけど気にしないで、好きでやったんだから。それにお礼はこの話でチャラよ」
この人は神様なのだろうか、本当は昨日不幸な事故にあってしまい、ここは天国で神様の家の部屋という可能性は……ないな。
ワトスがいるし。
なにはともあれ、この人には本当に感謝しかない。
ありがとうございますっと、頭を下げる。
頭を上げると、先ほどまで寝ていたワトスが見たこともない表情をしながら飛びついてきた。
「オ゛ヴカ゛ー、ジンジャッダガド…ジュビ……ヴェェェェン」
「あーほらほら、もうこんなに鼻水垂らして。はい、お鼻噛みましょうね」
「ン゛ン゛。ジュビー。オ゛ヴカ゛ー。オ゛ヴカ゛ー。ヴェェェェェン」
「これはダメね」
「ごめんなワトス心配かけて。もう大丈夫だから」
抱きつくワトスを諭しながら彼女と笑いあった。
ワトスが落ち着いた頃もう一つ気がかりだったことを彼女に聞いた。
「あの、一緒にいた獣人の女の子なんですけど……」
ワトスをあやしながら彼女は答えた。
「隣の部屋で寝てるわ。今は安静にしてる」
よかった。
肩の荷が降りたかのように力が抜けていく。
「結構酷い怪我だったから、しばらくは安静ね。それにあなたも」
改めて体を見てみると、思ったよりも怪我をしていたらしく、体を動かそうとすると体のあちこちに痛みが走った。
「うぉ、いてぇ」
「ほらね、あなたも安静にしてなさい」
あぁ、そうか。昨日ボコボコにやられたんだったよな。
なんとか運よく勝てたが、負けていても不思議ではなかったーーむしろ勝てたのが奇跡か……。
「そういえば、夜に結構な騒ぎ起こしちゃったんですけど、大ごとになりませんでしたか?」
家を一軒壊しちゃってるし。
「んー、聞いてる話ではとくに何にもないわね。そもそも北区で何をしようが、役人や騎士が出ばるようなことはないから」
どうやらそちらも問題ないようで安心した。
言い終えると彼女は立ち上がりこちらを向く。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はレオルト・フォン・エンベルガー。長いからレオでいいわ。よろしくね、えっと……」
「桜花です」
「改めてよろしく、桜花」
差し出された手を握り、握手を交わした。
この日、都会の女性と手を握った記念すべき日となった。
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