第5話
例えば、例えばの話。
目の前で血を流しながら、数人に囲まれているAがいるとしよう。この状況を見てAが何かしらの行為によって、囲っている数人に痛めつけられたと想像するのが普通ではないだろうか。そしてそれを見た者がもし、物語の主人公なら、すぐにでも助けに入るだろう。だが、実際にそんな場面に出会した時、物語の主人公でもなんでもない、ただの一般人ならどうするのであろうか?
なぜそんな話をしたか。俺が今まさにその状況に出くわしているからである。
男達は3人で獣人の男の子? 女の子? を取囲み、暴力を振るっており、俺がちょうど建物の角から顔を出したときに、獣人の正面に立っていた大柄の男が、勢いよく獣人の顔面を殴ったところであった。
グシャっと、鈍い音が聞こえたような気がする。
先程の例え話の続きだが……、俺の場合は動くことができなかった。
もちろん全ての人がこうなるわけではないと言っておこう。騎士や武術の心得がある者、正義感が強い一般人など、この辺の人だったらすぐにでも助けに入っていたであろう。だけど……。
俺は動けなかった。
理解の範疇を飛び越えてきた目の前の現実に、脳がフリーズし、ただただ黙ってその光景を眺めていただけだった。
獣人は後ろに手を組まされ、太めの男に後ろから押さえつけられている。そして、もう1人の細身の男が、殴られたばかりの獣人の口に両手の指を突っ込み、上下に大きく口を開かせる。そして正面の大柄の男が、獣人の口の中に指を入れ、何かを巻きつけるような……、そんな動きをした数秒後、大柄の男が腕を勢いよく引くと同時に……。
叫び声。
いや、叫び声なんて生易しいものではない。
まるで、動物が絶命寸前に上げる雄叫びのような、命の危機に瀕した生物が体の底から出した叫びのような。
俺はこの叫びを知っている。
狩りでモンスターを仕留めたときによく聞く叫び声と似ている。
獣人は体をジタバタさせもがき苦しみ始めると、男たちはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら、先ほどと同じようなことを繰り返す。
そして再び……、
叫び声。
2度目の叫びも、1度目となんら変わることのない、悲痛な悲鳴。
そして獣人の顔からは、涙や鼻水、唾液、そして血が顎先からポタポタと地面に落ちていき、それらが垂れた以上の液体が太ももの内側を伝い地面に広がっていく。
男達はその姿を見てさらに興奮し昂っている様子に見えた。
気絶したのか獣人はぐったりと動かなくなり、後ろの男に体を預ける状態になったが、歯を引き抜いた大柄の男が再び口に指を突っ込み、今度は指をグリグリと口の中で動かすと、獣人は苦痛に顔を歪めながら覚めた。
この時点まで、ただじっと見ることしかできなかったが、やっとフリーズしていた脳が動き出したらしく、これまでの見ていた惨状の景色が脳にダイレクトに襲いかかる。
「っう……うぐぅ」
食べた夕食が戻りそうになったが、なんとか堪える。
今目の前の現実が少しずつ理解できてくると、体が震え、カチカチと歯が当たる音が聞こえてくる。
どうして。
なんで。
なんでこんなことになってるのだろう。
噂や話は聞いていた。獣人が嫌われていて、差別されているって。
でも……。
こんなことまでするのかよ。
だって、俺たち人間とほとんど変わらないじゃないか。
耳がいけないのか?
尻尾がいけないのか?
人間よりは嗅覚に優れていて、力もある。
だけど。
それが、こんな惨状を起こしていい理由になるはずがない。
そしてふとワトスの顔が浮かぶ。
もしワトスが獣人だとバレたら?
もし今日会った人でワトスが獣人だと気づいてる人がいたら?
突如、背筋が凍りつくような感覚に苛まれた。
あぁぁ……あぁぁぁぁぁぁ。
今すぐにでもワトスのところに飛んで行きたい。
もしかしたら、この街に入った段階でワトスが獣人だと気付かれて、そっと誰かに付けられていたかもしれない。そうなると宿で寝ているワトスが危険だ。
今すぐにでも宿に引き返して、ワトスの安否を確認したい。
だけど……、
俺はあの獣人を見捨てるのか?
ひょっとしたらあの獣人は極悪人で何人もの人を殺した凶悪犯かもしれない、そして男たちは実はこの街の役人で、暴れる極悪人をおとなしくさせるために、あんな行為に及んでいる可能性も……。
いや、そんなことはない。
明らかにそんな人相や服装をしていないし、そして何より、男たちはこの状況を楽しんでやがる。
そう、これは俺の弱さだ。
心の弱さなんだ。
自分勝手な解釈で自分に都合のいいことばかり考える、逃げの心。
大丈夫。
客観的に物事を判断できている。
俺は落ち着いている。
そう、何度も心の中で繰り返し唱えた。自分は冷静なんだって、言い聞かせるように。
だけど……だからって。
どれだけ客観的に自分や周りを見たって、この状況、そしてワトスのことも……。
そんなこと、全部……全部、全部、全部、全部わかってんだよ!
どんな理由をこじつけたって。やることは最初っから決まってるじゃないか。
俺は太ももをグーで思いっきり叩き、無理やり足を動かして、路地の角から一気に飛び出した。
大柄の男の背後から不意を付き一気に決着をつける予定であった。
しかし、気づけば天を仰ぎ腹部に鈍痛がしている。
男の背後から不意を突いたつもりだったが俺の拳は空を切り、見事に腹部にカウンターが炸裂したのである。
「なんだお前、お前もここの残飯あさりに来たのか。残念だがこの辺りは俺の縄張りだ。さっさと消えな」
屈強な体つきの男はこちらには目もくれず、再び獣人を痛めつけようとし、他の2人の男は俺に見向きもしなかった。
「っちっくしょう」
俺は鈍痛のする腹部を押さえながら立ち上がり、もう一度背後から殴りかかるが拳は再び空を切る。
標的に当たることのなかった拳は勢いのまま男の横をすり抜け、それと同時に体のバランスが崩れ獣人の前に倒れ込んだ。
どうなってやがる。
背後から攻撃してるのに簡単に避けられる。
体制を立て直そうと顔を上げると、目の前に獣人がおり、その顔を見てゾッとした。
殴られたせいか、鼻が曲がり鼻血が止めどなく流れ出ている。
さらに酷いの口の部分で、細身の男が獣人の口の中に指を突っ込み、上下に大きく口を開かせているせいもあって、この位置からでも、よく口の中が見える。
口内は血と唾液が混じり合い、口内から溢れ出たその混じりあった液体が、唇の両端からダラダラと溢れ出て、やがて顎先からポタポタと地面に落ちていく。
あれ、ひょっとして……。
獣人は女の子であった。
ピタリと肌にくっつくような、そんな上着を着ており、胸のあたりが微かだが、膨らんでいる。
「ボス、こいつ1人で踊ってやがりますよ」
痩せた男が倒れ込んだ俺を見てケラケラと笑い始めると、それにつられ獣人を押さえつけているもう1人の男も笑い始める。
「今いいところなんだ。後で遊んでやるからちょっと退いてろ」
脇腹をおもいっきり蹴られ、体から軋むような音がすると、そのまま壁まで飛ばされた。すぐに起き上がろうとしたが、込み上げるものを我慢できずその場で嘔吐した。
「汚ねえガキだぜ。おい、気分が悪くなってくる。あいつどっかに捨ててこい」
獣人の口に指を突っ込んでいた細身の男が近づいてきた。
俺は立ち上がり拳を上げなんとか構えると、子分は腰にさしていた剣を抜きこちらに向かってくる。
マジかよ、こいつ武器なんて持ってんのかよ。
散々観察していたのに獣人にばかり目がいってしまい、相手がどんな武器を持ってるかなんて、考えもしなかった。
「ボスはお楽しみ中なんだよ。お前のようなクソガキを相手にしてる暇はないの。わかる? だからさっさと消えてくんない?」
「生憎、それはできない相談だ。俺はその獣人を助けにきたんだから」
このガキ! っと勢いよく剣を振りかざしてくる。
だが。
モンスターに比べたらとても遅い。
相手が剣を大きく振りかぶる瞬間に、一気に懐に入りボディーに一発。
悶絶した表情を浮かべ、体勢が崩れる。その隙を見逃さず立て続けにもう一発。
そのまま細身の男がその場に倒れ込むと、持っていた剣を奪い相手のボスに切り込む。
「その子を……離せ!」
勢いよく振りかざした剣は、いとも簡単に弾かれた。
何で弾かれた?
先ほどまで何も持っていなかった男の手には剣が握られていた。
剣で! いつ剣を抜いた?
こちらが細身の男と戦ってる時に剣を抜いておいたのだろうか?
「そんなに先に遊んで欲しいか。いいだろう。俺が剣を抜いたからにはお前はもう死ぬしかないぞ」
体勢を立て直し構える。
先ほどの奴とは比べ物にならないほど強いのは、素人目にでもわかる。
こちらは剣なんて全くの素人。圧倒的に力量の差があるのは明白だろう。
最悪なんとかあの子を連れて逃げ出すしかない。
「死ぬのは嫌だな。何とか戦わないでその子と俺をここから逃してくれないかな?」
ダメもとでお願いしてみる。
「ダメだ。この小汚い獣は俺の玩具だ。どこにも行かせない」
まぁ、ダメですよね。
「そもそも何で獣人を助ける? こいつは殺したって罪にならないようなゴミだ。いや、お前もこの玩具で遊びたいだけか。そうだよな。この街に獣人を助ける奴なんて1人もいねぇ。こいつらは人間に駆逐されるか玩具にされる存在なんだからなぁ」
こいつが喋るたび剣を握る手が、噛み締める歯がギシギシと音を立てる。
「どうして……、獣人が何をした。なんでそんな……」
「あぁ? 何だ本気で言ってんのかてめぇ。もういい。さっさと死ね」
一瞬で間合いを詰められた。急いで剣で防御するがその上から斬撃を喰らわせられ真横にすっ飛ぶ。背中から地面に落ち一瞬息ができなくなるが直ぐに起き上がり息を整え、相手を視界に捉え剣を構える。
「ちっ、弱すぎて楽しくねぇ」
「ボス、早くそんな奴殺してこっちを楽しみましょうよ」
くそ……、随分と余裕そうだな。
この男、今も油断しているようで全く隙がない。そしてさっきの剣捌き、間違いなく訓練されたものだ。チンピラが身につけていいレベルのものではない。
どうする。
俺1人でも逃げ出すのは難しい。ましてやあの子を連れて逃げるなんて不可能だ。それだけレベルが違いすぎる。
「すまんな、お楽しみが待ってるんだ。終わりにしよう」
再び間合いを詰めてくる。守ってばかりでは勝てない。前に出るんだ。
こちらも相手との間合いを詰めにかかる。
「遅いんだよ!」
先ほどと同じ横一線の剣捌きが襲うが、その前に先ほど飛ばされた時に握りしめた砂を相手の顔面に投げつけた。
「くそ、小癪な」
ここだ!
相手が怯んだ隙に一気に懐に入り込み相手の右肩から斜めに切りつけた。
が、しかし浅かった。
剣が体に触れるやいなや、咄嗟に体を後ろに引き、致命打を避けられた。
くそ!
もう半歩でも深く踏み込めていれば。
一撃で仕留められなかったのが悔やまれる。
こちらを油断している隙に仕留めて置きたかった。こうなるともう向こうも本気でくるだろう。
「このクソガキが! よくもやってくれたな!」
「ボス! あれ使っちゃってくださいよ」
「うるせぇ! 今使うところだ」
剣を握っている右手が変色し始め、変色は手首まで広がりそこで止まった。
何だ? 奴のあの右手は。
剣の柄と同じ色になりやがった。
色が変わったというより、同化した? 他には変わったところは……。
「おい、いつまでそっちを見ている」
先ほどまで目の前に男が、いつの間にか視界から消え、背後に現れる。
咄嗟に剣を振りかざすが空を切る。すると再び背後から。
「さっきのは痛かったぞ」
自分の体。左肩から剣が突き出ていた。
俺は刺されたのか?
あまりの速さに刺されたことに気づかなかった。
体から突き出た剣を見て、刺されたことに気づくと痛みが全身を走り抜ける。
「ふぅぐ……」
激痛に叫び声を上げたくなったが、なんとか堪えることができた。
「叫び声はあげないのか。大したもんだ」
「い……痛みには、強いんでね」
嘘である。
もし他に誰もいない状況であったなら、泣き叫びながら地べたを転げ回っていただろう。
ボスがふんっと鼻で笑うと背中を蹴り飛ばされ、その勢いで刺さっていた剣が抜けた。
すぐに反転し左腕を動かそうとするが……、
左腕は……だめだ、使い物にならん。
振り返り剣を構えようとするも、左腕が動かない。
「まだまだこんなもんじゃ済まさんぞ」
剣についた血を振り払うとコチラを見てニヤリと笑った。
ところまで見えた。
鮮血が飛び散る。
お返しとばかりに、左肩から斜めに一気に切られた。
足が崩れ落ち地面が近づいてくるが、髪を掴まれ地面に倒れることを許されなかった。
そのままグッと髪を引っ張られる、男は顔を覗き込んでくる。
「いいねぇ。絶望した目だ。どうだ後悔したか? こんな獣を助けようとしたことを」
後悔なんて……するかよ。
「お前の頑張りに免じて俺たちはもうこいつには手を出さないでおこう。
代わりにお前がこいつを殺せ。そうすればお前を見逃してやろう。どうだ妙案だろう。この獣は苦しみから解放され、お前は助かる。最高じゃあないか!」
掴んでいた手を払い除ける。
「どうだ! やるか!」
俺は痛む体を引きずりながら獣人の前に立った。
「首を切るもよし、心臓を一突きでも構わん。やって見せろ!!」
後ろで獣人の手を押さえていた小太りの男が手を離すと、まるで神に懺悔を乞うかのように立て膝になる獣人の女の子。
顔は俯いており、素顔が見えない。
どんな表情をしているのだろう?
苦痛に歪んだ表情なのか。
それとも、ボスが言ったように苦しみから解放される喜びの笑みを浮かべているのか。
だが、そんなことなど今はどうでもいい。
俺がやるべきことは一つなのだから。
俺は持っていた剣を構え振り抜くと、辺りには血飛沫が飛び散った。
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