エピローグ 天華:雪と…

「お疲れ様でした」




撮影を終えた私は深々と頭を下げ、スタッフさんへ挨拶をした。


印象を良くすることは大事だ。嫌われたところでいいことなんてなにもない。




「お疲れ様ー。いやー、天華ちゃん。今日も良かったよ!」




「天華ちゃん人気あるから助かるよ。またよろしくね」




この一年で何度も繰り返してきて、すっかり慣れた所作だったけど、相変わらずウケはいいようでなによりだ。


昔は人に頭を下げることすら滅多になかったから、こんな簡単なことすらロクにこなすことができなかった。


狭い世界のなかで、私は甘えてばかりいたことをふとしたときに実感する。


モデルの仕事をするようになった当初は、いろんな人に迷惑をかけたことを思い出す。


あの頃の私はどこまでも身勝手で、どこまでも子供だった。




…それはきっと、今も変わらないのだろうけど。




「はい、またよろしくお願いします」




だけど内面などおくびにも出さず、貼り付けた笑顔で返していく。


外面を取り繕うのも、すっかり上手くなっていた。


これは成長と言えるのだろうか。




私にはまだ、分からない。












「ねぇ天華。今週こそみんなで遊ぼうよ。アンタのこと紹介して欲しいってうるさいやつがいてさぁ。とりあえず会うだけでもしてくれない?」




「そうそう、ウチの友達も同じこと言ってんだよねー。今日撮影一緒だった宮沢くんとかずっと天華のこと見てたし、狙ってるかもよ。前のときもわざと天華と同じ現場狙ってたみたいだしさー」




帰り際、服を着替え終わったところでそんな声がかけられた。


ゲラゲラと下品な声で笑い続けるこのふたりは、一応同じモデル仲間ではあるけれど、名前は思い出せなかった。少なくとも覚える気にはならない相手ということだろう。


入れ替わりの激しい業界だから、彼女達では生き残れないとなんとなく感づいていた。それなりに顔はいいほうだけど、態度が横柄でスタッフさんの評判も良くないことも人づてで知っている。


私がくるまでふたりで男の話題で盛り上がっていたくらいだし、この仕事もいい男漁りの機会だとでも思っているのかもしれない。




「…ごめん。予定あるんだ。それに私、今誰かと付き合う気ないから」




そんな相手と付き合うメリットなど、なにもないことは分かってる。


ロクに仲良くないこのふたりの交友関係など知れたものではない。たまに迎えにくる男連中に、柄の悪いやつらがいるのを見かけたこともあるのだ。


遊びに出かけたところで、最悪変なクスリでも飲まされて、どこかの家に連れ込まれる可能性すらあった。


私はそこまで堕ちるつもりはない。そこまでやけっぱちになれるなら、あの時とっくにそうしていたはずだから。




「えー!それ前も言ったじゃん。ほんとは私たちと遊びたくないだけなんじゃないの?」




「そうそう。知ってる?アンタ付き合い悪いって評判悪いよ。ちょっと人気あるからって、調子乗ってんじゃないの」




「…そんなことないよ。私、ほんとに用事あるの。それじゃ」




「あっ!待ちなさいよ!」




これ以上話を聞く気にはなれない。


耳障りな甲高い声と、やたら臭い香水で充満した部屋からさっさと抜け出し、私は階段を駆け下りていく。


去り際にいろいろ勝手なことを言っていた気もするが、たかが仕事で数時間顔を合わせるだけの関係だ。そんな相手に私のなにが分かるというんだ。


私は、アンタたちとは――




……いや、違う。最低なのは、私のほうだ。私はとっくに堕ちていた。


底から這い上がろうともがいている最中だけど、未だ宙に伸ばした手がなにも掴めていないだけだ。掴む相手がいて、それで満足してる彼女たちのほうが、きっと人としては上等な部類なのだろう。




それでもこの手を掴んでくれる相手を、私はきっと探し続けている。


今はただ、それ以外の相手の手を取る気がないというだけの話だ。




(嘘つき)




心のどこかで聞こえた声は、敢えて無視した。












「さむっ…」




撮影を終えたばかりの時は、カメラを向けられ体も火照っていたというのに、着替え終えてダッフルコートを制服の上から重ねた肌に、冬の冷たい風が突き刺さった。




そう、冬だ。あれから随分時間が流れた。


高校生活も二年が半ば過ぎ、この冬が終わって春が来れば、ついに三年目を迎えることになる。


そして次の一年をしのげば卒業だ。進路はまだ明確に決めているわけではないけど、とりあえず一人暮らしをしようと思っている。モデルをしているのも、その資金稼ぎのためだ。




一年前、なにもかも失った私に残っていたのは、結局この容姿だけだった。


アイツのために磨いた容姿が多くの人から賞賛され、今では私は結構な人気がある読者モデルになったらしく、かなりの仕事が舞い込んでいた。


事務所の話じゃ、CMの話まできてるらしい。




とはいえその話まで受ける気はなかった。


人気がいくらでようと、私が私であることには変わらない。


身の丈以上のものを求めたら身を滅ぼすことになるのは学習している。下手に人気が出たところで、私では必ずいつかやらかすだろう。


ここが私の分水嶺。現状で満足することが大切だった。


そもそもお金自体は毎月両親から十分な金額が振り込まれているし、なんなら今貯まっている貯金だけでも、大学生活を遊んで過ごすにはなんの問題もない。




私は自分を変えてみたかった。


誰かに頼って甘えた結果、私はあんな結末を迎えてしまったのだ。


実際今の仕事を始めてみてから、いろんな人や考えに触れることができた。私よりずっと苦労している人や、尊敬できる人にも出会うことができたことは、私にとって大きな財産になったと思う。




だけど、それでもこの胸の穴が埋まることはない。


どこまでいっても私は空っぽのままここにいる。






綺麗になったと言われた。




好きだとも、数え切れない人に言われ続けた




付き合って欲しいと、真剣な目で言ってくれる人がたくさんいた






そのたびに私は問うのだ。私のどこが好きなんだと。






―――可愛いから




―――美人だから




―――理由なんてないけど、とにかく好きになったから






こういってくる人が大半で、私はその全てを断り続けた。


外面だけを見てくる人は、きっと私の醜い内面を知ったら離れていくだけだろう。


理由のない好意なら、理由がなく離れていってもおかしくない。




なかには「寂しそうに見えたから」という人もいた。


そういう人は、皆優しそうな雰囲気を持った人で、どこかアイツに似ていることが多かった。


心が動きそうになるけれど、そんな人の告白も私は断っていた。




私を知って、失望されるのが怖かった。








結局、変わりたいと言ったところで私は臆病なままなのだ。


どこまでも私は口だけで、中身はあの日からまるで成長できていない。


そう、だから結局、私が求めているのは―――






「……ほんと、未練がましいな。私」






思わず自嘲してしまう。


さっさと別の男を捕まえて、忘れてしまえばそれで済むのに、それをすることを心の底で拒絶している。臆病なうえに意固地とか、最悪すぎる。




いっそ一時の快楽にでも身を任せれば、案外あっさり忘れてしまえるのかもしれない。


そういう意味では、あのふたりのほうが、女としてはずっと賢いのだろう。


私など、未だ幼馴染が楽しそうに歩いてる姿を見るだけで、胸が締め付けられるというのに。




「春が来て、また春が来て、ふたりと今度こそ顔を合わせないくらい距離が空けば…忘れられるのかな」




その答えはきっと分かりきっているのに。


私は呟かずにはいられなかった。




その呟きも、街の雑踏のなかに吸い込まれていく。


駅に近づくにつれ、男女で歩く姿が増えていった。


そこかしこで聞こえてくるBGMは、この季節になると耳にする、聴き慣れたフレーズ。今も通り過ぎたカフェから漏れてくる音楽は、ジングルベルを奏でていた。




「もうすぐクリスマスか…」




道理でカップルが多いはずだ。


この雰囲気に身を任せたら、さぞかし心地いいことだろう。


私の隣を歩く人はいないから、その気持ちは分からないけど。






…アイツの誕生日も、そういえば近かったな。


去年のクリスマスの夜は、アイツの部屋に電気がつくことはなかった。


きっと琴音といたのだろう。そう考えると、僅かに視界がぼやけてくる。




(…また、か)




もうすっかり慣れたつもりだったが、そんなことはなかったようだ。


あのふたりのことを考えると、すぐにこうなる。


私が手に入れるはずだったものを手に入れた幼馴染に対し、羨望の気持ちが感情を揺さぶっていた。




悔しさではないと、思う。後悔は、もうずっとしてきたのだから。


今では惨めな気持ちのほうが、ずっと強かった。




ダッフルコートのポケットに突っ込んでいた手を出し、寒さに震えながら目尻を擦る手の甲に、涙とは違う冷たい感触がひらりと落ちた。




なんだろう、と考える間もなく、周囲の声が答えをくれる。




「雪だ」




誰かの呟きをきっかけに、次々と感嘆の声が漏れてゆく。


私も顔をあげ、暗い夜空を見上げた。なにも移さない暗い天のスクリーンから、シンシンと白い結晶が舞い降りてくる。






雪。雪。雪。




アイツと同じ、雪。






「雪斗…」




声が漏れた。あえて意識しないつもりだったのに、それを見てしまってから、もう止まらなくなってしまう。




拭ったはずの涙が溢れ出し、私の頬を伝っていく。


幸いだったのは、周りの人波も空を見上げており、今の私に気付く人が誰もいないことだろうか。






私は、ひとりぼっちだ。






そう思うと、ますます涙がこみ上げる。どうしようもない感情の波が私を襲う。






きっと、忘れるなんて無理だ






あの時後悔を振り払うために切り捨てたこの髪も、元の長さに少しづつ近づいている。






私は、きっといつまでも求め続けるのだろう。










手に入らなかった、あの雪を

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