第40話 怒り

結局その日は最悪な気分のまま、一日を過ごすことになった。




学校に着いたときにはフラフラで、あやうく転びそうになったところをゆきくんのクラスメイトの西野くんに助けてもらったりと、ちょっと恥ずかしいハプニングに見舞われてしまったりもしてしまった。


関係ない人に迷惑をかけてしまい、今思い返しても顔から火が出るほど恥ずかしい。


それも響いたのか、授業にもまるで身が入らなくてもう散々。真面目な琴音には珍しいと、友人からは心配される始末だった。




そんな私を見かねてか、気分転換にと昼休みに食堂に誘ってくれた環たまきちゃんにも悪いことをしてしまった。


気を遣ってくれたのに、彼女には結局迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ないことをしたと思う。


結局あの後食堂に戻ることができず、後始末も彼女にしてもらうことになったというのに、謝ったときはむしろ私の体調のほうを心配してくれた。


保健室へ行かないかと本気で私を心配してくれる友人の存在に少しだけ癒されたものの、ますます罪悪感が募ってしまう。


それも含め、あの時のことを正直今は思い出したくない。






本当なら放課後は文芸部へ顔を出すつもりだったけど、今はとてもそんな気にはなれない。


今日は大人しく帰ることを選んで、今は昇降口へと向かっている最中だった。


今はとにかく早く自宅のベッドの上で横になりたかったんだ。




(もうなにも考えたくない…)




本当に、最悪としかいいようがない。


目を瞑り、耳を塞げばきっとこの悪夢のような現実から逃げられると信じて、ただ眠りにつきたかった。


体力も大分使ったし、精神的な疲労も相まって、今ならきっとよく眠れるはずと思う。


次に目覚めたら、きっと自分は大丈夫なはずだ。


根拠なんてないけど、そう思わないとやってられない。


もう少しだけ頑張ってと自分に言い聞かせ、私は疲れた体を強引に動かしていく。




だけど、どうやら神様は私にすごく冷たいみたいだ。


私はあと少しで玄関にたどり着くというところで、今日三度目となる幼馴染たちとの遭遇を果たしてしまったのだから。


今は会いたくなかったのに、私たちは出会ってしまった。




「琴音…」




「あ…あ…」




ゆきくんと天華ちゃんが、今も二人で並んでそこにいる。


その姿を見て、昼休みの時の二人の会話がフラッシュバックしてしまった。








―――は、はぁ!?ちげーよ!俺は琴音をそんな目で見たことないって!








ゆきくんが私を女の子として見ていないことなんて、分かっていたのに。
















「よう、今帰りか?」




「っつ…!!」




それから先の言葉を、これ以上聞きたくなかった。




「こと…」




「ごめんなさい!!」




ゆきくんの言葉を遮って、私は一目散に駆け出した。


とにかく二人から離れたい。今はそれしか考えられない。






下駄箱からローファーを取り出して、焦りからか若干手間取りながらも履き替え終わった私は、またすぐに走り出す。そのままの勢いで、昇降口を抜け出した。


止まってなんていられなかった。とにかく学校から離れなければという思いだけが、私の体を動かしていた。


気持ちだけが先走り、体が上手く追いつかないけど、止まることだけはできないと言い聞かせて、強引に足を前へと踏み出していく。




(早く、早く…)




見えない何かに追い立てられるように校門までたどり着き、疲れと安心から少しだけ速度を緩めた私の耳に、背後から誰かの大きな叫び声が聞こえてきた。




「琴音ー!」




それが誰の声かなんて、脳が認識するより早く、私はまた駆け出していた。


今日はとにかく走ってばかりだ。




私、なんでこんなことしてるんだろう。


それでも私は走り続けた。


ゆきくんに追いつかれたくない。こんな惨めな私を見ないで欲しかった。


天華ちゃんに負けた私には、彼の幼馴染だということ以外、もうなにも残っていないのだから。










その後、私は結局ゆきくんに捕まってしまった。元々運動不足だったこともあり、体力的にはとっくに限界だったのだ。男の子であるゆきくんを振り切ることはできなかった。


お互い疲れたままでは満足に話せないからとのゆきくんの提案で、私は促されるまま公園のベンチに一緒に座ることになる。


それでもゆきくんの近くにいるだけで辛い気持ちになる今の自分では、なにも話すことができずにいたけど、そんな私に語りかけてきたゆきくんの言葉は衝撃としか言いようのないものだった。




「えっと…ゆきくん、何言ってるの?」






本当に、なにを言っているのだろう。






「言った通りだよ。俺は天華に告白して振られたんだ」






うそ、だ。






「うそ…だって、そんなはず…」




ゆきくんはハッキリと断言した。迷いのない言葉、その言葉に込められた力強さから、ゆきくんが嘘を言っているわけでないことが分かってしまう。




なら、私が間違っていた?ううん、そんなはずがない。


私はその考えを即座に否定する。今朝だって、天華ちゃんはあんなに優しい目でゆきくんのことを見ていたのだから。


ゆきくんのことが大好きだって、その瞳が語っていたのを私は知っている。


天華ちゃんとだって、私は長い間ずっと一緒にいたんだ。


だから分かる。これは直感ではなく確信だった。


間違いなく、天華ちゃんはゆきくんのことが好きなはずなんだ。




だというのに、なんで―――




いや、心当たりはあった。でも、そうだとしたら、それはやっぱり…




「それって、やっぱり私のせいだよね。私があんなことを言ったから…」




まだ天華ちゃんには、ゆきくんを受け入れる準備のようなものができていなかったのかもしれない。


天華ちゃんからすれば、幼馴染から踏み出すには、もう少し時間が欲しかったのかもしれなかった。




だから、私の勝手で強引にゆきくんの背中を押して、二人の関係を進めようとした私がきっと悪くて―――






(それはおかしいじゃない)






だけど浮かんできた考えを、心のどこかで否定する。


責任を背負おうとした私自身が、それは間違っていると語りかけてきた。






そう、おかしい。


だってゆきくんを見る天華ちゃんは、幸せそうな顔をしていた。


幼馴染の関係で満足していたわけじゃないことは明らかだ。


朝の挨拶のために話しかけた私に対しても、嫉妬が交じった瞳を向けてきた。




そんな彼女が、わざとゆきくんを振った?


どうにも辻褄が合わないように感じる。天華ちゃんの考えが分からなかった。




そうだ、おかしいといえばゆきくんもだ。


振られたということが事実なら、なんで今日は一日中天華ちゃんと一緒に―――




私はドンドン思考の渦にハマっていく。まるで底なし沼を覗いている気分だった。


ミステリーは好きだけど、名探偵でもない私には天華ちゃんの考えを読み取ることなんてできない。答えのない迷宮をさ迷いながら、僅かな情報を手がかりに思考を加速させていく。




だけど次の言葉を聞いた瞬間、私の中から全ての考えが頭から消えてしまった。






「天華には好きな相手がいるんだってさ。だから俺とは付き合えないって、ハッキリ言われた。ついでに身の程知らずだとも言われたし、いつも通りもうけちょんけちょんのボロクソだったよ。笑えるだろ?」






…は?






好きな、相手?






それって、ゆきくんでしょ。なに言ってるの、天華ちゃん。






私はその言葉の意味を、まるで理解することができなくて。




だけど同時に、天華ちゃんに対してある感情が湧き上がる。




(…どういうこと、天華ちゃん)




それは幼馴染である彼女にこれまで持ったことのない、どうしようもないほどの怒りだった。

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