魂の火を



「なん、だ、こ、れはっ……!?」

 まるで野戦病院だ。

 一階のロビーに、びっしりと敷かれたシーツの上。


 幾人ものオークやワーダイル、ワーウルフ達が横になっていたのだ。


「あっ! カイ様!?」

「おおっ! 旦那っ!」

「吸血鬼様っ!?」

 俺に気付いた者たちが次々に声をあげる。誰もかれもが疲れ切っているようで、しかし、その顔には徐々に笑みが浮かび。


「よっしゃあっ! これで奴らに勝てるぜっ!」

「い、急いで合図を送りますっ!」

「あいつらにひと泡も二泡も吹かせてやってくださいっ!」

 皆の口にする言葉から、何となく状況は察せられた。

 魔王軍が、本格的に攻めてきたのだ。


「り……だー」

「っ! お前……ラルフか!」

 見た目は狼にかなり近い、ワーウルフのラルフ。

 彼がうめく声を聞き、俺は傍によって腰を落とす。


「怪我は……外傷はそれほどではないな。毒か!? 苦しいか!?」

 強制睡眠に陥る前までの、あの犬のようにはしゃぐ姿は見る影もない。

 ただ弱ってはいるが、解毒治療は受けているのだろう。熱はあっても意識ははっきりとしている。


「は、やくっ、サブリーダー、もう、ぼろぼ、ろ、で」

「サブ、リーダー?」

 聞きなれない言葉に、俺が問い返そうとすると……。

「い、なくなった、やつらの、ぶんまで、た、たかって」

「……え」

 いなくなった、やつら?


「だから……か、って、りー、だー……」

 そうして、力尽きたように、ぱたりと首を落とすラルフ。


「……お、い」

 まさか……。


 俺が恐る恐る手を当てると、心音は、確かに伝わってくる。

 耳をそばだてれば、微かな寝息も一緒に聞こえる。


「……おど、かすな」

 俺は心の底から安堵する、と、同時に、自分の手が震えている事にも気づいた。


「……」

 トラウマ、というやつか。

 似たような状況に、俺の心の中の恐怖が反応したのだ。


 ベーオウの時と、同じだ。

 仲間を、失うかもしれないという、恐怖。

 それは、どんなに力が強くとも、克服できるものではなくて。


「だ、旦那?」

「カイ様?」

 ……ダメだ、動揺を悟られるな。

 皆が見ている。俺が、しっかりしなくてどうするっ!


「くそっ! アイツら引き返して来やがった! おいっ! 休憩に入った奴ももう一回……って旦那っ!?」

 ドアを開け、一人のレッサーオークが入るなり俺を見つけて声をあげる。

「おおおっ!? 旦那待ってましたよっ! おいっ! 知らせる合図はっ!?」

「もう準備できてますっ!」

 皆が沸き立つ理由が分かった。

 今まさに、その魔王軍との戦いの渦中にあるのだ。


 なら、俺が今すべきは……。


「旦那っ! すぐに来てくださいっ! 今交戦中で!」

「ああ!」

 俺はすぐに身をひるがえして外に出る。


 今は、心と葛藤している場合ではないのだから。



 戦場は、既に苛烈さを極めていた。

「押し返せっ! これ以上一歩も進ませんなっ!」

「ここが正念場だっ! 気合入れろっ!」

 ワーダイル達を壁にして、その前後に展開し戦うオーク達。敵のギガントオークはおびただしい数が集まり、その数を武器に捨て駒同然の強行突撃を繰り返す。

 対するこちらの武器は練度と気力。声を張り上げ死力を尽くし、圧倒的な兵力差の攻撃にどうにか持ちこたえていた。


 ああ、お前たち……。

 本当に、よく耐えた!


「合図があったんだっ! きっともうすぐ旦那が来てっ」

「待たせた」

「くれっ……!? だ、旦那っ!」

 ざっとワーダイル達の壁の前に出て、一つの塊となって押し寄せる敵と向き合う。先頭の魔王軍のオークが一瞬だけ俺に目を向け、そして、叫ぶ。


「大将格だ! コイツを殺せ、ばっ!?」

 その先は、口にさせない。

 敵の攻撃に必死に耐えていた皆は、誰もかれもが疲弊し、その体にいくつもの傷を作っていた。今日昨日で出来た傷ではない。一体幾日、そのぼろぼろの体で戦っていたのか。


 もうこれ以上、待たせるわけにはいかないっ!


「ああああああああああああっ!」

「がぎゃっ!?」

「うぼげっ!?」

「ぐべっ!?」

 先頭を走る敵を素手で屠り、その体を投げつけて後ろの奴らも巻き込んで殺す。できた隙間に入り込んで、俺の左右を、全て敵で囲まれるようにして……。


「こ、こいつっ!?」

「敵の大将っ!?」

「ば、バカめっ! 丸腰で敵陣に突っ込んできやがってっ!」

吸血鬼のグレイプ・……」

 そうして五指を、左右の敵に向け……。


「押しつつめっ! 袋叩き、にっ」

「やべえっ! コイツ技、をっ」

「させるなっ! その前、にっ」

 声を発した連中は、地に足を付けたまま、この光景を空から見下ろすことになった。

 俺の五指から伸びた血の鞭で、上半身を引き裂かれながら。


血鞭ウィップっ!」

「ひぎゅっ!?」

「あびゅっ!」

「あっ、げえっ!?」

 手首を返し指を躍らせ、血で作った鞭を存分に振るう。波打たせしならせ、ありったけのオークを殺せるように。


 雲海となって押し寄せてきたオーク達を、文字通り、血煙に変えて。


「や、やべっ! うぎゃああっ!?」

「なんっ、がっ!?」

「あ、あがあああっ!」

 塊となった奴らに逃げ場など無い。逃がすつもりもない。血の鞭はオークの体を引き裂いてなお勢いを殺すことなく、敵兵だけを全て、血の海に返していく。


「な、何だあの一角っ!? 大勢やられたぞっ!」

「あいつっ! 吸血鬼だっ! 例の銀髪の野郎だ!」

 戦場に、そうして一瞬の空白が生まれる。敵は俺の姿を、この血煙の中目に焼き付けて。


「本当に、よく、耐えてくれた」

「や、やべえっ!? ど、どうするっ!?」

「嘘だろっ!? あんなのに勝てるかよっ!」

「う、うわあああっ!?」

 やがてそれは敵の中で動揺となって広がっていく。恐怖はそうして伝播し、勢いを削ぎ。

 こちらはさらに、盛り返す。


「しゃあああっ! 今だっ! 押し返せええええっ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 敵にできた隙を、まさに最高のタイミングで突いていく。あちこちから上がる声に、もはや敵は悲鳴を返すことしかできずに。


「練度の差が出たな」

 俺は手のひらから、ブルーダラク家の宝剣を抜く。血の収納術でしまっていたソレを、天高くかかげ。

「一気に攻めあげろっ!」

 声高に、告げた。

「いよっしゃあああああっ!」

「いけえええええええっ!」

「おらあああああっ!」

 俺の声に、それを上回る勢いで返す仲間達。


「くそおっ!? ひ、怯むなっ! お、押せっ! 押せええっ!」

 それでも、敵の中で折れることなく叫ぶやつがいる。実際まだ数の優位が覆ったわけではないのだ。あちこちで反撃に移る連中も現れる。

 当然、その心をくじくのが俺の仕事だ。


「まだこっちが有利なことに変わりはねえっ!」

「どうせ奴らはもう限界だっ! このままっ、えっ!?」

「あっ! アイツこっちに突っ込んでっ、ぎゃあああああっ!」


 折角相手のどてっぱらに突っ込んで風穴を開けたのだ。

 そのまま真横に、胴体ごと引き裂いてやる!


「は、はええっ!? ダメだ間に合わっ!」

「ぐぎぇえええええ!?」

「あびっ!?」

「ああああああああああああああっ!」


 敵陣を、駆け抜けるっ!

 地を飛び閃光のごとく剣を振るい、一気に形成を塗り替えていく。

 ワーダイル達が敷いた防御陣形に沿って、立ちふさがる全ての敵を、渾身の乱撃で斬る、斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬るっ!


「ああああああああああああああああああああっ!」

「や、やべっ!?」

「あぎっ!?」

「うごっ!」

「いけえええっ!」

「おらああああああっ!」


 そこは敵の悲鳴と、味方の気勢が入れ混じる戦場。

 俺はその中を、ひたすらに駆け抜ける。二つの境界線に沿うように、通り抜ける全ての道を、血の道に塗り替えて!


「ひぎいいいっ!?」

「やべてええええっ!」

「あがあああああああああああっ!」

 悲鳴も、命乞いも、断末魔さえ、全てを、血の中に返す。


「よっしゃああああああっ!」

「こっちは全滅させたぞ!」

「あと少しだっ! 突っ込めえっ!」

 あちこちから聞こえるのは、もはやそんな血の中に返っていった言葉ではない。活力を漲らせ、怒涛の勢いで駆け抜ける、そんな仲間たちの声で。


「これで大局は決した。あとは……」

「カイ様っ!」

 そうして俺が一通り斬り伏せ終わった頃、コココとこちらに駆けてくる、古ゴート族の足音。

「アンリか」

「こっちはもう大丈夫ですっ! もうマリエの方には行きましたか!?」

「何?」


 そうか、マリエも戦っているのか。

 だが通り抜けてきた道にその姿はなかった。吸血鬼の血の力を使って後方から敵を攻撃していたとしても、血の匂いがすれば気づくと思うが……。


「マリエは最前線で戦ってます! たぶん、今もあの悪魔女と真っ向勝負をっ!」

「なっ!?」

 さらに前、だと!?

 それにまさか、単騎!? ば、バカなっ!? 何でそんな無茶をっ!


「まだなら行ってくださいっ! こっちは私たちがっ!」

 そうして俺の返事も待たず、踵を返して四本の脚で駆けていく少女。

 アンリは、俺が寝ている間に随分たくましくなっていたようで。


「くっ!」

 だが、俺はそんな彼女の様子に喜んでいる暇もなくて。

 俺も来た道を反転するように、駆けた。


「な、何故一人で、戦った!?」

 先ほどのアンリの言葉を思い返す。

 真っ向勝負……推測はできる。吸血鬼の力は基本、集団戦には向いていない。その機動力も範囲攻撃を得意とする血の力も、傍に味方がいると邪魔になるから。

 だがそれでも、後方から援護に徹することはできるし、安全に戦う方法はいくらでもある! 何故、そんな危険な真似をっ!


「無事でっ」

 いてくれと、祈るように口にするはずだった言葉は、途中で途切れる。

 おびただしい敵のオーク達の血の匂いの中、ほんの少し、香るように漂ってきた、その甘い血の匂いに。


「ま……」

 匂いの先に、それが見えた。

 言葉通り最前線で敵と向き合う、一人の少女が。


 その胸に、心臓に……今まさに手刀を突き入れられた少女がっ!


「マリエっ!」

 叫んでさらに地を蹴る勢いをあげる。

 風の壁をぶち破り、弾丸の速度さえ軽々と突破する速さで!


「っ!? 来たわねオニーチャン!」

「貴様ああああああああああっ!」

「あはははっ!」

 あの悪魔女はマリエを突き飛ばし、そして、突っ込んでくる俺を無視するように、マリエの方にナイフを放りっ!


「くっ!?」

「じゃーねー」

 俺が角度を変えてマリエを庇った隙に、女の気配は荒野の風となって掻き消えていた。


「まっ、マリエっ! しっかりしろっ!」

「あ……に、さ……」

 だが今はそんな事どうでもいいっ!

 地面に倒れこもうとするマリエを、俺は勢いを殺しながら抱きとめた。


「くっ! 心臓をやられたのか!? だ、だがっ!」

 俺が焦る中。

 息も絶え絶えに、胸から血を溢れさせる少女は、その瞳に俺をとらえて。


「よ、か……は、やく……あと、おね、が……」

「ああっ!」

 大丈夫だ、間に合った!

 マリエは吸血鬼だ。ベーオウの時より、ずっと楽に吸血鬼の血を流しこめるはずっ!


「今、治してやるからなっ!」

「っ!?」


 俺は貫かれた少女の胸に手を当てる。

 震えながらも、迫りくる妹の死に怯えながらも、それでも必死に集中させて、血を操る!


 こんな所で死なせはしないっ! 絶対、絶対にっ! 助けてやるからなっ!


「こ、のっ……」

「ッ!? ば、バカっ! 今動くっ」

「寝ぼけてるんですかっ!」

 なっ!? 何っ!?

 唐突に、ガッと胸倉を掴まれ、俺は思わず目を見開く。


 目の前に、火のように真っ赤に燃える瞳を宿した、その少女の姿に。


「あのっ! ぐぶっ!? アバズレをっ! 追えってっ! 言ってるんですっ!」

「な、何をっ!? お前は何を言っているんだっ!?」

 こんな死にかけの体で何を優先しろだとっ!? 馬鹿なっ! 何を馬鹿なっ!


「お前を見捨てて行けるわけっ」

「今しかないんですっ! 気づかれる前にっ! これを逃したらっ! がふっ!? わ、だじがっ! 思ってるんですっ!」


「なっ!?」

 その言葉に、俺は今度こそ度肝を抜かれる。


「お前まさかっ!? わ、わざと刺されたのかっ!?」

「あの女についた私の血の匂いっ! 兄さんならっ、追える、で、しょうっ……」

 言われて、その甘い血の匂いが今も遠ざかるのを感じていた。


 あの女に、その溢れる血を塗り付ける……そ、そんなことのためにお前はっ!?


「この大バカがっ! そんなもののためにお前はっ!」

「あの女にっ! 私たちがどれだけ苦しめられたと思ってるんですかっ!」

 俺が叫ぶよりもっと大声で、俺の気迫をあっさりと上回る熱量で、少女は叫ぶ。


「私たちがどれだけっ! あなっ、だをっ! 待ちわびたとっ! この瞬間を待ちわびていたとっ!」

 その瞳に、その奥で燃え盛る魂に、思わず息をのんで。


「あいつらに勝利する日を、どれだけ待ったと思ってるんですかっ!」

「ま、りえっ……」

「悔しさに何度も歯ぎしりして、苦しい中血反吐まで吐いて戦い続けてっ! それでっ! この戦いを勝利以外の何で終わらせるというんですかっ!」

 その炎は、俺の、さっきまで俺の心に巣食っていた恐怖を、容赦なく焼き払う。


「私たちの勝利以外の何でっ!」

 圧倒的な、魂の叫びで。


「お、れは……」

 俺は、どうすべきだというんだ?

 このまま、マリエを捨てて、あいつを追うべきだと?


 俺がここでマリエを捨てれば、彼女は死ぬ。

 その瞳に宿った熱量と反比例するように、彼女の体は、今も熱を失い続けている。

 そんな、そんな少女を捨てて、ど、どうして……そんなっ!


「カイさんっ!」

「っ!?」

 その叫びに、俺は振り返る。

 こっちに向かってかつてない勢いで地面を這う、その少女の姿に。


「ティ、キュラっ」

「マリエは任せてくださいっ! 絶対、城まで安全に連れて帰りますからっ!」

「っ!?」

 俺は、彼女に止めて欲しかった。

 だが彼女も同じく行けと言う。その瞳に、湖面のような瞳に、同じだけの熱を込め。


「勝ってきてくださいっ! アイツを、ぶっ飛ばしてきてくださいっ!」

「お、まえ、まで」

「だ、から……いった、で、しょう?」

 ふふ、と、笑おうとして血を吐きながら、それでも笑みを浮かべて、マリエは言う。


「わ、たしたちの、戦いに……きっと、かな、らず……勝利、を」

「っ!」


 俺は、理解していた。

 マリエの言葉に。皆の姿に。


 マリエは一人で戦っているわけではなかった。その後ろに、あちこちに、彼女と同じ思いを秘めた仲間たちが大勢いるのだから。


 この戦いは、もはやただの、魔王軍との小競り合いではない。

 彼女たちの、魂をかけたいくさなのだと。


 そしてその戦いに、勝利をもたらせる俺を、ずっとずっと……。

 信じて待っていたのだとっ!


「わ、かった……」

 俺は匂いを嗅ぎ、その匂いに……とてつもない違和感を覚える。

 さっきから何度も甘い血だと言ってきたが、どうにもそれが、目の前の妹の血という認識を持てずにいた。


 だってこの血は、甘すぎる。

 この中に、少しだって、俺の中に通う血と同じ匂いがしない。


 マリエは……半分とはいえ、俺と血を分けた兄妹のはずなのに。


「それに、つい、てはっ……後で、はなしま、しょう」

 力なく、俺の腕の中に抱かれた少女は、続ける。

「色々な事を、はなしま、しょう……兄さんが、寝ていた間の、こと……それより、もっと、昔の……話、も」

「……ああ」

「ふ、ふっ、め、さめ、た、み、たい……ね」


 ああ、覚めたさ。

 ようやく、夢から覚めた気分だ。


「お前たちと共に戦う覚悟ができた」

「い、って、ら、しゃ……にい、さ、ん」


 やってきたティキュラにマリエを預け、俺は、彼女が導く血の匂いに向かって、駆けるのだった。


――


「ははっ、あ、はははははははっ!」

 私は一人、森の中を駆けながら思わず高笑いしてしまう。

「ざまあっ! あははっ! ざまあみろってのっ!」

 あの女を殺してやった!

 心臓を貫き、その無様な姿を、兄だという銀髪の吸血鬼にさらしてやった!


「くっ、ははっ! 最高っ! 私の勝ちよ!」

 長く続いたこの小競り合いにも、ようやく終着が見えてきた。


 あの銀髪の吸血鬼が現れたのならまた軍を引けばいい。

 そうして再び吸血鬼が消えた後で、攻めてやる!

 あの小憎たらしい女が死んだ後なら、どうとでもなる!


「あー、でも」

 私は高笑いを引っ込め、残った懸念事項に頭を悩ませる。

「減ったゴブリンちゃんの補充ができてないのよねー。あの吸血鬼女を捕まえていい感じに増やそうと思ってたのに……いや、我慢できずに殺しちゃってたかも」

 駆ける足を緩めて、森を散策するように歩きながら、私はまた空を見上げる。


「あのヤギ女もそう。古ゴート族、だっけ? あいつら捕まえて飼ってやろうと思ってたのに」

 そうすれば、ゴブリンちゃんは増える。毎日新鮮なミルクも飲める。いいことずくめだったのに。

「イヌッコロどもの方はあと一歩だった。あと一日、あの銀髪の吸血鬼が出張るのが遅ければ」

 あーヤダ。よく考えれば最悪だわ。


 追い詰めた獲物を横取りされた気分。もうちょっとであの馬鹿女どもをゴブリンちゃんたちの輪に放り込んでひーひー泣かせてやれたのに。


 あーヤダあーヤダあーヤダあーヤダあーヤダあーあーあーあーあーっ!


「……まいっか!」

 別にこれから機会はいくらでもある。


 この森に潜み、じっくり、じわじわ、あいつらの戦力を削いでいく。

 疲弊し心がぐずぐずに崩れて、泣いてわめいて諦めるまで。それでもなお終わらない地獄にあいつらを突き落としてやるまでっ!


「ふ、ふひっ、ふはははははははははははははっ、はっ!?」

 びくっ、と、私は体を震わせる。

 何か嫌な気配だ。


 とてつもなく大きな、何か、強い力が向かってくるのを感じて……。


「吸血鬼……追ってきたのね」

 森のあちこちに配置したゴブリンちゃんの視界から、私は森に起きた変化を感じ取っていた。


「駆けるだけで森がざわつく……ったく、どんなバケモノなのよあいつ」

 最初はあの銀髪の吸血鬼も取るに足らないやつだと思っていたのに。

 隙さえついてやればどうにでもなると思っていた。けれど、その認識はすぐに改められた。


 あれはダメだ。

 殺しても殺せないような奴。


 ガルーヴェンのように、一人で戦局をひっくり返せるだけの何かを内に秘めた、正真正銘の怪物。


 ちっぽけなナイフだって何度も切りつければ大木を切ることができるが、岩山を切り崩すことなんて生涯かけたってできやしない。


 あれはそういう何かだ。


「……でもまあ、ふふっ! こたえてはいるようねっ!」

 ゴブリンちゃんの視界に、駆け抜ける吸血鬼の横顔が一瞬だけ映る。


「妹ちゃん殺されちゃったんだもんねえっ! あっはははははっ! 悔しいよねっ!? 辛いよねっ!? 怒りに震えるわよねぇ!」

 あの冷静さを張り付けたようなクールな顔にも焦燥感が見て取れる。体にはダメージなんて通らなくても、心は案外付け入るスキがありそうだ。


「次はどうしよっかなー。あの吸血鬼がいなくなるまで待って、それでまた襲撃かけて、何匹か女さらって、そのうちの数人は森の入り口に見せしめで吊るしておくとかっ!? あーそれいいかもねっ!」

 それを見上げる吸血鬼の顔が目に浮かぶっ!

 あはっ! やばっ! すっごい興奮してきたっ!


「……まあ、まずはこの追撃を振り切ってからね」

 私は興奮する私を他所に、冷静に状況を見極めていく。


 別にあいつらを侮っているわけじゃない。何故かあそこのちびオークどもは私のゴブリンちゃんの気配を感じ取れるようだし、あの吸血鬼も気配を探る術を持っている。

 森の中へ入ってきたのだって破れかぶれの特攻なわけじゃない。私を追い詰める算段があるからこそ、突っ込んできているのだ。


「それでも余裕はあるけど」

 最後に見た、あの吸血鬼女の目だ。

 あれは色々な感情が入り混じりこそすれ、目の前の敵に屈する様子はかけらもなかった。あの斧を放る前の目と同じだ。


 何かを狙っている。

 吸血鬼の心臓を貫いたとき、すぐにソレに思い当たった。


「あの銀髪の吸血鬼は……あーよかった! ちゃんとあっちに行ってくれたわねっ!」

 そう。あいつは今の私と

 そんなあいつに思いっきり、吐き捨てる!

「ふっ、はははっ! 知ってんのよアンタら吸血鬼が血の匂いを追えることぐらいっ! 常識だってーのバアアアアアアアカッ!」


 ゴブリンちゃんに持たせた、あいつの心臓をえぐった籠手に誘導される馬鹿に向かってっ!


「最後に血の匂いを付けるとはねっ! 執念恐れ入ったわ! 無駄骨だったんだけれどねえっ!」

 血がべったりと張り付いた私の籠手は、もう私のモノじゃない! ゴブリンちゃんのモノっ! くっはははっ! ああっ! 今ゴブリンちゃんの前に立った!


「その顔みせてっ! 私を追ってるつもりが、まんまと騙されてたって絶望する顔をさアっ!」

 知恵で悪魔を出し抜こうなんてホントバッカじゃないの!? できる訳ないじゃないそんなのっ! ふはっ、ふははっ!


「あははははははははははははっ!」

 吸血鬼は目の前のゴブリンちゃんを始末した。その顔には意外にも焦りはない。吸血鬼の血を嗅ぎとる能力は一級品だから、どこかでおかしいと気づいていたのかしら?


 あんなに頑張ったのにねえ妹ちゃん! 残念で……。


「おっと、まだ諦めないか」

 別のゴブリンちゃんが、また駆けだしたあの吸血鬼をその視界にとらえた。


「まーそうよね。頑張って追ってきたけれど何の成果も得られませんでしたぁーじゃカッコつかないもんねえー」

 私はそうして笑みを浮かべ……。


「……あら?」

 何か、背筋にぞわりとする、何かを感じて。


「……」

 がむしゃらに駆けてくる、という割には、その顔から、焦燥感が消えている。


 まるで、迷っていた二択を解消して、正解に真っ直ぐ向かうように。


「何、何なの?」

 ゴブリンちゃんの視界情報を正確に照合していく。

 間違いない……この、道筋……。


「あいつ……こっちにっ!?」

 まだ見えぬ吸血鬼の、その獲物を追う表情に、私は今度こそ、全身を震わせた!


「な、何でっ!? 何でアイツこっちに向かってきてんの!?」

 理由は分からない、けど、この方向っ!

 ま、間違いなくこっちに来てるじゃないのっ!?


「くっ!? ま、まさかっ! 私のゴブリンちゃんの気配を探って、間接的に私の位置を割り出している!?」

 あちこちにただいるだけと見せかけて、ゴブリンちゃんの配置にも法則性がある。

 私をいざという時に守れるよう、通り道にはちょっと多めに配置している。


「ならっ!」

 ゴブリンちゃんに頭の中で指示を飛ばす!

 片方のグループに、あの吸血鬼を攻撃するように。もう片方には、固まって逃げるように。

 これでどっちの方向に向かっても、私はその先にいない。

 攻撃してくる側を怪しんで向かうか。それとも集団で逃げるほうに私がいると踏むか。どっちを選んでもっ!


「私の勝ちよ!」

 吸血鬼を襲撃するゴブリンちゃんたちは、一瞬でその命を奪われる。もはや盾にすらならない。勿論囮として役立ってくれたんだから、十分感謝してるけど。


「これ、でっ!?」

 だが、吸血鬼は釣られない。

 迷うことなく、真っ直ぐ、こっちへ!


「何でっ!? 何でっ!? 何でっ!?」

 私ははやる心臓の鼓動を抑え込み、近くの茂みに急いで身をひそめる。

 気配を完全に殺し、どうあがいても、私が見つけられないよう周囲に同化して!


「……」

 ど、どうして!?

 何で追って来れるの!?

 隠れている今の私を見つけられるはずはない。けれど、私が辿った道は真っ直ぐ追跡してくる。何よ、何でよ、何でなのよっ!?


「それで隠れたつもりか?」

「ッ!?」


 ゴブリンちゃんの視界からじゃない。

 すぐそこ……私に向かって、真っ直ぐ、声を、飛ばして……。


「……な、んで?」

 私は立ちあがり、こっちを真っ直ぐに見つめる吸血鬼に、問いかける。


「なんで、あんた、私の位置を」

「黒シルク、だったか?」

 吸血鬼は涼しい顔で、場違いに世間話でもするみたいに、なんでもないことのように、告げた。


「血のシミも目立たなかっただろう」

「あっ、え? あ、あ、あああああああっ!?」

 吸血鬼の言葉に、私は籠手を外した先の手を見る。


 よく見れば、黒いシルクにうっすらと、濡れたような跡がっ!


「そんなっ!? だ、だって! い、いつっ!? いつの間にぃっ!?」

「吸血鬼が血を操作できることを知らなかったか? 籠手についた血を滑らせ、気づかれぬように、ほんの少しの量を腕の方に染み込ませたんだな」

 そ、そうだ! 刺し貫いたときには服まで血が飛び散っていないことは確認していた! だからこそ、籠手を捨てるだけで対処できると踏んだのにっ!


「血の汚れが黒で目立たなくなることなど、俺達吸血鬼は子供だって知っている。利用するには絶好の色だという事をな」

 さ、最初から!?

 あの女は籠手に血をつけるつもりじゃなく……。


 そこから私が気付きにくい場所に、血を操作して塗り付けるためにっ!


「ゆっくりお前の腕に染み込ませた血の匂いは、腕を切り落としでもしない限り消せはしない。もっとも」

 一歩、一歩と、その吸血鬼はこちらに真っ直ぐ歩を進め……。

「腕を切り落としたところで、今度はそこから流れる血の匂いを追うだけだがな」

「は、はっ! ははははははっ!」

 やられた……っ!

 確かに血の扱いに関して、吸血鬼こいつらを出し抜けるはずはなかった!


「けど、ねえっ……」

 ゴブリンちゃんは、恐らくもう何体いたって役には立たない、けどっ!

「私にはまだこれがあんのよっ! 時間停止のタイムズ・っ!?」

 完璧に隙をついたつもりで取り出した宝玉は、吸血鬼にがっしりと掴まれていた。吸血鬼は私が握る宝玉ごと、手と一緒にソレを掴んで……。

 けどそれはっ!


宝玉ボンドッ!」

 バカねっ!

 そんな動きができるなら、腕ごと斬り飛ばしなさいよ! 何余裕持って宝玉掴んでんのよ! そんなんじゃ止まるわけ無いじゃない!


 コイツには確かに宝玉の効果はない! けど一瞬の空気の破裂で隙を作ればいいっ! その間に私は自分の腕を切り落として、時間停止の宝玉で固める!

 そうすれば今度こそ私を追いかける術が無くなる! ベラベラと私の前でどうやって追跡したか種明かししたのが運の尽き……。


「……え?」

 なんで、発動しない?

 私の手の上の宝玉は、吸血鬼に掴まれたまま、魔力をいくら流してもピクリとも反応せずに……。


「魔法無効化、ちゃんと効いてるみたいだな」

「……は、は、なにそれ?」

 さらりと告げられた吸血鬼のその言葉に、私は、返す言葉が見つからない。


 そんな、まるで世界のルールに介入するかのような、最高クラスの能力保持者……。

 こいつ……本当に、正真正銘の、バケモノ……。


「これで、お前の希望は全て」

「ひっ!? い、いたっ!? いだいっ! いだっ! ああああああっ!?」

 ぐしゃりと。

 手に持っ宝玉ごと、私の手は、握りつぶされていき……。


「あ、ああああああああっ!?」

 骨はあっさり砕け、ぶちゃりと嫌な音を立てて血が溢れて、最後に肉塊となったそれごと握りつぶされ引きちぎられる。


「い、いぎゃあああああああああああああああああああっ!?」

「さて」

 私が痛みに泣き叫んで尻もちをつき、震える体で後ずさるのを、吸血鬼がゆっくりとした足取りで追いかけてくる!

 そ、そんなっ! も、もうっ!


「これで、終わりに」

「ま、待って吸血鬼っ!」

 私は泣きながら、必死に、必死になって叫んだ。

「ま、魔王軍の内情を密告するわっ! わ、私が知っている魔王軍の秘密に、詳しい兵の配備状況なんかも白状するからっ! だ、だから助けてっ!」

 吸血鬼が上から私を見下ろす。その真っ赤な瞳に、私を映して。


「う、嘘だと思うっ!? わ、私は悪魔の血を引いているわっ! だ、だから契約は絶対よ! だからほら、本当にちゃんと喋るからっ!」

 後ずさり、背中に木の幹が当たってそれ以上下がれないとなると、私は縮こまって命乞いをする。


「あ、あんた女好きなんだって!? い、いいよ!? わ、私がイイコトしてあげるわっ!? ねっ!? だ、だから召使でも下僕でも何でもいいからっ! だ、だから私をっ」

 そう、悪魔の契約は絶対だ。

 それは勿論私だけでなく、この吸血鬼にも強制力を及ぼす!


 だ、だから一時でもっ、気の迷いでもっ! 私を助けると口にしてさえくれれば、私は助かるっ!


 そ、そのためなら何だってっ……!


「お前のゴブリン達は、皆お前のために口をつぐんだぞ」

「……へ?」


 ごぶ、りん?


 あ、あんなの……私にとっては、道具よ?

 確かに愛着はあるし、頼りにもしている。けど、所詮は道具なのよ?

 私のために道具があるのであって、道具のために、私があるわけじゃない。


「敵ではあるが……恐らくは契約によりそうせざるを得ないのだろうが、その姿は、誰かを命懸けで庇う姿だけは、少しだけ思うところがあった」


 ね、ねえ待ってよ?

 いやよ、いやよっ! 私、あいつらの義理のために死にたくないっ! アイツらがそうしたからって、何だっていうのよっ!? 契約で一族の繁栄を約束する代わりに私の手足となって働くことを約束させたのよっ!? 契約通り、あいつらは産めよ産めよと沢山増えたのよっ!?


 それをちょっと使い潰したぐらい、何だっていうのよっ!


「だが俺の仲間たちは、それ以上のモノを掴んでいた。さっきそれを、思い知った」

 吸血鬼は腕を持ち上げ、人差し指を一本、私の胸へと向ける。

 私の、心臓のある方に。


「それが、お前がここで死ぬ理由だ」

「は、はっ」

「お前を魔王軍の忠臣のまま、殺してやる」

「あ、は、あははははははははははははっ!」


 ああ、そう。

 そっかぁ。ああ、そっかあっ!


の勝ちだ」

 その赤い瞳。

 その瞳の奥で真っ赤に燃える、魂の火。

 あの、忌々しい吸血鬼女と、一緒じゃない。

 見た目は大して似てないくせに、ああ、こいつら、こいつら本当に。


 兄妹、だったんだ。


「あっはははははははははははははははははははははははははっ!」


 私の心臓に赤い光が走る。


 あつい。ああ、あつぅい……。


 そのねつが、わたしのからだを、じゅっといっきに、あっためてさぁ……。


 しかいも、はだも、むねも、かおも、ぜんぶがぜんぶ、あかになって……。



 私の全ては、その命と一緒に、弾けて散ったのだった。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍と交戦中、カイ起床





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