私たちの勝利のために



――七日後。


「負傷者の、確認を。重傷者を優先して、リダリーンさんの所に運んで」

「へいっ!」

 私は今しがたあいつらを追い払ったばかりの戦場で、指示を飛ばす。

 今日で、三度目の襲撃をしのぎ切った。


「この体にも……多少は、慣れたわね」

 私は息を荒くしながらも、気絶することなく二本の足で立っている。頭を焼くような熱にうんざりするも、これくらいは風邪をひいた程度だと自分を納得させて。


「戦術はしっかりと機能している……問題は、どれだけ持久戦ができるか、ね」

 奴らは基本、オークを前線に出しその背後からゴブリンの遠矢で攻撃してくる。ゴブリンの矢自体はワーダイル達のおかげでそれほど脅威じゃないけれど、逆にいえば、ワーダイル達に頼らないとゴブリンの遠矢に対抗する術がないのだ。


「ワーダイル達の硬い体を盾にして敵の攻撃を押し返す……敵は、捨て身のオークでソレを突破しようとしてくる……難儀ね」

 奴らはそれこそ兵を捨て駒のように使い潰して攻めてくる。一人一人は雑な戦い方しかしてこないが、腐っても怪力のオークだ。こん棒を振り回しているだけでもそれなりの脅威にはなる。


 幸いなことに兵の練度はこちらが圧倒的に上だ。ワーダイルもギガントオークも一人で敵の何人もの攻撃を押し返すだけの実力がある。兄さんがしっかりと鍛えていたおかげね。レッサーオークの皆もその隙間を縫ってサポートし、隠れて攻めてくるゴブリンを探知して殲滅している。


 状況的には、負けることがない布陣だ。

 そう、数の差が圧倒的でなければ。


「敵は数で押しつぶす戦法ではなく、繰り返しの攻撃で私達を疲弊させる道を選んだ……これが吉と出るか凶と出るか、ね」

 いっそ大群で押し寄せてくれれば、私が吸血鬼の微笑グレイプ・レインで一掃してやるのに。向こうもオークやゴブリンの陰に隠れ、指揮官であるあの女とドラゴン男が常に逃げられる体制を整えている。


 互いに負けない布陣を築いて、殴り合う。

 音を上げるのはどちらが先か……いや、正直、不利であることは否めない。


「マリエさーん!」

 と、暗くなる私の思考を遮って、響く声。

「お疲れ様です! はい、タオルです!」

「ありがとう」

 シュルシュルと這い寄ってくるティキュラに礼を言ってそれを受け取る。ティキュラは戦いが終わると、こうしてあちこちにタオルを配るようになった。


「今日も勝ちましたねっ!」

「……当然です」

 言葉少なにそう答えるしかない。数で負ける以上、不利であることは確かなのだ。相手は湯水のように兵を使い潰している。一体残りがどれほどなのか見当がつかない。


「あ、あの、根詰めちゃダメですよ! 気をはってばかりじゃ疲れますし、しっかり休んでくださいね! 美味しい料理もありますから!」

「励ましのつもりですか? まあ、休みはしますが」

 私は体に溜まった熱を吐き出し、呼吸を整える。徐々に疲れが溜まってきているけれど、弱音は吐いていられない。


 今のうちに軍備をしっかり整え……。


「マリエさーん!」

 と、今度はどこか間延びした声が。

「無事ですか!? 良かった! 今日も勝ちましたね!」

 さっき同じことを言われたばかりだ。私は見上げるほど大きいその女性、ミルキ・ヘーラさんがこちらに駆けてくるのを見て思う。


 正直いくら勝ち星を重ねようと、あまり意味のあることではないのだけれど。


「美味しい料理いっぱい作りますからね! 楽しみにしていてください」

「それは……ありがたいですがあなたもしっかり休んでください。料理番は交代でこなそうと決めたでしょう?」

「そ、それはー、あ、でも私まだ元気ですからっ!」

 そう言って彼女はにこやかな笑みを浮かべる。可愛らしく両手をあげてそんなアピールをすると、彼女の豊かなソコがブルンと跳ねる。


 神様は不公平だ。と、今更ながら思う。


「はっ!? マリエさん! 疲れてますか!?」

「今どっと疲れました」

「えええっ!? ど、どうしよう!? げ、元気になってくださいっ!」

 何故かそこからがばっと彼女は私を抱きしめてくる。私の体は熱いだろうに、それでもしっかりと柔らかい胸を押し付けて。

 ……ええ、気持ちいいですけれど心が折れそうです。やめてください。


「お、なんか面白いことになってるわね」

「あ、アンリ。アンリもタオル、はいっ!」

「うん、ありがと」

 抱きしめられていて見えないけれど、アンリもやってきたようだ。声を聞く限りは特に疲労も感じられない。


「二人とも凄かったよ! 遠くから見てたけれど、アンリもミルキィも大活躍だったね!」

「あはは、私なんかまだまだよ。いつもギリギリで戦ってるようなものだし」

「私も、頑張ってはいるんだけれど、矢がくるタイミングで動揺しちゃったり……ちょっと情けないかもー」

「そんなことないって! 二人とも凄いよっ!」

 ティキュラはそんな二人を励ましている。

 正直アンリはともかく、ミルキ・ヘーラさんまで戦力になるとは思っていなかった。


 初めて見た時は、少なくとも戦えるようには見えなかった。背は高いけれどほんわかした、喧嘩もしたことがないようなおっとり美人。それが初見の感想だったから。いっそ尻尾に棘を持つティキュラの方が戦闘向きに見えたくらいだ。


 今は最前線で攻撃と離脱を自在に行える機動力のアンリ、そして、後方から大火力を発揮できるミルキ・ヘーラと、どちらも私たちにとっては必須の力になっている。


「何にせよ、二人ともしっかり休んでください」

 私は、気持ちよくも忌まわしいその胸から逃れて、そう告げる。


「あ、マリエさん、ご飯は?」

「先にシャワーを浴びてきます」

 私はけだるい脚を引きずって、一人城に引き上げていった。



「ふー……気持ちいい」

 シャワーを浴びながら、私は今度こそゆっくりとした息を吐く。


「この体になってから、すっかりシャワーだけになっちゃったけれど」

 そう、ホムンクルスの体はとにかく熱くなりがちだ。だからのんびり湯船につかることができない。正直お風呂の楽しみの八割を削られた気分だ。


「あーあ、水風呂でもいいからつかろうかしら?」

 残念ながら単純に体を冷やせばいいという訳でもないので、水風呂は風邪をひく恐れがある。余裕のある時ならいいけれど、今体調を崩すのは流石にマズイ。


「決着がつくとしたら、兄さんが起きるまで耐えきる事……いや、それもダメね」

 奴らはどうやら理解しているようだ。兄さんの弱点を。


 どこまで把握しているかは分からないが、兄さんが一定期間不在になることは知られてしまっている。その間だけ激しく攻撃し、兄さんが現れればまた引く。それを繰り返されると正直つらい。


 現実世界でも私達をある程度知っている相手はその戦術を使ってきた。当然だ。絶対に勝てない相手と戦うのは避けたいだろう。


「どうにかして、奴らを叩かないと……特にあのゴブリンを操る女は」

 あのアバズレ女は危険だ。アイツがいる限り、常にゴブリンの奇襲を警戒しなければならない。狩りの最中、寝ている時、常に心が休まらなくなる。

 それが、あの女の狙いなのだ。


「この出来損ないの体で……できるのかしら」

 私は胸に手を当てて、心臓の鼓動を聞く。ドクンドクンと、吸血鬼にしても力強いその鼓動は、まるで必死に自分が生き物であることを主張しているようだ。


 まがい物の命に、それができるか……。


「たっ、大変っ! 大変ですマリエさんっ!」

 そんなことを思っていると、浴室のドアを勢いよく開けて、古ゴート族の女性が飛び込んでくる。

「またあいつら、攻めてきてっ!」

「……全く、シャワーも浴びさせてもらえませんか」


 私はそうして濡れた髪のまま、再び戦場へ舞い戻るのだった。


――十三日後。


「もうたくさんだ! これ以上は群れが全滅するっ!」

「そうだそうだっ! リーダーはいつまで寝ているんだっ!」

「お、お前ら落ち着いてくれっ!」

 戦闘の後、とうとうワーウルフ達が、不満を爆発させ始めた。


「このマントのおかげであいつらの矢も怖くなくなった! 何も恐れることなんてないじゃないかっ!」

「それでもあいつらは毎日やってくる! いくら追い払っても! このままじゃいつかは耐えきれなくなるっ!」

 クーナの必死の説得もむなしく、ワーウルフ達の声は止まらない。

 そう、それが真実だと分かっているから。


「これ以上リーダーが起きないなら、俺は群れを出ていく!」

「ふ、ふざけるなっ! そんな事許さないぞっ!」

 クーナも歯をむき出して威嚇するが、言い出したワーウルフも一歩も引かない膠着状態へ。


 これは、ちょっとマズいわね。


 今は少し奴らの脅威も減っている。ワーダイル以外の皆には特製のマントを配ったのだ。

 古ゴート族が編み上げた簡易鎖帷子で、布地の裏に細い鎖を編み上げて、ゴブリンの粗末な矢を防ぐのだ。

 体の大きいギガントオークに鎧を着せて防ごうとすると、ゴブリンの矢は小さい上に毒があるので、全身を覆わなければならない。そうなれば当然動きも緩慢になるし何より非効率だ。

 だから軽いマントにちょっとした盾を仕込むように、矢が降ってくるタイミングでそれを振ってもらう。そうするだけでゴブリンの矢を無力化できるのだ。


 これのおかげで戦いはさらに楽になった。とはいえ、未だにオークの脅威は残っているし、ゴブリンの矢にも油断はできない。絶えずの緊張で、それが切れてしまうのも仕方のないことだろう。

 だから、クーナをフォローすべく足を前に踏み出そうとして……。


「ぐっ!?」

 一瞬目の前がふらついて転びかける。せりあがってくる嘔吐感を何とか抑えてその場に踏みとどまる。

「……まずい、わよね」

 誰にも聞こえないように呟いて、はーはーと荒い息をつく。それが、私にできた精いっぱいだった。


 ワーウルフ達の結束が崩れていくのを、目の前で見ている事しかできなかった。


――二十九日後。


 一階のロビーは、負傷者で埋め尽くされていた。


 軽いけがを負ったくらいならまだいい。足や腕に重傷を負った者は、当分は戦線に復帰できないだろう。古ゴート族が集まって看病しているが、増え続ける患者にこちらも疲弊してきていた。


 私は、戦いが終わった後トイレに駆け込んで一通り吐いてから、またここに戻ってくる。これもすっかり習慣化してしまっていた。


「どうですか? 負傷者の状況は」

「あ、その……命に別条がある方はいません。ですが腕などを骨折した方が三名、しばらくは安静にしていただかないと」

 お医者様の言葉も歯切れが悪い。

 人間の医者だというリダリーンさんは、申し訳なさそうにして答えるのだった。


「リダリーンさんのおかげで助かっています。あなたがいなければ今頃はどうなっていたことか」

「……あの、あなたも体を休めてください。顔色が悪いですし、その……は」

「お気遣いありがとうございます」

 私は少し強引に彼女の言葉を遮って、踵を返す。まあ、医者の目には知られてしまっているわよね。


 申し訳ないけれど、黙っていてもらいましょう。


「あ、マリエさん」

 そんなタイミングでシュルっと現れるティキュラ。その顔には、少し前まで見えていた笑顔はない。


「あ、あの、お疲れ様です。あの……タオルと、お水です」

「ありがとう」

 私はまずタオルを受け取って、気づかれないように顔を覆ってため息をつく。


 熱が引かない。頭がガンガンする。

 もう戦っていない時でさえ、息が荒くなってしまう。


 戦いのスイッチが入ればしっかりと立てるものの、少しずつ、私の動きも精彩を欠くようになってきている。敵のオークやゴブリンに遅れは取らないけれど、それでも万全の状態で戦う事は、もうできない。


「ちょ、ちょっと、顔色悪いですよ。あの、横になりますか?」

「ならないわ。そんなに心配しないで」

「で、でも……ほらここ、ちょっとスペースありますし! 横になれば楽になるかも」

「しつこいです」

 私は、できるだけ心の内を悟られないように素っ気なくそう返す。その時のティキュラの顔が、少し、痛ましさに歪んだ気がして……。


 私の心にもちくりととげが刺さったみたいな痛みが。


「気にしないでください」

 慌てて取り繕おうと、彼女の持っていたコップに手を伸ばし……。


「え」

 ……しまった。


 タオルを持っていた手と反対の、左手で咄嗟に受け取ろうとしてしまった。動揺して、気が回らなかった。


「あの、マリエさん、左腕……」

 途中まで上がった手がのを見て、ティキュラは目を見開いて……。


 気づかれて、しまった。


「ちょ、ちょっとどうしたんですかっ!? まさか腕を怪我しっ!?」

「それ以上は口にしないでください」

 私は掴んでいたタオルを手放して、右手で咄嗟に彼女の口をふさぐ。


「今この場で、それを言う事が最善だと思いますか?」

「っ!」

 一階のロビー。大勢の負傷者が寝ころんでいるその場所で。

 皆疲弊し、折れかかった心を何とか支えて、耐えている現状で。


「皆必死に戦っています。そんな中で、前線に立っている私がもうダメだと……いえ、もうダメかもしれないと思わせることが、必要ですか?」

「っ」

「黙っていて、くれますね」

 私が手を離すと、ティキュラは震えながら、口を閉じてその先を飲み込んでくれた。


 ごめんなさいね。あなたに、こんなことをさせたいなんて思っていたわけじゃないの。でも、こればっかりは……。


「なら、代わりに私の言う事聞いてください」

「……え?」

 などと、私が勝手に締めくくろうとしていた場面で、その少女は、私を真っ直ぐに見つめてきたのだ。


 その、どこまでも澄んだ、湖面のような瞳で。


「マリエさん、私の血を飲んでくださいっ!」

「なっ、あなた、何をっ」

 私はその言葉に、いや、彼女の心の内まで見透かしてしまいそうなその目に、思わずたじろいだ。


「マリエさん、吸血鬼ですよね? なのになんで、血を吸わないんですか?」

「……あのね、私は作られた命、ホムンクルスよ?」

 正直、そんなことを切り出されるとは思っていなかった。

 よく考えれば、彼女は兄さんに血を吸わせていたわけだから、その辺の事情を知らないわけはない。


 吸血鬼にとって、血を吸う行為がどれほど大切かを。


「そんなの……」

 私は、嘘をつこうとした。


 ホムンクルスだから吸血は必要ないだとか、私は血を吸わなくても平気なタイプとか、そんな見え透いているけれど、否定しづらい嘘を。


 つこうとして……けれど。


「……私の、勝手でしょうっ」

 私は、ふっと、目を逸らした。

 真正面から、ひるむことなく、じっと見つめてくるその瞳に、耐えきれず。


「……じゃあ、私も勝手にします」

「え?」

「あのですねー! マリエさんはー! 腕をー!」

「わああああっ!? あなた何してるんです!? 馬鹿なんですか!?」

 私は大慌てで声をあげてその続きを遮る。皆がいる前で、ティキュラが突然大声をあげたのだから。


「私の話聞いていましたか!? 今ここで大声上げて、それが何になると」

「私がバカならマリエは大バカですっ!」

「なっ!?」

 私があげた声より、さらに強くその瞳は私に食い下がる。


「どうして私達に頼らないんですかっ!? 自分一人で戦ってるわけじゃないでしょうっ!?」

「そ、それとこれとはっ!」

「関係ありますっ! 私だって、悔しいんですっ!」

 ティキュラもいつの間にか息を荒くして……。


「私、戦えないからっ! 大して力にもなれないからっ! こんな時くらい、役立たせてくださいっ!」

「ッ!」

 その瞳に、その奥に宿った魂の輝きに、私の心臓も、ドクンと跳ねて。


「だから、お願いしますっ!」

「あ、な……あ、の、ですね」

 私は必死に、荒れ狂う鼓動を抑え込むように、言葉を選ぶ。


「あなたの、体じゃ……大した、血の量には、ならない、から……」

「なら、私も吸ってよ」

「私もー」

 話を聞かれていたのだろう。

 ティキュラに続いて、アンリにミルキ・ヘーラさんまで、そう言って進み出てくる。


「カイ様に吸われ慣れてるから、気にしなくていいわよ」

「私もです」

「ちょ、ちょっと! 待ってくださいっ! そもそも、他の吸血鬼が血を吸った相手を噛むのはタブーで!」

 特に兄さんの恋人にも等しい彼女たち三人の血を吸うのは、兄さんが寝ている間に彼女たちを誘惑したとみなされてもおかしくない行為でっ!


「じゃあ、一緒に怒られましょう」

「そ、そういう話じゃなくて!」

「私ならいいか?」

 今度は後ろから。振り返ると、そこにはクールな顔をしたクーナさんがいて。


「私はまだ、カイに噛まれていない」

「あ、あなたっ!? 分かってるんですか!? 私に先に噛まれるってことは、兄さんが噛みづらくなるって事で」

「お前は、私と私の仲間を助けてくれた」

 その言葉に、迷いは一切感じられず。


「だから、吸え」

「っ! あ、そ、れは……」

「俺達も吸ってくれ!」

「そうだっ! あんたはリーダーでも副リーダーでもないけれど、俺達の仲間だ!」

「仲間は助けるっ!」

 そうして次々と名乗り出てくる、ワーウルフ達。


「ッ! た、戦ってる方たちの血は吸えませんっ! あなた達が体調を崩したらどうするんで」

「なら、俺達のを吸ってくれよ」

 次から……次へと……。


「いやあ、俺、足折れちまってるからさ。治るのは随分かかるって。だから俺の分まで戦ってくれよ」

「俺もだぜ。大将に吸血鬼をしっかり守ってやれなんて言われたのに、早々にやられちまって申し訳なくてよ」

 名乗り出たのは、負傷してそこで寝ていたギガントオークと、ワーダイル。


「あなたたち、だって……けがの、治りが、遅く……」

「俺も吸ってくれていいぜっ!」

「お、俺も俺もっ!」

「妹様に吸ってもらえるなんてむしろご褒美だろ!」

 次々と、次々と、そんな声が聞こえて……。


「あいつら訳も分からず攻めてきてよおっ、やれ降伏しろだの女を寄越せだの、全くふざけるんじゃねえって話ですよ! 女たちの、ただの一人だってあいつらにくれてやるもんかよっ!」

 おおー! と、レッサーオークやギガントオーク達が吠える。その叫びはオークの言葉だと思えないくらい、欲望の濁りのない、頼もしいもので……。


「一緒に戦いましょう!」

「俺達がついてますって!」

「私達も血を吸ってください!」

 古ゴート族まで名乗り出て、周りは、私を囲んで、囲ん、で……。


「まだ、何か言いたいことありますか?」

 最初に名乗り出たティキュラの、湖面のような美しい瞳が、真っ直ぐ私を映していて……。


「だ……で、なん、でっ……」

「私たちは仲間で、それで、皆マリエが好きだから、ねっ!」

 ティキュラがそう言って、皆が頷く。そんな……そんな仲良しごっこ、見せられたって……。


「わ、だじっ! わ、がままでっ! いじっぱ、り、でっ!」

 もう立っている力も沸かず、へたりと地面につきそうになると、ティキュラがシュルっとそこに滑り込んで私を支えてくれる。


「知ってます。おまけに口もちょっと悪くて、でも結構優しくて」

「う、ぐっ! し、りまぜんよっ!」


 吸血鬼にとって『お手付き』になった相手を噛む行為がタブーなのは本当だ。

 これで兄さんとの仲がこじれたって、知りませんからっ!


 まあ、もっとも……。

 兄さんがそんなことで怒らないだろうことも、理解しているけれど。


「ぐっ!」

 ティキュラの首筋に噛みつき、その熱いしずくを、喉に流し込む。


「んぐっ! ぐっ!」

「どうですか? 落ち着きましたか?」

 悔しい。その落ち着いた態度が。

 これじゃ、私の方が子供みたいで。さんざん馬鹿にしたしっぺ返しを食らっているみたいじゃない。


「んっ! んっ!」

 美味しい。

 すごく、美味しい。


 体の痛みがとれるわけじゃない。疲労が消し飛ぶわけじゃない。血は別に万能薬ではないのだ。


 けれど、頭にガンガンと響いていたあの痛みは、消えていた。


 心に、平穏が戻ってきていた。


「んっ……んっ、んっ!」

「はい」

 背中を撫でさするように、優しく優しく、ティキュラの手が私の心をほぐしていく。

 お母さまが昔してくれたみたいに。兄さんが、私にしてくれたみたいに。


「いつも、ありがとうございます」

 ティキュラのそんな言葉に……お礼を言いたいのは、私の方だ。


 血の味は嘘をつかない。

 だから、この子が本当に私の事を心配し、労わり、そして、好きでいてくれているのが、伝わるのだ。


 こんな、こんな、ちっぽけな私を。

 フラスコの中の、少女を。


「あっ! りがっ! どうっ! ありがっ! どうっ!」

「はいはい泣かないの」

「ないでまっ、ぜんっ!」

 この日、私は確かに得難いものを得たのだ。


 彼らとの、本当の意味での『繋がり』を。


――五十三日後。


「う……ぶえぇっ」

 戦いの後。

 私はその場でうずくまって、嘔吐する。

 透明な胃液が、荒野の一角にシミを作る。


「だっ、大丈夫っ!?」

「だい、じょうぶよ。いい加減慣れて」

「な、慣れないわよっ! はいタオルとお水!」

 私は差し出されたタオルに顔を近づけてそのまま拭いてもらって、ティキュラが持ったままのコップに口を付けて水をすする。


「ど、どう? 落ち着いた?」

「まあ少しは」

「あ、また血飲む?」

「……あのね」

 全く、あの一件以来ティキュラは頻繁に血を差し出すようになってしまった。

 吸血鬼的にはそういうの……ちょっとえっちなのよ?


「血は万能薬じゃないんだから。気持ち悪いのは単純に体が悲鳴をあげてるからよ」

「全然大丈夫に聞こえないんだけれどっ!?」

 まあ、その通りよね。

 体から疲れが抜けないのは変わらない。負傷も増えたし、左腕はもう使い物にならなくなっている。


 けれど、心は軽い。


「今夜はビーフストロガノフが食べたいわ」

「えっ、また新しい料理!?」

「ええ。レシピは教えるから、お願いね」

「ぐっ!? またあのややこしい手順で料理するの!? なんだか日に日に我儘になってない!?」

 ティキュラがそんな風に悲鳴をあげるので、私はふふっとおかしくなって笑う。


「これが本来の私よ。これでもお嬢様だもの。生まれてこの方いい暮らししかしたことないし」

「もー! もうちょっと猫被っててくれれば良かったのにっ!」

「何言ってるのよ。いい女になりたいんでしょ? ビーフストロガノフは兄さんの好物だから、頑張って覚えて」

「えっ!? ホント!?」


 嘘よ。

 兄さんが好きなのカレーだし。


 ……それ、私の好物だから。


「じゃあ、張り切って」

「ッ!? ティキュラっ!」

「きゃっ!?」

 私はとっさにティキュラを弾き飛ばして斧を構える。

 そうしてティキュラがいた場所に飛び込んでくる、無数のナイフ。


 珍しく、ゴブリン達の投げるちゃちなナイフじゃなく……。


「あらー? いい所邪魔しちゃった?」

「いえ別に。勘違いされても困ります」

 私は後ろに回した左手で、唯一動く薬指でティキュラにその場を離れるように伝える。一旦引いたと見せかけての奇襲も、今日が初めてという訳じゃない。


 皆は再び戦闘態勢に入る。あちこちで攻め込んできた敵と、こちらの勢力がぶつかって……。

 けれど……これは。


「そう? あんたが誰かを庇って刺されるのって、初めてじゃない?」

「そうでしたか?」

 左足に刺さったナイフを血の操作でプシュッと押し出して、全身に回る寒気を気合で抑え込む。


「もう何度も戦っているので、そんな事忘れましたね」

「あ、そう? ていうかあたしもそろそろ飽きてきたんだよね。だから本気で殺していい?」

「……やってみなさいよ、アバズレ」


 敵も、焦り始めたようだ。

 兄さんが一定期間行動不能になるのは、裏を返せば一定期間たてば復活するという事でもある。

 ずっと裏に隠れていたこいつが、私の正面に立ったのが何よりの証拠。


 タイムリミットに怯えているのは、向こうも同じ。


「はああっ!」

 斧を構えて、一直線に駆ける。

 走る最中にも足が震える。もはや限界なんてとうの昔に過ぎていた。


 この体は、もう持たない。

 なら、今日、決める。


 せめて……この身と引き換えにっ!


「らああっ!」

「はっ! 何ソレ、焦ってんの?」

 ぶわっと湧き出るように無数のゴブリンが、私のゆく手を遮る。それを斧で一掃するも、その向こうから、また新たなゴブリンの投げナイフ。


「ぐっ!?」

「もう限界みたいね。よくもったって。お疲れ」

 アバズレ女は嘲るような笑みで手を叩く。刺さった二本のナイフを押し出して、なおも一直線に駆ける私を、仕留めた獲物と見なしてほくそ笑む。


 その油断が……最後に見せるその余裕が欲しかったのよ!


「らあっ!」

「っ!?」

 私は目の前の女に自分の斧を、投げた。


 まさかそんな攻撃が来るとは思っていなかったようで、アバズレ女はあの時間停止の宝玉でガードしようと……。


「すると思った?」

「なっ!?」

 彼女の前には、本当にどこにいたのか、これまでで最も多くのゴブリンが。彼女の前に飛び出して、それが重なって。


「肉の、壁……」

「これ、ゴブリンちゃん沢山使うから使いたくないのよ」

 圧倒的な質量を武器に投げた斧は、おびただしく重なった何重ものゴブリンにしっかりと阻まれ、勢いを殺されてしまった。


 それでも壁を突き破る斧を、けれど勢いを失ったソレを彼女は悠々とかわして。


「最後に不意を突いて私に宝玉を使わせて、ステゴロで突っ込んで肉弾戦であたしをとる……大体そんなとこ?」

「あ……ぎっ!?」

「通じると思った? そんな浅知恵が?」

 体が、う、ごかない!?

 限界を超えたから? 違う、そうじゃない。こ、これは、まさか、これはっ!?


「バッッッッッッッッッカじゃないのぉー!?」

「な、んでっ!? まだ、射程圏内じゃ!?」

 まだ、時間停止を受ける距離じゃなかったはず!

 なのに、なんでっ!?


「あー、最初のアレ、信じたんだ?」

「えっ!?」

「一番最初にここまでなら攻撃しないってラインさ。アレ嘘だから。あんたみたいなタイプは頭使ってかしこーく戦おうとするじゃん? だから最初に罠張っておけば、そこを土台に戦術を乗っけてくる。最後にその土台を引っこ抜いてやれば、ほらこの通り……ぜーんぶぶっ壊れんのよ!」


 さい、しょ、から……。

 確かに、あの時点で私に深手を負わせたとしても、トドメまでさせたかどうかは定かではない。弱ってはいたがクーナさんもいたし、何より彼女にも射程距離がばれる危険があった。


 だからこいつは、あえて、罠をっ!


「悪魔の血を引くあたしに知恵比べなんて、よく挑めたね、お嬢様?」

「……ふ、ふふ、笑うしか、ありま、せんね」

 絶体絶命、という奴だろうか。

 目の前の悪魔は、そうして一歩ずつ、私の方に近づいてきて。


「け、れど、あなたの、魔法の種も、割れましたよっ、これ、時間停止、なんかじゃ、ないっ!」

 動かないのは腕と足、そして首回りだけ。恐らくピンポイントで場所を選べるのだ。そして動かない場所も、力を入れればわずかに動く。


 それはまるで、重たい水の中で手足を動かすのが億劫な感じ!


「くうき、を、かため、たん、ですね!」

「あったりー! あんた結構やるね。これやられると皆パニックになってまともに考えられる奴なんてほとんどいないのに」


 空気を固める。

 それは、普段は意識するまでもない空気という抵抗を、極限まで高めるという事。重たい水の中を進むように、その中ではゆっくりとしか手足を動かせない。


 この、吸血鬼のホムンクルスの体であっても!


「ど、れだけ! かため、てっ!」

「だいたい小指の先に家が二軒建つくらい? 場所を分けずに集中させればもっといけるけど……まあいいや」

 そして、彼女は私の目の前まできて……。


「正解のご褒美ドーン!」

「あぎゃあああっ!?」

 私のお腹の、その少し下を、思い切り蹴って。


「あっはははははははははははははははははははははははははっ! いい声じゃん」

「あっ、あっ」

「はいもう一発」

「ひぎゃああっ!?」

 金属製のブーツによる蹴りが、私のそこに叩きこまれる。肉が潰れ、ぶしゃっと嫌な音を立てて……。


「あーはははははっ! 漏らしてやんのー! だっさー!」

「は、う、うう、ぎゃあああああっ!?」

 もはや抵抗できなくなった獲物を、好きなようにいたぶり始める。手足と首を固定され、蹴られる痛みと、固定された関節を思い切り引っ張られる激痛。

 蹴られたそこは潰されて、関節はゴキンゴキンと嫌な音を立てて何度も外される。


 弱った私の体は、抵抗らしい抵抗なんてできなくて。


「やああああっ!? あああああああっ!」

「あーもうあんた最高っ! ゴブリンちゃんにっ! あげるのっ! 惜しい……あ、やば、ゴブリンちゃんにあげるのにあたしったら……まいっか!」

「ぐはああああっ!?」


 痛みに悶える中……そうして私は、それを、聞いた。


 全てがもうダメだと思われたその時に、まるでそれは、天の啓示のように。


「ん? 何? 花火?」

「はっ! は……こ、の……世界にも……花火は、あるん、です、ね?」

「んー?」


 間に、合った。


 あれは、あらかじめ、古ゴート族に伝えておいた、合図。

 そう、あれは……。


「兄、さん、が、く、れば……あなた、なんて……ぶ、っと、ばし、て」

「……ええー!? あんたあの全裸の奴の妹なの!? ぷはははっ! 似てないわねー!」

 ふ、本当に、人を、おちょくるのが、お上手で……。


「粘り、勝ち、です……」

 それでも、事実は、揺らがない。

 最後のピースは、はまった。


「私、たちの、勝ち、ですっ……!」

「あらそ、おめでとー」

 ゆらりと、その籠手のはめられた手が、ゆっくりと突きの形を作り……。


「じゃ、何か知らないけど、勝った記念にお兄ちゃんのところに返してあげるわ」


 ああ、そう、よ……しっかり、狙いな、さい……。

 吸血鬼の、弱点くらい……知ってる、わよね?


「死体にしてなあっ!」


 彼女の手は、そうして私の心臓へ、真っ直ぐ吸い込まれていくのだった。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍と交戦中、カイ起床





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