第68話 わからない
「…天華、お前本当にさっきからなに言ってるんだ?お前の言っていること、俺には理解できないよ」
内心の怒りを押し殺し、俺はできるだけ冷静であろうと努めていた。
ひとりなら下手をすれば、天華に掴みかかっていたかもしれない。それだけ天華の無神経な言葉は、俺の逆鱗に触れていた。だけど、そのまま怒りに身を任せることはできない。すぐそこに琴音がいるのだ。
琴音が怯えてしまうかもしれないと思うと、たとえ誰であろうと暴力を振るうなんてできなかった。
琴音がそういうことが嫌いだというのも、俺はよく知っていたのだ。
好きな女の子が側にいるという事実が、ギリギリのところで俺の理性を支えていた。
琴音のおかげで、俺は天華に手をあげることをなんとか踏みとどまれていたのだ。
「雪斗こそ、なにを言っているのよ。私のことを好きだから告白してきたんでしょ?」
ただ、誤算があった。天華がまるでそのことを気にした様子を見せないうえに、さらに踏み込んできやがったのだ。的確に急所をえぐってくるその言葉は、人の血が通ったやつが発することができるものだとは思えなかった。
これが俺に新たなトラウマを植え付けることが目的だというのなら、その目論見は大成功だ。同時に天華に対する好感度も、さらに下がっていっているけど。
このままいくと、マントルまで突き抜けるかもしれないほどの直滑降だ。リーマンショック並の暴落を起こしている。
そこまでいけば、素直にただのクソ女として天華を無視するなり突き放せば済むのだが、問題は天華がこれを素でやっているだろうことがわかってしまうことだった。
本当に、純粋に疑問に思ったから聞いてきたようで、その顔は子供のようにキョトンとした表情を浮かべている。
いっそ悪意があったほうがよほどマシだった。そうすれば、こっちとしても相応の対応がとれるというのに。
「それは、そうだけど…」
「ならいいじゃない。ほら、琴音は後でくるだろうし、私達だけで行きましょう」
悔しいことに、こいつに告白したことは事実ではあった。
天華に告白して振られてから、ようやく一ヶ月が過ぎたところだが、一般的にはまだ未練を残している時期なのかもしれない。
そう考えると、天華に対する好意がまだ残っているのだとあいつが勘違いしていてもおかしくはないのか…?
仮にそうだとしても、天華が言っていることは無神経にもほどがあるが。
…いや、琴音に言ったことを考えると、元々そうだったか。
実際振られたやつが皆そうなのかは知らないし、案外どっかの大学あたりが統計をとったりしているのかもしれないが、俺はそんな質問をされたら返せない自信がある。人によっては激昂ものだろう。
…話がズレた。今はとにかく、天華のペースに乗らないことが先決だ。
普段から強引なところのあるやつだが、今の天華と二人きりになるのはまずいという、妙な予感があった。
「行かないっていってるだろ。俺は琴音と学校に行くんだよ!天華とは一緒に行くつもりはない!」
だから、ハッキリと宣言する。
ここまで言えばきっと天華も納得するだろうという期待を込めて。
「え?なんで?」
だけど、やはり俺の願いは通じないらしい。さっきの焼き回しのように、天華はまたも首をかしげるのだ。
「なんでって…」
「私、間違ったこといってないでしょ?雪斗こそさっきからなにいってるのよ」
まただ。またこんな調子だ。
さっきから会話が延々とループしている。
言葉は通じてる。その意味も、理解しているはずだ。
だというのに、天華は疑問ばかりを投げかけてくる。
俺は明確に拒絶しているのに、天華はそれが分からないと言ってくるのだ。
言葉が通じているはずなのに、意思が伝わらない。それに気付いた俺はゾッとした。
夏は近づいているが、今はまだ朝で暑くなるのはこれからだというのに、背筋に冷たいものが流れていく。
(なんだよ、これ…)
奇妙な感覚だった。まるで宇宙人にでも遭遇したかのようだ。意味が分からないとはこのことか。
こちらの考えがまるで受け取ってもらえず、宙ぶらりんで途方に暮れているというのに、向こうは自分の考えが正しいと疑ってすらいないのだ。
会話のキャッチボールをしようにも、天華が投げてグラブに収まったボールは、固くも柔らかくもない、理解不能な感触をしている。まるで手応えがないし、掴んでいるのかすら分からない。
今の天華はあやふやだ。目の前にいるのは、本当に俺の知っている天華なのだろうか。
「雪斗は私といるのが楽しいはずでしょ。私も一応そうだし…なら、私達は一緒にいるべきなのよ。そのほうが絶対いいんだから!」
わからない。
天華の言っていることが、わからない。
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