ココロの在処、愛しい時間



「ちっ、仕方ねえか」

 思わぬ乱入で、作戦は最後の最後で失敗した。


 まさかエヴルーナが仕留められるとはな。こいつは最後の最後まで、生き残ることにかけては天才だと思っていたが。


「つまらねえ死に方しやがって」

 散らばった肉片と、そして、恐らくは握りつぶされただろう宝玉の欠片を拾って、俺は再び空を見上げる。


「所詮、雑魚のゴブリンなんぞいくら寄せ集めようと……何の価値もねえってことだ!」

 魔王様から力をいただいておきながらこのざまだ!

 俺は欠片とその肉片を、握りつぶす!


「アバズレ女の敵は取らせてやる! ゴブリンども、命令だ! 最前列で突撃しろ!」

 俺は肉片から魔力を辿ってエヴルーナのを手に入れ、そうして数万匹にも及ぶそいつらに告げる。


「てめえらの命程度でも、あいつらを混乱に陥れることは可能だ。あの吸血鬼女はもういねえ! 槍やこん棒で数万の命を残らず打ち取れる筈はねえ! 一人でも中に潜り込みゃあ……あとはひっかきまわし放題だ!」

 大雑把に作られた柵に、それより細い刃を突き入れるように。一つ一つはかすり傷にしかならなくても、柵を突破するのには十分注意が引ける。


「あとはオークどもを、雪崩となって突撃させる! これまでの数の比じゃねえ! 文字通りオークの濁流で、奴らを残さず飲み込んでやるっ!」


 俺は夜空に向かって、そう吠えるのだった。


――


「哲学の話に、脳分割の問題、というのがあります」

 マリエはいつものように紅茶を注ぎながら、そんな風に切り出した。


脳梁のうりょうと呼ばれる、右脳と左脳を繋ぐ橋があって、ここが何らかの要因で損傷したり切断されたりすると、左右の脳で連絡が取れなくなります。

 それでも日常生活を送るのにさほど支障はないようですが、右脳は左半身を、左脳は右半身を司っているので、例えば片方の目を隠された状態で文字で指示を出すと、質問によっては行動できなかったり、やっていることが理解できなかったりするそうです」

 説明しながら、俺の向かいに腰を下ろして、自分でついだ紅茶に口を付ける。


 ああ、勿論体は元の通りだ。フラスコの中のちびマリエの体じゃなく、ちゃんとした大きさの体で、優雅に紅茶をたしなむ。


「脳の仕組みを考えれば全くおかしなことはないのですが、ここで哲学の面から疑問が生じます。

 『もし左右の脳が体を別々にコントロールして、別の思考体系を持っているのなら、自分という、意識や魂は、果たしてどちらに存在するのか』という疑問です」

「体を上から真っ二つにした瞬間、自分は右目で世界を見ているのか、左目で世界を見ているのか、という話だな」

 その話なら俺も聞いたことがある。意識や自我というモノを考える時、物質としての体を研究すればするほど、その在処ありかに疑問を持つ。


 所謂『ココロは何処にある?』という話だ。


「私の体は、本体の細胞を培養して作られています。心臓から血液、各部の臓器、皮膚の質感から髪の毛の生え方に至るまで。実験部はそれはもう精巧に、寸分の狂いもなく『私』を再現したモノを作り上げたんです」

「……つくづく、罰当たりな事をしたものだ」

 神の領域に足を踏み込むどころじゃない。土足で踏み荒らすかのような、命の価値を考えさせられる話だ。


「ですが一つ問題が起こります。精巧に作った吸血鬼の体は、ちゃんと各部の臓器も機能しているはずなのに、何故か眠ったまま、死んだように動かなかったのです」

「……ほう?」

「脳に電気信号を流せばそれに応じて手を動かしたり、目を開けたりはできます。でも勝手には動きません。この時点では、実験部は出来のいい吸血鬼ロボットを作ったにすぎませんでした」

 紅茶のカップを置き、少女はその吸血鬼の赤い瞳で、俺を見る。


「原因が分からぬまま実験はストップしましたが、ある時一人の研究者が、思いついたように小さな私を作り上げました」

 その首には、同じ色の、真っ赤な血のフラスコ。


「小さな私も同じように動きませんでしたが、私本体から少量の血を抜き取って注入したところ……それは突然、活動を開始したんです」

「動いた、のか?」

「動くどころか、走ってはしゃいでコミュニケーションを取り、と、皆さんがご覧になったのとほぼ同じ、ちびマリエの姿になったんです」

 ちびマリエって、自分で言うんだな。


「さっきの質問ですが、どう、思いますか」

「……ココロは何処にある、という話か?」

「実験部はその質問にこう答えを出しました。『自我は、その血の量により分割される』と」

 口元に薄い笑みを作ったまま、彼女は、嬉しそうに続ける。


「ちびマリエが少々おバカなのは、その脳の大きさ以上に、分けた血の量が少なすぎるために、まともな『自我』を持てずにいるのだと」

「それはまた、随分と理論の飛躍をしたな」

 説得力は多少はあるが、それでも心の決め手というには様々な問題を置き去りにしている。


「その話を仮にその通りだとするのなら、血を半分分ければ、自我が半分になる、という事か?」

「少なくとも実験部はそう考えたようですね。そして、計画は一時凍結された」

 当然そうなるだろう。本来の目的とは真逆になってしまうからな。


 コピーを作り万が一に備える。それがホムンクルスを作る目的だったはず。なのに実験結果は『魂の分割』という別の答えを出してしまった。

 これは血を分ける量が少なければちびマリエのようにまともなコピーとは言えず、量を多くすれば……先ほどは半分と言ったが、仮に半分以上を分けてしまえば、どうなる?


 コピーと元の体。どちらが『本物』だと言えるだろうか。


「だが実際には、ここにお前がいる。実験は再開されたのか?」

「再開というか、組み合わせ方を変えたんです。最初に作った私の体が残っていましたから」

 マリエはそうして、腕を広げて自分の体をアピールする。


「この体に少量の血を分けても、動くことはありませんでした。培養した血液でもです。その体に見合った量を直接分け与えなければならないみたいです。ですが、自我を持ったちびマリエは、この体を動かすことができたんです」

 そうしてコツコツと、今度は自分の首から下がるフラスコを指でたたき……。


「やはり、本体はちびマリエの方なのか」

「はい。少量の血で『自我』を持った私は、この体の血を操って思った通りに動かすことができます。それこそちびマリエがパイロットになって、ロボットを動かすように。脳も元の大きさのものを使用できるので複雑な思考もできます。一種の裏技ですね」


 文字通りの吸血鬼ロボット、か。全く。恐ろしいことを考え付いたものだ。

 神が作った命という名のプログラムを、ここまで好き勝手に弄り回していたのか。


 いくら上位の吸血鬼の命が血と一体化するといっても……俺もそうだが、肉体を置き去りにできるわけではない。

 話を聞く限り、マリエはそれこそ純粋な『血と一体化した吸血鬼』だ。ある意味最高位の吸血鬼ともいえる。実験部はとんでもない偉業を成し遂げたのかもしれない。


「オーバーヒートしやすいという欠点はありますが、生活にはおおむね支障はありません。脳のリミッターも好きなように解除できるので、馬鹿力も発揮し放題です」

「……不満や、不安は、ないか?」

 知らぬうちに、手に力が入ってしまう。

 さっきから聞く限り、もはや通常の生物という枠組みは超えている。俺の図れる範疇にない。


 だが、それで仮に不都合なく生きていくことができるとしても、では、ココロは?


 実験と称して弄り回され、コピーとして作られ、フラスコの中に閉じ込められた、彼女の気持ちは……。


 俺は何度も、彼女の口から『自分は偽物』という言葉を聞いた。それが文字通り肉体の事を指しているのか、それとも本物の一部に過ぎないという事なのか、俺には真意は分からない。


 彼女は、この現状に、そもそも満足しているのだろうかと……。


「しいて言うなら、完璧に体をコピーしたところ、ですかね」

「ん? それは、どういう」

「ちょっとくらい……盛ってくれてもいいじゃないですか」

 そう言ってマリエは自分の胸を揉む。

 ……いやおい! 結構お兄ちゃん真面目に聞いたんだぞ!?


「ティキュラまでとはいかなくても……こう、ちょっとくらいは」

 いや、ティキュラぐらいだったら十分ささやかな願いだと思う。というかマイシスター、お前の胸の基準はどうなってるんだ?


「だから、心配いりませんよ」

 そう言って笑みを浮かべる俺の妹は……ああ、成程、俺の心配する気持ちなんてお見通しか。胸云々などとおちゃらけてみせて。

 俺はこれ以上踏み込めず、けれど半分は安堵でため息をつく。


「けれど、そうか。そういう経緯なら、俺の血と同じ匂いがしないのも当然か」

 その言葉に、再び紅茶を口にしようとしていた彼女の手が、ピタリと止まる。


「培養した血液は匂いが変わる。そんなことがあるんだな」

「……いいえ」

 静かに彼女は、俺の言葉を否定した。


「……その話は、後にしませんか? この戦いに決着が着くまでは、保留で。私もそれまでに、心の整理を付けますから」

「ああ、分かった」


 カチャンと、マリエは持っていたカップを下ろす。口を付けることもなく。


 ……どうやら、こっちは自我のありようよりも深刻な問題のようだ。


――


 廊下を歩きつつ、俺は人知れずため息をつく。

「はぁー」


 大体、予想はつく。

 マリエの血の匂いの中に、俺と同じ血は混じっていなかった。その事実がある以上、結末はあっさりとしたものだろう。


「俺の方こそ、心の整理が必要だな」

 妹が妹じゃなかった、なんて、割とショックだ。

 こういうのを『血のつながらない妹』とかいうんだったな。俺達のかつていた国の漫画やアニメではそこそこある設定だが、いざ自分がその立場になってみると……。


「複雑だ」

「え、えっと、どうしましたカイ様?」

「アンリ?」

 傍まで寄ってきた、彼女の存在に気づけなかった。随分と考え込んでいたんだな。


「何か悩んでいる様子でしたけど。私でよければ聞きますよ?」

「ありがたいが、これは……そうだな、誰かに言えることでもなくてな」

 ちょっとナイーブで、かつ家族の問題だからな。


「ん? それより、その布は?」

「あっ、そうです! カイ様を探してたんですよ!」

 俺を?

「これ、カイ様に」

 ひょっとしてあれか? もう強制睡眠を挟んでしまったので随分と前になるが、凍期に作ると言っていた防寒着か? 今渡すにしてはちょっと場違いではあるが……。


「これに入ってください」

「入る……え? 何だって?」

「ですから、これに入っていれば、カイ様だとばれずに済みます!」

 お、おお? ちょっと何言ってるか分からないんだけれど?



「って何だこれっ!?」

「わ、わあー……」

「こ、これはこれで可愛いのでは?」

「い、いやちょっと待てっ!」

 ティキュラとミルキ・ヘーラは困惑半分、面白さ半分といった感じで俺を見つめている。周りの皆の視線も大体そんな感じだ。


「名付けて『カイ様は今いないんだよさあ攻めてこい大作戦』ですっ!」

 一方自信たっぷりにそんな宣言をするアンリ。ぐっと拳なんか握り締めちゃって随分とノリノリだ。

「敵はカイ様が起きている間は攻めてきません! なのでソレを逆手に取ります! しばらく姿を隠して、カイ様が眠ったと思わせるんです!」

 うんまあ、その作戦自体は現実世界あっちでも多用したさ。俺が活動停止してると見せかけてわざと攻めさせて打ち取る作戦。まあ、多用しすぎて誰も攻めてこなくなったんだが。


「い、いや、作戦自体はそれで構わないんだが……その、こ、これは何だ!?」

「何って、オーク達が赤ん坊を下げるために使う袋ですが」

 何でもないような事みたく言うな!

 現在俺はどうなっているかというと、袋にすっぽり包まれるように、オークの首から正面に下げられた布袋に収まっているのだ。


「これならまさかカイ様が入っているとはばれません! まさか赤ちゃん袋に赤ちゃんとして入っているなど!」

「いや! そ、そうかもしれんが! そうかもしれんがっ!」

「大丈夫です。こうして上から布蓋をかぶせれば堂々と外にも出られますし、通気性もいいですから蒸れませんし、いいことしかありませんよ?」

 俺のプライドは!?


「はっはっは! まさかこんな事思いつくとは思いませんでしたね」

「あっ、す、すまない……俺をこんな風におぶってもらって」

「いいですよ別に。旦那一人の体重なんて俺達オークにゃああってないようなもんですから」

 俺を首から布でぶら下げているギガントオーク、確か、名はガイゼル。


「むしろこんな大役任せてもらえるなんて、身が入るってもんですよ」

 た、大役? これ大役か?

「安心してください! この身に変えても旦那はお守りしますから!」

 いやその心配はしてない! もっと俺の心の問題を心配して!?


「ぷっ、くくっ! その姿っ! ふ、ふふっ! い、いいんじゃないですかっ!? あっははははっ!」

「マリエっ! 笑うなっ!」

「だってあははははははっ!」

 そうしてこの場で容赦なく笑うマイシスター。くっそ、よくもこんな羞恥をっ!


 ……って、今自然とマイシスターなんて心の中で呼んでしまったが、ひょっとしたらもうそんな風には呼べな……。


「こっ、これならっ、ふふっ! 誰も兄さんが入っているだなんて思いませんよね!? だってこんなっ! ぶっはっははははははっ!」

 くっそ! シリアスモードにもしてくれない! いやそれはかえってありがたい所もあるんだけれどさ! というかお前人前でそんなに大笑いするタイプだったか!?


「城主様はそういうプレイがお好き、と」

「何言ってるんだ!?」

 リダリーンがぼそりと言った言葉も聞き逃さない。というかその手に持っているのメモか!? そんな律義に本当にメモしている奴なんて初めて見たぞ!?

 ああもうっ! こんなの俺の心がもたないわ! 考えてもらったところ悪いが、この作戦は中止で……。


――


 で、それから一週間。

「……慣れって怖いな」

「はい? どうしました旦那? トイレですかい?」

「いや違う」

 俺はもぞもぞと袋の中で身じろぎしながら、顔だけ出して外を眺めている。もう羞恥心とか吸血鬼のプライドとかいろいろ煮崩れしてしまったさ。トロトロのグズグズだ。


「お前たち、俺が寝ている間も訓練を欠かさなかったんだな」

「へい。まあ、戦闘続きで疲弊してた時はここまでじゃあなかったですけれど」

 目の前では、荒野で部隊を展開して陣形を作るオークとワーダイル達が。声をあげて連携を確認しながら走り抜けるワーウルフ達が。それぞれが、それぞれの訓練を熱心に続けていた。


「……俺は、お前たちが誇らしい」

「はい?」

「何でもない」

 ぼそりと、ガイゼルに聞こえないようにして呟いた。


 俺はこの力のせいか、俺の力に魅入られ、溺れる者を何人も見てきた。俺に頼りきり、問題を全て俺に丸投げし、全てを委ねきる奴らを、何人も。

 けれど、今目の前にいる皆は、そうではない。

 ……俺は幸せ者だ。


「はああっ! やっ! たあっ!」

「ほら、もっと自信をもって踏み込んでっ! そうですっ! 」

 そんなことを思っていると、ガキン、キンと小気味いい金属音を立てながら、アンリとリダリーンが剣を交えながらこっちに寄ってくる。


「いやあ、アンリが戦えるってのは分かってましたが、まさかリダリーンまであんなつええとは。お医者様なのに剣が使えるってのはすげえですよね」

「ああ」


 それは俺も驚いた。

 正体を隠していたため戦いに参加しなかったらしいが、今では積極的に訓練に混じっている。

 しかも、一人でアンリと複数を相手に……。


「うおおっ!? くそっ! 今日こそ一撃入れるぞっ!」

「ぐあっ!? 相変わらずすげえ力だっ!」

「くそおおおおっ!」

「……あの尻尾、一つ一つに目でもついてるんですかね? 何で後ろを見ねえで戦えるんでしょうか」

 リダリーンのスカートから伸びる七本の触手は、その一本一本に一つの剣を咥えている。それを自在に操り、なんと背後の十数人のオークやワーダイル達を軽々とあしらっているのだ。


「あれは気配を掴んでいるんだ。足音や空気の流れ、攻撃のリズムから次の攻撃を予想してそこに打ち込む。訓練次第であの域に到達することは可能だが……」

 はっきり言って、あれは達人の域だ。


 正面で戦うアンリも決して手を抜いているわけではない。それどころか俺が鍛えていた頃より数段強くなっている。あれなら人間レベルでは達人を名乗ってもいいだろう。


 が、そんなアンリをまるで赤子のようにあしらうのがリダリーンだ。


「おっと、いいですね今のは」

「なっ!?」

 アンリの渾身の突きを、あろうことかピタリと自分の剣先を合わせて防御する。剣と剣の先が髪の毛一本の太さもない次元で噛み合い、勢いをぴたりと殺しきっている。

 あの一撃だけで神域と呼ばれるくらいだ。


「……めちゃくちゃつええですね」

「ああ。本当にサキュバスなのか疑いたくなるな」

 彼女の持つ剣は、手に持つものと触手で咥えているので計八本。俺の持つ直刀よりさらに古い系譜。


 両刃の短い片手剣『つるぎ』だ。


 俺のいた国では古代で勾玉とか銅鏡なんかと一緒に使われていたようなやつ。切れ味という点ではそれほどではないが、突きに関しては俺の直刀と同様優秀だし、短く太い分はるかに頑丈だ。

 本来ならあの短さと頑丈さで盾としても使う筈なんだが……間違っても剣先で防御なんてやるための剣じゃないんだが……。


「でも今度は前に出すぎです」

「あだっ!?」

 ぴしっと空いた片手でアンリにデコピン。それすらかわす暇もない高速の一撃。体術も心得ている。はっきり言って、今アンリが戦えるレベルの相手ではない。


「こんな逸材……よく今まで手付かずだったものだ」

 今まで人間だと偽って生きてきたなら、どこかでスカウトされててもおかしくないと思うんだがな。あの準勇者? だか何だか名乗った男よりたぶん強いぞ。

 ああ、覚えてるか? 古ゴート族の村を襲っていたあの槍使い……。


「あ、飛び道具あったな」

「へ? 何の話です?」

 いや、これは後にするか。あれは一朝一夕で使いこなせる武器じゃなさそうだし……。


「えいっ! えいっ!」

「それと……あっちのサキュバスさんは何をしているんだ?」


 実はずっと気になっていたんだが。

 城の影の方で何故か石ころを持って、10メートルくらい離れた場所にぽいぽいと投げつけている彼女。

 彼女が投げつけている地面には、布で作った的が敷かれている。


「ミルキ・ヘーラの姉御ですかい? 特訓じゃねえですか?」

「……石を投げる、か?」

「ふー! 結構当たるようになりましたね!」

 本人は腕で額の汗を拭い、やり切った感を出している。


 うん……いや、ホントに何してるんだ?

 寝て起きてみれば状況が一変しているのはいつもの事だが、アレはホントに分からんぞ?


「あれ? 旦那知らねえんでしたっけ? ミルキ・ヘーラの姉御は……」

「ん?」

 と、気になる話を途中で遮り、ガイゼルは突然険しい顔で、あのチキンこん棒を構える。急に近づいてきた気配に反応したのだ。

 ああ。お前も戦う男になってきたな。だが安心しろ、この気配は……。


「旦那気を付けてくだせえっ! 何か近づいて……ってクーナ!」

「気づくの遅いぞ」

 ズザザザーっとガイゼルの死角を通り、駆け抜けてきたワーウルフの少女だ。


「クーナ、どうだ? 調子は」

「ああ。とてもいいぞ」

 口からて、にこりと笑みを浮かべる。


「お前のおかげで、また戦う事ができそうだ」

「……戦う以外にも道はある。お前がそれを選んだって、俺はお前を見捨てたり」

「カイ、私は決めたんだ。お前が寝ている時は、皆とお前の代わりに戦う。起きている時は、一緒に戦う。そう生きたい」


 少女は、その黄色がかったオレンジの瞳に俺を映す。あの日の夕焼けと、同じ色。

 ああ、綺麗だ。その心のありようも……お前自身も。


「少し布どけるぞ」

「え? あ、おい」


 俺が言いかける言葉を遮って、彼女はさっと俺の唇を、塞ぐ。

 舌を、ほんの少し、忍ばせるようにするりと入れて。


「……じゃ」

 そう言って、さっとまた駆けていく。


 最近はした後にはちょっと照れるのか、クーナはほんのりと頬を赤らめるようになった。ああ、うん。そういうの、凄くいいぞ。


「い、いやあ、流石旦那」

「う、す、すまん」

 ぶら下がる赤ちゃん袋に入ったシチュエーションじゃなきゃもっと良かったんだがな!


「……旦那は、誰と結婚するつもりなんです?」

「なっ、なんだ、突然」

 唐突に、ガイゼルはそんな話を切り出す。

「いえね、旦那ならどうするかって前に話題になったんですよ。誰か一人を選ぶか、それとも全員としちまうのかって」

「全員と……この世界は、一夫多妻でもいいのか?」

「この世界? いや、つええ奴は好き勝手するんじゃねえですか? つええんだから、誰も文句は言いませんぜ」

 ああ、そういう基準なのか。それが魔王軍の基準なのかオークの基準なのかは分からないが……。


「さて、な……」

 俺は、ふと視線を巡らせてその少女を探す。

 いつもはこんな時にシュルシュルと這い寄ってくるティキュラは、皆のためにタオルを配っていた。彼女なりに皆と共に戦おうとしているのだろう。


 それを見て、嬉しいような、けれどちょっぴり寂しいと思ってしまうのは……流石に我儘か。


「今はまだ、そんな風には考えられんな」

 それこそ身を固めるどころか魔王軍に攻められたりする現状で、そんな余裕はない。

 だが……余裕が、できれば。

 俺は……。


「あー、その、それで、なんですけど」

 そうして俺が物思いにふけりそうなタイミングで、ガイゼルは切り出す。

「お、俺達も、その……俺達の中の誰かと結婚とかしちまっても、いいんですかね?」

「……ほーう?」


 これまた流れが変わったな。

 ははあ、さてはお前この話を切り出したくて俺に結婚云々聞いたな?


「もう愛を誓いあっているのか?」

「いっ、いえそんなとこまでは全然っ! た、ただ、気になる相手が、その、いまして」

 上を見上げると、ギガントオークが珍しく頬を染めて照れている光景なんか見れたりして。


「戦いの中で疲れ切った俺に、その、優しくしてくれて、それで、ですね」

 心をノックアウトされたってワケか。

「……俺は、女なんて力で奪うもんだって思ってました。俺達オークの事なんか相手にする女なんていやしませんし。それくらいしか女を手に入れる方法がねえって。けれど、ここに来て、俺達にもちゃんと振り向いてくれる奴らがいて……俺はもう、あの子を力づくで奪おうなんて思えません。もっと、あの笑顔が見てえっていうか、その」


 これはまた、随分と……。

 言葉の一つ一つに、愛しいという思いが込められているようで。聞いているこっちが恥ずかしくなるぞ。


「お前なら、大丈夫だ」

「えっ、そ、そう、ですかねっ!?」

「ああ、応援しているぞ」

 その心に宿った思いは、中々に格好いいと思うぞ。きっと種族の壁だって越えられるさ。


「相手は誰だ?」

「えっ、あ、その、えっと」

 そうしてきょろきょろと、周りを確認するかのようにガイゼルは視線を配る。聞かれて困るのか、それともその相手を探しているのか。

 さて、お前はどんな可愛い子にハートを射抜かれ……。


「じ、ジゼールっていう古ゴート族の娘で」

「……やめておけ」

「ええっ!? だ、旦那今応援するって言ったのにっ!?」

 す、すまん! けどその娘はやめておけ!


「多分もう、相手がいるぞ」

「えええっ!?」

 あれはベーオウに惚れてる、よな? というか多分ベーオウも……。

 いやまさか、俺の従者の恋敵になるとは思いもよらなかったぞ! いやなんだこの俺の複雑なポジション!?


「あーその……アレだ。その……スマン」

「何で旦那が謝るんで……あ、ああっ! まさか旦那がもう手を付けちまったとか!?」

 いやそんな訳ないだろう!? どんなドロドロ愛憎劇だ!

「こ、こればっかりは俺でも」

「き、来たぞっ! 奴らだっ!」


 ちょうどいいタイミング……いや、そんなこと言うのもアレだが、俺達の平穏を破る魔王軍の襲来を告げる声。


「陣形を築けっ! 今回は防衛線はずっと手前だ! 作戦通りにいくぞっ!」

「おおー!」

 周りは一斉に動き出す。誰もかれもがこの日を待ちわびていたのだ。

 戦いに対する恐怖や不安は、誰の顔にも宿っていない。あるのはただ、燃えるような闘志の瞳。


 そう、ただひたすら、この日のために。


 この日の、勝利のために!


「だ、旦那っ! 来ましたぜっ! 俺はどこに移動すりゃ」

「ガイゼル、さっきの話だがな」

 俺はガイゼルを見上げ、告げる。


「玉砕覚悟なら、告白してもいいんじゃないか?」

「え、ええっ!? い、いやもう、なんか……そりゃあキツイですよ」

 はは、だろうな。


「安心しろ、悩む時間はたっぷり作ってやる。あいつらを……叩きのめしてな」

 俺達の安住の地に攻め込む不届き者は、今日ここできっちり潰してやろう。

 そこから繋がる、平穏な明日のために。


 この皆との愛しい時間を、守るために。


「城に入れ。俺は屋上に行く」

「へいっ!」


 さあ今こそ、勝利を手に!



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍との戦闘、継続中





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