第39話  負けヒロインは涙を流す

「俺、天華に振られたんだ」




その言葉を、私は最初理解することができなかった。








今日の朝、私はいつも通りの時間に起きて、いつもより少し早く家を出た。


家を出ると、6月の暖かい日差しが私を迎えてくれた。


季節はもう初夏に入り始めている。きっとすぐに気温も上がり、暑くなっていくだろう。


私は玄関を抜けると、いつも通りひとりで通学路を歩き出した。


天気は晴天。天気予報通りなら、きっと今日は一日気持ちよく過ごせるはずだった。






こうしてひとりきりで学校まで歩く朝の登校には、もうすっかり慣れてしまった。


高校生になってまだ日は浅いけど、何度も繰り返してきた朝だったから。それは一種のルーチンワークと言ってもいいのかもしれない。




だけど、少し寂しさも感じていまう。未だになにかが欠けてしまったような、モヤモヤする気持ちが心の中にはあったからだ。


それは言葉にするのが少し難しいのだけど、空気のようなそこにあって当たり前だったものがなくなったことに対する違和感だと私は思う。


私の隣を歩く人が誰もいないという事実を、私はまだ受け入れることができていないのかもしれなかった。




中学の頃はゆきくんや天華ちゃんと一緒に登校していたこともあったけど、私が二人から距離を置くようになってからは、すっかりそれもなくなってしまったようだ。


いつも一緒だった私達三人はバラバラに行動するようになり、朝は示し合わせたわけじゃないけど、それぞれ別々の時間に家を出るようになっていた。


当然待ち合わせもしておらず、つい最近までは仲のよかった幼馴染から、朝見かけたら挨拶をする程度の関係にまで冷え込んでしまっていたのが、ずっと気がかりではあったのだ。




だからこの前三人で一緒に学校に行ったときは素直に嬉しかったし、楽しかった。


まるで昔の私達に、戻れたように思えたから。




だけど、やっぱり私たちの関係は昔とは違っていて。


ゆきくんは今も天華ちゃんしか見ていないことに、すぐに気付いた。






中学の頃からずっとそう。ゆきくんの目には、いつも天華ちゃんの姿しか映っていない。


私のことなんて、見てなかった。だからこの想いはきっと届かない。


そんなこと、とっくの昔に分かってたつもりだ。




分かってるのだから、本当ならもうとっくにゆきくんのことを諦めなくちゃいけないはずなのに。


そのためにゆきくんの背中を押したのに。


こうしてゆきくんと天華ちゃんの二人が並んで歩いている姿を見ると、どうしようもなく胸が締め付けられてしまう。




(やっぱり上手くいったんだ)




こうなることは分かっていた。


お互いがお互いのことを大好きなんだし、両想いの男女なら結ばれるのは当たり前のことなんだから。


これまで読んできたたくさんの物語でもそうだった。読んでる最中はいつもハラハラしながら、そうあって欲しいと願っていたことを思い出す。


あの頃は今よりずっと素直に、自分の感情を表現できていた。




私の願い通り、二人は上手くいって、ハッピーエンドを迎えたんだ。


喜ばないといけないのに、その物語の中には私の居場所はなかった。悔しいけど、考えてみたら当たり前の話だ。




地味な私よりも、天華ちゃんのほうがずっと華があるのだから。


お人形みたいに綺麗で、いつもたくさんの人に囲まれていて、愛されていて。


みんなが思い描く理想のヒロイン。それが来栖天華という女の子だった。


だから恋愛物語を書く作者なら、私なんかよりも天華ちゃんを輝かせたいと思うのは、きっと当然のことなんだ。




このお話の中では私はただの脇役で、メインヒロインは天華ちゃん。


本当は大好きなのに、なかなか素直になれない彼女は主人公であるゆきくんは困難とすれ違いを乗り越えてようやく結ばれることができました、めでたしめでたし。


そして二人は皆から祝福されて、大団円で物語の幕は下りる。




見事なまでのグランドフィナーレ。文句のつけようもない、最高の終わり方。


それを見届けた私は、二人をお祝いして、自分の道を歩いていかなくちゃいけない。


舞台に上がることもできなかった私は、新しい恋を探さなくちゃいけないんだ。


そんなこと、とっくに分かっていたはずなのに。




(やっぱり、辛いな)




二人の後ろ姿を見ると、どうしようもなく心が痛む。


祝福しなきゃいけないのに、早く視界から消えてほしいと願ってしまう。


わざと歩くスピードを遅くして、二人が離れていくのを見たときはつい胸を撫で下ろしてしまうくらい、私の心は重くなっていた。




「失恋って、いいことじゃないなぁ」




角を曲がったことで二人の姿がようやく見えなくなった時、安堵して気持ちが緩んだのか、そんなことを呟いてしまう。


天華ちゃんといるゆきくんを見ているだけで胸が苦しいし、近くにいるだけですごく辛い。


この痛みが人を強くするというけれど、自分がそうなれるとは思えなかった。




失恋なんて、ただただ痛くて苦しいだけだ。やっぱり好きな人と結ばれるほうがずっといい。


この気持ちを忘れることが、果たしてできるんだろうか。


多分そう簡単にはいかないだろう。十年近くに渡る私の片思いは、軽いものだったと思いたくないのかもしれない。


重い枷が呪いのように、私の心を蝕んでいた。






(…こんなことを考えてしまうなら、告白しておけば良かったのかな)




そんな考えが思い浮かんでしまうけど、私は頭を振って否定する。


そんなの無理だよ。勝ち目がないのが分かってるもの。


最初から振られることも分かっているのに、玉砕覚悟の告白なんて私にはできなかった。










最初はただ側にいるだけで満足だった。


中学に上がってからはドンドン気持ちが膨らんでしまって、顔を見るだけで心臓が飛び上がったりもしたことを覚えてる。


この気持ちが恋なのだと、その時私は初めて自覚したんだっけ。




だけど、そんな自分に浮かれることはできなかった。


自分の気持ちに気付いたすぐ後に、ゆきくんが天華ちゃんを好きだということも分かってしまったからだ。


ゆきくんの気持ちに気付いてからは、側にいることが辛くなった。




離れてもますます想いは募ってしまい、推薦を貰えた女子高を蹴ってまで、結局はゆきくんと一緒の高校を選んでしまうくらい、いつの間にか取り返しのつかないものへとゆきくんへの恋心は育ってしまっていた。


物理的に距離を置いても無意味だったと知った時は、自分に呆れてため息をついたことを思い出す。






勇気を出せないのに、結局本当に諦めることなんてできなくて。


だから最後は天華ちゃんと付き合わせるために、強引にゆきくんの背中を押してしまった。


自分のためでもあったとはいえ、我ながらお人好しすぎるなぁなんて、思ったりもしたっけ。




でもそんな自分を嫌いになることはできなくて、むしろ誇らしい気持ちにもなれた。


自分の気持ちよりも、ゆきくんが幸せになる道を後押しできた自分のことが、妙に嬉しかったんだ。




ああでも、やっぱりあの後泣いちゃったけど。


一晩泣いて泣いて泣きはらしたら、少しだけスッキリしたと思う。


それでもゆきくんが好きな気持ちが一向に衰えず、むしろますます燃え盛っているのだから、本当に諦めが悪すぎるけど。




なんていうか、こうして振り返ってみると自分のことながら、損なことばかりしているなぁ。


こういう子のことをなんていうんだっけ。


道化?ちょっと違うかな。


ああ、そうだ。ゆきくんに借りたラノベの言葉を借りるなら…




「私、負けヒロインなんだ」




幼馴染で長年ずっと片思いをしていたのに、その思いを告げられずに最後は悩んでいる主人公の背中を押して、他のヒロインとくっつけて二人が幸せになる姿を笑顔で見守る悲しいヒロイン。


悲しくて、惨めで、でも優しすぎて許してしまう。結局一番損をする役割を与えられた女の子。




主人公と結ばれないなんて可哀想だなと思っていたけど、今読み返したらまた別の感想を抱くかもしれない。


ゆきくんに返す前にまた読み返してみようと思いながら、私は交差点へと続く角を曲がった。




「っ…!」




次の瞬間私の目に飛び込んできたものは、ゆきくんの髪を撫でている天華ちゃんの姿だった。


ゆきくんは照れながらも、大人しく天華ちゃんに寝癖のついた髪を梳かれている。


そんなゆきくんに触れている天華ちゃんは、なんだかとても嬉しそうで。


遠目からでもわかるほど、彼女の瞳は優しかった。




本当にゆきくんが好きなことがひと目で分かる眼差しだった。


私には分かる。きっと私も、同じ目をしているのだろうから。




見たくなかった光景を目の当たりにして、だけど立ち止まるわけにもいかず。


私は未だ触れ合っているひと組のカップルへと、声をかけざるを得なかった。




「あれ?ゆきくんに天華ちゃん、一緒に登校してたんだ?」








その心を、グッと押し殺しながら。








「こ、琴音…」




「…………」




ゆきくんは戸惑った目で私を見るけど、天華ちゃんはなにも言わずに鋭い目つきで私のことを睨んできた。


一瞬戸惑うけど、せっかく二人きりの時間を過ごせていたのに、それを邪魔されたことに対するあてつけだろうと思い直す。




(大丈夫だよ。取ったりなんてしないから)




内心天華ちゃんに笑いかけた。その姿が、妙に子供っぽく感じられたのだ。


まるで大好きな宝物を取られたくないと威嚇しているようで、なんとなく微笑ましくもある。


私はその視線に気付いていない振りをして、朝の挨拶を口にした。




「うん、おはよう。二人とも。今朝もいい天気だね」




多分、上手く笑うことはできたと思う。


こういうことは苦手じゃない。昔は感情をすぐに顔を出してしまって、よくゆきくんのことを困らせてしまったけれど、今はこの通り。演技もできるようになったのだ。


少なくとも、心の中を悟られるようなヘマだけはしなかったはず。




二人からも挨拶を返されるけど、出来ればこれ以上この場にはいたくない。




「そっか…上手くいったんだね。ゆきくん、天華ちゃんおめでとう」




「え…?」




「早速朝から一緒に登校なんて、ちょっと妬けちゃうな。邪魔したら悪いから、私先に行くね」




信号が変わったタイミングを見計らい、私は全力で駆け出していた。


もう限界だった。二人を見ていると、自分がひどく惨めに思えてしまう。




「うっ…うううっ…」




交差点を渡りきった時には、私の目からは涙が零れ落ちていた。


後ろを歩いている二人に気付かれていないことを祈りながら、私は止まることなく走り続ける。




分かっていたのに。ずっと前から分かっていたのに。


あのふたりの姿を見たとき、ハッキリと分かってしまった。






私は、天華ちゃんに負けたんだ






(ほんと、キツイなぁ…!)




今の私はどうしようもなく惨めな、ただの負けヒロインだった。

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