ありったけの、勝利をその手に!



「……お前がまだ戦うことを望むのなら、その手段はある」

 カイは、真面目な声でそう切り出した。


「クーナ、俺はお前がどんなになっても見捨てたりはしない。だが、牙を折られても……それでもまだ、立ち上がれると言うのなら」

 カイは、一本の短い……剣? と、そして赤と黒の光沢の何かを差し出してきた。


「藤四郎が短刀……のレプリカだ。本来は守り刀で、実戦で使う刀じゃないんだが」

 鞘からソレを抜くと、まるで晴れた日の湖みたいに、それは綺麗に私を映していた。

 アンリの持っているのと形は同じ、けどずっと短い剣。


「これがお前の守り刀になることを、そして俺の懐刀に、お前がなってくれることを願う」

「難しい言葉は分からないが、お前が言いたいことは、たぶん分かる」

 大切な宝物を私にくれるのだ。私は、それに報いたい。


「これからは、カイ達みたいに二本足で立って戦うのか」

 剣を武器にする以上手で握らなきゃいけないだろう。私はワーウルフの中でもそこそこ人間に近い体だから、慣れればちゃんと扱えるはず……。

「いや、お前には四本の足で地を駆けるほうが性に合っている」

「え?」

 そう言って、カイは私の唇に指で触れる。

 その指を舐めたい衝動を抑えて、カイの口から続く言葉を聞く。


「実験部……いや、昔の俺の仲間が作ったものだが、これは口で刀を持てるようにしたものだ」

 もう一つ持っていた、赤と黒の何かを出して。

「口で道具を持てるのか!?」

「元々は吸血鬼の顎の力を何かに活用できないかと考えて生み出された……ああいや、それは建前で多分某海賊漫画に影響されただけだと思うが、まあつけてみろ」

 カイに言われたとおり、口にソレをはめると柔らかな噛み心地。で、それが顎にしっかり固定されると、口の開け閉めでソレが動く。口にグローブ付けたみたいだ。


「懐紙を挟んで、刀を口に咥える。これで……どうだ?」

「……」

 噛んでいるので喋れないが、不思議と違和感がない。剣はしっかりと咥えられているし、思った通りに剣を振れた。初めて使う武器なのに、良くなじむ。


「いくら強く噛んでも柄は痛まないし、それならこれまで通りに走り抜けながら、剣を振れる。衝撃吸収材で歯や顎を痛める心配も薄いはずだ」

「……」


 自分でも驚くくらい、しっくりときた。

 大事なモノを、こんな風に強く、かつ優しく噛みしめるなんて生まれて初めての経験で。それが何故だか、凄く嬉しい気がして。


「何か、都合の悪い所はあるか?」

「……ある」

 私はソレをゆっくりと外しながら答える。カイは、私の言葉にちょっと面食らったかのように目を丸くした。


 普段から表情をあまり変えないから、そういう仕草の一つ一つが結構新鮮で……。

 愛おしい。


「何だ? 何か、使いづらい所が」

 そこから先は、言葉にさせない。

 その唇を、私が塞いで。


「……外さないとキスができない」

「……成程」

 カイは、私の後頭部に手を回して、自分の方に引き寄せて……。

「それは、問題だな」

 今度はカイが、私の唇を塞ぐのだった。


 ありがとう、カイ。

 これで私はまた戦える。


 お前のために、皆のために、自分のために……。

 私は、ここに誓おう。


 お前と共に、これからも。この世界を駆け抜けていくことを。


――


「カイ様っ! 魔王軍がっ! も、森の方角からゴブリンを先頭にオークがいっぱいっ! す、凄い数ですっ!」

「ああ」

 城の七階、俺の部屋の前に開けられた大穴から飛び込んできたのはジゼール。

 古ゴート族の脚で偵察をこなし、そのまま外壁を駆けあがってきたのだ。


「ゴブリンとオークで荒野が一面埋まっちゃってますっ! こ、これまでこんな数で攻めてきたことなんてないですっ! あ、あいつらとうとう本気でっ」

「ジゼール、お前……綺麗だな」

「えっ、ええええっ!?」

 必死に状況を報告するその声を遮って、俺は目の前の彼女にそう言った。

 肩までの短い黒髪。丁寧で優しく、だが活発さも併せ持っている可愛らしい、四本脚の少女。


「か、かかかカイ様っ!? こ、こんな時にからかわないでくださいっ!? って、あ、い、いえっ! あのっ! わ、わた、私など、か、カイ様と釣り合わないといいますかっ! そ、そのっ、わ、わた、私には、そ、そのっ」

「意中の相手がもういる、か?」

「ッ!?」

 ああ、この様子じゃ横からかっさらうのは難しそうだぞガイゼル。


「やれやれ、あいつもいつになったら帰ってくるのやら」

「あっ、え、えと……ベーオウさん、私にも直前まで何も言わなくて……あっ! で、でもっ! 告白したとかそういうんじゃないのでっ! だ、だからこんな事思うのは、あ、厚かましいかもしれないですけど……」

「ベーオウ? 俺は砦攻略についていったオーク達全員に対して言ったんだが……そうか、ベーオウか」

「えっ!? あああああああああっ!? い、いやカイ様っ!? あ、あのっ! これ内緒でっ! 絶対内緒にしてくださいっ!」

 顔を真っ赤にして大慌てでバタバタと手を振るジゼール。全く、俺の従者ながらこんな可愛い子を射止めるなんて、罪作りな奴め。


「お前も大概、罪作りな女だがな」

「ええっ!? か、からかわないでくださいカイ様ー!」

 そうして情報を処理しきれなくなって怒るジゼールを置いて、俺は大穴から、さらに上へと駆けのぼる。

 そう、この荒野を見渡せる、城の屋上へと。


「……カイさん? 何こんな時に女の子口説こうとしてるんです?」

「ティキュラ、お前も来ていたか」

 屋上に登ると、笑いながら口の端をぴくぴくさせる少女が。ドラコラミアの彼女は、古ゴート族と同じく垂直に近いこの外壁を這い上ってきたのだろう。


「まあフラれたがな」

「そうフラれ……ええっ!? か、カイさんでもそんな、あっ! ひょっとしてジゼール!?」

 ジゼール、お前の胸の内は既に周りからバレバレみたいだぞ。


「ってカイさーん!? 私ちょっと怒ってるんですよっ! ちょっと聞いてます!?」

「さて」

 俺はティキュラから視線を外して、荒野を蹂躙しながら迫りくる、その軍勢を見る。


「二万……いや、三万。それもオークだけで。ゴブリンは数え切れんな」

「えっ!? あ、そ、そんな、に……」

 さっきまでの軽い空気は、徐々に強くなる大地を踏み荒らす音に吹き飛ばされた。

「あ、あの……だ、大丈夫、ですよね? か、カイさんならあんな奴ら、や、やっつけて……」

 ティキュラもいまだかつてないという規模の襲撃に怯えた声をあげる。皆は、俺が寝ている間にさんざん奴らの脅威を味わったらしいからな。この反応も当然か。


 ……ああ、よくもやってくれたものだ。


「これが終わったら、キスしていいか?」

「あ、はい……えっ!? な、何でっ!? い、いや全然いいですけど何でっ!?」

「機嫌を直してほしくてな」

 そんな暗い顔、していて欲しくない。

 今すぐその闇を、払ってやろう。


「ふふふー。なら私もー、お願いしていいですかー?」

「ミルキ・ヘーラか? ああ勿論……」

 と、どこからか聞こえた聞き覚えのある声に返事をして……その、普段よりもちょっと大きく響いた声の方を向いて……。


「え」

「あ、ミルキィ!」

 俺たちのいる屋上から、彼女の姿は見える。

 懐かしい巻取り糸のついた不思議帽子をかぶり、水着のようなブラの下着姿という、ちょっと大胆な露出で。


 いや、それはまあいい。いや良くない気もするんだが、それより、いや、それ以前に……。

 ミルキ・ヘーラを、俺は普段より、さらに頭上に見上げていて……。


「作戦通りー、御当主様が攻撃した後にみんなで攻めますからー!」

「う、うんっ! よしっ! 私もしっかりしなくちゃ!」

 パンパンと頬を叩いて気合を入れるティキュラ。い、いや待て、ちょっと待てっ!


「み、ミルキ・ヘーラ!? な、何だその姿っ!?」

「え? あ……あー」


 見上げるほど巨大な……。

 も、さらに大きな彼女を見上げて叫ぶ!


「も、もしかして御当主様の前でこの姿になるのー、はじめてだったかもー?」

「あー、それはびっくりするかも」

「かもじゃないっ!? な、何だその姿っ!?」


 彼女はあろうことか、この城よりも巨大な姿になっていたのだった!

 その身長……か、軽く見積もって四十メートルほどか!?


「わたしー、ジャイアントサキュバスなのでー。大きくなれるんですー」

「えええええっ!?」

 ちょ、え、おいっ! サキュバスは意表を突かなきゃいけないルールでもあるのか!?

 というかずっとその名前の由来は身長が二メートルある事かと思ってたぞ!? それだって十分大きいぞ!? こんなジャイアントにならなくても十分名前負けしてないぞ!?


「わ、わたしー、デカ女だって思われるの、い、いやなのでー、できれば普段は小さな私でー、い、いたくてー」

 普段、小さいか?

 あ、いや、真面目な話こんなに大きいと二メートルなんて大した大きさじゃないんだろう。それに何やらコンプレックスもあるようだし。


「驚いたが……い、いや、いつも通り綺麗だぞ」

「あー! 嬉しいー!」

 大音量で叫びながら両手で赤くなった頬を押さえる彼女。う、うん。その体だと声の迫力も凄いな。ティキュラはもう慣れているのか耳を手でふさぎながらニコニコしている。


「ってー、今は喜んでる場合じゃないですよねー、御当主様ー! やっちゃってくださいー!」

「あ、ああ」

 相当面食らったが、確かに今はそんな場合じゃない。


「……後でじっくり、話を聞かせてくれ。俺が寝ていた間の話を」

 俺は、マリエに言われた言葉を、そのまま彼女たちにも伝える。


 ああ、そうだな。俺が寝ている間に世界は進む。世界はこんなにも、驚きに満ちている。

 沢山たくさん、聞かせてもらおう。


「二人とも、耳を塞げ!」

「えっ、あ、はいっ!」

「はいー!」

 俺はそう告げて、手に力を込め始める。

 血のめぐりを、一気に加速させる。体中に巡る血を一点に、そう、その指先に集めて、狙う。


 いつも使う簡易版の吸血鬼の足跡グレイプ・レーンではない。今回は流石に数が数だ。うち漏らさず消し飛ばすには、相応の血液量と圧縮が必要だ。


「はあああああ……」

 加速する血の流れが空気中に電気を生む。血の中の鉄分がコイルの役割を果たしているのだ。バチバチとまるで雷魔法を纏ったように、激しく空気をかき鳴らす。


 迂闊うかつだったな魔王軍。


 俺が今までお前たちに苦戦していたのは、どこに潜んでいるか分からぬ森の中にいたからだ。

 荒野のど真ん中に出てきてくれれば、もう何も怖くはない。


 何万、何十万、何百万いようと……そう。

 これで、火事の心配をする必要がなくなったのだ。


 俺達の狩場を燃やしたら、明日から新鮮な肉が食えなくなるからな。


「さらばだ」

 横に一閃。

 数キロに渡って、奴らの進軍する隊列のど真ん中に、それを放つ。


 強烈な閃光と、大地と空気を砕く……爆音っ!


「きゃああああああああっ!」

 ティキュラとミルキ・ヘーラは、どちらも遅れてきた衝撃に叫び声をあげていた。


 およそ秒速数十キロ、時速にして約10万キロにもなる、血液のビームの衝突。


 それが大地を一瞬で融解させ、マグマと化した大地は衝撃に引き裂け跳ねあがる。熱は空気を燃やして大火災を生み、渦となって天に舞い上がる。


 この城よりも巨大な、いや、ミルキ・ヘーラよりも巨大な爆炎が、目の前の荒野を、覆いつくしていた。


「……」

「……」

 皆への被害は……ああ、大丈夫そうだな。

 防衛線をずっと城の近くに張らせるよう言ったので、そこまでは火災も届かない。見下ろした感じ大きな混乱も起きていない。

 流石に今ので全てを殺せたかは自信がないんでな。衝撃波で吹き飛んで無事だったやつもいるだろう。それは皆に任せたい。


「……あ、の、カイ、さん?」

「ん?」

 爆音からようやく周りの世界が音を取り戻し始めた頃に、ティキュラの声が。


「ひょっとして、世界を滅ぼしたりとか……で、き、ます?」

「何を言ってるんだ。そんな事したいとは思わん」

 昔、アラレちゃんの真似をして地球を割りかけたことがある。

 あの時は父様にこっぴどく叱られたさ。あんなに怒られたのは、生まれてから今日まで数えてもあの一度きりだ。正直あんな思いはもうしたくない。


「それに、まだ終わっていないぞ」

「えっ!?」

 少し威力を抑えすぎたかもしれない。ほとんどの命はさっきの一瞬で散ったが、生き残った奴らは大混乱の中で逃走を始めていた。


「トカゲ男……だったか? 逃がすと厄介と聞いたが」

「あっ! い、今のでまだ生きてるんですか!?」

 さて、どうかな。


「何にせよ、兄さんの出番はここまで。後は私たちの番よ」

 そうして屋上に響く、コッコッという規則正しい足音。

 ごうごうと今も燃える音が聞こえる中で、その凛とした音は、かき消されずに強く強く響く。


「マリエ、いいのか? 体の方は」

「とっくに平気ですよ。兄さんと同じで、私も死んでいると見せかけた方が都合がいいから、家にこもっていただけです」

 赤く燃える空を見て、その赤い瞳を輝かせる、一人の少女。


「ティキュラもミルキィも、ほら、作戦通りにっ!」

「あっ、う、うんっ!」

「はいー!」

 言うが早いか、ミルキ・ヘーラは身をかがめ、どこにあったのかいくつもの巨大な岩石を持ち上げる。

 いや、ミルキ・ヘーラのサイズからすると小石みたいなもの……そうか、あの特訓はこのために。


「ティキュラッー!」

「うんっ!」

 ミルキ・ヘーラの言葉にティキュラの目が光る。それは以前砦に攫われた時に見せた、あの、ドラコラミアの『呪い』の力。

 それを今岩石に込めて。


「えーいっー!」

 ミルキ・ヘーラが、放り投げる。

 一見すると少女のほほえましい投石で……いくつもの巨大な岩石を。


「あれで広範囲を攻撃するんです。投石の破壊力に加えて、その場に残った岩石にもティキュラの呪いが込められてますから、近くの敵はふらふらになってしまうという寸法です」

「意外とえげつない攻撃だな」

 広範囲への大質量攻撃に混乱効果付きか。


「目の前のこの光景を作った兄さんがそれを言いますか? まあ、呪い効果はおまけです。本命は……」

「あっ! 今呪いごと岩を砕かれたよっ! あそこっ!」

 ティキュラはそう言って、燃える荒野の一点を指さす。成程、狙いはそれか。


「呪いが嫌なのか、あのトカゲ男は大体岩を破壊するんです」

「そうやって居場所をあぶりだすわけか。よく考えたな」

「兄さん」


 マリエはそうして、俺の前に立つ。

 凛々しくも優雅で美しい、俺の……妹。


 首から下げた血のフラスコの中の、小さなホムンクルスの少女。


「この戦いに、決着をつけてきます」

「ああ……気を付けてな」

「ええ。ああ、あとそれと」

 そうしてマリエは、何故か不敵な笑みを浮かべて。


「ティキュラ。ほら、ちょっとこっち来て」

「え? はい、何ですか」

 シュルシュルと屋上を這ってくる、可愛らしい少女。その少女に、少し意地悪そうな笑みを向けて……。


「隠しておくのも何なので、言っておきます」

「ん?」

「言い出したのは、ティキュラから、ですから」

 へ?

 シュルル、とやってきたティキュラもマリエの意図が読めずに不思議そうな顔。


「これが終わったら、ティキュラにキスするんでしたっけ?」

「ふぇっ!?」

「あ、ああ」

「ふふ、でしたら」

 ホムンクルスの少女は、俺にそう言って流し目を残して。


 かぷっ。

「あっ」

「えっ!?」


 マリエは、ティキュラの首筋に噛みついて……。

 俺の、目の前で、彼女の血を……。


「ふふっ、お先に失礼します」

「え、あ、血が吸いたかったの? なら言ってよ」

「ごめんねティキュラ。帰ってきたら、また吸いたくなるかも」

 え、あ、ちょ、ちょっと待って。

 マイシスター、お、お前、お前……。


「ミルキィ! お願いっ!」

「あ、は、はいー!」

「……なあ、ティキュラ」

「え?」

 俺は、最後にこんな、特大パンチを食らってノックアウト寸前のボクサーのように、ちょっと衝撃でふらつきながら、問う。


「お、お前たち、い、いつから……いつからだ?」

「あ、血をあげるやつですか? あれは……あ、ああっ!?」


 吸血鬼にとって、血を吸う行為は特別な意味を持つ。

 それこそ俺が噛んだ相手を別の誰かが噛むのは、浮気をされたのと同じくらいショッキングなわけで……。

 でも、今回その相手は俺の妹で。で、でも、よりによって、同姓でもあるわけで……。


「じゃーねー!」

「あああマリエっ! ちょ、ちょっとっ!?」

「お、お前たち、その、女同士で」

「わあああなんかちょっと勘違いしてませんっ!? マリエッ! 説明してから行ってよっ! ちょっとぉ!?」

「投げてっ!」

 マリエの合図でミルキ・ヘーラは手にしたマリエをぶん投げる。その大胆な行動に、けれど今の俺は対応できなくて。


「ま、マリエと……よりによって俺の妹と……え、エッチな事もしてるのか?」

「してないっ! してないですぅっ! ちょ、ちょっとマリエっ! 帰ってこーいっ! マリエええええええっ!」


 空に向かって響いたそんな叫びは、返事もないまま溶けて消えていくのだった。


――


「ば、バカなっ!? なんだ……何なんだっ! これはァッ!?」

 目の前で起きた、理解を超えた現象に、俺はただただ叫ぶしかできなかった。


 三万にもなる、オークの大軍勢による、突撃。

 それは純粋な質量の波となって、圧倒的な暴力でもって奴らを蹂躙するはずだった。残らずあいつらを壊しつくして、殺しつくして、奪いつくす。そのはずだった。


 だが……だがっ! 何なんだこれはっ!?


 目の前が、全て、一瞬で燃える世界へと塗り替えられたのだっ!


「極大魔法かっ!? ば、かなっ! こ、こんな規模でっ! あ、ありえんっ!」

 オーク達は、たった一撃でその命を散らしていった。

 今もごうごうと燃え盛る炎の音と、生き残った僅かなオーク達の叫び声が響く。俺の約束された勝利は、一瞬にして地獄絵図で塗り固められてしまったのだ。


「あ、あの吸血鬼かっ!? あの銀髪のっ! や、やつがここまで危険な存在だったというのかっ!?」

 もはやこれは、最高クラスの能力だ。

 この世界における最強の一角。それに間違いなく食い込めるだけの、圧倒的な力っ!


「くっ!」

 やむを得ん、撤退だっ!

 あの銀髪の吸血鬼がそこまでの存在と知れた以上、俺はこの情報を何としても持ち帰らなければならない!


 だからこれは、逃走ではない。

 これは魔王軍の……魔王さまのための撤退だっ!


「ぜ、全軍っ……何っ!?」

 言いかけて、頭の中に突然、数字が浮かぶ。


「な、何だっ!? 奴らの攻撃、い、いや違う、これは……」

 頭に現れた数字は、急速に減り続けている。それが何かは分からないが、何故か背筋に走る強烈な悪寒。

 本能が、この数字の減少を止めろと訴えていた。


「こんなもの、俺は知らないっ! これは一体っ……」

 言いかけて、目の前を通り過ぎる一匹のゴブリンが、目に留まった。


 それは偶然だったのか、それとも、そういう運命だったのか。

 俺がたまたま目を向けたタイミングで、そいつは飛んできた岩石に、押しつぶされた。


 死んだ、と俺が思った瞬間。

 頭の中の数が、また一つ、減った。


「ま、まさかっ!? まさかこれはァッ!?」

 ゴブリンどもの、残りの数。

 エヴルーナが契約していた、使い捨ての雑魚どもの、残り人数!


「これは何らかの警告かっ!? へ、減り続けて何かあるのかっ!? ま、まさかアイツっ! あのアバズレっ! ゴブリンどもの数を増やすことを条件に奴らを使役していたのか!?」

 悪魔の契約は、悪魔の力を借りる代わりに、代償を支払う。

 その効力は絶大で、逆らう事を決して許さない。そう、それがの、悪魔であっても。


 そして、奴の契約を受け継いでゴブリンを使役した、俺にとっても!


「や、ヤバいっ! やめろっ!? お前ら死ぬなっ! て、撤退しろゴブリンどもっ! 撤退だっ!」

 俺は必死になって叫ぶ。これでは、俺がゴブリンどもに命を握られているようなモノじゃないかっ!

 恐らくエヴルーナは元々いたゴブリンの群れに、その数以上に増やしてやるとか、今よりも繁栄させてやるとか約束したのだっ! つ、つまり元々の数を下回った瞬間契約違反になり……。


 契約は、俺の命を刈り取るっ!


「う、うおおおああああっ!」

 俺は混乱して、ゴブリンを殺した岩石を打ち砕く。砕いた瞬間呪いの力が散ったが、今はそんなことはどうでもいいっ!

 岩をどけると、だが、当然のように、ゴブリンはもう死んでいる。

 そうだ、さっき頭の中の数が減ったのだっ! 死んだのは既に確認していたのだっ!


「くっ! くそっ! くそおおおおっ!」

 ゴブリンどもは全滅してはいない。まだまだ駆けてくる。だが、その大半は火の向こう側にいたのだ。そのまま何故か火に突っ込んで、大量のゴブリンどもが死滅していく。


「おっ、おいっ!? バカがっ!? 何をしているっ!? 火を避けて迂回しろっ!? 何をやってっ」

 言いかけて、この空間で恐怖の悲鳴以外の声が響き渡っているのに、ようやく気付く。

「あいっ、つらっ! こんな時に攻めてきやがったっ!」

 くそっ! くそがっ! ゴブリンどもはあいつらに打ち取られるのを恐れて火に飛び込むしかなかったのかっ! ええいっ! くそうっ!


岩石魔法ストーンマジックッ!」

 ありったけの岩石で俺の周りの火を鎮火させていく。それにより奴らもこちらを攻めやすくなるが、構うものかっ!


「おらああああっ!」

「逃がすかよおっ!」

「いけえええっ! 突撃いいいぃっ!」

「オークどもっ! 俺と共に奴らを迎え撃てっ!」

 奴らが勢いを増してくるのに対し、俺はオークどもをぶつけようとする。今はオークどもの命はどうでもいいっ! それより、とにかくっ! ゴブリンどもを生かさなければっ!


「な、何だっ!? まだ減るっ!? も、森に逃げたやつまで、何でっ!?」

 俺は恐怖のあまり幻覚でも見ているのかっ!?

 ゴブリンどもの視覚から伝わってくるのは……何故か森にいる、ワーウルフどもの迫りくる牙っ!


「何で森にワーウルフどもがいるっ!? 潜んでいやがったのかっ!? バカなっ! こんなっ、こんなことがあってたまるかああっ!」

 複数の視覚を通してみれば、敵はたったの四匹。しかしゴブリンどもは先の攻撃で吸血鬼の血の匂いが付着したのだ! もはや隠れることはかなわない! 奴らの牙から逃れる術がないっ!


「見つけたっ! 覚悟っ!」

「ッ!?」

 咄嗟に腕に岩石の剣を纏って防御する。

 攻撃してきたのは、一本に結んだ髪をなびかせる、古ゴート族の女剣士!


「今日こそは逃がさないっ! ここでっ! 私たちはっ! 勝つっ!」

「こ、のっ! 雑魚があああっ!」

 剣にありったけの力を込めて振り払う。コイツは何故か大した実力もないくせに、生き残ることにかけてはあのアバズレ同様しぶといっ! 下手糞なくせに何故か打ち取れないのだ!


「逃がすなっ! 全員で囲えっ!」

「おおっ!」

「次から次へと雑魚どもっ! この誇り高きドラコウォーリアのボルセプター様に向かってっ!」

 ギガントオークにワーダイル、そいつらが俺を逃がすまいと包囲する中、俺は魔力を溜め……。

「や、やべえっ!? アイツ魔法をっ!」

「遅いっ! 岩石の散弾ニードル・スプレッドッ!」

 奴らに、岩石の弾丸をありったけ浴びせてっ……。


「はああああああああああああああああっ! やあっ!」

「なっ!? 何だとっ!?」

 細かく砕いた、数百にもなる岩石は、その全てが斬り刻まれて散っていった。


「私の……私の大切な仲間になった皆さんを、これ以上傷つけさせはしません!」

 現れたのは、一人の女。

 そのスカートの後ろから、おぞましい七本の触手を生やした、怪物!


「覚悟しなさいっ!」

「ここに来て異形種の援軍だとっ!?」

 その見知らぬ女は、その手と全ての触手に、剣を構えて。


「ぐあっ!?」

 俺が未曽有の脅威に対処しようとした刹那、足に走る激痛!


「こ、コイツっ!? あのイヌッコロがっ!」

 足元を駆け抜ける瞬間、交錯した視線で察する。

 あいつっ、俺が牙をへし折ってやった奴っ! 何だあの短剣はっ!? 咥えて戦ってやがるのか!?


「行きますっ!」

「逃がさないぞっ!」

 異形種の女と、そしてまた帰ってきた古ゴート族、そしてワーウルフの三人が、俺を囲った奴らの檻の中で、駆ける!


「やあっ!」

「そこだっ!」

「くっ! ああああああああああああっ!」

 追い詰められ、後がなくなった俺は、残った魔力をありったけ込める!


 こんな、こんな低級な奴らにっ!

 偉大なる竜の血を引く俺が! 負ける訳にいくかああっ!


「ッ!? いけないっ!」

「きゃっ!?」

「ッ!」

 あの異形種の女が俺の魔法を察知して他の二人を触手で掴んで退かせた。地面から生えた棘は、奴らを貫くすんでのところで空を切る。

 だが、だがこれでっ! 俺の逃走経路が生まれて……。


「……ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!」

「っ!?」

 何なんだ!? 次から次へと何なんだっ!?

 俺は上空から響いた声に……見上げた空に、ソレを見た。


「きゅう、けつ、き!?」

「ああああああああああああああああああああっ!」

 燃える空に一点、あの吸血鬼女の姿が。

 担いだ巨大な斧に、真っ赤な、赤く光る何かを纏わせ。


「あああああああああああっ!」

「ッ!? や、ばっ!」


 高高度からの、大斧による自由落下攻撃!

 それに加え、まるで夜空に流れる星のように、赤い光を引いて、迫ってくる!


 赤いのは、血だ。

 斧に吸血鬼から流れた血が、あの無数の穴に通って、光の尾を引いていたのだ!

 その光が、落下中の吸血鬼をさらに加速させる!


 途方もない力で振るわれるあの大斧に、さらなる力を加えるつもりか!?


「あああああああああああああああっ!」

「あっ、ああっ、あああっ!」

 今さっき魔力を放出した。

 俺には、もはや、アレを避けることは叶わず……。


「これでえええええっ!」

 最後の瞬間、俺は真上から振り下ろされる衝撃に備え、両腕の剣を両腕をあげて防御する。

 空を流れる、赤い彗星を受け止めるため……。

「ッ!」


 両腕の岩石剣は、いともたやすく切り裂かれた。

 吸血鬼を止めるものはもはや何もなく、ソレが俺を縦に真っ二つにする瞬間……。


 頭の中に浮かんでいた数字は、ようやく、消えた。


「ふ、ははは、はっ」

 凄まじい衝撃で、大地が割れ、裂けるのを横目に、俺は目の前に立つ、吸血鬼の赤い瞳を、見た。


 なんと、うつくしいのだろうか。


 まるでさっきみた、もえるこうやのよう、いや、それよりもっときれいな、たましいの、ひかり……。


 おれの、どらごんのちをひくおれのほこり、よ、り……。


 世界が二つに分かれていく中。



 最後に見た赤い炎が、俺を飲み込んでいったのだった。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍との戦闘、決着





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