ホムンクルスも楽じゃない



「はあああっ!」

 巨大な斧を振りかぶり、カイの妹は、怒りに血を沸騰させた吸血鬼は、駆ける。


「ゴブリンッ!」

 それに対抗するあの悪魔女の叫びに、本当にどこにいたのか、どこからともなく駆けつけたゴブリンどもが束になって飛び掛かり……。


「じゃああまああだあああっ!」

「ゲギュアアアッ!?」

 その渾身の、たったの一振りで、全てのゴブリンが薙ぎ払われた。


 白い、巨大な斧。

 あの吸血鬼の背丈よりも大きな、まるで骨で出来たかのような、ゾッとするくらい、真っ白な斧。

 何で出来ているのか分からない。石? 鉄? それに何故かあちこちに穴が開いていたりする、奇妙な大斧。

 あろうことか吸血鬼は、その大斧を片手で振り回す。


「はっ! 言うだけあってやるじゃないっ!」

「くだらないっ! そんな使い捨て戦術じゃ私は倒せませんよっ!」

 次々に飛び出してくるゴブリンを、そのひと振り一振りで全て滅ぼしていく。あまりの質量の一撃に、はじけ飛ぶゴブリンどもは派手に血をまき散らし。


 あたりはあっという間に、血煙の戦場と化していた。


「バカねっ! 『時間停止のタイムズ・……』おっとっ!?」

「ギュアアッ!?」

 あの悪魔女が何か取り出そうとした瞬間、吸血鬼の手からまた赤い線が伸びて、悪魔女の盾にしたゴブリンを貫く。


「聞いていますよ。時間停止の宝玉、でしたか。危険な事には変わりありませんが」

 そうして一定距離まで近づいたにも関わらず、吸血鬼はそれ以上は踏み込まないで。


「射程距離は、大したことはなさそうですね」

「……ちっ!」

 吸血鬼はそのまま、際限なく襲い来るゴブリン達を踊るように舞いながら、その大斧で血煙へと変えていく。


 あいつ……そうか、わざと大声上げて突っ込んだんだ。

 あの悪魔女の切り札の射程距離を、確かめるために!


「吸血鬼! まだもう一人強いのがいるっ! 地面に隠れてるっ!」

「ッ!?」

「イヌッコロがっ! ホント邪魔くさいっ!」

 悪魔女は私を睨みつけ、そのまま手から何かを飛ばしてくる。ゴブリンどもと同じ、毒の塗られた投げナイフっ!


「くっ!」

 私は痛む体に鞭打って、何とかそのナイフを飛びのいてかわす。

 体は……多分、骨は折れてない。まだ、戦えるっ!


「吸血鬼っ! もう一人は多分地面に! 魔法使いだっ!」

「伏兵、ですかっ!」

 斧を振り、また新たな血煙を巻き上げる中吸血鬼は笑う。


「次から次へとっ! 姑息な手しか思いつかないんですかっ!?」

「はっ! あたしは汗流して戦いたくなんてないの! そんなダッサイ真似、ゴブリンちゃんにやらせりゃいいんだもん」

 戦いの中だというのに悪魔女はそんな風にため息をついておどけてみせる。こちらが近づかないから油断しているのか。

 いや、たぶんアイツの事だから、また何か狙っ……て!?


「吸血鬼っ! 下っ!」

「やれやれ、奇襲は意味ねえか」

「なっ!?」

 ボコリと、またしても地面が盛り上がり、吸血鬼のほぼ真下からソレが……。


岩石魔法ストーンマジック

「くっ!?」

 バッとその場から飛びのくように吸血鬼は空中に飛び上がり、下から現れた巨大な岩に、振りかぶる。

岩石の巨大砲ニードル・キャノン!」

「はあああっ!」

 バゴンっ! という音と共に飛び出すいくつもの巨石。先のとがった、吸血鬼の体よりも大きく迫るそれらを、吸血鬼は空中で斧を振って叩き切る。


 その体を器用に空中で踊らせて、巨大な岩石を、それ以上に巨大な質量でぶった切って。


 す、ごい……コイツ、こんなに、強く……。


「はあ、全く。スカートの下から攻撃するなんて、品がないにもほどがあります」

 すとんと、なんでもないことのように着地を決めた吸血鬼が、場違いに呑気なため息。

「アバズレ女に……行儀の悪いトカゲ男ですか。この世界にはケダモノしかいないんですか?」

「おい待て。奇襲は否定しねえ。手段を選ばねえって点でもな」

 ボコリと地面を盛り上げて、今度こそその声の主は、現れた。


「だがこのアバズレと一緒くたにされるのは我慢ならねえっ! 俺は誇りある竜の血を引く魔王軍幹部! ドラコウォーリアのボルセプターだ!」


 シルエットは、人型だ。

 私や吸血鬼より頭二つ分くらい背が高い。二本の足と二本の手、そして毛のない太い尻尾。短く刈られた頭の毛に人間っぽい顔と、体の上半分は薄い灰色の体色以外は人間っぽい。

 が、下半身……そこはその男の言うように、まるで竜のような引き締まった薄黄色の足が生えている。爪は大地に食い込むようにがっしりと。みなぎる竜の力が、そこから伝わってくるかのよう。


 体には服をほとんど纏っていない。腰布とその他に宝石のような装飾を身につけている程度。恐らくは、地面に潜りやすくするためなんだろう。


「はあー? あんたもあたしと同類でしょ? そんな変態チックな格好して今更何よ」

「格好云々の話じゃねえんだよっ! これはプライドの話だっ!」

「まあまあ。どちらも私からすれば大して変わりませんが、名乗られた以上は私もそれに応えましょう」

 そんな事を言って、吸血鬼は、何故か戦いの構えを解いて……。


「ブルーダラク家当主代行、マリエ・ブルーダラクと申します。お見知りおきを」

 優雅に、スカートをつまんでお辞儀して。

「な、何やってるんだ吸血鬼っ!?」

「え? いえ、名乗られたのですから挨拶を」

「そんな事やってる場合じゃないだろっ!?」

 私たちは数で負けているんだ! それにあのゴブリン達は気配を消して忍び寄る! どうせまた、こんなことしている間に着々と準備を終えて……。


「ブルーダラク、だと?」

「……あら? まさか、御存じなのですか? うちの家名を」

「馬鹿言え、その名は……」

 と、何故かドラコウォーリアと名乗った男は動揺したみたいに一瞬躊躇して……。


「吸血鬼っ! 投げナイフっ!」

「おっと」

「はっ! おしゃべりに夢中になってる場合!?」

「っ! し、しまったっ! 囲まれたっ!?」


 いつの間にか、私たちの周りをぐるりと包囲するように、大勢のゴブリンが!

 血煙のせいで鼻が利かなかった!? く、こ、こんなっ! 絶体絶命じゃない!


「はははっ! これだけの数で囲われたら、あんただって手の打ちようがないでしょ? そんな斧一本であたしのゴブリンちゃんのナイフ、何本防げるのかしらねえっ!」

「はあ、やれやれ」

 だが、こんな絶体絶命の中でさえ、吸血鬼は、ため息をついて。


「よく勘違いされるんですよ。この家名のせいもあるのでしょうが」

「今更おしゃべりなんかいいんだよっ! ゴブリッ!?」

「なっ!? これはっ!」

「えっ!?」


 吸血鬼以外の……私と悪魔女とトカゲ男は、その光景に思わず声をあげる。


 私たちの周りの血煙が、渦を巻き始める、その光景に。


「こいつっ!? ゴブリンちゃんの血に自分の血を混ぜてっ!? いつの間に!?」

「私、そんなにいい子ちゃんじゃありませんよ?」


 一人、その血の渦の中、微笑んで。


吸血鬼の微笑グレイプ・レイン!」

 血で出来た、無数の赤い雨が、降り注ぐ!


「くっ、おおおおおっ!?」

「っ! 時間停止の檻タイムズ・ボンド!」

「きゃああっ!?」

 その雨は、トカゲ男と悪魔女に殺到し……。


「グゲギャアアッ!?」

「アビュジュッ!?」

「ゴブバァアッ!」

 周りにいたゴブリンどもにも、ありったけ降り注ぐ。


「吸血鬼の血で作った小さな針です。触れれば肌を引き裂き血管に入り込み、中から破裂させます」

 淡々と、この血の雨を操る吸血鬼はスカートを風になびかせ、語る。


「まあ、岩石魔法で岩を盾にしても全ては防げないでしょう。傘を差しても、降りしきる雨の中、全くぬれずにいることは難しいですから」

「うっ、ぐッ!? ああああああっ!」

「しかし時間停止の能力で血の針を全て防いでいるのは……どういう事なんでしょうね?」

「こ、こいつっ!」

 そんな血の渦が支配するこの空間で、あの悪魔女だけが吸血鬼と真っ直ぐ対峙していた。


 アイツの周り、何故か、まるで空気の壁があるみたいに、血の雨が途中でせき止められて。


「まあいいでしょう。他も苦戦しているようですし、そっちに向けますか」

 そうして血の渦がまた形を変え、竜巻のようにして空へと昇り……。

 戦場に、雨となって降り注ぐ。


「ぐあああっ!? な、何だっ!?」

「いてっ! こ、これはっ!? 血っ!? う、うがあああああああっ!?」

 血の雨を浴びた魔王軍のオーク、そしてゴブリンどもがあちこちで悲鳴を上げる。血の降りしきる中、また一人、また一人と命を散らし、その血に混じっていく。


 まさに、敵にとっては地獄のような光景……。


「舐めるなあああっ!」

「ッ!?」

 そんな中、さっきまで苦しんでいたトカゲ男は、盾にしていた岩を自ら弾き飛ばし。


「きゅ、吸血鬼っ!」

「おらあああっ!」

「ふっ!」

 岩石を飛ばしながら、吸血鬼に突っ込んできた!


「て、手が、岩の剣にっ!?」

「俺は誇り高きドラゴンの血を引くものっ! そんな小細工で死ぬわけないだろうがっ!」

 そいつは岩石の魔法なのか、両腕を鋭く尖る剣に変えて、吸血鬼へと力任せに切りかかっていた!

 背丈も上回る大男が、小さな少女に、覆いかぶさるように……。


「何度も……言わせないでください」

「俺の竜の力ならっ! 吸血鬼程度の怪力にっ!?」

 その攻撃を斧で受け止めた少女は、その斧を今度は、……。


「アバズレ女もドラゴン男もゴブリンも……兄さんが作ったこの楽園に」

 足元の大地が割れ、砕けた岩石が宙を舞い、けれど……吸血鬼は一歩も引かず。

「要らないん、です、よっ!」

「う、お、おおおおおおっ!?」


「ここからぁ、出ていけええええええっ!」

 叫びと共に、振りぬいた!


「ぐああああああああああああああああっ!?」

 ぶっ飛ばされるトカゲ男の声が、その距離に合わせて遠のいていく。

 あの大男を、その怪力で、腕っぷしだけで、文字通り叩き出したのだ!


「や、やったっ! やったぞ吸血鬼っ!」

 そうしていつの間にか、あの悪魔女の姿も消えている。

 今の混乱に合わせて逃げ出したのだ。周りも指揮官を失って、さっきの吸血鬼の攻撃と、あのぶっ飛ばされたトカゲ男を見て、次々と戦意を喪失して逃げ出していく。


「私たちの勝ちだ! 私たちの勝利だっ!」

「……ええ、その、よう……で」

「えっ」


 ぐらりと、吸血鬼の体が傾いていく。

 それはまるで、力を失って倒れこむかのようで……。


「う、嘘だろっ!?」

 私は慌てて倒れこむ吸血鬼を、地につくすんでのところで抱きかかえる。


「何でお前っ……あ、熱っ!? 何だこの熱っ!? ど、どうしたんだ!?」

 その柔らかくて驚くほど華奢な体から伝わる、とんでもない熱さ。

 な、何だこれ……こんな、こんなの、生き物の持っていい熱じゃないっ!


「このっ! からだ……力は強いん、ですっが、長くは、戦え……な、い」

 ゼーハーゼーハーと突然激しく呼吸し、汗をびっしょりかいて……それでも私の手から伝わる熱は、まるで焼けた石を抱いているかのようで。


「ホムン、クルスもっ、楽じゃ……あり、ま……」

「吸血鬼っ!?」


 そうして吸血鬼はそのまま、意識を失うのだった。


――


 暗闇の中、私の意識は波間に漂っている。


 ここは、どこかしら? 真っ暗で、静かで、何もない、世界。


 ……まさかとは思うけれど、死んだんじゃないわよね? 記憶にある最後は確か……ああ、あのドラゴン男をぶっ飛ばして、あの魔族の女が消えたのを確認して、それから……ダメ、思い、だせ、ない。


 なんだかひどく疲れている。頭も回らない。もうこのまま眠ってしまおうかしら。


 どうせ私なんかいなくなったって、誰も困らないわよね。


 卑屈になっているわけじゃない。私は、私がどれだけちっぽけな存在かを知っている。強大な吸血鬼の陰に隠れ、木陰の中で過ごす、お人形の少女。

 そんなちっぽけな存在の、さらにその一部。作られた命、ホムンクルス。


 私の目的は……ああ、別に今更ブルーダラク家の繁栄などどうでもいい。そんなものこの世界で何の役にも立ちはしないだろう。


 私がしたかったこと。


 それは、こんな世界でも……せめて、あの人に……。

 あの人に……幸せに、なって、欲しくて……。



「ん……う……」

 瞼の裏に光を感じる。

 さっきまでの波間に漂っていた感覚は何処にもない。何かこう、体をゆすられているような、もっと具体的な感覚がある。


 ……まあ、死んでいてもしょうがないわよね。

 私はため息をつくような気分で、ゆっくり、目を開けて……。


「あっ! 気がついたっ!」

「よかったっ!」

「ああっ! 吸血鬼っ!」

「んっ、ぶっ、えっ?」

 何かこう、周りを囲われているような気配を感じ、けどそれよりも、何故か息苦しいというか、唇が上手く動かない感じというか。


「よかっ、んちゅっ! 心配っ! んっ! ちゅっ、 れろっ!」

「……んんんんんっ!?」

 私は覆いかぶさっていたその女を、ばっと勢いよく跳ねのけた。


「な、ななっ!? 何っ!? 何してるんですかあなたっ!?」

「何って、気絶してたから顔舐めて起こそうと」

「はああああああああっ!?」

 そんなことをさも当たり前のように口にする狼少女、クーナ。

 紺色のウルフヘアをさらりと揺らす見た目はクールな美少女で、けれど言ってることとやってることはどうにも子供っぽいという奇妙なギャップを持つ、不思議な子。


 それが、私の、く、唇をっ!?


「ふ、ふざけないでくださいっ! 人が寝ている間に何をっ! じ、人工呼吸のつもりですかっ!?」

「いや、愛情表現だ」

「はえっ……な、えっ、えええっ!?」

「優しく起こしたつもりだったんだが」

 当の本人には悪気は一切無かったらしい。私の反応にちょっと耳を垂らしてしょんぼりしているようで……っていやいやいや! そんなおキレイな顔でキスなんてされたら色々と困りますからっ!?


「い、いやあ、凄かったよね」

「う、うん……アレだね。真のキス魔はクーナで決まりだね」

「見ていたなら止めてくださいよっ!?」

 ちょっと顔を赤らめて話すアンリとティキュラに思わず突っ込みを入れる。周りに集まった古ゴート族にオーク達にワーダイルの皆も……ってちょっとちょっと! 今のこんな大勢に見られてたの!?


「こ、これが堕落の城と言われてる、全裸の吸血鬼の楽園か」

「う、噂にたがわぬすげえ所だぜ」

 ワーダイル達などさっきのがさもここでの常識みたいに語って……っていうか兄さんどんな噂流されてるんですか!?


「心配したんだぞっ! あれから気絶したままだったし」

「あれから……って、そうですっ! あれからどれだけ経ったんですか!?」

「あっ! ま、まだ立つなっ! 大人しくしてろっ!」

 私はようやく現状の危機を思い出し、立ち上がる。

 そうだ、魔王軍が攻めてきて私たちは応戦して……。


「あれからまだほとんど経ってない! 戦ったのはついさっきだ」

「ならラルフさんは!? まだ解毒は間に合いますっ!」

「えっ」


 確か、名前はラルフでよかったはずだ。

 私が駆けつける直前、ゴブリンの毒矢で苦しんでいたワーウルフの男性。あれからまだ時間が経っていないというのなら、吸血鬼の血で治療をっ!


「お前……私たちの名前、知ってたのか」

「今そんな事いいでしょうっ! 早く治療をっ!」

「ラルフなら、もう大丈夫だ」

 クーナは落ち着いた声で答える。そうして首を傾け……その視線の先には、安らかな寝息を立てる一人のワーウルフが。


 一階のロビー、彼の他にも、負傷したオークやワーダイル達が何人か敷かれたシーツの上に寝ころんでいるのだった。


「通りすがりの医者が、治してくれたんだ」

「い、医者?」

「ああ、人間の医者だ」


 彼女の言葉で周りを見ると、確かに一人、知らない顔がオークの一人を看病していた。


 髪の長い女性だ。

 亜麻色の、艶のある手入れの行き届いた髪。緑とこげ茶色の少しゆったり目な服に、どこか大人しく清楚なイメージの白と金の装飾。

体のラインが出るような服ではないのに、その姿勢からスタイルの良さがなんとなく伝わってきて、ちょっとうらやましいなと思ってしまう。


 彼女はしゃがんで、何か負傷したギガントオークと会話している。にこやかに、ああ、その服のイメージ通りの温和な雰囲気で笑うと、オークの彼も照れたように顔を赤らめる。治療のためなのだろうけれど、胸にあてられた手がどこか色っぽい。


 いや、治療のため、とは限らない。


「この世界で、彼ら人間が友好的とは聞いていなかったのですが」

 たまたま魔王軍の襲撃を受けた日に、たまたま人間の医者が通りかかった? そんな偶然があるだろうか。


 考えられるのは、魔王軍か人間側の間者か。治療するという名目で私たちの城に入り込む魂胆?


「大丈夫ですよ。リダリーンさんはすごくいい人ですからっ!」

「そうそう、私たちが困っているのを見過ごせないって言って、タダで治療するなんて言ってるんだから!」

「いや……そんな美味しい話があるわけないでしょう」

 ティキュラとアンリさんの言葉に思わず突っ込んでしまう。というか私が気絶していたのって短い間だったんですよね? そんな短時間で随分と信用されて……。


「ラルフを治してくれたんだ。信用できるぞ?」

 初対面の人間にそれほど心を開きそうもないクーナまでそう言う。まあ、仲間を助けられればこの反応にもなりますか。

 やれやれ、これは私がしっかりと対処しなければ。


「起きられましたか? 城主様」

 そう言って、彼女は私の前まで歩いてくる。


「初めまして。私はリダリーン・アルゴリス。人間の旅の医者です」

「旅の医者、ですって?」

「はい。各地を転々としております。治療が必要な方のために、あちこちを」

 目の前に立つと、私よりも目線二つ分くらい背が高い。

 その落ち着いてしっかりと喋る様子から、格好もあってどことなく聖職者をイメージさせる。


「ここには偶然通りかかったと?」

「はい。ここへ来た時、既に戦いが始まっていて、負傷した方を見させていただきました。幸い皆さん命に別状はありません」

「ええ、そこは感謝しましょう。ですが人間が、そもそもどうしてこんな荒野の真ん中に? 聞けば、何の見返りも求めずに治療したとか」

「ちょ、ちょっとマリエさっ」

 ティキュラが何か言いたげに口を挟んだけれども、私はそれを手で制して続ける。


「どうにも信用できませんね。あなた、どちらの側の間者ですか?」

「……いいえ。神に誓って、私は間者ではありません」

 神に誓って、ねえ。医者だというけれど、やはりどこか聖職者をイメージしてしまう。


「どうか、私に治療の手助けをさせてください。怪我をした方を、放っておくことなどできません」

 胸に手を置き、彼女は真摯に祈りを捧げるように、私に向かって首を垂れる。態度から、その言葉は確かに本物のように感じられ……。


「それに、厚かましくも屋根のある寝床を願い出た身です。どうか、いかようにもしていただいて構いません。私に、ご奉仕する機会をいただければと」

 いつの間にかそんな話になっていたのね。この城に泊めてもらう代わりに、何か恩返しがしたいと。まあ、言っていることは理解できるけれど……。


「ここには、仮にもオークが住んでいるんですよ? そんなどうとでもしてくれなどと、若い女の身でよく言えますね」

「そ、それは……か、構いません」

 え、その……本気?

「はい。全ては、運命は、主の御心のままに」


 それを聞いて周りのオーク達は色めき立っている。ああ、やれやれ。変な人間だけれど、一応これなら、信用してもいいのかしら?


「……ここの城主は私の兄です。私は代理に過ぎませんが、ひとまずは私の権限でここに滞在する事を許しましょう。治療に関しては、どうか、こちらからもお願いいたします」

「あ、はいっ! ありがとうございます! 最大限の感謝を」

 そう言って、また恭しく首を垂れる。頭を下げているのは、今は私も同じだけれど。


「んふふー」

「……何ですか?」

 そんなやり取りをして頭をあげると、何故かにやにやと気持ち悪い笑い方をするティキュラが。


「いや、マリエさんってやっぱり皆の事、結構考えてるなって」

「は?」

「そうね。あのワーウルフがラルフって名前なのも私知らなかったし」

 ティキュラに続いてアンリもそんなことを。


「口はちょっとトゲトゲしてるけれど、優しくて私は好きだなー」

「私も」

「ちょ、ちょっと何なんですかあなた達さっきから!?」

 ティキュラとアンリはそう言って抱き着いてくる。い、いや待って! な、何!? 何なのっ!? 何この状況!?


「お前が気絶している間、皆、お前の事を心配していた」

「く、クーナ?」

「最前線に出て、誰よりも勇敢に戦って、あいつら追っ払って。それでお前が死ぬことになったらどうしようって」


 見れば、彼女達だけじゃない。

 オーク達にワーウルフにワーダイル達、皆の温かい視線を感じて。


 その言葉は、どうやら、真実のようで。


「……ふん、何言ってるんです? 一回や二回で襲撃が終わるわけないでしょう? 大変なのはこれからなんですよ?」

「ああ。だから、また一緒に戦ってくれ」

 クーナは、そうして私を真っ直ぐに見つめて。


「……仕方ありませんね」

 私もそれに、真っ直ぐに答えた。


 そう、大変なのはこれからなのだ。

 兄さんが眠りについてから、まだ三日。


 戦いの火ぶたは、切られたばかりなのだから。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ25名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍と交戦中





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