愛しの槍兵へ、暗殺者より

朝霧

いつまでも

 明日は女が大事な人にチョコレートを渡す日だ。

 うまいことそこそこ大きな町の宿に泊まることができたので、宿側に頼み込んで厨房を貸してもらった。

「お前は何も用意しないのか?」

 黒髪に真っ赤な目の親友にそう問いかけてみると、親友は鼻で笑った。

「私のような毒使いの性悪魔術師の菓子を誰が欲しがるというのだ?」

「王子とか?」

 多分首を長くして期待しているぞと言ってみると、親友は御伽噺に出てくる魔女のような顔で、そんなことはあり得ぬよと笑った。

 絶対期待していると思うしあの王子は何も用意されていないと知った時点ですごく落ち込むと思うのだが。

 私は似たようなことを経験しているからわかる。

 でもわかる、すごくわかる。誰がこんな何度も血で手を汚した女、それも毒使いから食べ物を欲しがるか。

 だけど、男というのは救われないくらい馬鹿で阿呆なのだ。

 ……本当に愚かだよなあと思わず笑ってしまった、多分目の前の性悪魔術師に劣らぬ悪人みたいな顔で。

「何を笑っているのだ? まあ別にどうでも良いがな。というか貴様がこんなくだらぬ行事に乗るとは思ってもいなかったぞ」

「まあ確かに私らしくはないな。だけど用意しとかないとあいつがさらにじめじめするから、仕方なく」

「……確かにそうなりそうではあるが。うーむ、それでもわからぬ、貴様もあの槍使いも……そういう行事であるとはいえ、毒を使う暗殺者の菓子を何故欲しがる……?」

「馬鹿だからじゃないか?」

 軽く笑いながらチョコレートを作り始める。

 今年はというか今年もトリュフチョコレートだ。

 チョコを刻んで溶かして、毒の代わりに生クリームを混ぜて毒の代わりにココアパウダーをかけて完成。

 もう少し凝ったものを用意しようかとも思ったが、失敗して材料を無駄にするのも面倒なので、これでいい。

 溶けかけのチョコレートに毒を一滴入れてしまおうかと毎年のように思うが、今年も何も入れなかった。

 だから、毒の代わりに邪念と呪いを注ぎながらチョコレートを丁寧に溶かす。

 あの馬鹿がいつまでも馬鹿で阿呆で愚かであり続けるように、こんな汚い女を綺麗だと認識するあの馬鹿の目の焦点がいつまでも合わないように、いつまでも、いつまでも。

「……随分と真剣に作るのだな」

「…………まあな」

 茶々を入れてきた魔術師に短くそれだけ答えておいた。

 

 出来上がったチョコレートを丁寧に丁寧にラッピングして、私は一息ついた。

「少し余らせたのがあるけど、食うか?」

 結局最後まで厨房に残っていた性悪魔術師に声をかけてみると、魔術師は少しの間考え込んだ。

「…………いらん」

「だよなあ。普通はそうなるよなあ」

 作っているのを見続けていたのだから、何も入れていないことなんて十分理解しているのだろうに、魔術師はそれでも首を横に振った。

 だって材料を用意したのは私なのだ、作る前に材料にあらかじめ毒を仕込んでおくことなんて普通にできる。

 普通だったら、正常な判断を持つ人間だったらこんな毒使いの手が触れた食べ物なんて口に入れたくない。

 ……やっぱりあの男は相当な愚か者なのだろう。

 わざと余らせたチョコレートを自分の口の中に放り込みながらそう思った。

 チョコレートは甘かった、少し甘くしすぎたかもしれない。

 だがあの男は甘党だし……というか例え甘かろうが苦かろうが辛かろうがあの愚か者は喜んで食い尽くすのだろう。

 そんな想像が容易にできるようになってしまった私は、きっと昔よりもずっとずっと馬鹿になったのだろうと思う。


 翌朝、男共はそわそわしていた。

 というか女共もそわそわしていた。

 昨日厨房に来なかった女騎士と幼い聖女はどうやら自作するのではなく購入してチョコレートを用意するという手段をとったらしい。

 その方がいい、女騎士もだが聖女はとんでもない料理下手だ。

 彼女の前の代の聖女も大層な料理下手であったらしいので多分そういう伝統か何かなのだと思う。

 女騎士と聖女からは仲間チョコだと言われてちっこいチョコレート菓子を握らされた、性悪魔術師も握らされていた。

 性悪魔術師は自分がチョコレートを渡される側になるとは思ってもいなかったらしく、笑えるくらい挙動不審になっていた。

 まあ、そんなことはどうでもいい、傑作ではあるしなんでもない日であったら一生笑い話にする程度の出来事ではあったが、それよりも重要なことがある。

 あからさまにそわそわしながらこちらをちらちら見てくる馬鹿の目の前に昨日作ったチョコレートを差し出してやる。

「そら、お望みのものだくれてやる。今年のにはとっておきの猛毒を入れてやったが、いるか?」

 にたり、と笑いながら目の前でチョコレート入りの小袋を振ってやる。

 馬鹿は無言で頷いて、チョコレートに手を伸ばしてくる。

「そうか。ならよく味わって、死ね」

 馬鹿は壊れ物を扱うような奇妙に丁寧な手つきでチョコレートを受け取って、笑った。

 自分は世界一幸せな男ですとでも言い出しそうな笑顔だった。

「ありがとう」

 猛毒を入れたというこちらの言葉が完全に嘘であると信じ込んだような顔で礼を言ってくるものだから、去年ほどではないけど少しだけ狼狽えてしまった。


―――――――――――――――――


 視線を感じた魔術師は女騎士と幼い聖女から握らされたチョコレートを口に放り込みながら視線の主を探した。

 視線の主は王子だった、王子は無言で魔術師を見つめている。

 魔術師はそんな彼を胡乱な眼差しで見つめ返す。

 しかし、王子は何も言わずにただ魔術師を見続ける。

 その視線にうっすらと期待のようなものを魔術師は感じたが、気のせいだと割り切って王子に声をかけた。

「どうした殿下。私に何か用か?」

「………………ないの?」

 魔術師は一瞬何がないのか理解できなかったが、現状から何がないのかと問われたのか理解して、鼻で笑った。

「あるわけなかろう。なんだそれだけもらっておいてまだ足りぬのか? 足りぬのなら自分で買ってくればよかろう」

 魔術師は聖女と女騎士から王子に贈られたチョコレートを指差してせせら笑う。

 しかし少しして王子の様子がどこかおかしいことに気付いて笑みを消した。

 王子は、あからさまに落胆していた。

「………………………………本当に、ないの?」

「ないぞ。……なんだそんなにしょぼくれて、それで足りないのであるのならさっきも言ったが自分で買ってくればよいではないか」

 魔術師が王子はこんなにチョコレートが好きだっただろうかと思いながらそう言うと、王子は無言でゆっくりと首を横に振った。

「……………………………………………………君からのが、ほしかった」

「………………は?」

 魔術師は何を言われたのか完全に理解できていないような顔で硬直した。

 しばらく固まっていたが、いつの間にかすぐ隣に立っていた暗殺者に頰をつんつんと突かれて正気に返る。

「ほらな言っただろ、期待してるだろうって」

「やめろ突くな鬱陶しい。……いや待て正気か? 殿下は何を言っているのだ? 私が今まで何をしてきたのかは以前話したであろう? 毒殺ばかりしてきた女が用意した菓子など……」

「……それでも、ほしかった」

 王子はそう言ってゆっくりとうなだれた。

 本気で落ち込んでいることを悟った魔術師はさらに困惑した。

「おい待て何故だ? い、意味がわからぬ……!!」

 狼狽える魔術師の顔を見て、暗殺者は自分も昔似たような事を言ったなと思わず笑った。

 困惑する魔術師の疑問の答えを知りながら、暗殺者は何も言わずにニヤニヤと事態を見守ることにした。

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