第20話 そしてアオは優しくなれる(後編)


 アオの登校時は綺麗だった校庭の雪も、みんなの足跡でぐちゃぐちゃになっている。

 教室では、マフラーを巻いた女子たちが、雪すごいねーなどと、楽しそうに話していた。

「くそー、イ子のヤツ」

「まーお前が悪いよなー」

 登校してきた四五六が、事情を知って辛辣に言う。

 しかしアオのイタズラ目的は、もう一つあった。

 一時間目が終わった休み時間、アオはさりげなく、亨の席へと接近。

 亨と真子が、一時間目の勝負の結果で歓談しているところに、亨の背後から近づいて、亨の机の端にミツバチのフィギュアをセット。

(よし…貴雪さんからは 見える位置だ…)

 アオの計画では、真子が蜂に気づいて、亨が驚いて、真子に笑われる。

 という流れ。

(亨よ お前に恨みはないが…リア充は恥をかけええぇっ!)

 思い切りの逆恨みで、アオは少し離れた窓際から、二人を注視。

 すぐに、真子が気づいた。

「わっ、蜂っ!」

 驚く真子の視線を追った亨は、立ち上がりながら、さり気なく素早く、真子をガードする。

(くっ…さすがは亨だ…! 女の子のポイントが上がるような行動を、さり気なくこなしやがる…しかしっ!)

 蜂に慌てて転んだりしろ。

 とか望んでいたら、亨は何の躊躇いも無く、ミツバチに向かって手を伸ばす。

「えっ!?」

 思わず声が出たアオ。

 そしてすぐに、考察。

(さ、さすがは亨…一瞬でオモチャと気づいたか…!)

 と思ったら、亨が一言。

「なんだ オモチャか」

「は…はーーーーーっ!?」

 亨のリアクションやセリフから。

①蜂だと言う真子の言葉で、とっさにガード → アオの予想範囲内。

②オモチャだと気づかずに手を伸ばした → アオの予想範囲外。

③手にとって初めてオモチャだと気づいた → もう意味不明。

「オモチャだよ、貴雪さん」

「なんだ…ビックリしたわ」

 掌のフィギュアを見せながら、何やら楽し気なカップルだ。

 真子に至っては、頬が上気しているのを頑張って隠している雰囲気が、見ているアオにまで伝わってくる。

 勝手にムカつくアオ。

「あ、あのさ…亨、それさ…」

「ああ アオのか? ほら」

 言いながら、すんなり返してきた。

 受け取りながら、訊かずにはいられない。

「いや、これさ…オモチャだって気づかないで、掴んでたじゃん? 蜂なのに、怖くないの…?」

「ああ。ミツバチだし、冬だし」

「? ?」

 ますます意味が解らないアオだ。

「んー? なんで冬だと平気なんだー?」

 いつの間にか、四五六も近くに来ていた。

 亨が、とても自然に解説をくれる。

「ミツバチの牡って、春先に生まれて、夏の終わりくらいまで飛び回るんだ。巣に千匹の蜂がいると仮定して、一匹の女王と牝の働きバチが合わせて九百匹で、百匹くらいが牡。で、オスは別の巣から飛び立つ、新しい女王との交尾を目指して活動する。同じ春に生まれる若い女王は、どこの巣でも一匹、多くて二匹だから、だいたい百匹の牡が一匹の女王を目指して競争するわけだ。高く早く飛び回る新しい女王を追いかけて、追い付いた一匹の牡だけが、交尾できる」

「「「へー」」」

 いつの間にか、三人組も聞いている。

「で、女王は一匹の牡と交尾をすると、その時に受け取った精子だけで、一生の間 産卵し続けるから、交尾できない牡が沢山残る。夏の間は巣の中で餌を貰えるけど、秋になって繁殖期が終わると、牡たちはみんな巣から追い出されて、秋が深まる頃には弱ってゆく」

 アオの掌のフィギュアを手に取って、解説を続ける亨。

「だから、動かなくなったミツバチの牡が教室に迷い込んで、そのまま死んだのかと思ったから、観察しようと思ってね。まあ、オモチャだと思わなかったから、驚いたよ。あ、それと、動かないからって、蜂に素手で触るのは危険だから絶対にオススメしないよ」

 ならもっと驚けよ。と思いつつ、お前は素手で触っただろ、とか心の中で突っ込みつつ、アオはまた、気になる事ができていた。

「なんで牡ってわかったんだ? 蜂なんて、みんな同じ顔じゃん?」

 ある意味で常識的な認識の質問に、亨は楽しそうに答える。

「牡のミツバチは、新しい女王を追いかけて交尾する為だけの能力しか、与えられていないんだ。体の造りが、それしか出来ないように生まれてくる。だから、狩りや子育て、女王の世話をする牝の働きバチに比べて、顎が小さくて目が大きい」

 フィギュアのミツバチを横から見ると、頭の殆どが目、みたいな感じに見える。

「「「…へー…」」」

「だから牡だってわかった。それにしても、このオモチャ、精密だよな」

 妙なところで感心する亨に、衣枝夫が質問。

「でさ、牡って 大半は交尾できないんだろ? 追い出されたら どうなるんだ?」

「牡の能力が限定されているのは話した通りで、自分では蜜を取るどころか、探す事もできない。夏が過ぎて繁殖期が終わると、巣の中で餌を貰えず 日に日に弱っていって、やがて巣から追い出される。牡がいると その分、餌が消費されるから 花が無くなる秋になると、交尾できなかった大量の牡は、巣の食糧問題に直結する」

「「「ふむふむ」」」

 楽しそうな解説を、みんな頷いて聞いている。

「巣から追い出された牡たちは、蜜を取る能力そのものが無いから、冬の木枯らしがやってくる頃に、飢えて全滅する」

「「「ぅおぉ…」」」

 男子たちには、切ない話だ。

「つまり ミツバチ全体でも、牡の九十九パーセントは交尾できずに、ただ死ぬだけの命だな」

 サラっと爽やかに、大自然の残酷な現実を話す亨だ。

 アオは、思う。

「お、俺が牡のミツバチなら 交尾できた方が断然いいよな…、死なずに 新しい女王の巣で、ハーレムだろ?」

 牝たちに囲まれての優雅な隠遁生活を妄想する、アオミツバチの夢を、亨は容赦なく叩いて砕く。

「交尾して遺伝子を渡した瞬間、その牡は心臓麻痺を起こして死ぬ。そういう身体の造りなんだ」

「「「ひえぇ~」」」

 男子たちはみな、胸を押さえて身を震わせる。

「は…蜂って…」

 手の中のミツバチのオモチャが牡で、実はレアアイテムだったと、後から知ったアオ。

(…お前は、俺の部屋にいて いいんだぞ…)

 ちょっと優しさを知った少年だった。

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