第三部 嘘の精算

プロローグ

季節は巡る。三度目の春が来る。






「はぁ…」




私は頬杖をつきながら、ピンクにデコレートしたネイルでストローを軽く弾いていた。


先ほどまで飲んでいたアイスティーも、既に氷しか残っていない。待ち人が未だ現れず、新しい飲み物をなにか頼もうか迷っているところだった。




今私がいる場所は駅前のとある喫茶店。春休みも残りわずかとなった休日の午前中を、私は怠惰に過ごしている。昨日は仕事で遅くまで拘束されてたし、こういう時間があっても悪いことではないだろう。




窓の外では多くの人たちが行き交っているが、皆一様に笑顔を浮かべているのはようやく訪れた春の陽気のせいだろうか。思い思いの休日を謳歌するその姿は、長かった冬の厳しさに耐えてきた反動なのかもしれない。もうすっかり雪も溶け、この街には新たな季節が舞い込んでいた。




「…………」




春は出会いと別れの季節だという。私の通う高校にも、もうすぐ中学を卒業した生徒が入学し、一年生として新たな後輩となるだろう。


私も、三年生になる。高校生活最後の年。来年の今頃は、きっとどこかの大学に合格して新生活の準備に追われてるはずだ。






あと一年。一年だけ耐えればいい。そうすれば、私はきっと開放される。


このどうしようもない息苦しさから解き放たれ、私は新たな人生を歩み出せるはずだった。






―――そんなはずないでしょう。アンタはなにも変わってないのに






心のどこかで、そんな声が聞こえた気がした。






「……分かってるっつーの」




親切なご忠告、どうもありがとうございます。心の中の私さん。


わかってます、わかってますよ。こんなことを考えている時点で、私は全然変わってない。甘えたまま、下を向いて泣き続けているのがほんとの私だ。




ちゃんと認めているのだから、イチイチ顔を出さなくてもいいんだって。


私は、忘れてなんていなんだから。






私は過去に囚われている。あの時のまま、私はずっと座り込んだままでそこにいる。


変わりたいと思っていたのに、結局私は誰かに手を握って欲しかったのだ。


私を引っ張り上げて、立ち直らせて欲しかった。




……誰かじゃないか。手を差し伸べてくれた多くの人を、私は振り払ってきた。


私が求めているのは結局たったひとりだけ。そしてそのひとりは、今は別の女の子と幸せそうに過ごしている。




それを壊すつもりなんてない。そんな資格は私にはなかった。


元より最初に私たちの関係を壊したのは私なんだ。これ以上滅茶苦茶にしたところで、なにが残るというんだろう。




あのふたりの後ろ姿を見て、私から離れていくふたりを見て、私はようやく自分の間違いに気が付いた。


あの嘘はもう戻らない。取り返しもつくはずがないだろう。




一年の頃はあの時の私をずっと呪い続けていた。自分のことを罵倒し続けて、同時に自分自身を守っていた。


自分が悪いと責めながら、幼馴染から見捨てられた愚かな自分を、可哀想だと自己憐憫に浸っていたのだ。


そうしなければ、私は取り返しがつかないほど壊れてしまうだろうことが、なんとなく分かっていた。




二年の頃は少しだけ踏み出せた。一年生の三学期。毎日泣き続けたことでいい加減涙も枯れ果てて自暴自棄になっていた私は、たまたま歩いていた街中でのスカウトの話に気がついたら頷いていた。


こんなひどい顔をしている私に声をかけるとか、見る目がないなと内心で彼女のことを嘲笑い、どうせすぐ呼ばれなくなるだろうとやけっぱちで参加した撮影。


言われるがまま渡された服を着て、適当なポーズを撮ってあっという間に終わっただけの初仕事。それが今でも続いているのだから、世の中というのは分からない。




態度も悪く、ロクな挨拶もできなかった私に、何故か熱心に話しかけてくれた先輩がいてくれたのが大きかったのだと今では思う。


この業界の作法。挨拶の仕方。他人との接し方。全部彼女から教えてもらったことだった。今では仕事の愚痴や私生活までなんでも話すことができる、かけがえのない友人となっている。


今は初の一人暮らしでてんやわんやらしく、そのうち遊びに来て、ついでに掃除を手伝って欲しいと泣きつかれた。むしろそっちがメインでしょうに。思わず苦笑してしまう。


ここに来て、私はようやく笑顔を取り戻せた。今の私は、多分ちゃんと笑えていると思う。






時間というものは残酷だ。どれだけ過去を恨んでも取り返しがつかないのに、気が付いたら傷はゆっくりとだけど癒されていた。




街を歩く人たちも、こんなことをずっと繰り返してきたんだろうか。


私よりずっと年上の人たちも、私よりずっと傷ついて、それでも生きてきたんだろうか。




……だとしたら、強いな。みんなみんな、強いんだ。


私は弱い。まだ自分の足で、ちゃんと立つことができていない。






それでも、認めよう。自分とちゃんと向き合おう。そうしないと、私はいつまでも蹲ったまま、弱い自分を置き去りにしてしまう。


それはあまりにも可哀想すぎた。あの頃の自分も、ちゃんと私だったのだから。


変わろうとしている自分だけを肯定しちゃ、いけないんだ。






そう。私はきっと、まだ未練が残ってる。


後悔と言ったほうが正しいんだろう。




雪斗と琴音。ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染。今はもう、離れてしまった私のともだち。




私はずっと守られて、ずっとふたりに甘えてきた。


だから間違っても大丈夫。それでも受け入れてもらえるんだと、心のどこかで思っていたんだろう。だからあんなことになった。後悔とは、そのことだ。




ふたりの仲を邪魔するつもりなんてない。あのふたりには幸せになって欲しい。


私に優しくしてくれていた人たちの幸福を望めないようでは、私は地獄の底まで堕ちることだろう。




絶望もした。たくさん泣いた。ずっとずっと後悔もした。


だけどそれは結局、自分のことばかりだ。そのことに気付くのに、二年近くもかかってしまった。やっぱり私は、どうしようもなく馬鹿だった。






カランカラン――






ふと、ベルの音が耳に届く。ここで私は顔を上げ、喫茶店の入口を見た。


そこにいるのはひとりの女の子。キョロキョロと辺りを見回して誰かを探している。なんとなく小動物みたいだなぁと、失礼ながら思ってしまった。




「美咲、こっちこっち」




そんな内心を押し隠して、私は彼女を手招きした。人目を惹くけど店内にはあまり人はいないし、まぁ大丈夫だろう。




「あっ!天華さん!」




途端、目を輝かせてこちらに向かってくる後輩の姿を見て、どっちかというと犬っぽいかもと、そんなことを考えた。




「ごめんなさい、お待たせしてしまって…」




「いいよ。気にしてないから。話があるんでしょ?」




私は出来るだけ美咲に優しく話しかけ、彼女を落ち着かせた。


待ち合わせ時間はとっくに過ぎてる。昔の私ならきっと目くじらを立てるか、内心で悪態を吐いていたことだろう。


だけど美咲の恐縮している様子を見たら、そんな気持ちも沸いてこない。事情を聴くのも野暮だろう。きっとますます身を縮こませるだけだ。


そんなことをするつもりなら、私は最初からこの場所にはこなかった。パワハラなんて今時流行らない…昔の私、ほんとに馬鹿だったんだなぁと、ふと思った。




「あ、はい。ありがとうございます!やっぱり天華さんは優しいです!」




「…そんなことないから。あ、とりあえずなにか頼もうか?外、まだ少し寒かったでしょ」




そう言って私が立てかけていたメニューを手に取ると、彼女は嬉しそうに笑っていた。


私はその姿に少し安心する。どうやら私は、ちゃんと先輩の真似事だけはできているようだった。






美咲は私が目をかけている、モデル仲間の後輩だ。そしてこの春から私の通う高校に通う新一年生でもある。今日は彼女の相談にのるためにこの喫茶店を訪れていた。




私があの人にされたことを、他の誰かにもしてあげたかったというのが大きな理由。


私でも誰かの助けになれるなら…そう考えられるようになれたのは、きっと悪くないことなのだろう。


だけど他にも美咲を気に入っている理由があった。




その姿がどこか昔の私に似ているようで、ほうっておけなかったのだ。


雪斗と琴音を追いかけていたあの頃の自分を、どこかこの子に投影していた。




ただ手を引かれているだけだった自分。だけど、あの頃は素直に言えたはずだった言葉を、私はまだ言えずにいる。








―――ごめんなさい。ゆきくん、琴音ちゃん








そうだ。私はまだ。






あのふたりに、謝れていないんだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る