エピローグ 雪斗:天の華

ドン、ドンと。普段は虫の鳴き声以外は静かな夜に似つかわしくない、派手な音が奏でられ、夏の夜空に華が咲く。


それに疑問を思う者はこの場にはいない。夜の河川敷には、この華を見に多くの人達が集っているのだ。老若男女問わず、行き交う人々は皆一様に笑顔を浮かべている。


祭りにはやはり笑顔が似合うと、俺は思う。




今日は俺たちが住む街の、花火大会の日だ。天気は快晴。今日は一日、雲ひとつない青空だった。


それは日が落ちきった今でも変わらない。19時を過ぎて花火が打ち上げられている現在も、この空のスクリーンを阻むものはなにもない。


皆が空を見上げ、この一時の非日常な空気へと浸っている。


天から響く大きな音と、地上の人々の感嘆の声がコントラストととなり、ある種の幻想的な空間となっているように俺には思えた。




「綺麗だね、ゆきくん」




隣にいる俺の幼馴染で、現在は恋人でもある葉山琴音もそう思ったようで、呟くようにと話しかけてくる。どこか上ずった、感極まっているような声でもあった。




琴音は今、桜色の浴衣に身を包んでいる。祭りに出かける時は毎回浴衣を着ていたが、軽く結い上げた髪の下から普段隠れているうなじが覗いており、なんとも色っぽい。


なんとなく目をそらしたくなってしまうのは、やはり好きな女の子の艶姿だからだろうか。


清楚な雰囲気から僅かに滲み出る琴音の女の子としての色気は、俺から理性をゴリゴリと奪っていくのだ…もう童貞ってわけでは、ないのだけど。どうにも慣れることはないらしい。




浴衣姿に気を取られてしまっていたが、屋台の光に照らされ、琴音の顔が紅潮しているのが分かった。


物静かな琴音が興奮している姿は珍しいが、彼女は元々ファンタジー等の本を好む、所謂文学少女ってやつだ。


日常とは違うこの瞬間に、琴音なりの物語性を見出しているのかもしれない。




「そうだな…ほんとに綺麗だ」




でも琴音のほうがもっと綺麗だ…なんて臭いセリフは、勿論言ったりしない。


場の雰囲気に流されるのはありかもしれないが、家に帰って冷静になったら、俺は間違いなくベッドの上で転げまわる自信がある。


琴音はきっと素直に受け取ってくれるのだろうが、間違いなく黒歴史確定だ。ぶっちゃけ俺のキャラではない。


なにより、そんなことを言えない理由はもうひとつあるのだ。




「たーまやー!かーぎやー!かきつばたー!」




「かきつばたは余計だと思うよ…というか、それどこから出てきたの?」




日アサヒーローの仮面を被り、わたあめを片手に持ちながらケラケラ笑う同級生の少女。砂浜みくりと彼女の側に付き添う俺の友人である西野宏太も、ともにこの場にいるからである。


今日は俺たち四人で、この花火大会まで来ていたのだ。




駅前で待ち合わせをし、軽く屋台を回ったあと、ちょうどよく空いてる場所を見つけた俺たちは、固まってここで花火を鑑賞している真っ最中というわけだ。


友人とWデートとか、俺もついにリア充になったのかと錯覚するほど、青春真っ只にいるわけではあるが、友人の前で醜態を見せられるほど、俺の理性は夏の暑さで蒸発してはいなかった。




「みくりは祭りを満喫してるなぁ。風情はあんまり感じてないのがらしいけど」




「らしいってなにさ!これがあたしなりの祭りの楽しみ方なんだから!中学の頃からずっとこうなんですー!ねっ、宏太」




俺の言葉に頬を膨らませたみくりは、西野へと話を振った。


話しかけられた西野は相変わらずの爽やかなイケメンフェイスを笑顔を変え、みくりの言葉に首肯する。




「そうだね、みくりさんはそれでいいと思うよ。そのほうが、僕は好きだな」




「ほらね!宏太もこう言ってるじゃん!あたしは正しい!ことちゃんもそう思うよね?」




「え?うーん、そうなのかな?」




西野の言葉に気を良くしたのか、みくりは琴音にまで話題を振って肯定を促しているが、琴音の反応はイマイチだ。


なんだでだよーと、そのまま琴音に絡むのを横目に見ながら、俺はこっそり西野へと話しかけた。




「おい、あまりみくりを甘やかさないほうがいいんじゃないか?」




「うーん、でも実際あれが本音だからね。やっぱりみくりさんには笑顔が似合うから。笑っていて欲しいと思うとあまり変なこと言えないんだよ」




軽くはにかみながら頬を掻くその姿は、野郎だというのにやたらと様になっている。やはりイケメンはこういうところがずるいなと思いつつ、俺は密かに友人の恋の成寿を祈っていた。






これは夏休みに入る前、天華と疎遠になる旨を西野に伝えた際に聞いた話なのだが、西野には想い人がいるらしい。


その相手は今さら語るまでもないかもしれないが、みくりである。


中学の同級生で、陽キャへと変わりたいと思うきっかけとなった理由のひとつが、みくりと釣り合える人間になりたいという、非常に人間臭いというか、思春期の男子らしいものだったことには正直驚いた。


根っこは俺と同じだったかもしれないが、好きな相手のために自分から変わる道を選んだのだとすれば、やはり俺とは全く違う人種だ。


俺も、最初から変わる道を選んでいたらあるいは天華と…いや、よそう。こんな考え、琴音にも天華にも失礼だ。もう全部、終わったことだった。




なにはともあれ、完璧超人だと思っていた西野の意外な一面みたいなものを見た俺は、ますます友人として好感を抱き、今度は俺が一肌脱ごうと琴音にも相談した結果、みくりも誘って今日を迎えたという裏事情があったりする。


…まぁもっとも、それもあまり効果がなかったようだが。




天華のサポートをしていたらしいみくりだが、どうにも自分に好意を寄せる相手の感情には鈍いらしい。


いつも明るく、距離感も近いことから学年でも人気の高いみくりに、西野も危機感を抱いているようだが、どうにも恋愛関連に関しては西野はピュアな思春期男子そのものだった。


そちら方面にはステータスを振り切れなかったのか、どうにも積極的に出られないらしく、むしろみくりの笑顔を見ているだけで満足とか言い出す始末。


なにもかも俺とは対極にいると思っていたが、これに関しては俺に一日の長があるらしい。


…そこに至る過程は、全く褒められたものではないのだが。


今も思い返すたびに自責の念に駆られ、胸を掻きむしりたくなる。




「でも、今日は来て本当に良かった。みくりさんは楽しそうだし。夏休み前は、あまり元気なかったから」




「…悪いな。それは俺のせいだ」




みくりが元気がなかった理由。それは言うまでもなく、天華だ。


俺と琴音が学校を休んだ次の日。天華は自慢だった長い髪をバッサリと切って、学校に登校してきた。


無論その姿に誰もが驚き、事情を問い詰めたが、頑として口を割らず、そのまま今にまで至っている。それできっと、みくりも責任を感じているのだろう。


みくりに悪いところなんて、ないというのに。




「それは違うよ。雪斗くんだけのせいじゃないと思う。部外者の僕なんかが言うのは違うと思うけど、きっと仕方ないことだったんだよ」




「…そうかもしれない。だけど、俺にも責任があったんだ。」




表情が曇ったことから察したのか、西野が俺を慰めてくるも、それを素直に受け止めることなどできはしない。


天華の突然の変貌に、前日天華とともに学校を休んでいた俺が当然疑われたわけだが、俺からもなにも言うことはなかった。


俺たちの間で完結した話を、第三者に語ってなるものか。このことは墓場まで持っていくつもりである。もっとも、俺と天華との接触が全くなくなったのだから、察しがいいやつは気付いているのだろうけど。




天華もきっとそのつもりなのだろう。天華の立場をもってすれば、いつでも俺たちのことを追い込むことはできるはずなのだから。


そうしなかったということは、きっとそういうことなのだろう。








だけど、髪を切ってきたことに関しては、俺たちに対する当てつけなのかもしれないと思っている。


子供の頃からずっと伸ばし続けていたはずの自慢の髪を、琴音と同じセミロングにまで切り揃えてきたのだから。それに伴い、天華は少し周囲とは距離を置くようになったことも知っている。


みくりは今も積極的に天華に話しかけているようだったが、反応は芳しくないようだ。


一番仲の良かったみくりでこれなのだから、周囲の取り巻きも話しかけるのを遠慮するような雰囲気を出していた。




だが、それで天華の人気が下がったかと言えば、そういうわけでもなかった。


むしろますます天華の人気は上がっていたりする。


今の憂いを秘めた表情と髪型を変えたギャップが琴線に触れたのか、男人気はますます鰻のぼりらしい。






周りは戸惑いながらも、天華の変化に一喜一憂しているようではあったが、真実を知っている俺からすれば、受け取り方はまるで違う。






私を忘れるな。


そんな天華からの無言のメッセージのように、俺には思えた。






(忘れるものかよ…)






今さらお前の存在を、俺の中から消すことなんてできるはずがない。


俺にとって、本当に大事で、好きだった人。


大切だった幼馴染。




そんな存在を切り捨てたことを、俺は決して忘れない。忘れることなんて、できるはずがない。




天華の存在はきっといつまでも、俺の中に残り続ける。






「ちょっとふたりとも、なに男だけで話し込んでるの!こーんな美少女ふたりほっといてさ!」




「あ、ごめんごめん」




「それ、自分で言うか?確かに琴音は美人だけど」




「え、ゆきくん、なに言ってるの!」




だけど、少しだけ。


日常から切り離された、こんな時くらいは。




「琴音」




「全くもう…どうしたの?ゆきくん」




俺を見上げる琴音は相変わらず綺麗だ。いや、付き合ってから、もっと魅力的に見えている。


最近は琴音の人気も上がってきたという話も聞くし、粉をかけてくる輩もいるかもしれない。




「俺、これから頑張るから。ずっと大事にするよ」




「え、え、ええ!」




今だからこそ言える言葉もある。これくらいなら、きっと黒歴史にはなりはしないだろう。後で悶絶程度はするかもしれないが…その時はその時だ。


俺は琴音に嘘を付きたくない。思ったことを、そのまま素直に伝えたかった。




うわ、ゆきっち大胆…とか、僕も頑張らないとなぁとか、そんな言葉は無視する。


周囲から感じる暖かい視線も全て無視だ。ヒュルヒュルと、遠くでなにかが打ち上がっていく音も聞こえたが、それも今はどうでもいいことだった。




「だから、よろしくな。琴音」




「…うん」




恥ずかしそうに俯く琴音と、それを見つめる俺。








そんな二人を見守るように、夜空に新たな華が咲いていた。








―――まだ、俺と琴音の関係は続いていく


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