その男、大魔王につき



「大魔王、と名乗ったのか、あの男」

「へ、へえ」

 俺は白いシャツに袖を通しながら、ベーオウに聞く。


「名前からして、魔王より格上の存在なのか?」

「い、いえ、それが、あっしも聞いたことがない名前で」

 すらっとしたズボンを履いて赤い装飾を施した黒のベストを羽織り、家宝のブローチタイを巻く。鏡の前の吸血鬼は、今日も赤い瞳に銀の髪をなびかせている。


「とんでもなくつええのは確かでさあ。ギガントオークどもが歯もたちやせんで」

「……負傷者の状況は」

「ケガ人大勢、死者はゼロでさあ」

 最悪の状況は免れているか。


「話が通じるかは微妙な所だと思いやす。大声上げてた方は力で事を推し進めるような感じに見えやしたが……もう一人の、恐らくは部下の方が交渉役でしょうか」

 ふむ、力で脅す役と冷静に交渉できる役。最低限物事を円滑に進められる使者というわけだ。


「奴らの目的は何だと……」

「それは分かりやせん。とにかく旦那と話がしてえと」

「おいベーオウ、こっちを見ろ」


 鏡から振り返ると、ベーオウは声だけこっちに飛ばしながら、視線はばっちりティキュラ達が寝ているベッドに釘付けだった。


 油断も隙もないな。


「あー、旦那、もうちょっとだけこの天国を眺めあぎがあああああああっ!?」

「馬鹿なことやっていないで、行くぞ」

「だっ、だんっ! ちょっ! 冗談であぎぎぎぎぎぎっ!」

 なら何で今も必死にベッドの方を向こうとしているのか。

 俺はベーオウの首根っこをひっつかみ無理やり引きずっていく。


「だ、だんっ……え、ちょ、旦那待ってくださいそっちは……」

 俺が大穴開けられた壁の前までくると、荒野に仁王立ちするあの男は、それに応えるように俺を見上げ、不敵な笑みを浮かべた。


 視線と視線が……俺と奴の覇気が、交差する。


「え、まさかそんな旦那そりゃ無理でああああああああああああああああああっ!?」

 ベーオウを担いで、俺はひょいとその穴から飛び降りた。


「いぐうおあああああああああああああああああっ!?」

「静かにしろ」

 そんな絶叫マシーンに乗せられた人間じゃあるまいし。


 そうして突然の来訪者と普通に言葉を交わせる距離にズダンと着地して、俺は改めて、二人の男の顔を見る。


 一人は、三白眼で精悍な顔つきの、日焼けした肌の筋骨隆々な男。

 短めのかなり癖の強い黒髪に、整ってはいるが隠しきれない狂暴さがにじみ出た顔。百九十を超える長身の割には細く、しかしその体は鋼のような、強靭な筋肉の鎧で覆われている。

 姿かたちは一見すると人間だが……いや、この圧倒的な覇気は人間ではありえんな。


 上半身は裸に近い。鎧、のような、タンクトップに似た革製の黒緑色の服に黒いマント。薄茶色の頑丈そうなズボンに植物で編まれたサンダルのような靴。首には黄金のネックレスが巻かれ、背中には大剣の柄が見える。


 大魔王、というよりジャングルに君臨する部族の王、と言った方がしっくりくる出で立ちだ。


「ようやく来ましたね」

 もう一人。そちらは同じく長身だが、さっきの男と比べると随分と落ち着いた、美しい黒ヒョウのような顔をした獣人だった。

 黒尽くしのスーツのような服に白いタイ。琥珀色の瞳に太めの尻尾。顔の黒い光沢を放つ短く滑らかな毛並みは、その美しい顔と相まって妖艶さすら感じさせる。


「ああ、待ちくたびれたぜ」

 そんな二人が荒野で堂々と佇む姿は、中々に絵になる光景だった。


「し、死ぬかとっ! こ、今度こそっ、マジで、死ぬかとっ!」

「たかだか七階から飛び降りたくらいで大げさな。着地の衝撃は殺しただろう」

「だ、旦那……ひょっとしてそりゃあ旦那流の冗談のつもりなんですかい?」

 一方こちらはハアハアと息を荒くしたレッサーオークに、先ほどまで全裸だった吸血鬼……ううむ、何か見た目や肩書きで圧倒されてないか?

 くそう、あと五年もすれば俺だってあれくらいの背丈に……。


「よう、噂の全裸の吸血鬼」

「……随分と、俺の部下達を可愛がってくれたらしいな」

 今回はその不遜極まりないあだ名も反論しづらい。スルーして本題に入っていく。


「おめえに会いてえ、って言ったら通せんぼされたからな。殺しちゃいねえよ」

「要件はなんだ」

 俺の殺気にも、この大声の男は動じる様子はない。隣の黒い獣人もだ。

 中々の手練れと思っておいた方がいいな。


「いやあ何、魔王軍の奴らが攻めてきてこの城を乗っ取ったって聞いたからよ。じゃあ俺が分捕るかと思ってたら、また城主が変わったみてえじゃねえか」

「変わった、ではなく戻っただ。ここは元々俺達の城だ」

 そう言ってやると、大声の男は面白そうに笑みを浮かべて。


「それだ。おめえたちだけで見事に魔王軍の奴らを追い払ったんだろ? やるじゃねえか」

「……話が見えんな。何が言いたい」

「我々と同盟を結びませんか?」

 黒い獣人が、そう言って話に割って入る。


「同盟?」

「我々は共通の敵を持つようですし、協力できるところは協力しましょう、というご提案です」

 黒い獣人は、底の見えない琥珀色の瞳を光らせてこちらを覗き見る。それはまるで肉食動物が獲物を狙うかのような目で。


「話は分かったが、事情の方はまだ見えんな。まずお前たちがどこの誰かも、俺達は知らんのでな」

「……あん? 名乗っただろ?」

「大魔王とかなんとかか? アレは何だ、ふざけているのか」

 俺の言葉に、何故か二人は顔を見合せて……。


「まあ、これだけ僻地になるとこういう事もありましょう」

 暗に俺達を田舎者とでも言いたげに獣人の男はため息を……。

 おい、おい! なかなかいい挑発かましてくれるじゃないか!


「ですからゆっくり、お話しましょう。まずは互いを理解しなければ」

 ふん、あくまで交渉という姿勢を取るか。いいだろう。

 俺はベーオウの方をちらりと向いて、目で合図する。

「話は聞こう。だが、お前たちが納得できるような結論になるかは、保証しないぞ」

「はい、


 そう言って、あくまで挑発的に、二人の男は笑みを浮かべた。


 それはまるで、肉食獣が絶対的な力の差のある獲物を、その命を、弄ぶかのような仕草で。

 ああ成程。普段俺はこんな感じで相手を脅して交渉している訳か。される側になってはっきりわかる。


 ……かなり、腹立たしいな。


「案内しよう。こちらへ」

 そうして俺は、平静を装い彼らを先導する。

 勿論、オーク達をやられた分とこの腹立たしさは、倍にしてお返しさせてもらう。


「ひとまずは歓迎しよう……無礼なお客人」


――


「ん、んうう……」

 何か大きな音と、その後に続いた、聞いたことのある人の叫び声に、私はまどろみから覚めた。


「あふぇ……」

 全身を包むけだるさと、そのけだるさがどこか気持ちいいと感じながら上半身を起こして、私は見慣れない部屋を見渡した。


 あれ、ここは何処だろう……そんなことを考えていたのも一瞬で。


「あ、れ……カイさんの部屋、あ」

 そうして、思い出す。

 昨日までの、いや、昨夜の記憶を。


「あ、あふぃー……っ!」

 私は自分の顔が真っ赤になるのを自覚した。

 いや、だって……あんなっ。


「あ、あうううっ!」


 カイさんに、抱かれた。

 あ、愛し、愛して……もらった。


 そ、それはその、ちょっとは覚悟していたことだったけれど、そ、その、いきなりすぎたっていうか……はううっ!


「ううー……って、あれ?」

 火照る顔に手の甲をひたひた当てていると、その肝心のカイさんがどこにもいないことに気付く。ベッドには、私とアンリとミルキィしかいない。


「カイさん? トイレ、かな?」

「ん……カイ、さ、ま?」

「んふうぅ」

 私の声に反応して、アンリとティキュラも甘い夢から覚めた。


「んー……あ、おはよ、ティキュラ」

「うん、おはよ、アンリ」

 お互いに顔を見合せて、ちょっと照れ臭くなってしまう。昨夜のことはアンリだって当然覚えている。私たちは、同じ人を好きになって、同じ人に一緒に抱かれて……。


 こ、こういう時って、どんなこと話せばいいのかな!?


「ふふふ、おはよー、ティキュラちゃん、アンリ」

「お、おはようミルキィ」

「おはよー」

 と、そんな空気を察したわけじゃないのだろうけど、ミルキィが起きて、何となく漂っていた気恥ずかしさは掻き消えた。


「あら? 御当主様は?」

 けれど、今度は別の事に意識を奪われる。


 柔らかい曲線を描く豊満な体。

 どこまでもきめ細やかな白い肌。その体を這うように流れる青紫の髪が、なんだかとても色っぽい。


 私とアンリはどこかこの部屋で浮いているけれど、目の前の美女は、間違いなくベッドの上が似合っていた。


「さすが……ミルキィ」

「ええー? 何よアンリ。何が流石なの?」

 同じことを思ったのだろう。アンリもその惜しげもなく発散される色気に、思わず息をのんでいた。

 こ、こういうのって、やっぱり男の人ならたまらないのかな? 女の私ですらそう思うのだから、ひょっとしてカイさんも……。


「って、だからカイさんはどこに……ってわああああああああああああっ!?」

「なっ、何よティキュラ!? 急に叫んで」

「あっ、穴! 穴あああああっ!」


 私は思わず指さした。

 いや、ちょっと、え!? 何でカイさんの部屋のドアが開いてて、その先の壁が。


「え、ええええっ!? 壁に大穴開いてる!?」

「えっ、ひょ、ひょっとして何かあった!? カイさんがいないのもそれが原因!?」

 私たちが呑気に寝ている間に、何か事件が起きたのだろうか。


 まさかまた魔王軍が攻めてきたとか!?


「ま、まさか……」

 そんな中、青ざめた顔で震え始めたのは、ミルキィで。


「わ、私……寝相で、ご、御当主様をふっ飛ばして……」

「うええっ!?」

「嘘でしょ!?」


 思わずその言葉に二人でミルキィを見つめてしまう。


 い、いやいや! いくら寝相が悪くてもそんなこと起きる訳が……と思って、ひょっとして、なんて思いもよぎる。


 だってミルキィは、その……。


「か、カイさまあああああああっ!」

「あ、ちょっ! アンリっ!」

 たまらなくなったアンリが裸のままその穴に向かって駆けだしていく。き、気持ちは分かるけど落ち着こうよ! というか結ばれた次の日には死別だなんて……ちょっと冗談でも勘弁してほしいし。


 か、カイさんなら……大丈夫だよね? ぶっ飛ばされても。


「カイさっ、うわあっ!?」

「わちょっ!? アンリっ!? あなたなんて格好でっ!?」

 と、その穴から何故か古ゴート族のジゼールが飛び出してきた。


「えっ、あ、あなたまさか……そ、そう、とうとうヤッちゃったの……えっ!? てぃ、ティキュラとミルキ・ヘーラさんも!? さ、三人まとめてっ!?」

「ご、ゴメンジゼール! その話はあとっ! っていうか何であんたこんな穴からっ!」

 アンリは顔を真っ赤にしながら誤魔化して……。


「そ、そうそうっ! それどころじゃないのっ! 今変な二人組が攻めてきてて、カイ様とお茶するっていうのよっ!」

「は!? ……え、攻めてきたの? 何でお茶?」

「ああもう私じゃ分からないわよ! どっちも手は出さなかったけれど、カイ様とそいつら火花バチバチだったんだからっ! とにかくベーオウさんから準備するように言われたのっ! ティキュラ、あなたも協力して! ミルキ・ヘーラさんもっ!」

「う、うんっ!」

「はいっ、分かりました」


 私たちはしっかりと返事をする。どうやら本当に、照れたりしている場合じゃないみたい。


「私達流の歓迎をしてやりなさい、だそうよ」


 ジゼールのその言葉に、私も、アンリとミルキィも、力強く頷いて。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名

従者:ベーオウ

同盟:なし

従属:なし

備考:『大魔王』を名乗るものが襲撃中





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る