第50話 トラウマと慟哭
「それじゃ行こっか。次はどこ行く予定だったの?」
「あー、それはだな…」
「…………」
琴音がこれからの予定を俺に問いかけてきたが、どうしたものか。
今回の買い物に関しては主導権が天華にある。俺は言ってみればただの付き添いだ。
だから俺に予定なんてものはなく、天華について行くことしか考えていなかったのだが、肝心の天華が何も口にしようとしない。
だんまりを決め込むつもりなのか、不貞腐れたように下を向いていた。
「俺は特にないかな。買いたいものは買ったつもりだし、だから後は天華次第なんだけど」
「…別にいい。行きたいところがあるなら、好きにすれば?」
俺の問いかけに天華は反応したが、出てきた言葉はなんとも投げやりなものだった。
さっきまでの上機嫌は何処へやら。すっかりヘソを曲げてしまったようである。
さすがに放っておくわけにもいかないし、俺はとりあえず琴音に目配せして、天華の機嫌を取ることを優先することにした。
「なぁ、そういうなって。偶然とはいえ久しぶりにこうして集まったんだからさ。さっき言ってたアクセの店にだって行ってもいいから…」
「なにが偶然よ。どうせアンタ達グルなんでしょ」
「え…」
「だっておかしいじゃない。なんでこんなタイミングよく琴音が現れるのよ!ほんとなら、今日は雪斗と二人で一日過ごすはずだったのに!」
なんとか宥めすかそうとした俺に、天華の言葉が突き刺さる。
鋭い目つきでこちらをキッと睨んでくる天華に、一瞬声が詰まってしまう。
その言葉を完全に否定しきれなかったからだ。そんな意図はなかったとはいえ、俺は今の場所を琴音に告げていたのは事実なのだから。
そんな俺の動揺を、天華は見逃さなかった。そら見たことかと言いたげに、冷たい目で俺を見る。
「やっぱりそうなんだ。ねぇ雪斗、アンタ琴音を呼んでなにがしたいのよ。私、雪斗を怒らせるようなことなにかした?」
「……そんなことは」
ないと言おうとして、言葉に詰まる。
あの時の天華の言葉が、瞬時に脳裏に蘇った。
―――私、好きな人がいるのよ
―――聞こえなかったのかしら、別にアンタのこと好きじゃないって言ってるの!
―――嘘じゃないの、お生憎様。全く、雪斗が私に告白するなんて百年早いのよ。身の程知らずもいいとこだわ
「っつ…!」
次々と思い浮かぶあの時の光景。あの時の天華の言葉。
それが記憶を通じて、俺の胸を突き刺していく。割り切ったはずの気持ちが、恋慕の残り火に油を注ぐ。
気を抜けば倒れそうだ。息も上がって鼓動は早まるし、なんだかすごく気持ち悪い…
「黙らないでよ。言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってくれないと分からないじゃない」
唐突に具合が悪くなって下を向く俺を見て、図星だとでも思ったのか、天華が更なる追撃をかけようとする。
(やめて、くれ…)
少なくとも、今はまだ。
もう少ししたら、きっと落ち着いてちゃんと答えられるから…
だから今は、ちょっと勘弁してくれよ…
「ちょっと雪斗、聞いてるの?」
だけど当然俺の願いなど届くはずもなく。
痺れを切らした天華が、俺の肩に触れようと―――
「はいストップ。悪いけど、黙るのは天華ちゃんのほうかなぁ」
した寸前、その手を阻む者がいた。
聞こえてきた声に顔を上げると、琴音が空いていた右手で天華の手首を掴んでいたのだ。
「ちょっと琴音、なにを――」
「ごめんね、天華ちゃん。だけど、ゆきくんなんだか具合悪そうに見えるし、今はそっとしておいてあげたほういいと思うんだ」
その声は穏やかだったが、隠しきれない怒気が混ざっているように感じたのは気のせいだろうか。
だけどそれを確かめる術を俺は持たない。今は自分のことで精一杯だ。
そんな俺のもとへ心配そうに琴音が近づいてくる。
「大丈夫、ゆきくん?ちょっと脇の方に避けて、とりあえず落ち着こう?」
「悪い、琴音…」
未だ息を荒げる俺の肩を、琴音が支えてくれていた。
ふらつきながらもなんとか移動を終えた俺は荷物を下ろして壁に寄りかかり、ゆっくりと呼吸を整え、心を落ち着けていく。
どれほどの時間が経ったか分からないが、ようやく俺が落ち着いたとき、右手がなにか暖かいものに包まれていることに気付いた。
「落ち着いた?ゆきくん」
「あぁ、なんとか…琴音、その、手を…」
「あ、ごめんね。その、心配だったから…」
気がつかなかったが、落ち着くまでの間、琴音が俺の手を握ってくれていたようだ。
琴音は慌てたように手を離すが、その感触が名残惜しいと思ってしまう。
ひとまずは大丈夫そうではあったが、自分でも突然のことでまだ頭が混乱していた。
(実はトラウマになってたりしたのかな、俺…)
だとしたら結構ショックだった。結局は振られたことを引きずってしまっているということなのだろう。
これを払拭出来る日はくるんだろうか。
「っと…そういや、天華は…」
そういえば天華はどうしたんだろう。
さっきからあの勝気な声が聞こえない。突然あんな姿を見せてしまったのだ。
とりあえず謝らないと…
そう思って辺りを見回すと、少し離れたところでポツリと壁に寄りかかる天華の姿があった。視線はこちらに向いているが、どこか辛そうなようにも見える。
「悪い、天華。急に…」
「…具合悪いなら、言ってくれれば良かったのに」
ポツリと天華が呟いた声が聞こえた。
その声には悔しそうな色が滲んでいるように思う。
「いや、俺としても突然でさ。貧血とかだったのかも…」
「でも、私より琴音のほうが先に気付いた」
天華の顔がだんだんと歪んでいく。辛そうに眉を寄せ、今にも泣きそうなほどにその瞳も潤んでいる。
「いっつもそう。雪斗になにかあると、すぐ気付いて側にいるのは琴音のほうだった。雪斗が頼りにするのも結局琴音。私はいつも上手くいかない!琴音琴音琴音!なんなのよ、いったい!!」
周囲に天華の声が響き渡った。泣きそうなその声に、周囲の視線もこちらへと一斉に向けられる。好奇の色に憐憫を含んだものと様々だ。なかにはあからさまにスマホを構える輩までいた。
「おい、天華。場所を変えるぞ。ここじゃまずいって」
ただでさえ目立つ天華の容姿が野次馬に拍車をかけている。
どうしても天華は目立つのだ。それはここでも変わらなかった。
だけど、そんな周囲の視線などまるで視界に入ってないかのように髪を振り乱して取り乱す天華の様子は変わらない。
俺の声も、まるで届いていないようだ。
それでも俺は辛抱強く声をかけようとして―――
「私のほうが…」
「おい、てん―――」
「私のほうが、絶対琴音より可愛いのに!!!」
そんな言葉が、耳に届いた。
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