第九十二歩


― 堀川リバアスホテル正面玄関前 ―


 「お代は既に頂いております」


 まだ0時前だというのに僕達の魔法はとけてしまった。


 後ろ髪惹かれる思いから渋々タクシーを降りてホテルに入る。そのまま部屋へ戻ればいいのにどうにも気分が乗らない僕と千賀君はロビーにある長椅子へと腰を下ろした。


 「なぁ熱田。……気持ちよかったな」


 「うん」


 思い出しては余韻に浸り、遠くを見つめて再び同じ様な言葉を口にする。


 「はぁ。三河に感謝しなきゃ……だな」

 

 「うん」


 百回ぐらいこのやり取りを繰り返した頃、玄関前に一台のタクシーが停車。廃人予備軍の僕と千賀君はなんとなくそちらへと目を向けた。


 「二度といくか!」


 室内エントランスへ木霊する大きな声に、僕と千賀君は魂が緊急ログイン!

 だらけた体を半身起こして今度はしっかり声のする方を見つめた。


 「お察しいたします。でも次回はワタクシ目にも……」


 なにやら揉めている男女。

 痴話げんかか何かか?


 「ユーは首都圏から絶対でるなよ! 我が町には決して近づくな!」


 「それは承知致しかねますね、ハイ」


 あの声はもしかして!?

 間違いない、三河君じゃないか!

 しかも相手はスズタンの宇頓さんでは?


 「では、無事ホテルまでお送りした証しを……」


 遠目でイマイチよく見えないが、宇頓さんは三河君の頭部を両手でガッチリつかんでいるような体勢となっている。

 もしかして頭突きでもするんかな?


 「むぐぐ!」

 {ブチュー}


 あっ!

 本当に頭突きしたっ!


 と言っても僕には二人の影が重なっただけにしか見えなかった。しかしあの体勢から出来るのは頭突きしか考えられない。


 「オーッホッホッホ! それではごゆっくりお休みくださいませ」


 「に、二度と僕の前に現れるなっ! うぅっ」


 {バタン! ブロロロロ}


 宇頓さんの高笑いがロビーの吹き抜けへ木霊した。同時に三河君の憎まれ口も……もしかして泣いているのだろうか?


 宇頓さんが去った後、トボトボこちらへ歩む三河君に悲しき男の悲哀を感じたのは何も僕だけではないはず。その証拠に千賀君は席を立つと三河君の下へと駆け寄った。


 「お、おい三河、大丈夫か!?」


 僕も少し遅れはしたものの、同様に彼の下へ。

 そして三河君の顔を間近にして僕は唖然とする。


 「ど、どうしたんだい三河君!? なにがあったの?」


 顔中がパンパンに腫れているのだ!

 まるで集団リンチかなにかされたかのように彼の顔は……いや、唇は原形を留めていなかった。


 「唇タラコじゃないか三河!」


 それだけではない!

 首元の伸びた長袖ティーシャツから覗かせる胸元には無数の痣があるではないか!?

 間違いない、これは集団リンチだ!

 きっと大人びて偉そうな口ぶりの三河君に腹を立てた誰かがカッとなって彼を襲ったに違いない!

 そうに違いないのだ!

 頼む、そうであってくれ!


 「お、兄弟は先に帰ってたんだ?」


 「えっ!?」


 兄弟?

 なんのことだ?

 僕と千賀君は互いに顔を見合わせる。


 「あ、いや僕とは違うけれど。あまり気にしないで」


 「?」


 相当に殴られたのだろうか?

 三河君の口からは意味不明な言葉がチラホラと……。


 「気をしっかり持てよ三河!」


 「いや、殴られたりしたわけじゃないから大丈夫。複数のタコに襲われただけだから心配しないで」


 くっ!

 やはり暴力による痣ではなかったか!

 しかし間違いであってくれ!


 「おめでとう、二人も遂に壁を越えたらしいじゃん。これで大人の仲間入りだね」


 「あ、あぁ。お前のおかげでな……本当に大丈夫か?」


 三河君は僕と千賀君の間に入ると各々の肩に手を回し、ポンポンと叩きながらこう言った。 


 「君達にの称号を与えよう」


 この言葉が何を指しているのか理解不能だったが、この一件で僕達の絆が深まったのは確かであった。

 この時チラリと三河君の胸元へ目を向けるも、その無数にある小さな痣が乳首のまわりと首筋へ集中していたのはきっと気のせいだろうと自身に強く言い聞かせる僕。キスマークに酷似しているが決してそのようなものではないと思う。なぜなら僕自身、つけられた事もなければ見たこともないから。

 


 そうであってくれみかわんっ!

 

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