戦いの火ぶたが切られた日



「あーあ、また潰されちゃったし」

 そう言って、気分屋な女は薄暗い森の空を見上げた。

 木々が覆いつくすこの場所で、女はただただ影のついた空を見上げ、呟く。


「あいつら、日に日に弱るどころかどんどん襲撃に慣れていってるわね。あのイヌッコロどもの鼻のせいだけじゃない……何か、あいつらあたしのゴブリンちゃんの居場所を掴む術を持ってるわ」

 忌々し気に、ちっと舌打ちをするのを聞きながら、俺は何もない空を一度見上げ、そうして目の前の女へと視線を移す。


「てめえのゴブリンどもがへまをやらかしているだけじゃねえのか?」

「はあ!? ふっざけないでよっ! あたしのゴブリンちゃんをそんじょそこらのゴミクズゴブリンと一緒にしないでよっ!」

 顔を激しく怒らせ、まるで仇敵を睨むかのような火の視線を俺に向ける。俺はそんな視線をため息一つで受け流し……。


「なら、てめえとゴブリンどもの繋がりを感知されてるんじゃねえのか」

「だからふざけんじゃないわよっ! そんな初歩的なドジ踏むわけないでしょっ! このあたしがっ! カスがっ!」

 その怒りのまま悪態をついた。


 まあ、この女の言っていることは恐らく正しい。こいつはゴブリンの視界、つまりゴブリンの見たものを直接見ることができる『契約魔法』を使っているが、それを悟らせるような間抜けじゃあない。


 なら、可能性としては。


「何らかの能力でゴブリンの気配を直接掴んでるってわけか」

「だからそう言ってんだろうがこのボケっ!」

 散々悪態をついて怒りがピークに達したのか、目の前の女……エヴルーナは自分の肩までの赤髪をぐしゃぐしゃとかき乱し始める。


「あああああクソっ! くそがっ! 何でこれだけのゴブリンちゃんを差し向けてんのに傷の一つも負わないっ!? 何をやっているのよあいつらはっ!」

 紫色の光沢を放つ金属ブーツと籠手で地面や岩を殴っては砕く。子供のダダをこねるような姿に、俺は辟易していた。


 魔王軍幹部候補、ゴブリンテイマーのエヴルーナ。

 俺は現在コイツのお守りなのだ。


「ったく、幹部の俺が何でこんなアバズレと」

「はっ! 失態犯して降格されそうになったくせに偉そうにっ! アンタなんて今に追い抜いて足元でこき使ってやるからっ!」

 先ほどの怒りは何処へやら、俺を見下せると思ったとたんに上機嫌にコイツは笑う。全く躁鬱の激しい女だ。魔族って奴は皆こうなのか?


「うるせえよ。てめえがを見つけりゃあ俺が出る。てめえはそれまでの間に成果をあげなきゃ昇格なんざありえねえんだぜ」

「余計なお世話よ。っていうか、あの全裸の奴に勝てんの? あんたもそこそこ強いんでしょうけど、あれはちょっと別格よ?」

 エヴルーナはそう言って手近な岩に腰掛けて足を組む。スタイルのいい体つきが、その体の形を浮き彫りにするような服もあって、惜しげもなくさらされる。


「ん? これ? いいでしょ、黒シルクよ!」

「聞いてねえよ。それに問題もねえ。たかだか吸血鬼の一匹、俺にかかりゃなんてことはねえ」

「ふーん」

 さっきまでの感情の起伏の激しい姿は何処へやら。エヴルーナは俺を値踏みするように、注意深く観察するような目を向ける。


 コイツは元をたどれば濃い悪魔の血を持つ。

 感情に振り回される小娘の顔と、どんな状況だろうと冷静に見極めようとする静寂の心。その二つを使い分けている。

 確かに、コイツが俺より上の立場になりゃあ厄介かもな。


「じゃあさ、あんたもあたしのゴブリンちゃんの視界を覗いてみる? 今回の作戦じゃ結構役に立つはずよ」

「冗談じゃねえ」

 俺は、本当にうって変わって妖艶な笑みを浮かべるエヴルーナにガンを飛ばす。油断も隙もねえ。

 悪魔の誘いに乗るってことは、悪魔と『契約を交わす』って事だ。


「てめえの雑魚ゴブリンなんぞの手なんか借りるか」

「あーら怖い」

 その笑みと共に揺れる魔族の黒い尻尾が、獲物を逃がした蛇のようにわなないて。


「ならさ……ん? 何アレ?」

「どうした」

「なーんか変なのが来たわよ」

 再びエヴルーナは上を向く。何もない空を見ているわけじゃない。見ているのは、解き放ったゴブリンどもの視界だ。


「あら……ちょっとちょっと、なーんでアイツが出張ってきてんの?」

 その視界に何を収めたのか。しかめっ面を浮かべて。

「おい、何が来た」

「南東からワーダイルの軍勢。これってアレでしょ? あの魔王さまに逆らった奴」

「ガルーヴェンだと?」

 最近こちらにまで遠征してくるようになったと聞いたが……。


「ねえこれ、ひょっとしてあの吸血鬼を攻めに来た感じ!?」

 きゃはっ、と声をあげ嬉しそうに空に向かって手を叩く。

「はははっ! ざまあっ! 何でか知らないけれどガルーヴェンに狙われるだなんてっ! ひゃああっはははっ! さっさとつぶされろっ!」

「待て。具体的な兵の数は? あいつの姿を確認できるか?」

「うっさいわねっ! いい所でっ! あいつは……ああいるいる。先頭に立ってるわ。けど何故か……徒歩ね。あれ、妙だわ?」


 笑みをひっこめたエヴルーナは、冷静な顔になって状況を見極めていく。


「なーんで長距離移動用のリムルスに乗ってないわけ? っていうかワーダイル? あいつら遠征向けじゃないでしょ」

「ガルーヴェンの兵の中じゃ防御向きだな。あの硬い鱗はそのまま盾になる。どちらかといやあ、拠点の防御が不十分な時に壁にする連中だ」

 あの硬い鱗で、陣地を築かずに人員だけで要塞になる。それは攻め落とした敵の拠点を修復する際に、手間をかけずに迎撃の姿勢を取れるという事。


「吸血鬼の城を徹底的に壊してから守りにする? いや、そんな筈ないわ」

 ぶつくさと空を見ながら零れる声に、俺も同意見だ。

「あいつら……バネッサの砦を襲撃に来た?」

「あの人間どもに落とされたっていう砦か」

 俺とエヴルーナで最もらしいと思い当たったのは、俺達魔王軍の砦の再攻略だ。


「あの砦をガルーヴェンがもう一回落とせば、再建に使った資材も寄越した人員も丸々無駄。人間側との戦いで疲弊してるのに、そんな中であのガルーヴェンから砦を取り戻す余裕はそうそうないわね。そうして私達と人間達の争いを利用して……」

「労せず砦は奴のもの、か」

 ふん、せこい手だ。そもそもあの砦自体ガルーヴェンの勢力への攻略の足掛かりでしかない。ガルーヴェンを本格的に滅ぼす際に、また奪い返せばいいだけの話。


「狙いはそうだとして、吸血鬼の勢力を素通りするつもり? いや、まさか……」

 エヴルーナの危惧は、まさしく的中することになる。


――


「吸血鬼とガルーヴェンが手を組むなんて」

 夜が訪れるころになると、俺達の予想はその通りの形で現れたのだ。

「どんな様子だ」

「仲良くパーティーやってるわ。吸血鬼がガルーヴェンの傘下に入ったのなら、ちょっと厄介ね」

 いつものように怒りに狂う訳でもなく、エヴルーナは冷静な目で星空を見上げる。


「ただの独立勢力なら大したことなくても、ガルーヴェンのバックアップが受けられるのなら話は変わってくるわ」

「確かにな。だが、それは今すぐ何もかもが変わるってわけじゃねえ」

 強力な吸血鬼が新たにガルーヴェンの部下になった。それ自体は厄介だが、奴は恐らく兵を率いて砦へ立つ。その間に、吸血鬼を仕留めればいい。


「変わるまでに、例の兆候がなければ?」

「そんときゃあ面倒だが、ガルーヴェンの一勢力を下すつもりで戦うだけだ」

 やることは変わりねえ。魔王軍に逆らった奴らは皆殺し。それだけだ。


「……ふふ、そうね。あいつらに私のゴブリンちゃん、随分減らされちゃったしさあ」

 エヴルーナは、その顔に嗜虐的な笑みを浮かべて。


「減らされた分は、責任取ってもらわないとねぇ」

 にたりと、暗い夜空に向かって呟くのだった。


「オークどもを集結させておくわ。ざっと千体くらい。あたしのゴブリンちゃんはその三倍……あっはは! あそこにいる女どもだけでこれだけの数、相手にできるのかしらねぇっ!」

 ケラケラと上機嫌に笑うこの女に、しかし俺は呆れに近いため息を漏らした。


 魔王軍がオークの兵を主戦力にするようになって、当然のように行われ始めた略奪。

 他勢力の女をかき集め、オークの巣に放り込む。そうすれば、勝手に戦力が増していく。


「くだらねえ……」

 誇り高き魔王軍が、オークに餌をやるために小さな村々まで滅ぼして回るようになった。

 確かにギガントオークどもの力は集まればそれなりに脅威にはなるが、それはあくまで数を揃えるからだ。

 雑魚をかき集めて魔王軍の主戦力を名乗らせるなんざ、俺の美学に反している。


「あーら、何? アンタそういうタイプ? そんなナリして同情とかしちゃうんだ?」

「あ? 勝手にてめえの物差しで語るんじゃねえよ」

「ま、いーけど。誇り高き竜の血を継ぐ【ドラコウォーリア】様の力、あてにしてるからね?」


 その女の、文字通り小悪魔の笑みに、俺は二度目のため息を吐くのだった。


――


 それは兄さんが眠りについてから、三日後のこと。


「このまま何もなければいいのだけれど」

 私は、日課のティータイムの中そう口にする。

 赤く揺らめく紅茶の色は、どこか吸血鬼の私にとっては愛おしい。単純に赤が血を連想させるからだろうか? それともお母さまから教わった淹れ方が、私を安心させるからか。

 何にせよ、私にとっては欠かせない日課なのだ。


「あの、どうして私を誘ったんです?」

 目の前には、初めて席を共にする、ラミアの少女。


「別に。ティータイムを一人で過ごすのは虚しくて」

 つい三日前までは兄さんに付き合ってもらっていたけれど……一人で飲む紅茶は否応にもかつての生活を思い起こさせる。

「誰もいないよりマシと思っただけです。おしゃべりの相手が欲しかったのであって、あなたと仲良くしたいとか、そんなことは毛ほども思っていないのでご安心ください」

 皮肉を込めてほほ笑んでみる。かつて『木陰の姫』と呼ばれ、笑み。


「……アンリの特訓にも付き合ったり、ミルキィとも料理の話とかしてますよね」

 と、意外にもこの少女はそんな上っ面に流されず、その湖面のような瞳を向けてきた。

 純粋で美しい、私には到底望んでも手に入らないような瞳で。


「あの……私の事、嫌ってますよね? なのになんで」

「その言葉は、そのままお返ししますよ」

 カップに口を付け、私は温かな液体を喉にゆっくりと流す。

「それが分かっていて応じるあなたもあなたです。というより、あなただって私を嫌っているでしょう?」

「え、と……カイさんを独り占めしようとしている、という所だけは、ちょっと、嫌いです」


 ……ああ、驚いた。本当によく見ている。


 子供のような外見だけれど、やはり彼女はモンスターだ。

 見た目の年齢など判断材料にはならないわね。


「マリエさん。どうして私の事子供だとか言って目の敵にするんですか? カイさんに近づいてるなら、アンリやミルキィだって同じなのに。まさか子供が嫌い、ってわけじゃないですよね?」

「……はあ、全く」

 アンリさんの時も思ったけれど、流石は兄さんが選んだ女たちというべきか。誰もかれも、目の奥で燃えている熱量が違う。

 それは心が強いというべきなのか。ただ単に見てくれがいい女だけを選んでいたら、こうはならないだろう。

 兄さんには……あの人には、最初からこれが見えているのだろうか。


「そういう所が嫌いです」

「え?」

「透き通った綺麗な瞳をしているところとか、上っ面に騙されないで本質をとらえるところとか、思ったまま素直に笑えるところとか、大体そんなところが」

 紅茶をすすると、その中身は、少しだけぬるくなっていた。


「あとついでに、胸の大きい所とか、ですかね?」

「……私は、好きですよ」


 その言葉に、流石に私もカップを下ろす手を止めざるを得なかった。


「おとぎ話のお姫様みたいに綺麗なところとか、刺々しいように見えて、実際は色々と周りを見て気にかけてくれるところとか、こうやって嫌いな相手でもお茶に誘ってくれて、仲良くしようとしてくれてるところとか」

 そう言って、彼女は無邪気に笑う。


「だから私、あなたが羨ましいです」

 屈託もなく、余計な世辞もなく、ただただ、素直に。


「私、これでも『いい女』を目指して頑張ってるんですけれど、なかなか上手くいかないんですよね。だから色々と教えて欲しいです」

「……あなたに私の教えが必要だなんて思いませんけれどね」

 本当の私なんて、ただ上っ面を取り繕っただけの虚しい女だ。


「私の方こそ、あなたが羨ましい」


 何のしがらみの無い世界で生まれていたのなら……そうして兄さんと出会っていたのなら、こんな思いは、抱かないですんだだろうから。


「……私は、あなたになりたい」

「え、ええ? 私に?」

「冗談に聞こえますか?」

 そう言って彼女を見ると、目の前の少女は、あははと困ったように笑う。


「じゃあ、代わりにカイさんとの思い出をくれますか?」

 そんな風に、切り返して。

「……」

「そういうところ、結構似てますよね。流石兄妹っていうか」

 ニコニコと笑う少女に……何かしら、ちょっとだけ、悔しいのだけれど……その、これは……。


「兄妹、だなんて。そう見えますか?」

「え? あっ、あ、えと……カイさんから、その、血のつながりが半分しかないってことは聞きました」

 あら、まさかそんな事まで話しているとは思わなかった。


「でも、よく似てますよ。細かな仕草とかそっくりです」

「これはんです」

「へ?」

 ……まあ、言っても分からないわね。


「というか、前にあなた言いましたよね? 兄妹なのに愛し合うのはおかしいとかなんとか。なのに……羨ましいなんて本気で思うんですか?」

「あっ! え、ええと、そ、そこまでは言ってないですけど、あれは、その、ごめんなさい」

「え!? ……謝るん、ですか?」

 まさか、そんな、あっさりと。


 実際私から兄さんを遠ざけるには一番手っ取り早い理由だ。兄妹だから肉体関係を結ぶのはおかしい、と。

 それだけで私は、兄さんに手が出せなくなるというのに。


「その……私は、二人がお互いに好き同士なら、その、いいんじゃ、ないかと」

「え」


 ……正直、こればっかりは流血沙汰になることも覚悟していたのだけれど。


 だって私……あなたの好きな男を寝取ろうとしたんですよ?

 なのに何で、そんな笑って受け入れられるんです?


 そんなあっさり……どうして……。


「あっ! でもっ! 独り占めはダメですよっ! 抜け駆けは無しです!」

「ぬ、抜け駆け?」

「そうですっ! 私たちの間で取り決めがあるんですっ! だから、妹だからってズルは無しでお願いしますね!」

 そうして目の前の少女はまくし立てる勢いのままに……。

 紅茶のカップに口をつけ、ずぞぞぞぞーっと。


「……ぷっ、ははっ!」

「へ?」

「は、はっ! あっははははははっ!」

 ああ、ダメだ。もう、堪えられない。


「え、えええ!? な、何で笑うんですか!?」

「だ、だってっ! ティキュラあなたっ、何でっ、あっはははははっ!」

 案外、認めてしまえば気は楽になった。


 どうやら本気で敵視していたのは、私の方だけだったみたいで。


「紅茶をっ! ははっ! そんな緑茶みたいにっ!」

 ああ、そうか。楽しいんだ。

 この子は私と違って素直で純粋で、心の中を、思ったことを表に出せて、それで、兄さんにも愛されて。


 そんな子、憎くてしょうがないと思い込もうとしてたけれど、ああ、何だ。私もちょっとはひねくれてない心が残っていたみたいで。


 こんな友達がいたら楽しい、と。

 どうやら本気で、そう思ってしまったらしい。


「あの……ひょっとして、恥ずかしい飲み方とかしてました?」

「ふふっ、してたわ。紅茶はそんな音を立てて飲むものじゃないの。もっと優雅に」

「……ずぞぞぞぞぞ」

「あっははははははははははははっ!」


 こんなに大笑いしたのって、いつ以来だろうか。

 はしたない、なんて思ったけれど、よく考えたらこの世界でそんな事気にするの、少なくともここでは私と兄さんくらいだろう。


 なら気にしなくてもいい。だって兄さん寝ているんだし。

 今更、自分からしがらみに捕らわれに行く必要もないのだ。


 ああ、そうか。誰かを受け入れるって、こういう気持ちなんだ。


 誰かと『繋がり』を持つ、というのは、こういう事なのね。


 ……悪くは、ないわね。


「ま、参ったわ! 分かったから、そんなことするのはやめて」

 両手をあげて、降参する。

「あ、それ……」

「え?」

 そうして、何故かティキュラが私のそんな仕草に目を丸くしたところで……。


「た、大変ですっ!」

 ドン、という音と共に開かれた私の部屋のドア。

 血相を変えて、一人の小さなオークが飛び込んでくる。

 どうやら、のんびりとおしゃべりを楽しむのはここまでみたい。


「ゴブリンですか?」

 一度言ってみたかったんです、このセリフ。


「そ、そうなんですけどっ! それどころじゃねえんですっ!」

 けれど、飛び込んできた知らせは、そんなおふざけをしているような状況でもなく……。


「ゴブリンに加えて、ギガントオークの大群がっ!」

 その叫びに、私もティキュラも、思わず息をのむのだった。


――


「おい、何だアイツらっ!?」

 最初に声をあげたのは誰だっただろうか。


「しゅ、襲撃だっ! ゴブリンどもの大群と……や、やべえっ! ギガントオークまで大勢いやがる!」

「古ゴート族は隠れろっ! おめえらっ! 訓練の成果を見せるぞっ!」

 レッサーオーク達はそう叫んで気合を入れていた。私達も、負けていられない。


「リーダーはまだ眠っている! 私達だけで追い払うぞっ!」

「何でまだリーダーは眠ってるんだ!?」

「もう三日も経ってるぞ!?」

 私たちの間にも心を乱したりするものはいたが、それでも、私はカイの空いた穴をしっかりと埋めようと声をあげた。


「あんな奴らカイがいなくたって目じゃない! 戦うぞっ!」

 それでひとまずは混乱は収まるが、その向こう、荒野の向こうから迫ってくる土ぼこりを見て、誰かが恐怖に上ずった声をあげる。


「な、何て数だよっ!?」

「お、おい副リーダー!? あいつら、森で戦った時よりずっと多いぞっ!?」

 鼻で察知してはいたが、それでも、目の前の荒野を埋めるような行進と地鳴りに、誰もが冷静さを失っていたのだ。


 勇敢な狼の血を引く私たちが、怯えた子犬のように震えていたのだから。


「っ! わ、私が先頭になって突破するっ! 続けっ!」

「あっ! お、おいクーナ!? あんま前に出るなっ!」

 誰かが……アレはずっと一緒に森で狩りをしてきたレッサーオーク達の誰かだったと思う。その忠告を無視して、私は駆けた。


 怯えたワーウルフ達と、そして、カイのために。


「お、おいワーダイル達っ! 壁をもう少し前に貼るっ! 手伝ってくれっ!」

 そんな声がずっと後ろで聞こえる頃には、私の後ろで風の中を駆ける同胞たちしか残っていなかった。

「敵はあの憎たらしいゴブリンと魔王軍のオークだ! 首を狙って食いちぎって、あとは引くを繰り返せっ!」

 これはカイに教わった戦い方だ。数を頼みに押してくる相手には、噛みつきをちょくちょく加えながら、その波にのまれないよういつも距離を取って戦えと。


 カイは強いし賢い。だから……この戦い方が間違っているはずはない!


「やあああっ!」

「ぐおぼぁっ!?」

 先頭を走るギガントオークに飛び掛かり、喉を食いちぎる。

 そうしてひるんだすきに、そいつを足場にしてばっと飛びのく。


「続けええっ!」

「おおおおおっ!」

 私が率先して前を走ったからか、皆いつもの勇猛さを取り戻してくれていた。


「こっ! こいつら例のワーウルフども、がっ!?」

「くそっ! すばしっこくてっ! がああっ!」

 ワーウルフ達は突撃してくるギガントオーク達に突っ込み、そしてその波にのまれないようすぐに引っ込む。敵の怪我したギガントオークはその波にのまれて消えていく。これで、あいつらを安全に攻撃できるっ!


「くそっ! 囲めっ! 囲んで袋にしちまえっ!」

「させるかっ!」

 横に広がってこようとするオーク達を噛みついて足を止めていく。動きは私たちの方が断然素早い。だから逃げながら戦うことに徹すれば、私たちは絶対に負け……。


「っ!? 何だッ! 何か音……がっ!?」

「ラルフっ!?」

 空を切る音と同時に、先頭付近にいたラルフの悲鳴が。


 これは……この、矢はっ!


「やっ、やべえっ!? 奴らもう攻撃をっ!?」

「冗談じゃねえっ! 毒矢だっ! 当たれば無事じゃ済まねえっ! 全員防御をっ」

 敵は、味方であるはずのこの矢の攻撃に何故か恐れおののき、そして次の瞬間、空を覆った黒い雨の光景に、思わず身震いし……。


「ぜ、全員逃げろっ! 退けえええっ!」

「う、うわああああああっ!」

 そう、あれはゴブリンどもの黒い矢だ。


 かつては、森の中で絶体絶命だと思ったところをカイが吹き飛ばしてくれた。でも、今は……。

 今、カイは、いない……。


「ぎゃあああああっ!?」

「あああああああああああっ!」

「皆っ!? 皆ぁっ!」


 折り重なるような、おびただしい数の、悲鳴。


 それは私達だけではなく、本来ゴブリン達の味方であるはずのオークからも。

 あいつら……あいつらっ! 味方ごと攻撃をっ!


「だ、大丈夫かっ!? 皆無事かっ!?」

 必死になって声をあげて、黒い雨の打ち付けられた場所を見る。

 そこには、何体ものオークが、地面を埋め尽くすように倒れていて。


「あ、あ、あああ……」

 その中には、私達、ワーウルフの姿も……。


「そん、そんな……や、だ、あ」

「クーナっ! おめえらっ! 負傷した奴らを担いでこっちにこいっ! ワーダイルの連中と防衛陣を敷くっ! 一旦下がらせろっ!」

 そうして追いついてきたレッサーオークの声に、我に返る。そ、そうだ! ボーっとしている場合じゃ……。


「あーら、久しぶりじゃないイヌッコロ」

「……あ?」


 ゆらりと、その場所で……土ぼこりをまるでマントにでもするように、どこからともなく現れた、そいつは。


「お、まえ……」


「御両親はどう? 最後に見た時は頭つぶれてたし泡拭いてたけど、ちゃんと死んだ?」


「あ、あ……あああああああああっ!」


 忘れはしない。

 忘れるはずもないっ!


 赤髪の、にたりと悪魔のように笑う女!


 コイツ、コイツはっ!


「いけねえっ! よせクーナ! 挑発に乗るなっ!」

「ああああああああああああああ!」


 コイツがゴブリンどもを操って、群れの皆を……お父さんとお母さんを殺したっ!

 地を蹴り風となって、あの女の首筋に噛みつくことだけを考えて、ひた走る。


「クーナっ! 右に三体左に一体っ!」

 そんな中、響いた声と攻撃の気配に、すぐに私は反応した。


 森の茂みに潜むあいつらを、何匹も食い殺した時のように!


「グギャアっ!?」

「アギュっ!?」

「あら? 何よ今の。あたしのゴブリンちゃんを見つけてたの、まさかアイツ?」

「あああああああああああっ!」

 左の煙に紛れて飛び込んでくるゴブリンを蹴り飛ばし、右から飛んできたナイフをかわし、姿勢を極限まで落とし、地を飛ぶように、私は迫る。


 奴の、喉笛にっ!


「あーヤダヤダ。必死になっちゃって」

「ああああっ!」

 既に一足飛びでかかれる距離っ! ここまでくれば、もはや目と鼻の先っ……。


「じゃ、あとお願い」

 その、私とそいつの間の地面が、ボコリと盛り上がって……。


岩石魔法ストーンマジック


 ぼそりと、耳にいつまでも残る声を、聴いた。


岩石の刺突壁スパイク・ウォール

 全身に、まるで火を直接叩きつけられたような、痛み。


「ぎゃっ!?」

「バカね、ホントバカ。我を忘れて突っ込んで、それでどうにかできると本当に思ったわけ? 仇を討てる? 魔王軍に狙われた運命を覆せる? 目の前の相手に勝てる? そんなの」


 何をされたのかも分からず、ただただ、ゆっくりと流れる時間の中。憎いアイツが、宙を舞う私の姿を見て、その顔を、嬉しそうに歪めて。


「できるわけねえーだろイヌッコロがよおっ!」

 そうして、ゴブリンが一匹、飛び込んでくるのを、見た。


 ゆっくりと、そう、ゆっくりと。

 その緑色の体が、私の方に迫ってくる。防ごうにも、逃げようにも、体は何一ついう事を聞いてくれなくて。


 これが、これが私の『死』だと、理解した瞬間、火を付けられたようだった体に、ぞっと、冷たい氷が押し当てられたかのような、恐怖を感じて。


「や、だ」

 いやだ、いやだ。お父さんのように死にたくない。お母さんのように殺されたくない。


「やだっ」

 こいつらに殺された皆のように……。


「やだぁっ!」

 暗いくらい土の中で、冷たくなって眠っていたくなんて、ないっ!


「助けてっ、カイっ!」

 必死になって、最後にできたのは、叫ぶだけだった。


 心が恐怖に塗りつぶされ、最後までそれを拒絶して目を閉じ、血の匂いを感じて……。


「ギャッ!?」

「……え?」


 血の流れが……まるで赤い閃光に貫かれたかのように、ゴブリンは絶命していて。


吸血鬼の足跡グレイプ・レーン

 私の後ろから、声が聞こえた。


「……あ、お、まえ」

「全く、何ですかこの品のない連中は。ギャーギャーギャーギャーと人の家の庭にずけずけと。この死体、片付けていってくれるんでしょうね、飼い主は」


 こんな所で場違いに、行儀のいい靴音を響かせ、現れたのは、あののろまな女。

 カイの妹だと名乗っていた、虫も殺せなさそうなお嬢様。


 それが今、そいつの背丈よりも大きな、真っ白な斧を手にして。


「何アンタ? ひょっとして吸血鬼?」

「あなた程度に名乗る名前はないわ」

「……あーそう? あーらやだムカつくわ。ホントムカつく、殺すわ」

 悪魔の笑みが、見る見るうちに殺意の塊へと変わっていく。そのおぞましさに、けれど後ろの気配も、どんどんと膨れ上がって。


「こっちのセリフよ。ここはあなたがいていい場所じゃない」


 片手で、まるで木の枝でも掴んでいるかのように、軽々と斧を振りぬく。

 大地を、バギンと派手な音を立てて叩き割り……。


「お呼びじゃないのよ、アバズレ」


 赤い瞳を、怒りに燃える火のように煮えたぎらせていたのだった。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ25名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:魔王軍と交戦中





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