第七章 夢から覚めたら、君がいて

賑やかな夜は更けて



「はっはっは! 元気してたか吸血鬼!」

 相変わらずやかましいやつだ。俺はため息とともにその声の主を迎える。


「また、大所帯で来たものだな」

「こんなもんほんの一部だぜ。ほんのな」

 何故か大魔王は勿体付けたような言い方で答える。どこか自慢げだ。次は大勢で来ると前回最後に言っていたが……限度があるだろう。

 ずらりと並ぶ大魔王軍に流石に皆も気圧され気味だ。怯える古ゴート族を守るように立つオーク達と、俺の周りで静かに威嚇するワーウルフ達。


「これで大体、二千か? いや三千だったか?」

「盛らないでください大魔王。二千です」

 側近の黒い獣人ジャギュアの冷静な訂正にも、そうだったかといってしらじらしく首をかしげてみる始末。さてはコイツ自分の兵を自慢しに来たな?


「そっちは相変わらず百足らずか? はっはっは俺達が大勢に見えるはずだな」

「……兵は数ではない、質だ。というより何しに来た」

 何故かこの男に威張られると無性に腹が立つ。何だろうな、体はでかいくせにガキ大将を相手にしているような感じというか……。


 というわけで、ぞろぞろと二千ばかりの兵を引き連れて、大魔王ガルーヴェンは現れたのだった。


 その自慢の兵は……のような外見で。


「なあに、これからドラケルの野郎の砦を一つ落としてやろうと思ってよ」

 ほう? 魔王軍を攻めに行くと?

「ここから西、少し前に恐らく人間達に落とされた砦がありまして。そこが再建されているようなので今のうちに叩いておこうかと」

 ジャギュアが言葉を引き継ぐようにしてそう説明した。ここから西の砦……って、ん? ちょっと待て。


 それ、まさか俺が潰した砦か?

 ひょっとして、こいつら俺があの砦を落としたことを知らない?


「ここにはついでに立ち寄っただけだぜ? ほんのついで、たまたまって事だな」

「……ええ、そういうことです」

 ガルーヴェンの得意げな言葉に、ジャギュアが若干顔を渋くしながら答える。ああ、大体分かった。


「ついでで自慢しに来たところ悪いが、崩壊した砦に大群引き連れてご苦労な事だとしか思わんな」

 別に本気でそう思っているわけではないが、何故か若干言葉に棘を入れてしまいつつそう返すと、ガルーヴェンは意外にも楽しそうに笑い……。


「はっはっはっ! そう羨ましがるな! これだけの数が集まるのは俺の人望だからな! おめえに集まらねえのは仕方ねえって!」

 何か、こう、非常に腹立たしい。


「別に今日は話の続きをしに来たわけじゃねえけれどよ、どーしてもって言うなら強大な俺の勢力とおめえの所で同盟、組んでやってもいいぜ?」

「断る」

 この流れで誰が同盟を組むというんだ。

「はっはっは! 嫉妬か? 嫉妬で意地になってるか?」

 こーいーつぅー……っ!


「え、ええと、申し訳ない。我々が戦力として頼れるとアピールしたかっただけで」

 言葉通り本当に申し訳なさそうに語るジャギュア。あ、ああ、うん、大丈夫だ。俺の方こそ冷静に大人としての対応をして格の違いを見せつけてやらねば……。


「ついでに今日はここに野営するからこいつらに飯食わせてやってくれ。大食らいだから肉たっぷりな」

「ふざけるなぁっ!?」


 アポも無しで二千人引き連れてやってきてお泊りで飯食わせろだとっ!? 馬鹿なのかお前っ!? そんな準備あるわけないだろっ!


「はー……やっぱ無理か」

「くっ! ベーオウ! 何とかならないか!?」

「旦那落ち着いてくだせえっ! 踊らされてやす!」

 い、いかんいかん、ベーオウの言葉の通りだ。


「おいおいー、同盟結ぶんなら一日分の食料くらい融通してくれなきゃなあ」

「バカかお前っ! そういうのは事前に知らせておけっ!」

「で、ですから旦那」

 ああもう、ホントペース狂わされる。


「まあ冗談はさておき、おめえらあの砦についてなんか情報持ってねえか?」

 ガルーヴェンは突然真面目な顔になってそう切り出してきた。全く、要らぬところでイライラさせおって。


「情報なら、無いこともないが」

 俺は隣にいるベーオウをちらりと見て、アイコンタクトを済ませる。

 そうだな。別に隠すことでもないし、すぐにばれる。


「その砦を壊滅させたのは俺だ」

「……あ?」

「あいつらがさらった俺の仲間を取り戻すついでにな。もっと詳しい情報なら、ここには元魔王軍のオークがいる。彼らに聞くといい」

「……」


 唖然、とは、こういうのを言うのか。

 大魔王の軍勢は俺と、自分たちの仲間の顔を何度も見合せる。


「……バネッサの砦を、てめえとその仲間だけで攻略したと?」

「あんなものは俺一人で十分だ。俺の仲間に手を出した奴らは血の海に返してやった」

「大魔王、報告にあった兵の数に合わないおびただしい血の跡というのも、吸血鬼なら」

 ジャギュアが付け加えると、ガルーヴェンも俺の言葉が真実だと分かったのだろう。無言のまましばらく考え込み……。


「っよおし! 俺も一人で潰してきてやらあっ!」

「大魔王っ!? そこは張り合わなくてよろしいかとっ!」

 妙な対抗意識を燃やされたな。


 何はともあれ……ちょっと勝った気分。


「そう気負うな。俺は一人であの砦を潰したが、お前は仲間たちと協力して攻略するといい」

「おいジャギュア! やっぱり俺一人で行くぞっ!」

「ここまで二千の兵を引き連れてきて何を馬鹿な事考えてるんですかっ!」

 ささやかな仕返しができたようで何よりだ。

 ぎゃあぎゃあと二人がわめき散らすのを見て、俺もちょっとだけ心の中でほくそえむのだった。


――


「で、なんで俺が」

「働かざる者食うべからずだ」

 そうして俺達は、バンブラーの森に狩りに出かける。


「自分たちの食糧は自分たちで狩ればいいだろう」

 実際の所、我が家の食糧庫を使えば二千人分の食事くらい問題ないのだ。

 問題があるのは、それを調理するコックの方。流石に二千食ともなると手が足りない。それにただ乞われるまま食事を提供するのも癪だ。


 ならば彼らに働いてもらえばいい。

 獲物を狩って、自分達でも調理する。それならこちらも手を貸してやらんでもない。


「気を付けろ。最近は魔王軍のゴブリンどもが俺達を狙っている。手ごわいぞ」

「はあ? あんな雑魚にてこずってんのか?」

 ぐっ! 何か、正論なのだがそうじゃないと言いたい! けれどやっぱり反論するのも情けない気がして言葉につまる……くそう、何だこの状況!


「まあ俺の仲間が来たからには安心しろよ」

「……俺達だけでもどうとでもなっている。警告を無視するなら知らん」

「はっはっは! すねるな」

 すねてない。周りが勘違いするからやめろ。


「旦那、俺達はあっちから回り込みやす。いざとなったらワーウルフ達を通して知らせやすんで」

「ああ」

 ぞろぞろとまとまっていても獲物は逃げるだけだ。俺達は森の影の中、二手に分かれる。ベーオウは大魔王の軍勢の一部を連れてこの森を先導していった。


 そう、森の闇に紛れるような、黒い光沢の鱗を持つ彼らを引き連れ。


「【ワーダイル】……だったか」

 ワニのような顔を持つ、大魔王軍の兵士だ。


「硬い鱗に強い牙。俺の勢力に相応しい勇敢な奴らだ」

 手短に、しかしやはり自慢げにガルーヴェンは語る。

 見た目は黒いワニをそのまま二足歩行にしたような感じだ。猫背でも百八十センチはある背丈に大魔王軍の軍服なのか揃いの緑色の腰巻。細長いハルバートを抱え、歴戦の強者を思わせる勇猛な顔つき。


 魔王軍のオークと比べ体格では劣っているが、ガルーヴェンの言う通り硬そうな鱗で全身を覆い、恐らくはその見た目通りの強靭な顎を持つ。中々に強そうだ。


「だが、動きはそれほど機敏ではないな」

「まあな。こいつらはそもそも走って獲物を狩るタイプじゃねえ」

 ガルーヴェンはそう言って、森の奥へと意識を向ける。それとほぼ同じくらいに、俺の隣にササッと駆けてきたクーナが耳打ち。


「カイ、来た」

「ああ」

 俺もガルーヴェン同様、獲物の駆けてくる気配に耳を澄ませる。ベーオウ達と、それとこれはワーダイル達の声だろう。獲物を追いかけ興奮させてこちらに向かわせている。


「待ち伏せて打ち取るタイプだからな」

 ザザザと駆けてくる小ぶりなエンテー達を、列になって茂みに伏せていたワーダイル達は、逃がさず迎え撃つ。体格差に武器の有無、狩るものと狩られるものの絶対的な立場は当然覆せず。


「おらあっ!」

「うりゃあっ!」

「ブギイイイッ!?」

 次々と今夜のおかずが揃っていく。


「旦那っ! 一匹デカいやつがっ!」

 森の喧騒を、さらに上回る声で叫ぶベーオウの声。

 ほう、これは……。


「あの時のエンテーよりは小さいが」

 木々をなぎ倒し、鈍重な音を響かせてこちらに向かってくる巨大な気配。

「はは、この森もそこそこいい獲物がいるじゃねえか」


 現れたのは、高さはジャイアントオークをも越える巨体。一本の伸びた角を持つ……黒い毛サイだ。

 こいつ、初めて見るタイプだな。


「おめえら下がれ。俺がとる」

 エンテーと違いこいつはただ前に突進するのではなく、周りを吟味するように一度立ち止まった。防御の薄い所を突破しようとでもいうのか。

 だが、言葉通りに前に出たガルーヴェンを無視することはできず……。


「ギュアアアアアアアっ!」

 うなり声をあげて、突撃する。

 それは、この中で最も避けねばならない選択だっただろう。


「ガアアアアアアアアアアアッ!」

「グブギュッ!?」


 一撃、いや、ひと噛み、か。

 巨大な毛サイを、さらに巨大な顎が上からガブリだ。


 ガルーヴェンはその身を地竜に、いや、ギガノトサウルスへと変貌させた。そうして太古の陸の覇者の、鋭いナイフのような歯が幾本もその肉に突き刺さり、骨まであっさりとかみ砕いたのだ。


「わははははっ! 流石大将!」

「いつ見てもすげえぜっ!」

 自分たちのボスの、その圧倒的な強さに沸き立つワーダイル達。ギガノトサウルスに変身したガルーヴェンは、そのまま絶命した毛サイを地面に放り捨て、その喝采に応えるように天高く吠える。

 それはまるで、太古の恐竜時代の一場面をそのまま切り取ったかのような光景。


「はははっ! こんなもん楽勝だぜ! なあ吸血鬼っ!」

 感情が高ぶっているのか、そのみなぎる生命力のまま俺に問いかけるガルーヴェン。目の前で息づく、力強い躍動感が、その声と共に俺に伝わってきて……。


「べっ、別にっ! カッコいいだなんて思っていないんだからなっ!」

「あ?」

「だ、旦那、何か妙な感じになってやすよ」

 くそっ! これじゃまるでツンデレみたいな返し方じゃないかっ!


 くそっ! だって格好いいんだもんっ! ベーオウ達の手前威厳を保たなければならないというのにっ!

「大丈夫だカイっ! こいつ凄く強いけど、皆でかかれば大丈夫だっ!」

「い、いや、別にこいつは敵じゃないんだぞクーナ?」

 俺が怯えているとでも思ったのか、何故かクーナは俺の前に立ってガルーヴェンに威嚇する。そういえばワーウルフ達は来た時からずっとこんな感じだな。

 同盟を結ぶ(予定の)相手なのだから、もう少し警戒を解いてもらわねば……。


「んじゃ帰るか。ほれ吸血鬼、乗せてやるぜ」

「いいの!? じゃ、じゃない何を言うかおのれはっ!?」

「だ、旦那……もう無理しない方が」

 ベーオウにそう諭され、流石に今回は顔を赤くするほか無いのだった。


――


「うわははははっ! いいぞ飲め飲めっ!」

「全く、誰の酒だと思っている」

 まるで自分が王様気取りなのは相変わらずだ。夜の帳の下、ガルーヴェン率いる二千のワーダイル達と、俺の仲間達は、荒野で同じ火を囲み談笑する。


 彼らと協力して狩った獲物、食糧庫から出してきた野菜や果物、そしてティキュラの作った酒で、俺達は存分にこの一夜を楽しんでいた。


「はははっ! 相変わらずうめえなっ! まさかこの酒をそこのちっこい嬢ちゃんが作ってたなんてな」

「えへへ、お粗末様です」

 もう隠す必要は無くなったので、逆に功労者としてティキュラを紹介したのだ。赤い火に揺れ、少女の頬もほんのり赤く染まっている。


「ああ、全く、してやられましたよ」

 前回その酒の呪いに参っていたジャギュアは、複雑そうにため息をつく。

「済まぬな。今日は呪いは入っていない。存分に楽しまれよ」

「あ、あの時はごめんなさい」

「いいえ、見た目で相手を判断すると痛い目にあうと、逆に教えてもらいましたよ」


 ジャギュアはティキュラにそう言って笑みを向ける。今までどこか尊大な態度で威張ってばかりだったから、その紳士のような、子供に向ける優しい口調は少し意外だ。

 あるいはこれが本来の姿か。


「っていうか今日はあの姉ちゃんは来ねえのか? 確かミルキ・ヘーラとか言ってたな」

 名前まで憶えていたか。正直目の前で俺以外の男といちゃつかれるのは辛いが……まあ、酌くらいまでなら許してやろう。


「御当主様ー、呼びました?」

「……ああ」

 正直呼んでなかったんだが。ああ、来なければ仕方がないなーで済ませられたのに。


「では、失礼しますー」

「ん?」

 と、そんなことを思っていると、背の高い青紫の髪の少女は、すっと腰を下ろした。


 俺の隣に。


「御当主様、私だけまだいただけていないのですが」

「何をだ?」

「これです」

 そうしてチュッと、流れるようなしぐさで俺の唇を……。


 よりによって、ガルーヴェンの目の前で。


「御当主様はー、とても人望のあるお方ですよ?」

 そうしてわざわざ、ガルーヴェンに向かって微笑みかけたのだ。

 ……ああ、そうか。ひょっとしてガルーヴェンが初めに俺に人望がないから兵が少ないなんて言ってたの、気にしてくれてたのか?


「……ふっ、ははははははっ!」

 目の前の男は……ああ、そうだな。こういう時はもう笑うしかないだろうな。

「あーあー羨ましい限りで。悪かったよ姉ちゃん。そいつはしっかりと周りから慕われてるな。狩りに行って分かったさ」

 なんて、あのガルーヴェンから率直な賛辞が。な、何だ、思ったよりこそばゆいぞ。


「ふふっ、はい。とても素敵なお方です」

「お、おいミルキ・ヘーラ」

 ぎゅっと、そのたわわな胸で俺を包み込む。柔らかく、それでいて優しいにおいと温かな体が、まるでミルキ・ヘーラの純粋な気持ちをそのまま伝えてくれているようで……。


「御当主様は、優しくて、とても誠実で、魅力的なお方で」

「ガルだって凄いんだよーっ!」

「うおっ!?」

 そんな俺にとって甘々な流れを突如断ち切って響く声。


「ねっ、ガルっ! 私達もちゅーっヴっ!?」

「離れろタコ」

 今までどこにいたのか、現れたのは、一人の少女。


 砂黄色の羽に鳥のような脚、けれど顔や体は吸血鬼や人間のような、不思議な少女。ハーピィか? いや、それにしては羽から伸びる爪は長く……。


「あー、あれだ……そこいらのノラ娘がついてきちまったか?」

「何でそんなウソつくのおっ!? ガルっ! こっちも見せつけちゃおうよっ!」

「離れろタコ」

「うわあああああんっ!?」

 少女はまだあどけなさを残した、中々に可愛い顔だ。表情も豊かで、その活発な様子もあって魅力的に映るが……ガルーヴェンからは微妙に遠ざけられているな。

 ふむ、あの男がとる行動としてはちょっと意外だ。幼いから趣味じゃないのか? 顔はまだ十代中間くらいな感じだが、その下の胸は中々に……。


「兄さん、どこを見ていらっしゃるんです?」

「何でここで出てくる」

 まるで狙いすましたかのようなタイミングで声をかける、我が妹。


「いえ、妹としてどこかで挨拶はしなければと。兄さんが紹介してくれるのを待っていたのですが」

 ああ、それは正直すまなかった。コイツの前だとそういう当たり前の礼節とかもうなんかどっか行ってしまってな。


「初めまして。マリエ・ブルーダラクと申します。以後お見知りおきを」

 荒野の夜、そこだけがまるで火に照らされたステージのように、優雅に少女は一礼する。オレンジ色のスポットライトに照らされ、彼女はまるで舞台のヒロインのように、ほほ笑む。


 兄の目から見ても、それはとても美しく……。


「……ほう」

 ガルーヴェンも、恐らくはそんな感想を持ったらしく。

「こりゃあ……すげえ」

 ん? なんだ、本当に態度まで変えるな。まるで一目惚れしたかのように、火が奴の頬を赤く染めて……。


「ははっ、こりゃあいい……吸血鬼、妹ちゃんを俺の嫁にくれりゃあ無条件で同盟結んでやるぜ?」

「あら」

「却下だ」

 どうやら本当にその気になったらしい。いやふざけるなよ?


「心臓ど真ん中えぐられた気分だ。なあ、いいだろ?」

「いいわけないだろ」

「俺と同盟組めばゴブリンなんてもう恐れることないぜ? 魔王軍だってきっちりぶちのめして、こんな笑い声がずっと続くような、誰もかれも奪いも奪われもしない日々を送れるようにだな」

 いきなりちょっとマジになって語るな。そういうの違う場面でやるやつだろ?


「な? 家族の縁を結べば同盟も永遠だぜ?」

「だ、そうですよ兄さん」

「却下だ」

 この流れに面白そうに便乗してくるマイシスター。冗談じゃない。マリエは誰にも嫁にやらんぞ。


「ふふ、申し訳ありません。私は兄さんの女なので」

「……いや、そういう意味で言ったんじゃ」

「なら嫁に行きますよ?」

「却下だ」

 ちょ、ちょっと待て、何か混乱してきたぞ。


「な、何であっちはいいのガルっ!? あんなぽっと出てきた女なんかっ!」

「お前まだいたのか」

「うわあああああんっ!? 何でえええっ!?」

 そんな流れでむげに扱われる謎の少女。いや、何かちょっと可愛そうだな。


「あんな胸の無い女なんかの何がいいのさっ!?」

「……は?」

 一瞬でキレるなマイシスター。ま、待て、いやちょっと待て!


「騒がしくしてごめんなさいね。吸血鬼の当主」

「ん?」

 今度は落ち着いた和やかな声で、その女性は現れた。


「彼は大雑把でこんなだけれど、私達にとっては、とても温かで、大切な男なのよ」

 俺にそう語りかけて酌をしてくれるのは、ジャギュアと同じ、黒い獣人の女性。滑らかで美しい毛並みに、整った顔立ち。見た目はジャガーのようだが、その美しさは種を越えて伝わる。


「あなたほどの女性にそう言われるとは、羨ましい男だ」

「あら、お上手ね」

 彼女はそう言って優雅にほほ笑んでみせた。


「手えだすなよ。そいつはジャギュアの女だからな」

 はっ、と得意げに笑うガルーヴェン。ほうほう成程、獣人の美男美女のカップルか。


「美しい奥方をお持ちだ。鼻が高いでしょうジャギュア殿」

「えっ!? い、いえそんな……恐縮です」

 何故か俺からそんな風に言われるのが意外だったのか、ジャギュアはちょっと面食らったかのようにそう答えた。

 まあ、顔はにやけていたがな。自分の女を褒められて喜ばない男はいない。


「お前こそ俺の妹に手を出すなよ」

「あー? 聞こえねえな」

「おい」

 そうして、この賑やかな夜は更けていった。


――


「色々助かったぜ吸血鬼」


 夜は明け、朝日が昇る。

 ガルーヴェン達はひと時の休息を終え、戦う意思をその顔に宿し、出立する。


「この程度の歓待、ブルーダラクの名においては当然だ」

「ははっ! 吸血鬼のボンボンは言う事が違うな」

 軽く笑い飛ばした後、ガルーヴェンはさてと西を向く。


「砦をぶっつぶしゃあここに来る魔王軍の脅威も減る。その分また食わせてもらいにくるぜ」

「ふん、押しつけがましい。次くるときは事前に知らせるんだな」

 俺も精いっぱいの皮肉で応じる。コイツに正直にいつでも待っているなんて言えない。俺の仲間たちも随分と打ち解けたようだから気にせず食いに来いとも言えない。


「じゃあな」

「ああ待て」

 俺はそうして歩き出そうとした一歩を止める。


「案内がいた方がはかどるだろう」

「へいっ!」

 俺の言葉で、俺の後ろからぞろぞろと前に進み出るギガントオーク達。


「元魔王軍で、あの砦にいたオーク達だ。何かと役に立つだろう」

「ははっ! 要らねえよ! ……と言いたいところだが、まあ好意は受け取っておいてやるか」

 ガルーヴェンはそう言うが、実際敵の拠点を攻めるのに内部事情に詳しい者がいれば心強いはず。どんなに自分が強くても、大勢の部下まで守りながら戦えるはずもないのだから。

 部下に慕われる男がそれを知らぬはずがない。


 そうして並んだギガントオーク達の中……何故か、一人一際背の低いのが。


「旦那、俺もついて行っていいですか?」

「……え、ベーオウ!?」


 と、突然の俺の従者の言葉に思わず面食らう。


 何だ、事前の打ち合わせではギガントオーク数名だけ同行させる予定だっただろう?


「いえね、ちょいと大魔王軍の戦い方を見ておいた方がいいかと思いやして」

「お前……そういうのは、事前にだな」

「すいやせん」

 ベーオウもすぐに決めたわけではないらしい。一晩悩んで、そういう結論になったのだとか。


「言っておくが、こいつらは俺ほど強くはない。再建中の砦だろうと危険には変わりないんだぞ」

「承知してやす。必ず実のある報告を持ち帰りやすんで」

「……いいだろう」

 唐突だったが、ベーオウもベーオウなりに考えての行動だというのは伝わったので、それ以上は口出ししない。


「ガルーヴェン」

「あ、何だ? そのちっこいのもか?」

「ああ……皆をよろしく頼む」

 そう言って頭を下げる俺に、俺の仲間や大魔王軍がざわついた。


 ……あー、そんなに意外か? プライドが高い吸血鬼が頭を下げるのは。

 人間達が言うように、俺達吸血鬼は、まあ、どうやら平均して高いプライドを持っていると言われているからな。概ねそれは事実だ。


 だが、従者や仲間の安全より大事なプライドを持っている吸血鬼なんて、一人もいない。


「ああ、頼まれたぜ」

 大魔王は別にそんな俺をちゃかしたりせず、いっそ気持ちのいい笑顔でそれに応えた。

 こうして、大魔王軍とギガントオーク達、そして追加でベーオウは、西の砦に出発していったのだった。


「ベーオウさん、行っちゃいましたね」

 しゅるりと寄ってきたティキュラが少し寂しそうにこぼす。まあ、そう思うのは俺だけではないよな。


「こっちはこっちで、しっかりやらないとな」

「はいっ! 私ももっと特訓ですっ!」

 アンリも力強く頷いて。


「俺達もベーオウ達のいない分しっかりやるぞっ!」

 おおー、と、オーク達も士気を挙げる。まあどのくらいかかるかは分からないが、きっと無事に帰ってくる。それを信じて今は……。


「なあカイ」

 そんなところで俺の意識を遮るような声が。

「あいつら、何で残ってるんだ?」

「え?」


 クーナの向く先、何故か百人ほどのワーダイル達が取り残されていた。


「出遅れちゃったんでしょうか?」

 ミルキ・ヘーラがそう言うが早いか、ワーダイル達は俺達の方にぞろぞろと駆けてくる。お、おい、何だなんだ?


「吸血鬼様! 俺達はここに残ります!」

「な、何っ!?」

 そいつらの先頭にいた一人から、予想外な一言が。


「ガルーヴェン様の命で、俺達が残ってゴブリンどもから皆を守ります!」

「俺達の皮膚にゃあ、あいつらのなまくらナイフなんて通りませんからね!」

「ガルーヴェン様からは『ゴブリンが怖くて不安で眠れないそうだから、全力で守ってやれ』と言われてますんで」

「どうぞ、ご安心ください!」

 あーいーつぅー!


「……著しい誤解が含まれているが、来てくれて心強い。これからはよろしく頼む」

「はいっ!」

 統制の取れたいい返事だ。あいつめ、部下のほうが礼儀をちゃんと心得ているじゃないか。


 こうして俺達の勢力に、恐らくは一時的だろうがワーダイルの仲間が加わったのだ。


 ――そのまま、少し時は流れる。


「どうですか? 兄さん」

「ああ、ワーダイル達との演習がいい刺激になってるようだ」

 ガルーヴェンが自慢する兵たちだけあって、彼らは非常に士気も高く実力もある。それに負けじと、うちのオーク達も毎日訓練に明け暮れているのだ。


「しかし、訓練で実力は上がってきているが……」

「何か、不安でも?」

「ここ最近の奴らの動きがな」

 俺はマリエの部屋で、いつものように紅茶に口を付けながら続ける。


「ゴブリンをめっきり見なくなった」

 ガルーヴェンの到来以降、奴らの攻撃はすっかり息をひそめてしまった。狩りに出かけてもその影すら見えない。勿論今でも警戒は怠っていないが。


「砦の防衛に集中しているのでしょうか?」

「それならいいが」

 あくまで想像の域を出ないが、奴らが身を潜め何かを狙っているとしたら、より一層警戒しなければならない。

 そう、何かを。


「……まさか、彼らがを待っているとでも?」

「分からん。実際、現実世界むこうではそうだっただろう」


 一つ、思い当たる節があるのだ。

 現実世界では、俺達に敵対する勢力で、特に俺を知る奴らにとっては、それは常套手段だった。


「時期的にもそろそろだ」

「何か、引き継いでおくことはありますか?」

「特にはない。結局全て、任せてしまうことになるが」

 マリエは俺の言葉に、そうですねと紅茶を口にして……。


「後のことは任せてください。安心して、良い夢を」

「夢を見ることの方が少な……ぐっ!?」


 突如、いや、タイミング的にはドンピシャな感じでソレに襲われる。


「兄さん? ……まさか、今?」

「あ、す、ま、ない……あと、たの……」

「ええ」

 急速な眠気に襲われる俺を、椅子から崩れ落ちそうになる俺を、俺の妹は、優しく抱きとめて、笑みを向け。


「おやすみなさい、兄さん」

 ほほ笑んでくれた。


『強制睡眠』


 こればかりは、変えようのない俺の弱点だ。

 だが今回は前回と違い十分に俺の仲間も強くなったし、マリエもいる。心配することはないだろう。

 まあ、戦力的には飛び道具がない所がちょっと心配だが……この世界で魔王軍を相手にそれほど困ることも……。


『兄さん』

 え?


 その声、マリエ、か?


『はい、兄さん』

 俺は気づけば、いつもの暗い海の中で揺蕩っていた。


 そこは俺がいつも眠りにつく場所だ。何もない、暗いだけの世界。

 そこで何故か聞こえた、どこか、懐かしい声。


『兄さんは相変わらず、誰かの想いを背負っているんですね』

『? マリエ?』

 最後に話したのがマリエだからか? 恐らくこれは夢の中。目の前には体を白く輝かせた、俺の妹が。


 いや、どこか……懐かしいというか、まるでそれは、昔のマリエを見ているようで……。


『兄さんは、私の事、好いてくれていますか?』

『……唐突に、どうした?』

 マリエはその光る体のまま、俺に微笑みながら問いかける。よく見ればその体は服を纏っていない。なのに俺もマリエも、それが当たり前のように恥ずかしさを感じることもなく……。


 いやまあ、これは俺の夢だからな。


『どうですか?』

『どうって、好いている。好きだ。当たり前だ』

 妹として、だがな。

 女としては……まあ、時々どきりとするくらいには魅力的ではある。血のつながりがなかったら、手を出していたかもしれないが。


『私もです。他のみんなもそうですよ。勿論』

 そうして、少しだけその笑みを陰らせるように、寂しそうに笑って……。


『あの子も』

『……マリエ?』

『兄さん。起きたら、気を落ち着かせてください。何があっても、取り乱さず、落ち着いて、皆と向き合ってください』

『お前……何を言って』

 夢の中で問答というのも少しおかしいかもしれないが、俺はその言葉に、どこか不安を感じて……。


『あの子のことも、よろしくお願いします。私そっくりで、嘘つきで怖がりで、意地っ張りな子ですけれど』

『ま、待て、さっきから何を』

『また、会いましょう』

 そうして、全ては光の中へ……。


「……」

 妙な、夢だった。


 俺は気づけば自室のベッドの上。いつも通りの、強制睡眠からの目覚めの光景。

 だが、変な夢を見たせいか、心が少しざわついて。


「落ち着け、だったか?」

 夢からアドバイスされるというのも不思議な気分だが……いや、その夢が原因でこうなっている訳なんだが。


「まあ、とにかく」

 皆の様子を確かめよう。

 仮にも魔王軍との戦闘中なのだ。不吉な暗示があったからという訳じゃないが、少し心配だ。

 俺はさっさと着替えて、ドアを開け……。


「……馬鹿な」

 俺は、そう、この世界で二度目の、その感覚に襲われる。


 下から……これはそう、下の階から漂ってくる、おびただしい量の、あの気配。

 何が、何が、お、落ち着け、だ。


「ッ!」

 俺は気持ちを押さえられず、駆けだした。


 漂ってきたのは……いや、あの時とは少し違う。

 濃厚な、まるで滞留するかのような、濃厚な……。


「あ、旦那っ!」

「カイ様!?」

 途中何人かレッサーオークや古ゴート族とすれ違う。その無事な様子に安心し、けれどならばこの匂いは何だと一階へと駆けていく。


 そうしてたどり着いた、一階のロビー。


「何だ、この、光景は」

 そこはまるで野戦病院のよう。


 俺の仲間たちが大勢傷つき、倒れこんでいたのだった。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク50名、ギガントオーク59名、ワーウルフ21名、ワーダイル103名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王と交渉中

従属:なし

備考:状況不明、負傷者多数……





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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