第六歩


 「おはようキューちゃん」


 登校して自分の席へ到着するなり、さも当たり前かの如く僕へとかけられる挨拶。


 「おはよう三河君」


 完全にキューちゃんとのあだ名が定着した模様。

 なんだかなぁ。


 「三河君は朝早いんだね。僕も結構早い方だけど、それよりも早いだなんて相当だね」


 陰キャは存在感を出来るだけ消したいがため、なるべく他の生徒より早く登校し、クラス入室後、一目散に自分の席へ向かい早々と腰を下ろす。ほぼ全員が登校した後で視線というスポットライトを浴びながら教室へ入る勇気など僕は持っていない。最初から席についていればこちらを気にする者もいないだろう。姑息な考えだが僕はこれまでこうして難なく生きて来たのだ。

 それなのに三河君は既に登校を終えていた。僕より早いだなんて、一体何時に登校しているのだろうか。本当に謎多き男だな。


 「昨日は散々な目に遭ったなー。東にさ、メ―がお前に興味があるから一度デートしてやれよって言ったらあの有様だよ。親切で言ってやったのに!」


 黒確定。やはり三河君はやらかしていた。他人の口から好きだと伝えられて喜ぶヤツなどいるものか。中にはいるかもしれないけど、殆どが自分のタイミングでしたいだろうに。


 「それはね三河君、お……」


 「お節介だったと思いますよ?」


 僕の返答を遮って割り込んできた人物。

 語尾の丁寧さが言葉の主をを指し示す。


 「お早うございます熱田君、三河君」


 伊良湖委員長の登場である。

 昨日自らに課したミッションを早速遂行するようだな。


 「おはよう伊良湖委員長。僕が言うのも何だけど朝早いね」


 「伊良湖委員長? 誰? キューちゃんの彼女さん?」


 「!」×2


 驚いた!

 この男は我がクラスの委員長様である彼女の御尊顔すら知らないのか?


 「キューちゃんの彼女さんは可愛らしいねぇ。人形さんみたい」


 彼は何を思ったのか自分の席を立ちあがると伊良湖委員長へ近づき、徐に右手を差し出すとそのまま彼女の頭をなでなでする。しかもスススとやさしく滑るように手の位置を移動させると、今度は頬をなでなでっと。


 「えっへへー、すっべすべだねー」


 三河君は満足したのかその手を彼女の頬から放すと今度は僕の頭頂部へとその場所を変え、なでなでなでなで繰り返す。


 「キューちゃんも幸せ者だなーまったく。僕もあやかりたいものだねぇー」


 悪くないな。例えそれが男の手だとしても……うん、悪くない。って、僕は何を言っているんだ?


 「二人とも真っ赤だねぇ。照れなくてもいいのにー」


 このままだと僕と伊良湖委員長は三河君の謎に触れるどころか心身ともに取り込まれてしまいそう。ここは一つ、有耶無耶とする為にもなにか誤魔化さなくては。


 「み、三河君はなんでそんなに朝は早いの? 家遠いとか?」


 彼は僕の頭から手を放し、自分の席に戻るとその質問に答え始めた。


 「あー、僕自分で弁当作ってるからねー。だから結構早く起きてるんだ。それに遅いとアイツ等が一緒に行くって……ゴホッゴホン」


 「だ、大丈夫ですか三河君?」


 「い、いや大丈夫大丈夫、何でもないから何でも……」


 彼の言うアイツ等に少々ひっかかったが、それ以上に躓くほどの衝撃が僕を襲った。

 なぜならせき込む三河君を見た伊良湖委員長は、イタチの逃げ足より素早く彼の前へと移動、すぐさま自身のポケットからハンカチを取り出しそれを今度は口へと宛がったのだ。勿論三河君のその口へ。

 躊躇する事のないそれら一連の行動は、それこそ付き合っている男女のやり取りではないか。

 そのせいで彼の言葉など脳の片隅にさえ残らず、更にはそれらを上回る数々の重要な記憶がデリートされてしまったようにも……。


 ここでふと思う。もしかして委員長は既に落ちたのではないか?

 先程三河君が彼女の頬を優しくなでたが、それでまさかのフォーリンラブ?

 好奇心が恋心へと移り変わったのでは?

 ぶっ殺すぞ三河安成!

 いや、恐るべし三河安成!


 「あ、本当にもう大丈夫だから。えーっと……」


 「私の名前は伊良湖美咲ですよ。今このクラスの学級委員長です」


 「ありがとう美咲っち。心配掛けてごめんよ」


 美咲っち?

 この男はまたしてもサラリと名前呼びをしたぞ?

 天然か?

 天然の女ハンターなのか!?


 僕の成層圏より高い女性名前呼びの壁をいとも容易く超えていく三河安成という男に嫉妬の嵐はいつまでも吹き止むことがなかったのであった。

 

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