はねる心

 長井さんは、広瀬くんの家の近所に住んでいて、小さいころはよく一緒に遊んだんだって。そっか、それでさっき、陽人くんと蒼太くんって呼んでたんだね。


「昔から蒼太くん、クールなところはあったけどさ」


 長井さんはつぶやくように言う。


「でも、今とはなんか違う。今は、人と関わりたくないって感じ」


 そうなんだ……。昔は、蒼太くんも陽人くんみたいに優しくていい人だったのかな。


 あたしは、そっと蒼太くんを盗み見た。チャイムが鳴って、いつもの日常が戻ってくる。


 放課後。あたしは、誰よりも先に教室を飛び出した。他の女子に何か言われるのもいやだし、陽人くんより前に家にもどっておきたかった。


『うれしそうやな、ゆかり』


 リュックサックからスズさんが声をかけてくる。あたしは走りながら答える。


「そりゃそうだよ、陽人くんが家に来るんだよ。家にっ」


 あたしの心はおどっていた。バレンタインデーの日は、ほんとうに運がなかったと思ったけど、ここにきて、運が回ってきた感じ。


 陽人くんとお話できるチャンス。ここで仲良くなることができれば。


 あたしは、ぎゅっと両手をにぎりしめる。ここで一気に陽人くんとのきょりをちぢめることができれば。サッカー部の部室までついて来て、サッカー部の練習の時に黄色い声を上げてる女子たちよりも、先にいける。


 今まで遠い存在、手の届かない存在だと思っていた陽人くん。その陽人くんに手が届きそうなきょりに近づけるかもしれない。


 人を押しのけてまで前に出られないあたしが、近づけるチャンスかもしれない。


『言っとくけど、ウチ、陽人のことはあんまりよく思ってへんからな』

「あ、そっか。スズさんは蒼太くんのステッキだもんね」


 よく忘れるけど、蒼太くんと陽人くんは兄弟だもんね。そういえば、蒼太くんと陽人くんの関係ってどんな感じだったんだろう。


 あたしが尋ねると、スズさんの声がくもる。


『それがな……。よく覚えてへんねん。今頭にあるんは、ウチの中で陽人にいい印象がないってことだけやな』


 いったい、スズさんは陽人くんたちとどのくらい一緒にいたんだろう。ほとんど覚えてないってことは、そんなに長くは一緒にいなかったのかな。


 それに、今の蒼太くんはともかく陽人くんにいい印象がないって? まったく訳が分からないよ。今の陽人くんはとてもいい人に見えるけど。



 とにかく今はスズさんの昔話に耳をかたむけてるひまはない。急いで、家に帰らないと。


 あたしは家のとびらをこわしそうな勢いで開けると、リビングにとびこむ。今日はお母さんは仕事に行っていて家にいない。


 リュックサックを投げるようにして床におくと、スズさんがリュックサックから悲鳴を上げる声がした。


「あ、ごめんスズさん。スズさんのことを忘れてたっ」


 そう言いながら洗面所にかけこむ。そしてかがみの前に立った。さえなくて、ごく普通の顔がそこにある。ショートカットの髪、ぱっちり二重のおめめが個人的にチャームポイント。かがみに向かって、ほほえんでみるけど、なんだかぎこちない。


 髪を軽くぬらして、はねている髪をととのえる。陽人くんが来たら、何を話そう。よく考えたら、陽人くんってこの辺に住んでるのかな。あまりよく知らないや。


 そんなことを考えていたら、家のインターホンが鳴った。あ、もしかして。あたしは、あわてて外へとびだす。


 そこには、陽人くんが立っていた。あたしの心臓がどくんと高鳴る。あたしの家の前に、陽人くんがいる。とりまきの女子たちもいない。これは夢!?


 

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