第67話  理解できないキモチ

七月も近づいてきたある日。テストも終わり、じわじわと日差しが強まってきた朝のことだった。


天気は晴天。そのままいけば良い一日になることが約束されているはずの、そんな朝だ。




「行ってきます」






俺はいつも通りに家を出て、いつも通りに前を向いて足を踏み出した。家の敷地から出れば、そこにはいつも通り琴音がそこにいるだろう。もしかしたら今日は俺のほうが早いかもしれないけど、それならそれで待つ楽しみができて悪くない。そう思うと、自然に頬が緩んでいく。


朝の登校も琴音と行くことが、俺にとってすっかり日常の一部になりつつあった。


好きな人といるだけで、ただ嬉しいのだ。それはきっと、琴音も同じ気持ちだと信じている。


この一ヶ月足らずで、俺はすっかり琴音に惹かれてしまっているようだ。


だけど、この高揚していく気分は長くは続かなかった。






――から、今日は私が雪斗と――






――あのね、そんなこといっても――






「なんだ…?」




家の角にある電柱、そこが俺と琴音の待ち合わせ場所。今日も琴音が先にいるのだと思っていたのだが、この日はいつもとは違っていた。そのあたりから複数の声が聞こえてきた気がしたのだ。


普段は静かで遠くから車が行き交う音がするくらいの音しか届かない、閑静な住宅街であるこの場所で人の声がするなど、珍しいことだった。それも言い争いでもしてるのか、口調にも強いものを感じる。


俺は急かされるように、早足で門まで向かっていた。




「琴音、どうし――」




「だから、今日は私が雪斗と一緒に行くっていってるでしょ!」




「今さらそんなこと言われても困るんだけど。天華ちゃんはやっぱりまだ変われないんだね」




そこにいたのは琴音、そして天華のふたりだった。


琴音しかいないはずのその場所に天華がいたのは驚きだが、それ以上に驚いたことがある。


ひとつは天華の髪型が違うこと。いつぞやのようにツーサイドアップに変えているようだ。これはいい、そういう気分の日もあるだろう。俺が驚いた本命はもうひとつほうにある。


それは髪型を変えたというのに、彼女自慢の赤い髪が、ひどくボサボサになっていたことだった。




天華が普段から髪に人一倍気を遣っていることを、俺は知っている。


常に手入れを欠かしていないし、風呂にも毎日一時間は入って、しっかりとケアをしているそうだ。


いつも光を浴びてキラキラしている鮮やかな髪色を自慢に思っていることも、以前聞いたことがあった。




それが今はどうだ。その赤い髪にはいつもの輝きがどこにもない。


ところどころ跳ねているし、俺の目からみても傷んでいるように見える。


今も朝の陽光があたっているというのに、光を反射することなくただ吸い込んでいるだけで、鈍色のそれは煌めいているなどとはとても言えない。


鮮やかな炎を思わせ、人を惹きつけていたワインレッド。


その輝きは今は灰にまみれたようにくすみ、色褪せて見えた。




「天華、お前どうしたんだよ」




「あ、雪斗」




さすがにおかしいと思い、声をかけるも、こちらを向いた天華を見て俺はギョッとする。


髪の色とは反対に、俺に向けてきたその目は、異様にギラついているように見えたのだ。


それを真正面から見てしまい、俺は若干怯んでしまう。


久しぶりに近くで聞いた天華の声は、子供のような無邪気さを含んでいた。




「雪斗、私と一緒に学校に行くのよ。話したいことがあるの。雪斗だって、私に言いたいことがあるんじゃないの?」




「は?いや、お前なにを言って」




「ほら、行きましょう!」




天華が俺に近づき、腕を掴んでくる。かなりの力だ。


そのまま強引に引っ張っていこうとするが、琴音を置いていくことなどできはしない。


足を踏ん張りその場に踏みとどまると、天華はたたらを踏んで立ち止まった。




「ちょっと雪斗、なにしてるのよ。早く行くわよ」




「そこに琴音がいるだろ。俺は琴音と待ち合わせしてたんだよ」




不満を顕にする天華を無視し、俺は空いてる手で琴音を指さした。


琴音は未だ待ち合わせ場所に留まり、呆れた目でこちらを見ている。


その目が見ているのは天華だろうけど、今の彼女の気持ちがなんとなく分かる。


まだ天華を許す気はないことがひしひしと伝わってくる。


天華を見る目が、ひどく冷めているように思えてならなかった。


口には出さないが、内心俺も同じ気持ちだ。




「琴音?いいじゃない、ほうっておけば。雪斗だって、本当は私と一緒にいたかったんでしょ」




「…お前、さっきからなに言ってんだよ?」




別に琴音を見習ったわけではないが、俺もつい天華に呆れた視線を向けてしまった。さっきから天華がなにを言いたいのかサッパリだ。




「天華ちゃん、ずっとそんな調子なんだよ。私がゆきくんの家の前に着いたときからずっといたし。全然話しが通じないの」




考えが読まれたのか、琴音が代わりに俺の疑問に答えてくれた。


まぁ実際は答えになってないのだが、今の天華は琴音からしてもやはりおかしく映るらしい。


それが分かっただけでも充分だ。




「みたいだな…天華、俺は別にお前と一緒にいたくはない。ていうか、そもそも当分は話さない方向で話しまとまってたろ。夏休み明けたら大丈夫だろうから、最低でもそれまでは…」




「…なんでそんな嘘つくの?」




琴音の言葉に頷いて、俺は天華に向き直った。


とりあえず根気よく説得すれば、話は通じるだろうと踏んだのだが、どうやら甘かったらしい。


俺の言葉を無視するように、また訳のわからないことを口走る。




「嘘?俺は嘘なんて…」




「嘘よ。だって、雪斗は私のことが好きなんでしょ?なら、普通は一緒にいたいはずじゃない」






…本当に、意味のわからないことばかり言う口だ。


それがどれほど人を傷つける凶器なのか、わからないのか。


古傷を抉るかのような言葉の刃を向けてきた天華に、俺は今度こそ軽蔑の視線を向けていた。

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