第八章 たどり着いた結末は

フラスコガールと踊る触手と折れた牙



「マリエっ!」

 俺は急いで城へ舞い戻り、ドアを勢いよく開け放ちながら叫ぶ。

「あっ! カイさんっ!」

「マリエはっ!? 無事なのか!?」

 一階ロビーの中央、そこにできた人だかりに向かって、駆けていく。


 正直、無事、などと言っていられる状況ではない。


 あれは致命傷だった。いくら吸血鬼が生命力があるからといって、要である心臓をえぐられては、生きていることだって……。

 だがそれでも、それでもっ! 俺はマリエ達を信じて……。


「かっ、カイさんっ! み、見ちゃダメでっ」

「っ!? や、約束は果たしたんだっ! あの女はうち滅ぼした! だ、だから約束通り話をさせてくれっ!」


 沢山話をすると言った。

 約束通り、帰ってきたのだから話をしよう。


 俺は皆の輪をかき分けるようにして、その中心へと……。


「まっ……」


 そこには、静かに横になった、少女が一人。


 まるで、人形のようだった。

 目を閉じ、その美しい顔に穏やかな笑みを乗せ、ただただ、静かに、そこにある少女。


 服はボロボロだ。あの女との戦いでいくつも傷を負って、けれどそれらは丁寧に包帯が巻かれ隠されている。そう、その胸にぽっかりと開いていた穴も。


「あ……うそ、だ……」

「あ、あの……カイさん」

「こんな……なん、でっ!」

 その姿は、まるで生きているようだった。

 だが、その体はピクリとも動かず……呼吸すら、もはや、して……いなく、て。


「約束しただろうっ!? 話をするとっ! なのに何でっ!」

 こんなっ! こんな、ことが、あるかっ!?


「お、れはっ……あ、お、れはっ」

 声にならない。

 溢れた涙で、嗚咽で、言葉にならない。


「お、れはっ! なん、の、ため、にっ!」

「……あのー、カイさん?」

「えっ?」


 どこか場違いにのんきな声が響く。

 ちょんちょんと俺の肩を人差し指でたたくティキュラは、そのまま、何故かその指を眠れる少女に向けて……。


「……え?」

 まるで眠ったように、息すらたてず、動かなくなった少女の、首。

 そこにかかる、ペンダントのような小さなフラスコ。


 その中に……。


「えええええっ!?」

 手を振る、俺の妹が。


 フラスコの中に入った、小さな小さな少女が、裸で手を振っていた。


「あ、あんまり見ちゃダメですよ? 一応、裸ですし」

 ティキュラは少し困ったようにそう口にする。

「な、何だこれはっ!? え、何!? 何で小さいマリエが!?」

「私達もよく分からないんですけれど、マリエが気を失う前にこう言ってました。『体の方をお医者様に治してもらえば、また元のように元気になるから』と」

 お、お医者様? そ、そんな者がいるのか? い、いやそれよりっ!


「ま、まさか血から体を小さく再構築したのか? そんなこと、できる訳が……」

 吸血鬼は血を使って様々なことができる。とはいえ、体を一から小さく作り直すなど、俺達からしても信じがたい行為で。


 ……いや、違う。

 恐らくはそうじゃない。


 彼女は純粋な吸血鬼ではないのだから。

 そう、フラスコの中で生まれた、ホムンクルスだ。


 ならこれは……これが、本来の、姿?


「体は仮死状態みたいです。リダリーンさんが薬を塗り込んでくれたので、心臓が再生すれば、また動けるようになるって。少しだけ、先に休ませてもらうって言ってました」


 やす、ませて、もらう……。

 それは、つまり……比喩的な意味でないのなら。


「だから、大丈夫ですよ。カイさん」

 ティキュラは、その顔に、優しい笑みを浮かべて。

「マリエは、ちゃんと生きてますよ」

「あ……」


 気づけば、皆が俺を見ていた。

 アンリにミルキ・ヘーラ。オーク達にワーウルフにワーダイル、古ゴート族の皆が、俺を。


 俺が来る前から、こんなに大勢が、マリエの周りを、温かく囲んでくれていたのだ。


「ちびマリエはちょっとおバカみたいなんですけど、またそれが可愛いんです」

 ティキュラがフラスコの中の少女に手を振ると、彼女は嬉しそうに手をブンブン振ってこたえる。フラスコの表面に手を当てて、ティキュラがそれに合わせて指を重ねると、また楽しそうに笑うのだ。


「ほら、カイさんも」

「あ、あ……」

 俺はフラスコの中のマリエに、指を付ける。ガラス越しに少女が手を重ねて、嬉しそうにはしゃいでいる。

 その熱を、確かに感じて。


「うっ、うううっ……」

 よ、かった……。

 生きていてくれたこと。

 そして、今のこの状況の、全て。


「皆、よく……戦って、くれたな」

 俺はぐしぐしと腕で涙を拭って、周りにいる全員に、感謝する。

「へへっ! 当然ですよっ!」

「俺たちの居場所を、俺達が守らねえわけねえじゃねえですか!」

「皆で協力してがんばったよね!」

「ホント、めちゃくちゃ大変だったけれど」

「ああ……ああっ」


 俺は、誇らしかった。

 俺が眠っている間に、俺の仲間達はこんなにも団結していたのだ。

 俺のような力など無くとも、無限に再生する体など持たずとも。

 互いが互いと結束して、この戦いを、その魂でもって乗り切った。


「皆よく……」

 そうしてもう一度感謝の言葉を述べようとして……。


 その輪の中に、一人、知らない顔を見つけた。


「君、は」

「初めまして、城主様」

 彼女は、そう言って皆の輪から進み出てくる。


「私はリダリーン・アルゴリス。人間の旅の医者です」

 胸に手をあて、どこか知的で蠱惑的な響きで、彼女は微笑む。


 美人だ。

 腰まで伸びる綺麗な亜麻色の髪。緑とこげ茶色の、どこかゆったりとした服を着て、そんな服の上からでも色気を感じさせる不思議な佇まい。

 清楚なイメージの白と金の装飾が、彼女の知的さを強調すると同時に、どこか聖職者のような雰囲気さえ纏い……。

 ああ、彼女がティキュラの言っていた、お医者様か。


「人間の、旅の医者?」

「はい、治療を求める人を探し、各地を転々としております」

 ああ、以前ミルキ・ヘーラがここに来た時に似たような話を聞いたな。まあミルキ・ヘーラの場合はサキュバスなのを隠すための話だったんだが。


「ありがとう、皆を治療してくれて。何と礼を言ってよいか」

「いえ、こちらこそありがとうございます。皆様にはとても良くしていただいています」

 そう言って微笑む仕草は、清楚でありながら妙に色っぽい。これはまた、とんでもない美人が来ていたものだ。


「路銀もない根無し草の私を、このような立派な城に泊めていただき、食事まで。ですからこのご恩は治療だけではお返しできません」

「……ん?」

 何故か逆に治療した側の彼女がそんなことを言って……。


「城主様にも、どうか、ご奉仕することをお許しください」

「え、っと……ありがたいが、一体、何を」

「何も持たないこの身で支払えるものは……このくらい、しか」


 そう言って目の前の美女は、自らの長いスカートをつまんで少し持ち上げて……。


「ってちょっと待てっ!?」

 な、何を言い出すんだ一体!? というか、こんなオーク達も見ている前で何を!?


「カイさん? 何でそんなに驚いているんです?」

「別に騒ぐほどのことじゃないじゃないですか」

「普通、ですよね?」

 んー? あれー?


「お、お前たち?」

「リダリーンさんは信頼できるお医者様ですっ!」

「そうですよ。オーク達とは特に仲がいいみたいですし」

「ふふっ、ちょっとうらやましくなるほどですよねー」

 ティキュラとアンリとミルキ・ヘーラは、何故か揃ってこの状況をおかしいとも思ってなくて。

 というよりこれって、まさか……なあ?


「サキュバス?」

「……えっ!?」

 目の前の美女、リダリーンとやらはその一言にびくりと身を震わせて。


「な、何をっ? わ、わた、私は人間ですが? え?」

 いっそ可哀そうになるくらい動揺し始めたな。


「ええと、つ、つまり? サキュバスのお医者様が皆を見てくれていたのか?」

 うちにはミルキ・ヘーラもいるし、サキュバスだと差別せずに接していたとか?


「え? サキュバス? 何言ってるんですかカイさん?」

「リダリーンさんは人間だと言ってますよ? オーク達と仲がいいのは、まあ、美人ですから」

「ですよねー」

 あ、これ分かってないやつだ。


「ちょ、ちょっとお前たちこっちに寄れ」

「え?」

「か、カイ様?」

「わっ、何ですか?」

 俺はそうして三人に触れながら聞く。


「彼女の言動やらを見るに、やっぱりサキュバスだと思わないか?」

「あ……」

「ああ……」

「え? そうですか?」

 一人同意を得られなかったが……いや、うん、ミルキ・ヘーラだしな。


「み、魅惑の魔法、ど、どうして効いて、ないっ!?」

 おい、おいちょっと待て。この流れ前にもやったぞ!?

「あ、あの……ど、どうか、命、だけは……」


 青ざめる美女に、俺は奇妙なデジャブを感じるのだった。


――


「皆を治療してくれたことは、心から礼を言おう」

 ひとまず彼女を別室に招き、彼女と特に交流の多かったものを選んで、共にテーブルにつかせた。


「それで改めて聞くが、サキュバスなのか?」

「は、はい……」

 彼女、リダリーンもいくらか落ち着いたようで、そんな彼女にミルキ・ヘーラがお茶を差し出す。


「も、申し訳ありませんっ! こ、この身を偽っていたことは、そ、そのっ!」

「構わない。サキュバスと知れるのを避けたのだろう?」

 リダリーンは俺の言葉に不安げな瞳を向ける。

 落ち着きはしたが、未だに体は恐怖で震えているようだった。


「確認しておくが……皆にした治療は本当の処置なのだろうな?」

「っ!? そ、それは勿論ですっ! それだけは神に誓って、本当ですっ!」

 彼女は椅子から立ち上がって床に膝をつく。そんな言葉と姿勢はどこか聖職者を思い起こさせた。


「妹さんも、い、いえっ! 妹様も、しっかりと傷を治療しています!」

「心臓に空いた穴……あれを、どうやって治すというんだ?」

 俺は念のためにマリエの体を触ってみたが、心臓が止まっているにも関わらず、血の流れは滞っていなかった。というより血の流れの中心が、あの首のフラスコの方に移っていたのだ。


 恐らくはちびマリエが血を操っているのだろう。見た目通りそれほど複雑な血の操作は行っていない。血の流れを滞らせないだけの動きだった。

 だが逆にいえば、その単純な動きで血が巡っているという事。心臓の穴が塞がっていることの証明だ。


「わ、私の特製の薬を使いました。妹様は吸血鬼ですので、心臓の傷さえ治れば自力で復活できると思います。私の薬は傷を塞ぐのと同時に、傷ついた体の一部になりますから」

「体の、一部?」

「は、はい……」

 やや歯切れ悪く彼女は答える。


 ミルキ・ヘーラの時もそうだったが、秘密を無理に聞き出すというのは……どうにも、慣れない。

 ましてや今回は、俺が寝ている間皆を助けてくれた恩人でもあるのだ。


「あー、旦那。リダリーンが言っていることは事実ですぜ」

「俺達が治してもらったのは本当ですから。あの塗り薬はよく効くんですよ」

 彼女をフォローするようにそう口にするギガントオークとワーダイルの二人。二人とも俺に触れ、魅惑の魔法は解除している。


「他にも、助けてもらった奴は多いですぜ」

「私達古ゴート族も一生懸命看病していましたけれど、その誰よりも、彼女の方が献身的に働いていました」

 そうして、次々と彼女を擁護する言葉が続く。魅惑の魔法の影響はどうあれ、助けてもらったという事実には、変わりないか。


「……そうだな」

「あ、あの、せ、せめて……重要な処置が済む間までは、ど、どうか……」

 当の本人は、周りの温かい言葉に反比例するように、震えながら口にしているが。


「報酬は……すまない。俺達はこの世界の通貨を持っていないんだ」

「……え?」

「だから寝床と食事くらいしか、俺達に出せるものはない。城にあるモノでいいのなら、欲しければ言ってくれ。できれば、皆の治療が終わるまでの間でも、ここにいてくれると嬉しいんだが」

「……え? え?」

 俺の言葉に、目の前の美女は目をぱちくりさせて。


「あ、あの……私、サキュバス、なんですよ?」

「ああ」

「い、いいん……ですかっ!?」

「こちらからお願いしたいくらいだ、リダリーン殿」


 サキュバスである。

 この世界で、それは巨大な枷となる言葉だ。


 だがそれを抜きに考えれば、彼女は優秀な医者だ。それこそしかるべき報酬を受けられる場所はいくらでもあるだろう。

 そして俺の仲間達からは十分な信頼を得ている。断る理由などどこにもない。


「皆を助けてもらった分、俺も君を助けたい。それで、いいだろうか?」

「はっ、はいっ! はいっ! あ、ありがとうございますっ!」

 リダリーンは両手を祈るように組んで、俺の前で膝をつく。

 吸血鬼に向かって神様のお祈りなんて、全く、たちの悪い冗談だ。


「皆も、それでいいか?」

「勿論ですぜ!」

「大歓迎だぜ俺達は!」

「リダリーンさん、よろしくお願いしますっ!」

「はいっ! はいっ! ああ、う、嬉しくて、涙がっ! わ、私、今までこんな風に受け入れてもらった事なんて、一度も、なくてっ」


 感極まったように涙を流すリダリーンを、どこか懐かしく思う。皆がこれだけ快く受け入れてくれたのは、他ならぬサキュバスのミルキ・ヘーラが皆の信頼を既に得ていたからだ。


 そのミルキ・ヘーラを見ると、彼女も嬉しそうに笑みを返してくれる。それだけで、俺は十分リダリーンを受け入れる理由になるのだ。


 だから、するんだったら感謝はミルキ・ヘーラに……。


「こっ、これでっ! 姿になることができますっ!」

「そう……え?」

「どうか、これからよろしくお願いいたしますっ!」


 ぶわっと……いや、ブチュチュっと、か?


 奇妙な水音。

 まるで肉がひしゃげるような、そんな印象を抱かせる何かの音。

 立っている彼女の後ろのスカートがまくれるように膨れ、持ち上がり、それが、鎌首をもたげるようにして、現れて……。


「私っ! あっ……あ、れ?」

「そ、その、姿は?」

 皆が唖然として息をのむ中、口を開けたまま笑顔を凍らせて佇む、美女。


「あ、の……わ、わた、私……」

 まるではしゃいでやらかしてしまった子供みたいに、またしても顔を真っ青にしたリダリーンは、恐る恐る告げる。


「ひゅ、【ヒュドラーサキュバス】で……」


 現れた七つの、巨大な肉塊ともいうべき触手が、不気味に鎌首をもたげているのだった。


――


「ぎゃああああああああっ!?」

「うぎゃあああああっ!?」

「はい、今治しますからね」

 一階ロビーに響き渡る叫びと、その叫び声と全くマッチしていない美女の理知的で優しげな声。

 そしてそれらを不気味に彩る、うねうねと踊る七本の……触手。


「な、なあリダリーン殿? ち、治療、なんだよな?」

「ああ城主様っ! どうぞ呼び捨てにしてください!」

 俺の言葉に、その亜麻色の髪を翻して嬉しそうに振り返る触手の主。彼女のスカートから伸びる太さが様々のソレに、俺だけでなく周りも目を見開いている。


「これまではこの姿になれず、手に潜ませた粘液を少しずつ塗る事しかできませんでした。ですが、この姿になれば本気の治療ができますから! どうぞご安心を!」

 そう言って、治療? を再開する彼女。


 彼女の触手は、見た目は赤黒く非常にグロテスクだ。吸血鬼的には赤いことは大して抵抗はないのだが、その肉の中身をむき出しにしたような見た目は……流石に俺でもホラーだと思う。


「あ、ええと、す、凄い叫びだが」

「ああ大丈夫ですよ。痛みはないはずです。傷口に塗り込んだ私の粘液が、周りと融合して新しい細胞になっているんです」


 彼女の治療の仕組みは、こうらしい。

 彼女の触手から分泌される液体は、命の元となる物質で、それが傷口に当たると粘液は周りの細胞と同化し、新しい主の体となっていくのだという。


 ……それって、未分化細胞って事なのか?

 生まれる時、体の様々な臓器に置き換わる前の、まだ何にもなっていない、何にでも変われる細胞の事だ。

 人間達が研究していた、万能細胞の治療に近いか。まさかそれをこんな世界で見ることになろうとは……いや、本当なのかは分からないが。


「ひぎゃあああああああっ!」

「じゃ、じゃあ何でこんな叫び声を」

「ああ、それは」

 彼女は、叫び声をあげるうちの一本……ギガントオークの巨体を丸々飲み込んでいるソレを見て、言う。


「気持ちいいんだと思います」

「……え?」

「私、サキュバスですから。私の粘液ってそういう副作用があるんです。麻酔要らずで体の血流もよくなって、健康にもいいんですよ?」

 ふふふと得意げに笑う彼女。

 いや、いやお前っ! グロテスクな触手とその説明どう見ても釣り合いがとれてないなっ!

 ていうかギガントオークを丸呑みってどういうことだ!? あいつら二メートル近い巨体なんだぞ!?


 彼女の触手は先が口になっていて、そこを広げてまるで蛇が獲物を飲むように丸呑みにするのだ。

 伸縮自在なのかどんなに膨れようと全く意に介さず、そのギガントオークの入った触手を軽々と掲げてジュルジュルと不気味な音を立てている。


「き、気持ち、いい、のか?」

 俺は恐る恐る傍で寝ているレッサーオークの一人に聞く。今まさに彼は腕の傷に粘液を塗りたくられている。だいたい、彼女の腕くらいに細くなった触手で。


「あっ、だ、だん、なっ、あっ、あっ! ひっ!? あ、熱っ! 熱いっ!」

 お、おい! 今毒を塗りたくられてるって言われたら間違いなく信じるぞ!?

「あ、あたまのなか、あ、あつ、熱く、なってぇっ! あた、ま、沸騰しそうでえぇっ!」

 そ……それは女の子のセリフだぞ?


「安心してください。後遺症も残しません。それに私サキュバスですから、気持ちよくなっても大丈夫ですよ」

 そうして笑う彼女。いや、何が大丈夫なの? 丸呑みにされたギガントオークがまた一際大きな声をあげて震えてるが……あ、いや、いい。考えないことにしよう。


「あ、あはは、凄い」

「ちょ、ちょっと慣れるには、時間かかるかも」

 周りで見ている古ゴート族もどこか引き気味だ。いや、この姿を見せて引く程度で済んでいるのだから、それはそれで凄いことなのかもしれないが。


「あ、だ、大丈夫だと思いますよ? そのー、皆さん声を聞く限り、本当に気持ちよくなっているみたいですし」

「分かるのかミルキ・ヘーラ」

「はいー。無理に体を壊すような快楽じゃないみたいですから、そこは、安心していいかと」

 同じサキュバスがそう言うのだから、まあ、大丈夫……か?


「……なあ、ミルキ・ヘーラ。聞きたいんだが」

「はい、何ですか?」

「クーナは、どうした」


 俺は、そうしてリダリーンの件がひと段落したようなタイミングで、切り出す。

 俺にとって……その先の言葉を聞くのが、怖くとも。


「その……クーナさんは、三日前に負傷したんです。治療を受けて今は歩けるみたいですけれど……その」

「その先は、彼女を治療した私からも」

 そうして俺とミルキ・ヘーラの会話に、リダリーンも割って入る。


「体についた大小さまざまの傷は治療しました。骨折ももうありません。ですが、私では治せなかったものが、二つ」

 その言葉を聞き、俺は、彼女の元へと向かう。


――


「ここに、いたか」

 びくっと、まるで叱られるのを恐れる子供のように、彼女は俺の声に震えた。

「……久し、ぶり、だな」

 彼女は俺に背を向けたまま、じっと、ただそこに佇んでいた。


 そこは以前、ベーオウの仲間達を埋葬した場所。俺が殺した彼らの、墓。

 荒野の日は傾き、オレンジ色の光が、紺色のウルフヘアを染める。力なく垂れた同じ色の尻尾が、どうにも痛々しい。


「カ、イ……」

 か細い声だった。

 俺の記憶にあるクーナの声のうち、一番近い声を聞いたのは、彼らが魔王軍に殺された仲間を、埋葬した時。


 その時と同じ声を、聞いた。


「遅れて、すまない」

 俺は……俺には、それ以上の言葉が見つからなかった。

 クーナは三日前に負傷。前線で戦い、疲弊しきった中で、致命傷を負ってしまったという。


 それは、二つ。

 一つは心に。そして……。


「カイっ!」

「っ!?」

 振り返ると、その顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。


「あっ! わだっ! わだじっ!」

 彼女の口から覗く、狼の立派な犬歯は、全てへし折られていた。


 吸血鬼と同じくワーウルフにとっても、牙は狩猟のための強力な武器であり、強いアイデンティティでもある。


 それを、折られたのだという。

 戦士が、利き腕をもがれたと、それは全くの同義だった。


「ッ……」

 俺は、どんな罵詈雑言を浴びせかけられても、おかしくなかった。


 彼らは俺を、この力でリーダーに選んだ。自分たちを守ってくれる存在として。彼らの信頼や信愛は、そのために支払われていた。


 だが、結局はどうだ?

 肝心な時に、俺は何をしていた?

 クーナがその牙を折られた三日前……あろうことか俺は、一人夢の中だったのだ。


「すま、ないっ……」

 言葉を絞り出していく。

 どんな謝罪だろうと足りるものではないのだろうが、それでも、俺は言わなければならない。


 彼女が失ったのは、牙だけではない。

 ラルフが俺に告げた『いなくなった仲間』について、俺は誰からも聞いていない。


 それは、クーナの口から聞かされるのが、俺への罰に、相応しいから。


「カ、イっ!」

 少女もそうして、声を絞り出すように、しかし……。

「ご、めんっ!」

「……え?」

「わだじっ! カイがっ! 寝てる間っ! 皆をちゃんと守れなかったっ!」


 荒野が照らす、眩い夕日の中。

 彼女はそう、叫んだのだ。


「わ、だじっ! 副リーダーなのにっ! カイが寝ている間っ! しっかりしなくちゃ! いげなかったのにっ!」

「なっ!? ま、待て! 何でお前が謝るっ!?」

「だっでっ! だっでっ!」

 俺は思わず泣き叫ぶ少女に駆け寄る。その姿に、居ても立っても居られず。


「カイが困っている時に、今度はわだじがっ! 助ける番だっだのにっ!」

「っ!」


 その少女の叫びは、直接、俺の心を打つ。


 彼女は自分が失ったモノより、俺に、返せなかったことを、悔いたのだ。


「ウルにライラにアブラムにゲヒュッ! み、皆っ! 皆っ!」

 その四人は……覚えている。人懐っこく俺の顔を舐めたいと言っていた、あの日の事も思い出して……。


「皆っ! で、出て行っちゃったしっ!」

「……え!?」

 で、出ていった!?


「え、し、死んだんじゃ……」

「死んでないっ! なんてこと言うんだカイっ! 勝手に殺すなっ!」

「あっ! す、すまんっ!」

 ガッと猛烈な剣幕で怒られて、今度は俺の方がびくりとする。


「あいっ、つらはっ! お、まえと、私に、愛想つかせてっ! で、出ていっちゃって! わ、私、引き留められなくてっ!」


 そう、だった、のか。

 生きていて良かったと思う反面、目の前の本気で落ち込んだ様子のクーナに、俺の心も同じくらいの痛みを感じる。


「……どう、して」

「えっ?」

「お前は、俺を、怒らないんだ?」

 さっきから自分がしてしまったと悔いるばかり。ああいや俺が思わず四人を死んだと言った時は怒ったけれど。けれど、それだけ。


「俺は、お前が傷ついている時、何にも力になれなかったんだぞ?」

「……ばか」

 え?


「お前、今私が泣いている時に、怒ったりしてないだろ」

「あ、それは、当然……そうだろ?」

「そうだ。好きな相手が弱ったり困ったりしてる時、怒ったりするもんか」


 好き、と。

 彼女は、クーナは、俺を真っ直ぐに見つめながら、そう言って……。


「力になりたいって、今お前が感じたのと同じ気持ちを、私が抱かないと思ったのか?」

「クーナ……」


 この子に、教え諭された気分だった。


 その瞳と同じだ。真っ直ぐ、それこそ俺と対等に、彼女は俺の事を、好きだと、思って、くれている。

 そのことに、俺の心臓が、とく、とく、と、温かい音を鳴らせて。


「私は、お前の、力に、なりたかった」

「クーナ」

「前も、今も、これからも……でも……」

 クーナは、夕日が沈むように、その顔を徐々に下げて表情を曇らせ……。


「私はっ、もう、戦えないっ、副リーダーの資格も、もう、なっ」

「言葉を返すぞ」


 俺はその先を言わせず、沈む夕日の中で少女を抱きしめる。

 思ったよりずっと細い、華奢な、けれど温かな少女の体を。


「バカなことを言うな。俺も、お前が、好きだ」

「あっ……」

 トクントクンと、心地よい心音が響く。

 俺のじゃない。

 俺の胸に触れた、彼女の胸から聞こえる、その鼓動。


「もう、一緒に歩んではくれないのか?」

「あっ、あ、カイ……好き」


 それ以上、具体的な言葉は俺達にはいらなかった。


 本能のまま、獣のように。

 お互いの唇を、塞ぎあったのだから。


 日は暮れ、この世界には夜の帳がおり始める。

 けれど俺は、それでも彼女を離そうとは思わない。もう、自分を卑下することだって、しない。


 俺が寝ている間に皆が皆と築いた絆は、きっと、こういう思いだったのだろうから。



「……カイ、まだ、終わりじゃない」

「ん?」

「あいつら、また、くるぞ」

 唇を離し、真剣な表情で、クーナは告げる。


「指揮官を倒したのに、まだ、攻めてくると言うのか?」

「私は見ていた。動けるようになった、昨日と今日。お前は知らないだろうが、あいつらの指揮官はあの女じゃない」


 ……ゴブリンテイマーの、エヴルーナじゃない?


「倒さなきゃいけないのは、トカゲ男の方だ」


 どうやら俺達の戦いは、まだ、続いているようだ。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍との戦闘、継続中





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