第66話 苛立ち

ガリガリ。ガリガリ。


小さな音が部屋に響く。




おかしい。どうしてこうなったんだろう。


最近はこんな疑問ばかりが、ずっと頭の中をぐるぐるしている。答えがでない無限ループ。


なにもかも全然全く上手くいかない。やる事なす事全て裏目に出てばかり。


確かに間違ったのは確かだけど、そんなに悪いことをしたというのだろうか。


いくら考えても終わりがない。知りたいことを知ることのできないもどかしさで、最近は爪を噛む癖さえついていた。




そんな光のない暗闇のなかで、ひとつだけ私を救ってくれるものがある。それは言うまでもなくもうすぐ恋人になる幼馴染、浅間雪斗の存在だった。






私と雪斗はお互い愛し合っている。それは既に分かりきっていることだ。


雪斗は素直になれないやつだから、最近は周りにはイチイチ私とはただの幼馴染だなんて強調して触れ回っているみたいだけど、私は雪斗の本当の気持ちを知っている。なんでもない間柄だなんてことは断じてない。




雪斗は私のことを好きなんだ。それは変わることのない絶対の事実だし、今は周りから引き離されているだけで、きっとすぐに前みたいに話せるようになるだろう。


そう考えると、少しだけ胸が軽くなった。運命の恋人のようでロマンチックだし、悪くはない。


昔読んだ本にも、そんな話しがのっていたっけ。そうだ、琴音に聞けばきっと詳しい内容を―――




「…もう、聞けないんだっけ」




琴音。その名前が重しとなって、再び心にのしかかる。忘れたかった記憶が、目を覚ます。


あの日は帰ってから、まるで眠ることができなかった。涙は止まらないし、それで頭がキリキリと痛むというのに、体が疲れを訴えても頭は休むことを許してくれない。布団を強く掴んで、誰もいない暗闇のなかで朝を待った。




ようやく眠りにつけても、二時間程度で目が覚めた。疲れた体のまま、罪悪感から逃れようと足元にあった買い物袋を壁に叩きつけてみても、まるで気が晴れることはない。


袋から零れた白のワンピースを見て、結局声をあげてまた私は泣いてしまった。


いつか琴音に許される日は、くるんだろうか。






……いや、たとえこなかったとしても、私にはまだ雪斗がいる。


最初からずっと一緒にいた男の子。誰よりも一緒の時間を過ごしてきた幼馴染。




そうだ、雪斗だ。雪斗がいればそれでいい。思えば最初から他の人なんていらなかった。


私にとって本当に大切で、必要だった人は、ただひとりだけだったんだ。


そのことに気付くのに、私はすごく遠回りをしてしまった。


いろんなことを犠牲にもしてしまったと思う。自分もたくさん傷ついたけど、私はここで気付くことができた。ギリギリだったけど、それでもまだ間に合うはずだ。




雪斗はあれで意固地だし、義理堅いところがある。


食堂で雪斗が言ったあの言葉。自分が悪者になって、私を救ってくれると言われたときは心の底から驚いた。




―――大丈夫だ、俺に任せとけ




あの時も、雪斗はそんなことを言っていたことを思い出す。あれがきっかけになり、私はますます雪斗にのめり込むことになったことも。


昼食のときは中学の時みたいに雪斗に犠牲になって欲しくなくて咄嗟に否定したけど、心の中では喜んでいる自分もいた。




―――ああ、やっぱり雪斗は私が大切なんだ。見捨てることはないんだと




そう思った。自分を犠牲にして私のために動こうとしてくれたことからも明らかだ。


雪斗はまだ私のことを好いている。だから渋々ではあったけど、その後の提案にも従ったのだ。


口には出さなかったけど、まるで心に火が灯った気分だ。私はこの気持ちを、もう忘れないと密かに誓った。




最近は琴音と一緒に朝は登校しているようだけど、きっと雪斗になにか吹き込んだのだろう。


雪斗の気持ちは私に向いているのだから、そんなことをしても意味がないのに。


暗い愉悦の感情が、私のなかに宿っていた。






私は雪斗を信じている。雪斗は琴音に気持ちが向くことなんてない。そんな当たり前のことを、私が疑ってどうするんだ。


私はずっと臆病だった。だから雪斗からの告白も断ってしまったし、あんなことにもなってしまった。


だけど、これからは違う。私は雪斗のために強くなるんだと、そう決めた。




……だけどその前に、ちょっとだけ勇気が欲しい。雪斗のことをもっと教えてほしい。


そうすれば、私はもっと安心できる。心を乱されることなんてなくなるはずだ。


そう考えた結果、最近は雪斗をこっそり観察するようになっていた。


私に近づいてくる邪魔者はますます増え、ウザったいやつばかりが私を囲ってくるため学校では身動きが取れないが、朝と放課後なら別だ。誘いを断り、雪斗を陰ながら見つめることが新たな趣味になりつつあった。




そうして分かったことだが、最近の雪斗は私にロクに連絡も入れず、西野くんをはじめとした男連中と遊んでばかりいる。


それはそれで安心できるのだが、好きな相手である女の子の私を放置するというのは頂けない。


私がもうすぐ彼女になるというのに、男とばかりいるとかそれはどうなんだ。




西野くんも西野くんだ。雪斗に誘われたからってホイホイついていくとか、自分の立場を本当に分かっているんだろうか。


ただでさえこの前の件で、西野くんのクラス内の評価は落ちつつあるというのに。


私やみくりもなんとかフォローしてるし、感謝もしてるけど正直イライラが止まらない。


雪斗のやつ、私といるときよりずっと楽しそうにしてるじゃない…!






分かってる、これは嫉妬だ。さすがに男の子相手に嫉妬するとは思わなかったけど、溜まりきった負の感情を自分でも制御できなくなりつつある。


いい加減限界かもしれない。こんな気持ちはもうたくさんだ。




「告白、しなきゃ…」




そうだ。あのときは琴音に邪魔されたけど、してしまおう。


このままじゃ、雪斗がますます離れてしまう。そして遠くに行ってしまう。


みくりには当分は止めたほうがいいと忠告されていたけど、もう無理だ。


このままじゃ、私はどうにかなってしまう。




全て巻き戻すんだ。


取り返しがつかないことはあると学んだ。でも、もう一度やり直せることだってきっとある。




私と雪斗は今の間違いだらけの関係から、本来あるべき関係に戻らなくちゃいけない。雪斗だってそれを望んでる。




そう決めた。


雪斗は誰にも渡さない。だけど万が一、万が一のときは―――








雪斗を、私だけのものにする。






私だけのものに。






そう決めた。

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